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第三話 持つべきものは
Act.1
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わずかな時間だったけれど、夢のようなひと時を過ごしたような心地だった。
あの時、涼香はいつになく興奮していた。親友ならばともかく、他の相手に対して無邪気にはしゃいだ姿を見せるなど、絶対にありえないことだった。
朋也と別れてからも、胸の鼓動が早鐘を打ち続けている。顔も燃えるようで、このまま熱にうなされて倒れてしまうのでは、と半ば本気で思ってしまった。
(私、変な女だって思われなかったかな……?)
人混みをかき分けて歩きながら、涼香は何度も深呼吸をくり返す。何とか平静を取り戻さなくては。そう思っていた時だった。
ピコピコピコ……!
バッグにしまっていた携帯電話が鳴った。ざわついている中だったからそれほど響きはしなかったが、静まり返った場所で鳴っていたら、心臓が跳ね上がりそうなほど驚いたに違いない。
涼香はバッグを弄り、折り畳み式のそれを取り出す。ディスプレイを開いて確認すると、親友の名前がデジタル表示されていた。
相手を確認した涼香は通話ボタンを押し、そのまま本体を耳に押し当てる。
「もしもーし」
『あ、涼香?』
「そうですよー、涼香ちゃんですよー」
『――自分に〈ちゃん付け〉って……』
呆れたような声が耳に飛び込んでくる。恐らく、相手の加藤紫織は苦笑いを浮かべていることだろう。
「で、急に電話なんてどうした?」
『あ、別に大した用じゃないんだけどね、どうしてたかなあ、って思って』
「あらあ! 紫織ちゃんってばお優しいのねえ!」
『――茶化すな』
テンションを上げている涼香に対し、紫織は冷ややかに返してくる。このやり取りも、高校の頃から全く変わっていない。
『ねえ、ところで今どこ?』
「ああ、今は街中をブラブラしてた。家にいてもやることないからねえ」
『ふうん』
わざわざ訊いてきたわりには、ずいぶんと素っ気ない。だが、これも紫織らしいと言えば紫織らしい。興味がないのではなく、ただ単に他に言うことが見付からないだけなのだ。それなりに長い付き合いだから、紫織の性格はだいぶ把握しているつもりだ。
「紫織はどうしてたの?」
先ほどとは打って変わり、真面目に問い返す。
『まあ、ぼちぼちとね』
紫織もまた、慣れた様子で涼香に答えた。
『とりあえず今は、まだ準備期間ってトコだから』
「そう」
だいぶ端折ってはいたが、紫織が何を言ったのか、涼香はしっかりと理解していた。だからこそ、短く返事するだけに留めた。
『そうだ涼香、これからなんか予定とかある?』
急に話題を変えてきた。さっきまでの神妙さは何だったのかと突っ込みたいところだったが、ここはあえて何も言わなかった。
「予定はないよ。私の休日に〈予定〉なんて二文字はない!」
『――威張って言うことじゃないでしょ……』
紫織は笑いを含みながら続けた。
『良かったら、今日の夜ウチにおいでよ? お母さんも涼香に逢いたがってたしさ。どうせ一人暮らしで料理はあんまりしてないんでしょ?』
「失礼な言い方だな」
『あれ? 間違ったこと言った、私?』
「いや、一字一句間違ったことは言っちゃいないね」
『そこも威張るトコじゃないし』
紫織は電話の向こうで、もう、と小さく溜息を漏らす。
『なら決まりね。涼香のために、私とお母さんでとびっきり美味しいものをごちそうしたげる。夕飯時まで、ちゃーんとお腹を空かしておいてね?』
「おお! 紫織ママの料理は絶品だから期待してる!」
『私は?』
「そこそこね」
『――失礼な……』
「私だってさっき、失礼なこと言われたけど?」
『そうでしたね。どうもすみません』
少し間を置いてから、涼香と紫織は互いに声を上げて笑い合った。涼香は公衆の面前で電話をしていたから、急に笑ったことで、すれ違った人が変な視線を送ってきた。『この女大丈夫か?』と言わんばかりに。
涼香はその相手に肩を竦めて見せてから、「それじゃ」と電話の向こうの紫織に声をかけた。
「とりあえず切るわ。あ、私もなんか、手土産のひとつでも持ってく」
『ホントッ? だったら前に貰ったシュークリームがいいな。あれ、お母さんも美味しいって言ってたから』
「はいよ。忘れてなければ買ってくよ」
『忘れちゃダメ!』
「怖いよ、あんた……」
『食べ物の恨みは怖いのよ? 当然でしょ?』
「まあね」
涼香は微苦笑を浮かべた。
「じゃあ、ホントに切るからね? またあとで」
『うん。それじゃあねえ』
どちらからとも通話を切ると、涼香は再び携帯をバッグに放り入れた。
「さて、まだ夜になるまでには時間があるな」
ひとりごちながら、腕時計を確認する。現在時刻、二時三十分。
「帰るにも中途半端だし、どっかでお茶して時間潰すか」
涼香は辺りを見回しながら歩き、そこで一軒のファーストフード店を見付けると、迷うことなくそこへ入った。少し混雑しているようだったが、座る場所は何とか確保出来た。
安いだけあって、薄くて味気ないコーヒー。さらにひとりで飲んでいる姿は、非常に淋しく映っているに違いない。
ふと、先ほどまで一緒だった相手のことを想い浮かべる。ほとんど強引に昼食を誘ってしまったが、彼はそんな涼香をどう思っただろう。だが、彼の姿を目の当たりにした瞬間、考えるよりも先に行動に出ていた。まさか、あそこまで積極的になれたとは自分でも驚いたが。
(紫織のようになりたい、って無意識に思っちゃったのかな?)
紙コップに半分残ったコーヒーを見つめながら、涼香は思う。振ってみると紙コップの中で琥珀色の飛沫が撥ね、小さな波紋を作ってゆく。
(今日のこと、紫織に話してみるか……)
涼香は紙コップに口を付け、残ったコーヒーを一気に呷った。
あの時、涼香はいつになく興奮していた。親友ならばともかく、他の相手に対して無邪気にはしゃいだ姿を見せるなど、絶対にありえないことだった。
朋也と別れてからも、胸の鼓動が早鐘を打ち続けている。顔も燃えるようで、このまま熱にうなされて倒れてしまうのでは、と半ば本気で思ってしまった。
(私、変な女だって思われなかったかな……?)
人混みをかき分けて歩きながら、涼香は何度も深呼吸をくり返す。何とか平静を取り戻さなくては。そう思っていた時だった。
ピコピコピコ……!
バッグにしまっていた携帯電話が鳴った。ざわついている中だったからそれほど響きはしなかったが、静まり返った場所で鳴っていたら、心臓が跳ね上がりそうなほど驚いたに違いない。
涼香はバッグを弄り、折り畳み式のそれを取り出す。ディスプレイを開いて確認すると、親友の名前がデジタル表示されていた。
相手を確認した涼香は通話ボタンを押し、そのまま本体を耳に押し当てる。
「もしもーし」
『あ、涼香?』
「そうですよー、涼香ちゃんですよー」
『――自分に〈ちゃん付け〉って……』
呆れたような声が耳に飛び込んでくる。恐らく、相手の加藤紫織は苦笑いを浮かべていることだろう。
「で、急に電話なんてどうした?」
『あ、別に大した用じゃないんだけどね、どうしてたかなあ、って思って』
「あらあ! 紫織ちゃんってばお優しいのねえ!」
『――茶化すな』
テンションを上げている涼香に対し、紫織は冷ややかに返してくる。このやり取りも、高校の頃から全く変わっていない。
『ねえ、ところで今どこ?』
「ああ、今は街中をブラブラしてた。家にいてもやることないからねえ」
『ふうん』
わざわざ訊いてきたわりには、ずいぶんと素っ気ない。だが、これも紫織らしいと言えば紫織らしい。興味がないのではなく、ただ単に他に言うことが見付からないだけなのだ。それなりに長い付き合いだから、紫織の性格はだいぶ把握しているつもりだ。
「紫織はどうしてたの?」
先ほどとは打って変わり、真面目に問い返す。
『まあ、ぼちぼちとね』
紫織もまた、慣れた様子で涼香に答えた。
『とりあえず今は、まだ準備期間ってトコだから』
「そう」
だいぶ端折ってはいたが、紫織が何を言ったのか、涼香はしっかりと理解していた。だからこそ、短く返事するだけに留めた。
『そうだ涼香、これからなんか予定とかある?』
急に話題を変えてきた。さっきまでの神妙さは何だったのかと突っ込みたいところだったが、ここはあえて何も言わなかった。
「予定はないよ。私の休日に〈予定〉なんて二文字はない!」
『――威張って言うことじゃないでしょ……』
紫織は笑いを含みながら続けた。
『良かったら、今日の夜ウチにおいでよ? お母さんも涼香に逢いたがってたしさ。どうせ一人暮らしで料理はあんまりしてないんでしょ?』
「失礼な言い方だな」
『あれ? 間違ったこと言った、私?』
「いや、一字一句間違ったことは言っちゃいないね」
『そこも威張るトコじゃないし』
紫織は電話の向こうで、もう、と小さく溜息を漏らす。
『なら決まりね。涼香のために、私とお母さんでとびっきり美味しいものをごちそうしたげる。夕飯時まで、ちゃーんとお腹を空かしておいてね?』
「おお! 紫織ママの料理は絶品だから期待してる!」
『私は?』
「そこそこね」
『――失礼な……』
「私だってさっき、失礼なこと言われたけど?」
『そうでしたね。どうもすみません』
少し間を置いてから、涼香と紫織は互いに声を上げて笑い合った。涼香は公衆の面前で電話をしていたから、急に笑ったことで、すれ違った人が変な視線を送ってきた。『この女大丈夫か?』と言わんばかりに。
涼香はその相手に肩を竦めて見せてから、「それじゃ」と電話の向こうの紫織に声をかけた。
「とりあえず切るわ。あ、私もなんか、手土産のひとつでも持ってく」
『ホントッ? だったら前に貰ったシュークリームがいいな。あれ、お母さんも美味しいって言ってたから』
「はいよ。忘れてなければ買ってくよ」
『忘れちゃダメ!』
「怖いよ、あんた……」
『食べ物の恨みは怖いのよ? 当然でしょ?』
「まあね」
涼香は微苦笑を浮かべた。
「じゃあ、ホントに切るからね? またあとで」
『うん。それじゃあねえ』
どちらからとも通話を切ると、涼香は再び携帯をバッグに放り入れた。
「さて、まだ夜になるまでには時間があるな」
ひとりごちながら、腕時計を確認する。現在時刻、二時三十分。
「帰るにも中途半端だし、どっかでお茶して時間潰すか」
涼香は辺りを見回しながら歩き、そこで一軒のファーストフード店を見付けると、迷うことなくそこへ入った。少し混雑しているようだったが、座る場所は何とか確保出来た。
安いだけあって、薄くて味気ないコーヒー。さらにひとりで飲んでいる姿は、非常に淋しく映っているに違いない。
ふと、先ほどまで一緒だった相手のことを想い浮かべる。ほとんど強引に昼食を誘ってしまったが、彼はそんな涼香をどう思っただろう。だが、彼の姿を目の当たりにした瞬間、考えるよりも先に行動に出ていた。まさか、あそこまで積極的になれたとは自分でも驚いたが。
(紫織のようになりたい、って無意識に思っちゃったのかな?)
紙コップに半分残ったコーヒーを見つめながら、涼香は思う。振ってみると紙コップの中で琥珀色の飛沫が撥ね、小さな波紋を作ってゆく。
(今日のこと、紫織に話してみるか……)
涼香は紙コップに口を付け、残ったコーヒーを一気に呷った。
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