Melting Sweet

雪原歌乃

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Extra.1 もう少しだけ

Act.1

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 ※衛也視点、本編後日談です。

 自分には手の届かない存在だと思っていた彼女と結ばれてから、あっという間に半年が経過した。
 俺も彼女も酒が大好きだから、デートとなると酒飲みは欠かせない。飲み屋に行くこともあるし、たまに、互いのアパートでまったり飲むこともある。
 料理が苦手だからと、初めて彼女を抱いた晩に本人が言っていたが、それでも彼女のアパートで飲んだ時は、唯一まともに作れると言っていた玉子焼きを出してくれた。ちょっと焦げが目立っていたものの、味は俺好みだったから、素直な気持ちで絶賛すると、よほど嬉しかったのか、それからもちょくちょく作ってくれるようになった。
 ただ、本人はレパートリーを増やしたいと漏らしていた。だから、最近ではネットでレシピを調べつつ練習しているとか。
 俺は別に、彼女が料理を作ってくれることに期待はしていなかった。でも、俺のために頑張ってくれていることはやはり嬉しいと思う。
 今日は、彼女の家で憶えたばかりの料理を振る舞ってくれるという。正直なところ、期待半分、不安半分といったところだが、例えイマイチだったとしても、全て笑顔で平らげる覚悟でいる。
 そして、そんな俺は、冬季限定のにごり酒を一本、近所の酒専門店で購入した。もちろん、彼女とふたりで飲むつもりだ。
 彼女のアパートは会社の最寄り駅から徒歩二十分ほど。決して近いとは言えない。
 本当は車で向かいたいところだったが、生憎と近くに駐車場がない。そうなると、駅から地道に歩くしかない。
 電車の中は汗ばむほどだったのに、外は対照的に凍り付くような寒さだ。いや、〈痛い〉という表現の方が適切かもしれない。それほど、今日の冷え込み方は半端じゃない。
 そのぴしぴしと張り付きそうな外気に触れながら、俺は彼女のアパートに向かって歩き続ける。所々、日中に融けかかった雪が気温低下で再び凍り、うっかりすると足を滑らせて転倒しそうだ。
 と、そう思っている目の前で、足を滑らせた中年男がいた。幸いにも転ぶのは免れていたが、こけかかったのを俺に見事に目撃され、中年男は気まずそうにしていた。でも、それを見てしまった俺の方がもっと気まずかったのだけど。
 そんな間抜けな場面に遭遇しつつ、俺は何事もなく彼女のアパートの前まで無事に辿り着いた。
 彼女の部屋は206号室、二階の角部屋だ。
 俺は一呼吸置いてから、インターホンを押す。すると、インターホン越しに『はい』と籠った声が飛び出してくる。
「こんばんは、杉本です」
 俺が名乗ると、彼女はすぐに反応した。
『あ、ちょっと待ってて』
 彼女はカチャリと音を立てて受話器を置く。それからほどなくして、ドアから鍵とチェーンの外れる音が聴こえた。
「いらっしゃい。入って」
 彼女――夕純さんははニッコリと笑顔を見せながら、俺に促してくる。
 俺は頷き、「お邪魔します」と挨拶してから靴を脱いで上がった。そして、キッチンを経由して八畳間の部屋へ入る。
 家事は苦手だと言っていたけれど、室内の整理は徹底している。本はキチンと本棚に並べられ、部屋の隅に置かれたベッドの布団も綺麗に敷かれている。俺の所と間取りは一緒なのに、夕純さんの部屋の方が広く感じるから不思議だ。それだけ、俺の部屋が散らかっているという証拠なのだろうが。
「夕純さん」
 部屋に入るなり、俺は例のにごり酒をビニール袋ごと夕純さんに差し出した。
「今日はちょっと冬らしい酒をと思って。これ、夕純さんも気になってたでしょ?」
 夕純さんはそれを受け取ると、ビニール袋を開けて中を確認する。と、中身を見たとたん、パッと表情が華やいだ。
「そうそう、これ飲んでみたかったの! 衛也君ありがとう。さすが気が利くわあ!」
 夕純さんは本当に嬉しそうに袋から酒の箱を取り出し、さらに箱から酒瓶を出してコタツの上に置いた。
「私も熱燗用に辛口のお酒を用意してたんだけど、まずはこれね。熱燗はその次に作るわ」
 そう言って、俺にコタツで待つように告げてから、夕純さんは一度、キッチンへと戻る。
 ドアを開けた時から思っていたが、室内いっぱいにいい匂いが広がっている。多分、煮物のようなものを作っていたのだろう。
 そのうち、夕純さんが再び、盆を手に戻って来た。そこには、ほかほかの肉じゃがが載せられている。ちゃんと、ふたり分の深めの皿に分けて。
「肉じゃがなんて今まで作ったこともなかったんだけどね」
 そう前置きしながら、俺の前に箸と一緒にひとつ置く。
「美味しくなかったらはっきり言っていいから。あ、例の玉子焼きも作ってたから。あとはたくあんと野沢菜漬け。お漬物はさすがに買ってきたやつだけどね」
 ケラケラ笑いながら、また、キッチンに引っ込んで部屋へ戻って来る。今度は酒を飲むための小さめのグラスも二個持ってきた。
「――なんか、しょぼいわね……」
 ようやく落ち着いたかと思ったら、夕純さんがポツリと漏らす。
「しょぼいって、何がですか?」
「だって、よく見て? 肉じゃがと玉子焼きとお漬物だけなんて……。私はともかく、衛也君のお腹の足しにはならないじゃない……」
 そう言ってから、最後に、「ごめん……」と謝罪してくる。
「謝ることじゃないですよ」
 しょんぼりしている夕純さんに、俺はニッコリと微笑んで見せた。
「これだけあれば充分です。夕純さんお手製の肉じゃがと玉子焼きがあるのが最高の贅沢ですから」
「ほんとに、そう思う……?」
「ほんとです」
 俺は大きく首を縦に動かし、箸を手に取った。
「食っていいですか?」
 念のためにと訊くと、夕純さんは、「ええ」とぎこちなく返事してきた。
「ほんとに、不味かったら無理しなくていいから……。味見はしたけど、ほんと自信ないから……」
 味見もしたと言いながら自分の料理を卑下する夕純さんを少し哀しく思いながら、俺はじゃがいもを咀嚼した。煮崩れはしていたが、甘じょっぱいダシがいい具合に口いっぱいに広がる。
「美味いですよ」
 お世辞ではなく、素直な感想を伝えた。
 それでも、夕純さんはなおも疑わしげに、「ほんとに……?」と訊いてくる。
「ほんとですって」
 俺は思わず肩を竦めた。
「濃過ぎず薄過ぎず、ちょうどいい感じだと思いますよ。これだけ上手なのに、料理出来ないなんて正直信じられません」
「でも苦手なの!」
 得意なのを自慢するならともかく、苦手を威張りながら強調する夕純さんに苦笑いしてしまう。
「私ほんとに家事ダメなんだから! 料理なんて一番ダメ! ――『お前の作るもんはどれも不味くて食えたもんじゃねえ』って、散々言われてきたんだから……」
 過去のことを想い出してしまったのか、夕純さんの表情に翳りが差した。そういえば、夕純さんは男運が悪かった、なんてことを言っていた。
 それにしても、どこで夕純さんの落ち込みスイッチが入ってしまうのか未だに予測不能だ。それだけ、過去の男達に酷い目に遭わされた証拠なのだろうけれど。
 とはいえ、俺も夕純さんのことをとやかく言えない。むしろ、俺の方が夕純さん以上に黒歴史を背負っている。夕純さんに出逢わなければ、恋愛なんてものにずっと無縁だったかもしれない。
「夕純さんの昔の料理は食ったことないけど」
 俺は訥々と言葉を紡いだ。
「散々罵られたからこそ、ここまで上達したんじゃないですか? まあ、言い方はともかくとして。料理に限らず、夕純さんは自分を過小評価する癖がありますけど、俺は夕純さんは人一倍の努力家だって思ってますよ」
「――努力が報われないことだってあるけどね」
「またそんなことを」
 俺は小さく溜め息を漏らし、自分の元へと夕純さんを引き寄せた。小柄な彼女の身体は、大人しく俺の中にすっぽりと包まれる。
「少なくとも、俺は夕純さんを尊敬してますよ。夕純さんの頑張る姿は俺の励みになってますから。女性の夕純さんが頑張ってるんだから、俺ももっともっと努力して、少しでも夕純さんに相応しい男になれたらって、いつも思ってます」
「その辺の女の子に比べると全然可愛げがないわよ?」
「夕純さんの方が可愛いです」
 自分で言いながら、恥ずかしくなってきた。でも、夕純さんが可愛いと思っているのは本当だから訂正はしない。
「――馬鹿」
 夕純さんはポツリと漏らし、俺の背中に両手を回す。そして、頭をもたげて俺を見上げた。
 真っ直ぐな夕純さんの視線は反則だ。本人は全く自覚がないようだが、可愛い顔で見つめられると理性が吹っ飛んでしまいそうになる。
 俺は心の中で葛藤を繰り返した。このまま、夕純さんを壊してしまおうかとも思ったが、まだ食べている最中なのだからと、どうにか自分を抑えた。
「あとで夕純さんをじっくり味わわせてもらいますよ」
 夕純さんの唇に軽く口付けてから告げた。
 夕純さんはやはり、「馬鹿じゃない」と軽く憎まれ口を叩きつつ、頬をほんのりと染めている。
 再び、理性と感情が戦う。可愛い反応は狡いと思いながら、俺はまた、夕純さんに軽くキスした。
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