春風 ~四季の想い・第二幕~

雪原歌乃

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第一話 飲んで飲まれて

Act.2

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 〈お局様〉――唐沢夕純からさわゆずみに連れて来られたのは、狭い路地裏にある店だった。店構えも、〈居酒屋〉というよりは〈酒場〉と呼んだ方が相応しいほど年季が入っている。
 正直なところ、こういうレトロな店で飲むということを全く予想していなかった涼香は面食らってしまった。だが、こういう店構えは嫌いじゃない。
「チェーン店が一番無難かもしれないけど、そういうトコって落ち着かないのよ」
 そう言いながら、夕純は肩を竦める。そして、ようやく涼香の手首から手を離すと、曇りガラスが張られた扉を開ける。ただ、扉も相当年季が入っているようで、少し力を入れていた。
 ガラガラ、と建て付けの悪い音を立てた扉は、人がひとり通れるぐらいまで開いた。そして、夕純が先に入り、涼香もそれに続く。
 店の中は、ひんやりとした外とは対照的にムンとした熱気を感じ、食欲をそそる煮物の匂いが鼻の奥を刺激する。
 涼香は、夕純のあとを追うように一番奥まった場所へと行く。そこでようやく、ふたりは向かい合わせになる格好で席に落ち着いた。
「ここ、お酒も料理もハズレはないから。あ、嫌いなものとかある?」
 夕純に訊かれ、涼香は「いえ」と首を横に振る。
「特に食べれないものはないです。お酒も基本的に何でも好きですから」
「なら、ちょっと強いお酒も平気?」
「多分、いけると思います」
「了解」
 夕純は微笑しながら頷き、カウンター内にいた、この店の女将らしき女性を呼んだ。
 女将はこちらに即座に気付いた。そして、のそのそと席まで来ると、夕純の注文を素早くメモする。
「ちょっとお待ちを」
 決して愛想が良いとは言えない。だが、感じが悪いのとも違う。狭い店内には人がチラホラと見受けられるし、本当に評判が悪いとしたら誰も近づきはしないだろう。そもそも、悪評高い店なら夕純もわざわざ涼香を連れて来るはずがない。
(嫌がらせをするつもりじゃないなら、だけど)
 夕純に対して警戒心を完全に解いたわけではないから、つい、よけいなことを考えてしまう。もしかしたら、涼香の考えを悟られてしまっているだろうが、それならそれでもいいか、などと開き直った。
 ほどなくして、先ほどの女将がビール瓶一本とコップを二個載せたお盆を手に戻って来た。そして、ふたりの前にコップをそれぞれ置くと、目の前で栓抜きを使って王冠を開け、上手にビールを注いでゆく。
 その作業を一通り終えてから、女将は再びカウンターに戻ろうとする。が、途中でスーツ姿の年配男性に声をかけられ、足を止めた。
「まずはビールで乾杯ね」
 女将に気を取られていたが、夕純の呼びかけに涼香はハッと我に返る。少し慌ててコップを手にすると、「今日もお疲れ様」と夕純のコップを涼香のそれに軽くぶつけてきた。コチン、と乾いた音が微かに鳴った。
「ああ、生き返るわあ!」
 コップ一杯分を一気に喉に流し込んだ夕純は、腹の底からオヤジ臭い声を出す。とはいえ、涼香も夕純と同様、飲んだら生き返った心地がしたから――さすがに一気飲みはしなかったが――、夕純が思わずオヤジに変貌してしまった気持ちも分からなくはない。
(私も散々、『オヤジ臭い』って言われてたしねえ)
 ビールを口に含みながら、涼香は不意に高校時代のことを想い返した。いや、正確には大好きな親友、そして――ずっと捨てきれずにいた恋心、だ。
 親友の加藤紫織かとうしおりとは、高校卒業後もお互いの都合を合わせてちょくちょく逢っている。紫織は涼香と違って下戸だから一緒に酒を飲むことはないが、ご飯を食べたり、のんびりショッピングをしたりして一日を過ごす。
 涼香と紫織は誰が見ても対照的なのだが、だからこそ、紫織と一緒にいるととても落ち着く。ほわんとしていて、けれど、時に鋭い突っ込みをしてくる紫織。可愛いのに、それを楯に媚びることも決してないから、そういう点も涼香は紫織に対して好感を持っていた。素直で、心が綺麗で、涼香の持っていないものを紫織は全て持っている。
(今はちょうどご飯時かな? もしかしたら、彼と一緒かもね)
 紫織が大好きな〈彼〉と過ごしている姿を想像し、無意識に口元が綻ぶ。紫織は高校卒業と同時に長い長い片想いを実らせ、今、幸せの絶頂にいる。まだ、本当のゴールインまでには至っていないが。
(けど、いつ結婚してもおかしくないよね)
 一杯目のビールを飲みきった時、涼香の前にビール瓶の先が突き出されてきた。
「次頼むから飲んじゃって」
 夕純に半ば強引に促され、涼香は「どうも」と軽く会釈してお酌してもらった。だが、さすがに中身を空には出来ず、中途半端な状態で瓶の中にビールが残った。
「酔っ払った?」
 唐突に訊かれ、涼香はコップを口に付けた状態のままで夕純に視線を注いだ。
 夕純はビール瓶をテーブルに置くと、頬杖を突いて涼香をジッと見据える。
「さっきから、表情がコロコロ変わってたから。怖い顔してたかと思ったら、急にニヤッとしたり」
「――そんなに変わってました、私……?」
「うん。まあ、こっちは見てて面白かったけどね」
 夕純はケラケラ笑いながら、残ったビールを自分のコップに最後の一滴まで入れた。
「山辺さんって不思議よね。いや、私も周りからはそう思われてるけど。でも、だからかな? 山辺さんから私と同じ空気を感じる」
「唐沢さんと、私が、ですか……?」
「もしかして、私と似てるってイヤだった?」
「あ、いえ……」
 口籠った涼香に、夕純は「いいのいいの!」とさらに笑い声を上げながら続けた。
「私は男女問わず嫌われ者だからね。どう思われてようが気にしないわ」
「――すみません……」
「謝る必要もないわよ」
 夕純はビールで口を湿らせ、訥々と語り始めた。
「謝んなきゃなんないのは私の方なんだし。ちょっと強引に誘って断りづらかったと思う。でも、山辺さんとふたりで飲みたかったっていうのはほんと。山辺さんって、他の女子と違って相手によって態度をコロコロ変えることがないでしょ? そういうトコ、私は凄く好きなのよ」
「ああ、それは確かに。媚びる女って昔から嫌いですから」
「やっぱりねえ。うん、山辺さんとは気が合いそうだ」
 夕純が嬉しそうに頷いているところへ、女将が注文した料理を運んできた。玉子焼きにモツの煮込みにポテトサラダ。さらに頼んでいないはずなのに、小鉢に入ったワラビの煮物もそれぞれの前に置かれた。
「これはサービス。昨日、ウチの人が山で採ってきたのを煮付けたんだけど良かったら食べてみて」
 言いながら、女将はちょっと口元を緩める。不愛想なのかと思ったが、人並みに笑うことが出来るんだな、と涼香は女将を眺めながら思った。
「じゃ、ごゆっくり」
 空になったビール瓶を持ち、すぐに立ち去ろうとした女将を、夕純が「あ!」と引き止める。
「ビール追加お願い出来ます? それと冷酒も」
「はいよ」
 また、愛想のない返事をすると、女将はカウンターへ向かい、それからすぐに追加の瓶ビールと徳利をそれぞれ二本ずつ、さらに猪口もふたつ持ってきた。
 やはり、ふたりの前で栓を抜いてビールを注いでくれる。他のお客にも同じようにしていたから、女将にとってはごく自然の行為なのだろう。愛想はなくても、嫌々やっているという感じでもない。
「ごゆっくり」
 今度はさすがに呼び止める理由もなかったから、そのまま女将の背中を見送った。
「それじゃ、またかんぱーい」
 夕純に言われるがまま、涼香はコップを持ち上げてぶつける。酒を嗜む前は、おめでたい席で以外はするものじゃないと思っていたが、飲むようになってからは、乾杯は親交を深める儀式のひとつなのかもしれない、と悟ってきた。ただ、ベロンベロンに酔っ払った人間に、絡むように何度も乾杯を求められるのは迷惑としか言いようがないが。
 それにしても、夕純はよく食べるし飲む。涼香も飲む方だと自覚しているが、もしかしたら、夕純の方が強いのではと思った。
(ちっちゃい身体してんのに……)
 涼香はコップに口を付けたままで、しばらく夕純を観察する。と、夕純が涼香の視線に気付き、不思議そうに見つめ返してきた。
「どうしたの?」
「あ、いえ。お酒強いんだなあ、って思って」
 つい、馬鹿正直に言ってしまった。涼香は、しまった、と後悔したがもう遅い。
 一方、夕純は目を丸くして涼香に視線を注いでいたが、やがて、「あはは!」と大口開けて笑った。
「やだ、ビックリしちゃったのね! でも、そんなに飲んでないわよ。まだまだ序の口も序の口よ?」
「そ、そうですよね……」
 同意しつつも、実はすでに追加の二本のビール瓶も冷酒の瓶も空になり、さらに追加を頼んで持ってきてもらったところだった。だが、それもハイペースで飲んでゆくから、また追加を頼みそうな勢いだ。
「山辺さんも遠慮しないで。私に合わせないで好きなものを頼みなさい」
 そう言ってきてくれたものの、涼香はビールが一番好きだから、それだけでも充分満足だった。とはいえ、思ったことを素直に告げても、この調子だと遠慮していると勘違いされそうだ。
「もうちょっとしたら別なものを頼みますので」
 涼香が言うと、夕純は「よろしい」と満足げに何度も頷いた。
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