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第七話 強くなるために
Act.5
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◆◇◆◇◆◇
宏樹がここまで爆笑しているのは本当に珍しい。もちろん、声を上げて笑う姿は何度も目にしているが、いつもなら、ちょっと笑っただけですぐに真顔に戻ってしまう。
(そういえば宏樹君、ちょっとお酒臭い……)
宏樹から吐き出される息に、紫織は眉をひそめる。 宏樹はとっくに成人しているのだし、アルコールぐらいは普通に呷っていて当然だと分かっているのだが、それでも、まだまだ未成年でアルコールとは無縁な紫織には、その臭いは不快以外の何ものでもない。
このお酒臭さ、本人は気付いているのかな、と紫織はふと思った。
「ああ……、苦し過ぎる……」
やっと、宏樹から笑い声が止まった。目には涙を浮かべているので、それだけ見ても、どれだけ笑い続けていたのかが覗い知れる。紫織にしてみたら、失礼極まりないものであったが。
「でも、あの時はほんとに無事で良かったよ」
散々笑った宏樹は、いつもの如く、小さく笑みながら紫織に言った。
「本音を言うと、紫織を見付け出す自信がなかったからな。俺もさすがに寒くて、途中で嫌になってしまった。――何故、ここまでして面倒を見なきゃなんないんだ、って。
けど、紫織はもっと心細い想いをしているかもしれないって考えたら、弱音なんか吐いちゃいられないと思った。
今だから言うけど、〈ひみつきち〉のことを想い出したのも、ほんとに偶然だったしな」
ひとつひとつ言葉を紡ぐ宏樹を、紫織は真っ直ぐに見つめた。
予想はしていたが、やはり、当時の宏樹は紫織を探すことに抵抗を感じていたのだ。それを改めて宏樹の口から聴かされたことで、傷付いたりはしていない。むしろ、最後まで諦めずに自分を探してくれた彼に感謝していた。
宏樹に〈ひみつきち〉のことを教えなければ、いや、想い出してさえくれなければ、紫織は、またずっと、あの暗くて凍える中で助けを待ち続けていたことになっていたかもしれなかったのだから。
「ありがとう」
今さらながら、紫織は宏樹に礼を述べた。
宏樹は一瞬目を丸くさせたが、すぐにニッコリと笑み、「どういたしまして」と返してきた。
「もう、無茶はするなよ?」
「しません! 私もう、あの時のような子供じゃないもん」
紫織がムキになって言うと、宏樹は、ハハッ、と乾いた笑い声を上げた。
「さてと、あんまり外に出っ放しでいるのも拙いな」
宏樹はそう言うと、自らが身に纏っているコートを脱いだ。
紫織は宏樹の行動を訝しく思ったが、すぐにその理由を察した。
コートが、紫織の肩からそっとかけられた。それは自分が普段着ている物よりも重く、そして、ほんのりと温もりを感じる。
紫織は、目を大きく見開きながら宏樹を見た。
「また、紫織に風邪を引かせたりしたら、今度は朋也にぶん殴られかねないからな」
紫織にコートを預け、スーツだけの格好になった宏樹は微苦笑を浮かべた。
「遅くまで付き合わせて悪かったな。――それじゃあ、おやすみ」
宏樹が背を向けた瞬間、紫織は堪らず「待って!」と引き止めていた。
宏樹は首だけをこちらに動かした。
「あの……。ひとつ、訊いてもいい?」
「ん? どうした?」
紫織は少しばかり躊躇い、だが、すぐに思いきって口にした。
「ずっと……、私の側に、いてくれる……?」
宏樹のポーカーフェイスが崩れた。思考を巡らすように目を宙にさ迷わせていたが、やがて、「ああ」と囁くように答えた。
「紫織が、ほんとの幸せを手に入れられるまでは、ね」
宏樹はそう言うと、今度こそその場から離れた。
静かな足取りで、自宅へと消えてしまった宏樹。
紫織はしばしの間、同じ所へ立ち尽くしていた。コートからだけではない。心なしか、紫織の周りには、先ほど感じた大人特有の匂いが漂い続けているように思えた。
(〈ほんとの幸せ〉は、宏樹君とずっと一緒にいることなのに……)
紫織の気持ちに気付いていながら、宏樹がはぐらかしたのは彼女も分かっていた。
ほんの少しだけ、朋也ならば、と思ってしまったこともないわけではない。しかし、朋也ではいけないのだ。宏樹じゃなければ意味がない。
「もう……、どうしたらいいのよ……」
紫織は両腕を交差させると、コートを強く握り締めて蹲った。
みんな苦しんでいる。宏樹や朋也はもちろん、涼香だって、本当は堪らなく辛いに決まっている。
それなのに自分は何だろう。まるっきり、悲劇のヒロイン気取りだ。
(もっと……、強くならないと……。みんなのように……)
紫織は顔を上げ、夜空を仰いだ。
限りある生命を燃やすように輝き続ける冬の星達。それを見ていると、自分のちっぽけさを改めて思い知らされた。
「頑張らなきゃ……」
口に出してみた。
弱い自分の心に、強く言い聞かせるように。
【第七話 - End】
宏樹がここまで爆笑しているのは本当に珍しい。もちろん、声を上げて笑う姿は何度も目にしているが、いつもなら、ちょっと笑っただけですぐに真顔に戻ってしまう。
(そういえば宏樹君、ちょっとお酒臭い……)
宏樹から吐き出される息に、紫織は眉をひそめる。 宏樹はとっくに成人しているのだし、アルコールぐらいは普通に呷っていて当然だと分かっているのだが、それでも、まだまだ未成年でアルコールとは無縁な紫織には、その臭いは不快以外の何ものでもない。
このお酒臭さ、本人は気付いているのかな、と紫織はふと思った。
「ああ……、苦し過ぎる……」
やっと、宏樹から笑い声が止まった。目には涙を浮かべているので、それだけ見ても、どれだけ笑い続けていたのかが覗い知れる。紫織にしてみたら、失礼極まりないものであったが。
「でも、あの時はほんとに無事で良かったよ」
散々笑った宏樹は、いつもの如く、小さく笑みながら紫織に言った。
「本音を言うと、紫織を見付け出す自信がなかったからな。俺もさすがに寒くて、途中で嫌になってしまった。――何故、ここまでして面倒を見なきゃなんないんだ、って。
けど、紫織はもっと心細い想いをしているかもしれないって考えたら、弱音なんか吐いちゃいられないと思った。
今だから言うけど、〈ひみつきち〉のことを想い出したのも、ほんとに偶然だったしな」
ひとつひとつ言葉を紡ぐ宏樹を、紫織は真っ直ぐに見つめた。
予想はしていたが、やはり、当時の宏樹は紫織を探すことに抵抗を感じていたのだ。それを改めて宏樹の口から聴かされたことで、傷付いたりはしていない。むしろ、最後まで諦めずに自分を探してくれた彼に感謝していた。
宏樹に〈ひみつきち〉のことを教えなければ、いや、想い出してさえくれなければ、紫織は、またずっと、あの暗くて凍える中で助けを待ち続けていたことになっていたかもしれなかったのだから。
「ありがとう」
今さらながら、紫織は宏樹に礼を述べた。
宏樹は一瞬目を丸くさせたが、すぐにニッコリと笑み、「どういたしまして」と返してきた。
「もう、無茶はするなよ?」
「しません! 私もう、あの時のような子供じゃないもん」
紫織がムキになって言うと、宏樹は、ハハッ、と乾いた笑い声を上げた。
「さてと、あんまり外に出っ放しでいるのも拙いな」
宏樹はそう言うと、自らが身に纏っているコートを脱いだ。
紫織は宏樹の行動を訝しく思ったが、すぐにその理由を察した。
コートが、紫織の肩からそっとかけられた。それは自分が普段着ている物よりも重く、そして、ほんのりと温もりを感じる。
紫織は、目を大きく見開きながら宏樹を見た。
「また、紫織に風邪を引かせたりしたら、今度は朋也にぶん殴られかねないからな」
紫織にコートを預け、スーツだけの格好になった宏樹は微苦笑を浮かべた。
「遅くまで付き合わせて悪かったな。――それじゃあ、おやすみ」
宏樹が背を向けた瞬間、紫織は堪らず「待って!」と引き止めていた。
宏樹は首だけをこちらに動かした。
「あの……。ひとつ、訊いてもいい?」
「ん? どうした?」
紫織は少しばかり躊躇い、だが、すぐに思いきって口にした。
「ずっと……、私の側に、いてくれる……?」
宏樹のポーカーフェイスが崩れた。思考を巡らすように目を宙にさ迷わせていたが、やがて、「ああ」と囁くように答えた。
「紫織が、ほんとの幸せを手に入れられるまでは、ね」
宏樹はそう言うと、今度こそその場から離れた。
静かな足取りで、自宅へと消えてしまった宏樹。
紫織はしばしの間、同じ所へ立ち尽くしていた。コートからだけではない。心なしか、紫織の周りには、先ほど感じた大人特有の匂いが漂い続けているように思えた。
(〈ほんとの幸せ〉は、宏樹君とずっと一緒にいることなのに……)
紫織の気持ちに気付いていながら、宏樹がはぐらかしたのは彼女も分かっていた。
ほんの少しだけ、朋也ならば、と思ってしまったこともないわけではない。しかし、朋也ではいけないのだ。宏樹じゃなければ意味がない。
「もう……、どうしたらいいのよ……」
紫織は両腕を交差させると、コートを強く握り締めて蹲った。
みんな苦しんでいる。宏樹や朋也はもちろん、涼香だって、本当は堪らなく辛いに決まっている。
それなのに自分は何だろう。まるっきり、悲劇のヒロイン気取りだ。
(もっと……、強くならないと……。みんなのように……)
紫織は顔を上げ、夜空を仰いだ。
限りある生命を燃やすように輝き続ける冬の星達。それを見ていると、自分のちっぽけさを改めて思い知らされた。
「頑張らなきゃ……」
口に出してみた。
弱い自分の心に、強く言い聞かせるように。
【第七話 - End】
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