宵月桜舞

雪原歌乃

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序章 誇りと誓い

第一節

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 まるで、周りから取り残されたように静かに立ち続ける桜があった。
 その姿はどことなく淋しげで、自らが持つ生命力を誇示するかのように、精いっぱい、薄紅の花弁を満開にさせる。
 そこに、一人の男が立っていた。
 見た目は二十代後半ほど。癖のない白銀色の髪は地面に着くほどまでに惜しげもなく流され、高価な人形のように彫りの深い顔の中には、金色の瞳が鋭く妖しい光を放っている。
 そんな男の前に、幼い少女が現れた。肩の辺りで綺麗に切り揃えられた焦げ茶色の髪と、幼子らしい丸みを帯びた輪郭の中には、茶味を帯びたくりくりとした瞳と、ほんのりと赤い唇が添えられている。
 少女は、男をジッと見つめる。その瞳の奥からは、男に対する好奇心よりも、恐怖心がありありと伝わってきた。
 男はそっと、少女に手を伸ばす。
 しかし、少女はそれを拒んだ。ただ、目の前の男に怯え、男が一歩近付くたびに、少女も後ずさる。
「そんなに怯えるな」
 少女を怖がらせまいと、どこまでも穏やかな口調で告げようとも、少女はいっこうに警戒心を緩めない。それどころか、何度も首を振り、男を寄せ付けまいとする。

 ――コナイデ! コナイデコナイデコナイデ……!

 呪詛のように唱えられる少女の心の叫びに、男もなす術がなかった。
 男はただ、少女を求めていた。しかし、少女は男の存在を認めようとしない。
(やはり、目覚めには早過ぎたのか……)
 男は小さく溜め息を吐き、少女から離れた。
 急ぐ必要はない。機が熟した時、少女は必ず、男のことを想い出すであろう。
「また、この場で逢おう」
 男の言葉に呼応するように、少女の姿が徐々に消えてゆく。少女はもう、〈現〉へと戻っていったのだ。
 自分もまた、眠りに就こう。男はそう思ったのだが、新たな気配を感じ、神経を研ぎ澄ます。
「勝手に私の領域に足を踏み入れるとは感心出来んな」
 強い気の放たれている場所を察知した男は、暗がりの中に金の瞳を光らせる。
 すると、何もなかったはずの闇から、ユラリと何かが現れた。
 それは、闇夜と同色の漆黒の髪と、鳶色の双眸を持つ少年へと変貌を遂げる。少年といっても、先ほどの少女よりはだいぶ年上で背も高く、大人びた顔付きをしている。
 だが、男が特に注目したのは、少年の右手に握られた抜き身の日本刀だった。それは、闇の中で禍々しい光を放ち、また、大切なものを失った憎しみと哀しみを蘇らせる。
「私を、そいつで消すつもりか?」
 闇に溶け込むほどの静かな声で、男は少年に問う。
 少年はそれには答えず、代わりに両手で刀を構え直すと、銀色の切っ先を男の喉元へと突き付けた。
(愚かな)
 刀を向けられても男は動じることなく、むしろ、不敵に口の端を上げる。そして、ゆっくりと瞼を閉じると、口だけを動かして呪まじないを唱える。
 全ての呪が読み上げられ、再び金色の双眸がカッと見開かれた瞬間、空間に歪みが生じた。烈風が吹き荒れ、桜の木も風に煽られて激しく揺れる。満開の花弁達も、全てなくなってしまうのではないかと思えるほど散らされてゆく。
「くっ……」
 少年はわずかに吹き飛ばされた。小さく呻きながら、しかし、手にしていた刀を杖代わりに地面に突き立てて立ち上がり、風の力に反発するように、なおも男に近付こうとする。
「ほう」
 男は目を瞠り、少年の忍耐強さに感心した。
 普通の人間であれば、男の力をまともに受けたら無事ではいられない。良くて重傷、最悪の場合、命を落としてしまうことも稀ではない。
(普通の人間と違うのは分かっていたが……)
 男はしだいに、少年に対して興味が湧いた。男にとって、憎むべき相手であることには変わりないが、それ以上に、現世に転生した少年をもっと知りたいと思った。
 男が再び呪を唱えると、今までの嵐が嘘だったかのように、一気に静けさが戻る。
 少年は肩で荒く息を繰り返しながら、男を睨んだ。
「私の力を受けても無事でいられるのは、さすが、と言うべきか」
 男は自ら、辛うじて立ち続けている少年の元へと近付いた。
「いい目をしている」
 少年は口を開きかけた。しかし、それを遮るように、男は淡々と続ける。
「かつてのそなたも同じ目で私を見ていた。そう、そなたもあれに恋情を抱いていたからな。だが、そなたとあれは同腹の兄と妹。どれほど望んでも、決して叶うことのない想いだった。そして――そなたは同時にあれを……」
「言うな!」
 少年が初めて声を発した。悲痛な叫びを上げ、苦しげに顔を歪めた。
「お前に言われなくても知ってる! 俺が何者なのか、そして、俺が持つ力の意味も全て……。けど、親父は言った。『運命は自分の力でいくらでも切り開ける』と。
 だから俺は、〈過去の俺〉には従わない。俺は俺の意思で戦い、あの娘を、お前に落とさせやしない」
 そこまで言うと、少年は、男の反応を窺うようにジッと視線を合わせる。身体は微かに震えていたが、少女のように、男から逃げようとは全く考えていない様子だ。むしろ、進んで男に、そして自らに戦いを挑んでいる。
 やがて、男から深い溜め息が漏れた。
「面白い」
 男は口角を吊り上げた。
「私も長きに渡りこの世のものを見続けてきたが、そなたのような考えを持つ者に逢ったことは未だかつてない。どの人間どもも、ただ、自らに課せられた宿命に縛られ、自らを追い詰め、破滅への道を辿っていった。
 しかし、そなたはそんな愚かな者どもとは違うようだ。まだ、私と対等にやり合うにはまだまだ未熟ではあるがな」
 男は一呼吸置き、続けた。
「十年後、またここへ来るが良い。あれもちょうど、その時に完全なる目覚めの時を迎えるであろう。あれが私の元へ再び戻るか、それとも、兄であったそなたの胸に飛び込むか……」
「――もし、お前ではなく俺を選んだら、その時はどうするつもりだ?」
 少年の問いに、男は少しばかり瞼を閉じて思考を巡らせ、ゆっくりと目を開いた。
「そのようなことは、決してあってほしくないものだ」
 男の答えが不満だったのか、少年はなおも、何か言いたげにしていた。しかし、男はもう、これ以上は何も言う気はなかった。
「私もさすがに疲れた。ここに縛られている状態では、本来の半分も力を出すことが出来ぬ。
 そなたも〈現〉へ戻れ。もう、話すことは何もない」
 男はそう言うと、桜の幹に身体を溶け込ませる。今度こそ、深い眠りへと落ちていった。
 残された少年は、男が消えてもなお、幹を睨み続けた。
「俺は絶対、全力で守ってやる!」
 声高らかに宣言し、両手で刀を構えて刀身を天へ翳す。
 少年の強い信念に呼応するように、銀の刃は、桜舞う宵の中でキラリと眩い光を放った。

【序章 - End】
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