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第一章 偶然と必然
第五節
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午後九時近くになった頃、側に置いていた携帯電話が鳴り出した。
美咲は携帯を手に取り、画面を開く。
(優奈からだ)
今まですっかり忘れていたが、優奈は、明日、忘れ物をしないようにとメールをしてきてくれたのだ。
「私そろそろ部屋戻るから」
切り上げるにはちょうどいいと思い、美咲は立ち上がった。
「あんた付き合い悪いわよ。もうちょっといられないの?」
「――いつもよりもここにいたじゃん」
未だに飲み続ける大人達には付き合ってらんない、と心底呆れながら、「待ちなさいってばー!」と、引き止めようとする理美の言葉も一切無視した。
リビングを出て、二階の部屋に戻ると、一気に静かになる。
美咲は優奈からの指示通り、明日の準備をしてから、問題なしと返信した。
その後はベッドに倒れ込み、仰向けになって天井を見上げる。
微かだが、下から、アルコールが入り、いつになく陽気になっている貴雄の笑い声と、いつもと同じ調子で明るく振る舞う理美の声が聴こえてくる。
一方で、南條の声はあまりしない。南條は口数が少ない方らしく、美咲がいた間も、飲む前はもちろん、飲んでいる間も余計なお喋りはあまりしていなかった。かと言って、極端に寡黙なわけでもなく、話しかければちゃんと答えてくれるし、貴雄や理美の話にも、微笑しながら耳を傾けていた。
(あの人はどんな人なんだか……)
美咲の中で、南條に対する悪いイメージは完全に拭い去られ、今は、興味すら持ち始めている。ただ、両親と南條がどういった関係なのかが、未だによく分からない。
(あとでちゃんと教えてもらわないと)
そう思いながら、瞼を閉じた時だった。
コンコン、と、ドアを軽くノックする音が聴こえてきた。
美咲は目を開け、しかし、身体は横たえたままでドアを睨んだ。
「開いてるよー!」
来たのが理美だと思い込んだ美咲は、面倒臭さを感じながら呼びかける。
ところが、ドアはいっこうに開かれることがなく、さらに催促するようにノックされた。
「もう……」
美咲は身体を起こすと、ベッドを降りてドアに向かった。
「開いてるって言ってんのに……」
ブツブツ言いながらノブを回して開けたとたん、美咲は目を見開いたまま固まった。
そこにいたのは理美ではなく、ましてや貴雄でもない。
「寝てたか?」
来訪者――南條は、淡々とした口調で訊ねてくる。
「あ、いえ。起きてましたけど……」
しどろもどろになりながら答えると、南條は、「そうか」と、小さく笑みを湛えた。
「なら、ちょっと付き合ってくれないか?」
「え? 付き合うって……」
「ただの酔い覚ました。大丈夫、ちゃんと貴雄さん達からも許可をもらってるから」
「はあ……」
美咲は怪訝に思いつつ、それでも、南條に着いて下に降り、スニーカーを履いて外に出た。
◆◇◆◇
日中とは違い、さすがに空気が冷たく感じられる。あまりに突然のことで、上に羽織るものを忘れていたので、よけいに寒さが身に染みた。
(けど……)
美咲は、隣の南條を上目で覗う。『ただの酔い覚まし』だと南條は言っていたが、それなら何故、わざわざ美咲を連れ出そうと考えたのだろうか。
「鬼王は、知ってるな?」
前を向いたままで、突然、南條が口を開いた。
美咲は驚きつつ、〈オニオウ〉とは何なのかを考えた。
「――何ですか? その〈オニオウ〉って……」
改めて訊ねる美咲を、南條は、僅かに目を見開いて凝視する。
「――知らないのか?」
「はあ……。〈オニオウ〉なんて名前の知り合いなんていませんし……」
南條はなおも、美咲を見つめる。まるで、美咲の心の中を透かし見ようとするかのように。
しかし、美咲は本当に〈オニオウ〉を知らないのだから、どんなに詰め寄られても答えようがない。
やがて、美咲が嘘を吐いていないと南條も悟ったのか、小さな溜め息を漏らした。
「なら、言い方を変えよう。銀色の長い髪と金色の瞳をもつ男、それなら知ってるか?」
美咲の中で、一気に衝撃が走った。南條の言う〈銀色の長い髪と金色の瞳をもつ男〉が、夢に現れた男とは限らない。だが、あの男ほどに強烈な印象を与える存在は、この世には二人といないはずだ。
「――どうして……?」
思わず漏らした一言に、南條の鳶色の双眸が鋭い光を帯びる。
「やっぱり知っていたか」
この口振りから、〈オニオウ〉とは夢の中の男のことを指していたのだと、美咲もようやく理解した。
「けど、どうして南條さんがその男のヒトのことを……?」
怪訝に思いながら訊ねると、南條は足を止め、美咲を一瞥した。
「俺も、鬼王と夢で逢った、と言ったら信じるか?」
「南條さんも……、夢で……?」
南條は、ゆっくりと頷いた。
「鬼王は今、あの桜に封印された状態だ。意識は辛うじて飛ばすことが出来ても、身体は縛られているから、あの場から身動きがほとんど取れない。
鬼王は、眠りに就いた人間達に意識を潜り込ませ、夢を使って自らの世界へと呼び寄せる。お前も、そうして何度も鬼王のいる場所へと導かれただろう?
鬼王の目的は二つ。お前の中に眠る桜姫を覚醒させること、そして――桜姫覚醒の妨げとなる俺を、排除することだ」
美咲は目を剥いた。美咲の中に眠る〈オウキ〉を覚醒させるとか、覚醒の妨げになる南條を排除するとか、全く意味が分からない。
「――私は、いったい何者なんですか……?」
気付くと、南條に訊ねていた。紡がれた唇は小さく震え、胸の鼓動も速度を増している。
そんな美咲を、南條は眉根を寄せながら見つめる。恐怖におののく美咲に呆れる、というよりも、どこか憐れんでいるように感じる。
「知ってるんでしょ? ――教えて下さい!」
本当の〈自分〉を知るのが怖い。しかし、こんな話を聴かされてしまった以上、いつもと変わらない日常を過ごすことなんて出来ない。美咲は切実に思いながら、南條に懇願する。
美咲に真っ直ぐに見据えられた南條は答えに窮している様子だったが、黙り続けていても埒が明かないと思ったのか、静かに口を開いた。
「さっきも言ったが、お前の中には桜姫が眠っている。
桜姫とは、今から千年以上前に現存した鬼王の妻。元は人間の巫女姫だったが、大罪を犯して処刑され、その後は数多の亡霊を統べる鬼王に娶られたと伝えられている。
そして俺は……、ヒトから鬼に落ちた桜姫を封じた、能力者の生まれ変わりらしい……」
そこまで言うと、南條は、スッと右手を前に差し出した。
何が起こるのだろうかと思っていたら、その右手が、闇夜の中で仄かな光を放つ。
美咲は息を飲んだ。同時に、ゾクリと全身に悪寒が走る。これは、男――鬼王と初めて逢った時の感覚と全く同じだった。
(イヤ……、怖い……)
美咲は自らの身体を強く抱き締めながら、それでも、南條の手元を見つめ続ける。
すると、光は棒のようなものを形成してゆく。それは徐々に固体化し、光が弱くなるにつれ、南條の片腕一本分ほどの日本刀へと変化を遂げた。
南條は右手で柄を握り直し、刀身を、美咲の左胸元へと突き付ける。
「こいつは俺そのものだ。普通の生身の人間に危害を加えることはないが、鬼には致命傷、もしくは消滅させるだけの力がある。
桜姫も例外ではない。だが、桜姫の霊力は、鬼王ほどではないにしろ圧倒的だ。低級クラスの鬼に取り憑かれた人間であれば、多少の苦痛は伴ってもたいした障害は残らないが、桜姫の魂を持つお前の場合、桜姫と共に消滅する危険性が極めて高い」
「――私を……、オウキもろとも消すつもりですか……?」
美咲は全身を震わせつつ、辛うじて口を開いた。
南條は、相変わらず刀の切っ先を向けたまま、「桜姫が覚醒してしまったらば、な」と、答える。そこには優しさなど微塵もなく、ただ、刺すような冷たさだけを感じる。
恐怖が限界に達した。立っていることもままならず、美咲は膝から崩れ落ちる。
それを、南條がすんでのところで左手で支えた。
美咲は携帯を手に取り、画面を開く。
(優奈からだ)
今まですっかり忘れていたが、優奈は、明日、忘れ物をしないようにとメールをしてきてくれたのだ。
「私そろそろ部屋戻るから」
切り上げるにはちょうどいいと思い、美咲は立ち上がった。
「あんた付き合い悪いわよ。もうちょっといられないの?」
「――いつもよりもここにいたじゃん」
未だに飲み続ける大人達には付き合ってらんない、と心底呆れながら、「待ちなさいってばー!」と、引き止めようとする理美の言葉も一切無視した。
リビングを出て、二階の部屋に戻ると、一気に静かになる。
美咲は優奈からの指示通り、明日の準備をしてから、問題なしと返信した。
その後はベッドに倒れ込み、仰向けになって天井を見上げる。
微かだが、下から、アルコールが入り、いつになく陽気になっている貴雄の笑い声と、いつもと同じ調子で明るく振る舞う理美の声が聴こえてくる。
一方で、南條の声はあまりしない。南條は口数が少ない方らしく、美咲がいた間も、飲む前はもちろん、飲んでいる間も余計なお喋りはあまりしていなかった。かと言って、極端に寡黙なわけでもなく、話しかければちゃんと答えてくれるし、貴雄や理美の話にも、微笑しながら耳を傾けていた。
(あの人はどんな人なんだか……)
美咲の中で、南條に対する悪いイメージは完全に拭い去られ、今は、興味すら持ち始めている。ただ、両親と南條がどういった関係なのかが、未だによく分からない。
(あとでちゃんと教えてもらわないと)
そう思いながら、瞼を閉じた時だった。
コンコン、と、ドアを軽くノックする音が聴こえてきた。
美咲は目を開け、しかし、身体は横たえたままでドアを睨んだ。
「開いてるよー!」
来たのが理美だと思い込んだ美咲は、面倒臭さを感じながら呼びかける。
ところが、ドアはいっこうに開かれることがなく、さらに催促するようにノックされた。
「もう……」
美咲は身体を起こすと、ベッドを降りてドアに向かった。
「開いてるって言ってんのに……」
ブツブツ言いながらノブを回して開けたとたん、美咲は目を見開いたまま固まった。
そこにいたのは理美ではなく、ましてや貴雄でもない。
「寝てたか?」
来訪者――南條は、淡々とした口調で訊ねてくる。
「あ、いえ。起きてましたけど……」
しどろもどろになりながら答えると、南條は、「そうか」と、小さく笑みを湛えた。
「なら、ちょっと付き合ってくれないか?」
「え? 付き合うって……」
「ただの酔い覚ました。大丈夫、ちゃんと貴雄さん達からも許可をもらってるから」
「はあ……」
美咲は怪訝に思いつつ、それでも、南條に着いて下に降り、スニーカーを履いて外に出た。
◆◇◆◇
日中とは違い、さすがに空気が冷たく感じられる。あまりに突然のことで、上に羽織るものを忘れていたので、よけいに寒さが身に染みた。
(けど……)
美咲は、隣の南條を上目で覗う。『ただの酔い覚まし』だと南條は言っていたが、それなら何故、わざわざ美咲を連れ出そうと考えたのだろうか。
「鬼王は、知ってるな?」
前を向いたままで、突然、南條が口を開いた。
美咲は驚きつつ、〈オニオウ〉とは何なのかを考えた。
「――何ですか? その〈オニオウ〉って……」
改めて訊ねる美咲を、南條は、僅かに目を見開いて凝視する。
「――知らないのか?」
「はあ……。〈オニオウ〉なんて名前の知り合いなんていませんし……」
南條はなおも、美咲を見つめる。まるで、美咲の心の中を透かし見ようとするかのように。
しかし、美咲は本当に〈オニオウ〉を知らないのだから、どんなに詰め寄られても答えようがない。
やがて、美咲が嘘を吐いていないと南條も悟ったのか、小さな溜め息を漏らした。
「なら、言い方を変えよう。銀色の長い髪と金色の瞳をもつ男、それなら知ってるか?」
美咲の中で、一気に衝撃が走った。南條の言う〈銀色の長い髪と金色の瞳をもつ男〉が、夢に現れた男とは限らない。だが、あの男ほどに強烈な印象を与える存在は、この世には二人といないはずだ。
「――どうして……?」
思わず漏らした一言に、南條の鳶色の双眸が鋭い光を帯びる。
「やっぱり知っていたか」
この口振りから、〈オニオウ〉とは夢の中の男のことを指していたのだと、美咲もようやく理解した。
「けど、どうして南條さんがその男のヒトのことを……?」
怪訝に思いながら訊ねると、南條は足を止め、美咲を一瞥した。
「俺も、鬼王と夢で逢った、と言ったら信じるか?」
「南條さんも……、夢で……?」
南條は、ゆっくりと頷いた。
「鬼王は今、あの桜に封印された状態だ。意識は辛うじて飛ばすことが出来ても、身体は縛られているから、あの場から身動きがほとんど取れない。
鬼王は、眠りに就いた人間達に意識を潜り込ませ、夢を使って自らの世界へと呼び寄せる。お前も、そうして何度も鬼王のいる場所へと導かれただろう?
鬼王の目的は二つ。お前の中に眠る桜姫を覚醒させること、そして――桜姫覚醒の妨げとなる俺を、排除することだ」
美咲は目を剥いた。美咲の中に眠る〈オウキ〉を覚醒させるとか、覚醒の妨げになる南條を排除するとか、全く意味が分からない。
「――私は、いったい何者なんですか……?」
気付くと、南條に訊ねていた。紡がれた唇は小さく震え、胸の鼓動も速度を増している。
そんな美咲を、南條は眉根を寄せながら見つめる。恐怖におののく美咲に呆れる、というよりも、どこか憐れんでいるように感じる。
「知ってるんでしょ? ――教えて下さい!」
本当の〈自分〉を知るのが怖い。しかし、こんな話を聴かされてしまった以上、いつもと変わらない日常を過ごすことなんて出来ない。美咲は切実に思いながら、南條に懇願する。
美咲に真っ直ぐに見据えられた南條は答えに窮している様子だったが、黙り続けていても埒が明かないと思ったのか、静かに口を開いた。
「さっきも言ったが、お前の中には桜姫が眠っている。
桜姫とは、今から千年以上前に現存した鬼王の妻。元は人間の巫女姫だったが、大罪を犯して処刑され、その後は数多の亡霊を統べる鬼王に娶られたと伝えられている。
そして俺は……、ヒトから鬼に落ちた桜姫を封じた、能力者の生まれ変わりらしい……」
そこまで言うと、南條は、スッと右手を前に差し出した。
何が起こるのだろうかと思っていたら、その右手が、闇夜の中で仄かな光を放つ。
美咲は息を飲んだ。同時に、ゾクリと全身に悪寒が走る。これは、男――鬼王と初めて逢った時の感覚と全く同じだった。
(イヤ……、怖い……)
美咲は自らの身体を強く抱き締めながら、それでも、南條の手元を見つめ続ける。
すると、光は棒のようなものを形成してゆく。それは徐々に固体化し、光が弱くなるにつれ、南條の片腕一本分ほどの日本刀へと変化を遂げた。
南條は右手で柄を握り直し、刀身を、美咲の左胸元へと突き付ける。
「こいつは俺そのものだ。普通の生身の人間に危害を加えることはないが、鬼には致命傷、もしくは消滅させるだけの力がある。
桜姫も例外ではない。だが、桜姫の霊力は、鬼王ほどではないにしろ圧倒的だ。低級クラスの鬼に取り憑かれた人間であれば、多少の苦痛は伴ってもたいした障害は残らないが、桜姫の魂を持つお前の場合、桜姫と共に消滅する危険性が極めて高い」
「――私を……、オウキもろとも消すつもりですか……?」
美咲は全身を震わせつつ、辛うじて口を開いた。
南條は、相変わらず刀の切っ先を向けたまま、「桜姫が覚醒してしまったらば、な」と、答える。そこには優しさなど微塵もなく、ただ、刺すような冷たさだけを感じる。
恐怖が限界に達した。立っていることもままならず、美咲は膝から崩れ落ちる。
それを、南條がすんでのところで左手で支えた。
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