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第六話 痛みと苦しみと
Act.5
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食事を済ませてから、宏樹は子機を手に自室へと戻った。
あの会話のあとだし、あまりにも分かりやす過ぎかと思ったが、それ以上に、一刻も早く電話をしなければという気持ちの方が大きかった。
(まさか、千夜子から電話がかかってくるとは……)
最後に那賀川千夜子に電話した日、相手から、もう逢わない、と言われていたので宏樹が驚くのも無理はない。
宏樹は、珍しく緊張している自分を感じながら、未だに憶えている番号を押してゆく。
全て押し終えると、電話の向こうでコール音が鳴り出す。
(どれぐらいで出るだろうか)
そう思っていたら、わずか三回目で受話器の外れる音が聴こえてきた。
宏樹は一呼吸置き、「もしもし」と電話の向こうの相手に言う。
『――コウ?』
向こうから、懐かしい声が届いてくる。とは言っても、数ヶ月も話さなかったわけではないのだが。
『久しぶり』
声の主である千夜子は、以前と変わらず柔らかな声で告げる。
宏樹は少しばかり呆けていたが、千夜子の声でハッと我に返った。
「ああ、久しぶり」
宏樹が答えると、千夜子は『元気だった?』と訊ねてくる。
「うん、何とかやってた。千夜子は?」
『私も、ボチボチとね』
「そっか」
そこで会話が途切れてしまう。
宏樹の中では、胸の鼓動がいつになく速度を増している。電話の向こうの千夜子にも聴こえてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに、音もずいぶんと高鳴っている。
『――ごめんね……』
沈黙を破るように、千夜子が不意に口を開いた。
『自分から酷いじちを言っておきながら、電話なんてしちゃったから……』
「いや、それは別に構わないけど」
宏樹は小さく深呼吸すると、「何かあった?」と訊ねた。
千夜子は少しばかり躊躇っていたようだったが、すぐに『うん』と言葉を発した。
『ちょっと……、彼と喧嘩しちゃって……』
「喧嘩? 何でまた?」
『別に大したことじゃないんだけど……。でも、こういう喧嘩はしょっちゅうだから、何だか疲れちゃった……』
千夜子の話に、宏樹は神妙な面持ちで耳を傾けていた。
千夜子が本当は自分に何を告げたいのか。もしかして、という気持ちと、まさか、という思いが宏樹の中で交錯している。
『コウ』
千夜子が宏樹の名を呼んだ。
宏樹は息を飲み、そのあとに続くであろう言葉を待つ。
『――もう一度、やり直せない?』
宏樹の全身から、汗が一気に噴き出した。同時に、電話を握り締めたまま、呆然と宙に視線をさ迷わせた。嬉しくないはずはない。ないはずなのに、何故か、言葉が思うように出てこない。
『――コウ……?』
電話の向こうで、千夜子が心配そうに訊ねてきた。
宏樹はハッと我に返った。
「あ、ああ、ごめん」
『――大丈夫?』
「いや、大丈夫だけど……」
宏樹は瞳を閉じ、この先、どう千夜子に応えるべきかを考えた。
いいよ、と言いたいのは山々だ。しかし、心のどこかではそれを拒絶している。
(どうする……?)
心の中で問うが、答えはすぐには出なかった。
「――少し、考えさせてくれないか?」
やっとの思いで出したのは、答えにもならない答えだった。
千夜子はそれをどう捉えただろう。少しばかり黙っていたが、やがて、『分かった』と返ってきた。
『確かに、いきなりだもんね。――ごめんね』
「いや……」
宏樹からはもう、これ以上の言葉は出てこなかった。
『それじゃあ、考えるだけでも考えておいて。――勝手なことを言ってるのは分かってるけど……、やっぱり、私にはコウが必要みたいだから……』
千夜子はそう言うと、先に電話を切ってしまった。
宏樹は電話が切れてからも、受話器を耳に当てたまま、あらぬ方向をぼんやりと眺めていた。
千夜子とのことはけじめを着けるつもりでいたのに、何故、今頃になってあんなことを言ってきたのか。
落ち着きを取り戻すにつれ、宏樹の中で言いようのない苛立ちが湧き上がるのを感じた。
結局、自分はいいように利用されているだけではないか。考えれば考えるほど、千夜子への憎しみが増えてゆく。
「ざけんな!」
宏樹は奥歯を強く噛み締めながら、子機をベッドの上に投げ飛ばした。子機は、ベッドが接している壁にわずかに激突した。
宏樹がここまで感情的になったのは、少なくとも、朋也が生まれてからはなかっただろう。
「くそったれ!」
やり場のない怒りをぶつけながら、宏樹は精神状態がおかしくなりそうな感覚を覚えた。
千夜子に、今の気持ちをありのまま伝えられたらどんなに楽だったろうとも思う。しかし、それもまた、宏樹が望んでいたことではない。
(もう少し、冷静にならないと……)
宏樹はモヤモヤした気持ちを抱えつつ、自分に言い聞かせた。
【第六話 - End】
あの会話のあとだし、あまりにも分かりやす過ぎかと思ったが、それ以上に、一刻も早く電話をしなければという気持ちの方が大きかった。
(まさか、千夜子から電話がかかってくるとは……)
最後に那賀川千夜子に電話した日、相手から、もう逢わない、と言われていたので宏樹が驚くのも無理はない。
宏樹は、珍しく緊張している自分を感じながら、未だに憶えている番号を押してゆく。
全て押し終えると、電話の向こうでコール音が鳴り出す。
(どれぐらいで出るだろうか)
そう思っていたら、わずか三回目で受話器の外れる音が聴こえてきた。
宏樹は一呼吸置き、「もしもし」と電話の向こうの相手に言う。
『――コウ?』
向こうから、懐かしい声が届いてくる。とは言っても、数ヶ月も話さなかったわけではないのだが。
『久しぶり』
声の主である千夜子は、以前と変わらず柔らかな声で告げる。
宏樹は少しばかり呆けていたが、千夜子の声でハッと我に返った。
「ああ、久しぶり」
宏樹が答えると、千夜子は『元気だった?』と訊ねてくる。
「うん、何とかやってた。千夜子は?」
『私も、ボチボチとね』
「そっか」
そこで会話が途切れてしまう。
宏樹の中では、胸の鼓動がいつになく速度を増している。電話の向こうの千夜子にも聴こえてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに、音もずいぶんと高鳴っている。
『――ごめんね……』
沈黙を破るように、千夜子が不意に口を開いた。
『自分から酷いじちを言っておきながら、電話なんてしちゃったから……』
「いや、それは別に構わないけど」
宏樹は小さく深呼吸すると、「何かあった?」と訊ねた。
千夜子は少しばかり躊躇っていたようだったが、すぐに『うん』と言葉を発した。
『ちょっと……、彼と喧嘩しちゃって……』
「喧嘩? 何でまた?」
『別に大したことじゃないんだけど……。でも、こういう喧嘩はしょっちゅうだから、何だか疲れちゃった……』
千夜子の話に、宏樹は神妙な面持ちで耳を傾けていた。
千夜子が本当は自分に何を告げたいのか。もしかして、という気持ちと、まさか、という思いが宏樹の中で交錯している。
『コウ』
千夜子が宏樹の名を呼んだ。
宏樹は息を飲み、そのあとに続くであろう言葉を待つ。
『――もう一度、やり直せない?』
宏樹の全身から、汗が一気に噴き出した。同時に、電話を握り締めたまま、呆然と宙に視線をさ迷わせた。嬉しくないはずはない。ないはずなのに、何故か、言葉が思うように出てこない。
『――コウ……?』
電話の向こうで、千夜子が心配そうに訊ねてきた。
宏樹はハッと我に返った。
「あ、ああ、ごめん」
『――大丈夫?』
「いや、大丈夫だけど……」
宏樹は瞳を閉じ、この先、どう千夜子に応えるべきかを考えた。
いいよ、と言いたいのは山々だ。しかし、心のどこかではそれを拒絶している。
(どうする……?)
心の中で問うが、答えはすぐには出なかった。
「――少し、考えさせてくれないか?」
やっとの思いで出したのは、答えにもならない答えだった。
千夜子はそれをどう捉えただろう。少しばかり黙っていたが、やがて、『分かった』と返ってきた。
『確かに、いきなりだもんね。――ごめんね』
「いや……」
宏樹からはもう、これ以上の言葉は出てこなかった。
『それじゃあ、考えるだけでも考えておいて。――勝手なことを言ってるのは分かってるけど……、やっぱり、私にはコウが必要みたいだから……』
千夜子はそう言うと、先に電話を切ってしまった。
宏樹は電話が切れてからも、受話器を耳に当てたまま、あらぬ方向をぼんやりと眺めていた。
千夜子とのことはけじめを着けるつもりでいたのに、何故、今頃になってあんなことを言ってきたのか。
落ち着きを取り戻すにつれ、宏樹の中で言いようのない苛立ちが湧き上がるのを感じた。
結局、自分はいいように利用されているだけではないか。考えれば考えるほど、千夜子への憎しみが増えてゆく。
「ざけんな!」
宏樹は奥歯を強く噛み締めながら、子機をベッドの上に投げ飛ばした。子機は、ベッドが接している壁にわずかに激突した。
宏樹がここまで感情的になったのは、少なくとも、朋也が生まれてからはなかっただろう。
「くそったれ!」
やり場のない怒りをぶつけながら、宏樹は精神状態がおかしくなりそうな感覚を覚えた。
千夜子に、今の気持ちをありのまま伝えられたらどんなに楽だったろうとも思う。しかし、それもまた、宏樹が望んでいたことではない。
(もう少し、冷静にならないと……)
宏樹はモヤモヤした気持ちを抱えつつ、自分に言い聞かせた。
【第六話 - End】
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