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第七話 強くなるために
Act.2
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◆◇◆◇◆◇
昨晩の千夜子からの電話の事を引きずっていた宏樹は、いつにも増して仕事への集中力がなくなっていた。
公私混同するなどもっての外だと自分では思っていたので、千夜子に別れを告げられた時も、いつもと変わらず与えられた仕事を黙々とこなしていた。
しかし、今は違った。自分でも驚くほどに苛立ちが募っている。
そんな状態で仕事をしているものだから、当然ながら、通常よりもミスが多くなる。
「どうしたんだ? 高沢らしくないな」
上司にこってり絞られたあと、耳打ちするように声をかけてきたのは、一年上の先輩――瀬野陽介だった。
宏樹は曖昧に笑みを浮かべ、「すみません」とだけ言って自分のデスクに着いた。
だが、その瀬野のデスクは宏樹の隣だから、彼はここぞとばかりに質問を投げかけてくる。
「お前、ほんとに変だぞ? もしかして恋の悩みか? ん?」
「――違いますよ」
とは答えたものの、瀬野が言ったことは見事に的を射ている。
(まあ、本人はただの当てずっぽうで言っただけだと思うけど)
相談に乗りたい、というよりも、明らかに宏樹の〈悩みごと〉に興味を示している先輩を目の前に、思わず溜め息が出てしまう。しかも、瀬野には悪気がないのが分かっているから、よけいに始末が悪い。
どうにか適当にあしらいたいところではあるが、デスクを離れられる理由がない限りは、瀬野の毒牙からは逃れられそうになかった。
だが、瀬野から逃れられる機会を、思わぬ人物が与えてくれた。
「おい、高沢、無視すんなってばよお」
「してませんよ。――それよりも瀬野さん、課長がこっちを睨んでいますよ?」
宏樹の言葉通り、先ほどまで彼に説教を食らわせた課長は、鋭い眼力でこちらを睨んでいた。
瀬野も、それにやっと気付いたらしい。
「うおっ! 仕事仕事、っと!」
わざとらしく声を上げると、瀬野は姿勢を正して仕事を再開した。
彼から解放された宏樹は、ホッと胸を撫で下ろした。
(課長に感謝、かな)
課長は別に宏樹を助ける気などさらさらなく、むしろ、仕事をサボっているふたりに苦々しい感情を抱いていただけだろうが、それでも、瀬野から解放してくれたことに対し、そう思わずにはいられなかった。
◆◇◆◇
時計が午後七時を回ろうかとしていた頃、宏樹はようやく仕事を一段落させた。
課長からの説教に加え、瀬野の質問攻め――といっても未遂に終わったが――のお陰か、燻り続けていたイライラも消えたように感じた。
しかし、緊張感から解放されたとたん、再び昨晩のことが頭を過ぎってゆく。
(いい加減、気持ちを切り替えないと……)
そんなことを考えながら、会社の外に出た時だった。
「高沢!」
日中の質問攻撃の張本人の声が、宏樹を呼び止めた。
宏樹は、聴こえなかった振りをしてやろうか、と思ったものの、つい、条件反射で立ち止まって振り返ってしまった。
瀬野は軽やかな足取りで、宏樹の元まで駆け寄って来る。
「お前、俺にちょっと付き合えや」
「は? 付き合うって……?」
「いいからいいから!」
宏樹の都合も訊かず、瀬野は肩に自らの腕を回してきた。その行為からは、お前を絶対に逃がさん、という意思表示がありありと出ている。
当然ながら、隙あらば逃げたかった宏樹であったが、こうなってしまっては仕方がない。
「――ちょっとだけですよ」
肩に載せられた腕の重さを感じながら、宏樹はうんざりとばかりに呟いた。
昨晩の千夜子からの電話の事を引きずっていた宏樹は、いつにも増して仕事への集中力がなくなっていた。
公私混同するなどもっての外だと自分では思っていたので、千夜子に別れを告げられた時も、いつもと変わらず与えられた仕事を黙々とこなしていた。
しかし、今は違った。自分でも驚くほどに苛立ちが募っている。
そんな状態で仕事をしているものだから、当然ながら、通常よりもミスが多くなる。
「どうしたんだ? 高沢らしくないな」
上司にこってり絞られたあと、耳打ちするように声をかけてきたのは、一年上の先輩――瀬野陽介だった。
宏樹は曖昧に笑みを浮かべ、「すみません」とだけ言って自分のデスクに着いた。
だが、その瀬野のデスクは宏樹の隣だから、彼はここぞとばかりに質問を投げかけてくる。
「お前、ほんとに変だぞ? もしかして恋の悩みか? ん?」
「――違いますよ」
とは答えたものの、瀬野が言ったことは見事に的を射ている。
(まあ、本人はただの当てずっぽうで言っただけだと思うけど)
相談に乗りたい、というよりも、明らかに宏樹の〈悩みごと〉に興味を示している先輩を目の前に、思わず溜め息が出てしまう。しかも、瀬野には悪気がないのが分かっているから、よけいに始末が悪い。
どうにか適当にあしらいたいところではあるが、デスクを離れられる理由がない限りは、瀬野の毒牙からは逃れられそうになかった。
だが、瀬野から逃れられる機会を、思わぬ人物が与えてくれた。
「おい、高沢、無視すんなってばよお」
「してませんよ。――それよりも瀬野さん、課長がこっちを睨んでいますよ?」
宏樹の言葉通り、先ほどまで彼に説教を食らわせた課長は、鋭い眼力でこちらを睨んでいた。
瀬野も、それにやっと気付いたらしい。
「うおっ! 仕事仕事、っと!」
わざとらしく声を上げると、瀬野は姿勢を正して仕事を再開した。
彼から解放された宏樹は、ホッと胸を撫で下ろした。
(課長に感謝、かな)
課長は別に宏樹を助ける気などさらさらなく、むしろ、仕事をサボっているふたりに苦々しい感情を抱いていただけだろうが、それでも、瀬野から解放してくれたことに対し、そう思わずにはいられなかった。
◆◇◆◇
時計が午後七時を回ろうかとしていた頃、宏樹はようやく仕事を一段落させた。
課長からの説教に加え、瀬野の質問攻め――といっても未遂に終わったが――のお陰か、燻り続けていたイライラも消えたように感じた。
しかし、緊張感から解放されたとたん、再び昨晩のことが頭を過ぎってゆく。
(いい加減、気持ちを切り替えないと……)
そんなことを考えながら、会社の外に出た時だった。
「高沢!」
日中の質問攻撃の張本人の声が、宏樹を呼び止めた。
宏樹は、聴こえなかった振りをしてやろうか、と思ったものの、つい、条件反射で立ち止まって振り返ってしまった。
瀬野は軽やかな足取りで、宏樹の元まで駆け寄って来る。
「お前、俺にちょっと付き合えや」
「は? 付き合うって……?」
「いいからいいから!」
宏樹の都合も訊かず、瀬野は肩に自らの腕を回してきた。その行為からは、お前を絶対に逃がさん、という意思表示がありありと出ている。
当然ながら、隙あらば逃げたかった宏樹であったが、こうなってしまっては仕方がない。
「――ちょっとだけですよ」
肩に載せられた腕の重さを感じながら、宏樹はうんざりとばかりに呟いた。
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