春風 ~四季の想い・第二幕~

雪原歌乃

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第五話 言葉に出来ない

Act.3

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 あれから涼香と朋也は、同じ店で三時間も粘ってしまった。酒と料理が美味しいのはもちろん、ざっくばらんとした店の雰囲気がまた、ついつい長居させてしまう。
(そういえば、夕純さんと来た時もこれぐらいいたっけ?)
 また、夕純と来た時のことを想い出す。だが、あの時は、上司と一緒だという気持ちが最優先に働き、今日ほど気を緩めることが出来なかった。もちろん、夕純の人柄を分かってからは好きになっているが、やはり、恋愛対象として見ている相手だとずいぶんと違う。とはいえ、酒の力を借りてハメを外し過ぎている自覚も、酔っ払っていながらもよく分かっている。
「ああ、なんか気分いいわあ!」
 ハメ外しのついでだと思い、涼香は両手を広げ、夜の空気をめいっぱい吸い込む。火照った身体に、春先のひんやり感はとても心地良い。
「――山辺さん、相当酔っ払ってねえ……?」
 案の定、朋也が呆れた様子で訊ねてくる。
 涼香はそんな朋也に向けて、ニッコリと満面の笑みを見せた。
「酔っ払ってるわよ。けど平気よお?」
「――まあ、歩き方はわりとしっかりしてるけどな……」
「そうよ? 私はこれでも酒強いし、記憶を失くしたこともない。ちゃんとセーブはしてんのよ?」
「うん……、俺よりかなり強いっつうのはよく分かった……」
 そこで会話が途切れた。時おり人とすれ違うことはあっても、辺りがあまりにも静か過ぎて、かえって耳鳴りが煩く聴こえる。この沈黙は、酔っ払っているからいいもの、シラフだったらとても耐えられない。酒に強い自分に――いや、酒飲み一家に生まれさせてくれた両親に感謝するべきか。変な感謝の仕方だが。
(ま、こうゆう静かな時間も時には必要かな?)
 そんなことを思いながら、ゆったりとしたペースで歩き続けていた時だった。
「――あのさ」
 朋也が遠慮がちに口を開いた。
 涼香は弾かれたように朋也を見上げると、朋也は前に視線を向けたままで続けた。
「山辺さんから見て、俺ってどんな感じ?」
 唐突な質問だった。朋也は紫織同様、思ったことが顔に出やすいとはいえ、質問の意図が掴めない。
「どんな、って?」
 困惑した涼香は、逆に問い返す。
 言い出した張本人であるはずの朋也もまた答えに窮しているようで、「えっと」と曖昧に濁す。
「いや、俺のような男ってどう映ってるんだろ、って。好奇心とも違うけど、なんつうか……」
 結局、何が言いたいの、と問い質したいところだが、そうしたらまたさらに混乱させてしまいそうだ。涼香は少し考え、「そうねえ」と言葉を紡いだ。
「一途で純粋かな、って思う。真面目で嘘が吐けない。だから器用に立ち回れないトコが昔からある気がする」
 率直に思ったことを告げた。
 すると、朋也は、「やっぱり……」と小さく項垂れた。
「何が『やっぱり』なの?」
 怪訝に思いながら訊ねると、朋也は困ったように苦笑いを見せた。
「いや、この間も同じようなことを言われたから……」
「誰に?」
「――職場の、同期に……」
 少しではあったが、答えるまでに間があった。その瞬間、変な勘が働いてしまった。
「同期って、女の子?」
 内心は穏やかでなかったものの、平静を装いながら訊く。
 朋也はわずかに躊躇い、ゆっくりと首を縦に動かした。
「ついでに……、彼女に変なことも言われたから……」
「何を言われたの?」
 つい、口調を荒らげた。朋也の立場になってみれば、ただの〈友人〉でしかない涼香に詰問される謂れはない。それはよく理解していたが、負の感情がじわじわと心を支配してゆく。
 涼香の苛立ちが伝わったのか、朋也はバツが悪そうに目を逸らす。
「告白とかされた?」
 図星だったらしい。朋也がビクリと肩を上下させた。
「そう」
 涼香は素っ気なく言った。もちろん、心の中は相変わらずどす黒い感情が渦巻き続けている。朋也に堂々と告白した〈誰か〉が妬ましく、また、ほんの少しの勇気も持てない自分が腹立たしかった。
(私は、『好き』だなんて言えない、絶対……)
 朋也の本心を知っているから――いや、そんなのはただの建前で、単純に嫌われてしまうことを恐れている。涼香には、紫織や〈誰か〉のように真っ直ぐに相手にぶつかるだけの度胸がまるでない。仕事なら、周りの男達に負けるものかと必死になれるが、恋愛に関しては人一倍臆病なのだ。先の先まで考えてしまい、一生、自分の想いは閉じ込めたままでいようとしてしまう。言葉にせずとも、いつかは想いが伝わるかもしれない、などと都合の良いことを考えているのも確かだ。
(でも、高沢には行動だけじゃ伝わらないんだ……)
 酔いがしだに醒めてゆく。アルコールを大量に呷ったはずなのに、本当はまだまだ足りなかったのだろうか。
「山辺さん?」
 名前を呼ばれ、ハッと我に返る。顔を上げると、朋也が心配そうに涼香の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? だいぶ飲んでたから具合悪くなったんじゃねえの?」
 邪気のない優しさが、涼香の心の傷を深く抉った。もう、朋也と一緒にいられる状態ではなかった。
「ごめん、私ここからひとりで帰るわ!」
 涼香は精いっぱい明るく振る舞った。だが、自分でも不自然さを感じたから、朋也もさすがに疑わしげにしている。
「ほんと大丈夫だから! そんじゃ、またねえ!」
 脱兎のごとく、涼香はその場を去った。遠巻きに朋也の引き留めるような声が聴こえた気がしたが、振り返らなかった。
 闇を駆け抜けながら、目の奥が熱くなってくるのを感じた。
 泣きたくなどない。なのに、どうして思えば思うほど涙が頬を伝ってゆくのか。
「はあ……はあ……」
 朋也の姿が完全に見えなくなった所で、ようやく立ち止まった。ワンピースの胸元を掴み、その場にしゃがみ込むと、何度も深呼吸を繰り返した。
「泣くなよ涼香。私らしくない」
 口に出し、自分を叱咤する。
 泣かない、もう泣くもんか。呪文のように唱え続けていたら、ほんの少しだけ心が穏やかさを取り戻した。
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