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第五話 泣きたいほどに
Act.3
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◆◇◆◇◆◇
紫織の家を出ると、辺りは夜の色に染まり、あちこちの家では暖かさを感じさせる明かりがポツポツと灯っていた。
今日は一段と冷え込みが激しい。
(そういや、今晩は雪が降るっつってたな)
不意に思いながら、朋也は天を仰いだ。そこには星が全く見えず、重苦しい暗雲が空の隅々まで広がっている。まるで、朋也の沈みきった気持ちを表すかのように。
(ただ、紫織が好きなだけだってのに……)
朋也は頭を下げると、自宅には行かず、そのまま反対方向へ歩き出した。
当てなどあるはずもない。ただ、少しでも気分が紛れてくれれば、と朋也は思った。
しばらく歩くと、眼前に公園が見えてきた。
その場所は、猫の額ほど、という比喩がしっくりくるほどこじんまりとしていて、木製のベンチの他には、ブランコと鉄棒、小さな砂場ぐらいしかない。
朋也は、吸い寄せられるように公園の中へ足を踏み入れ、ふたつ並ぶブランコの元へと向かった。
(ガキの頃を想い出すな)
そう思いながらブランコに腰を下ろし、それを吊り下げている鎖に両腕を引っかける。
ブランコに乗るのは何年ぶりだろう。久々に乗ったブランコはずいぶんと小さく、両足を前に投げ出す姿勢にしないと乗りづらい。
(足が着かない時期もあったってのになあ)
朋也は微苦笑を浮かべると、地面へと視線を落とす。
公園に設置された灯りで、そこには黒い影がぼんやりと浮かび上がっている。自分の影だと分かっているのに、まるで、別の誰かが朋也を傍観しているようにも感じてしまう。
そんな自分があまりにも滑稽に思え、朋也は影に向かって苦笑いした。
「情けねえ……」
朋也はひとりごちた。
紫織に想いを告げたことは後悔していない。ただ、宏樹の本心――憶測ではあるが――を第三者の自分から言ってしまったのはフェアじゃなかった。もちろん、紫織を心配したのは事実だ。しかし、心のどこかでは、宏樹を諦めさせて自分に気持ちを向けさせようともしていた。どんなにしても紫織が揺るがないと分かっていても、だ。
(よけい、兄貴の顔が見たくなくなってきたよ……)
そう思った、まさにその時であった。
ジャリ、ジャリ、と地面を踏み締める音が少しずつ近付いて来た。
(誰だ……?)
朋也は怪訝に思いながら頭をもたげ、足音らしきものの正体を見極めようとした。
「やっぱりお前か」
足音の主は、朋也の前でピタリと足を止めた。
一方、朋也は相手が誰か分かると、苦虫を噛み潰した気分で顔をしかめた。そこにいたのは、顔を見たくないと思っていた者――兄の宏樹であったから。
「何しに来たんだよ?」
不機嫌を露わにしてぶっきらぼうに問うと、宏樹はわざとらしく肩を竦めながら苦笑した。
「どうした? いつにも増して不機嫌そうだな」
「うっせえ。兄貴には関係ねえよ」
「――紫織絡みか?」
「なっ……!」
宏樹にズバリ言われた朋也は、あからさまに動揺した。
それを宏樹は、さも楽しそうにニヤニヤ笑いながら眺めている。
「紫織といい、朋也といい、ほんとに素直でいいよなあ」
「馬鹿にしてんじゃねえよ!」
朋也は思わず声を荒らげてしまった。その怒声は、狭い公園いっぱいに響き渡る。
「まあ、落ち着け」
宏樹は動揺を微塵も感じさせず、むしろ淡々と朋也を宥めてきた。
「朋也がどうしてそこまで機嫌が悪くなってるのか俺には分かんねえけど、ことある毎にイライラしてたらお前も身が持たないぞ?」
「――イライラさせてんのは兄貴だろ」
最小限まで声を抑えて呟いた。
しかし、宏樹の耳にはそれがしっかり届いていたらしい。
「ん? 俺が原因?」
宏樹に訊ねられた朋也は、困惑しつつも「そうだよ!」と半ば自棄になって言い返した。
「兄貴、紫織と海に行ったって?」
「――なんだ、知ってたのか」
宏樹は落ち着いた口調で答えていたが、ほんの一瞬、眉がピクリと痙攣したのを朋也は見逃さなかった。
「別に知ってたわけじゃねえよ。学校から帰って来て、加藤の小母さんに聞くまでは知らなかったんだし。
ついでに言うけど、紫織今、風邪引いて寝込んじまってる」
朋也はそこまで言うと、宏樹を覗うように上目で睨む。
宏樹の表情に変化は見られない。その代わり、「そっか」と小さく言った。
「紫織には悪いことしたな。確かに、紫織はあまり丈夫な方じゃないし、無理に連れ出すべきじゃなかったかもしれない……」
「それもかなりムカついたけど」
朋也は、フウ、と息を吐いて続けた。
「俺は、紫織とコソコソ出かけたことに一番腹を立ててんだ。別にどこ行こうと構わねえけどよ、何だか……、のけ者にされたようですっげえ気分悪い」
「――悪かったな」
宏樹は心底申し訳なさそうに笑んだ。
「別に俺は、もちろん紫織だって、朋也をのけ者にしようなんて微塵も思わなかったよ。ただ、タイミングがちょっと悪かっただけで。それに、紫織と出かけたのは偶然だ。俺がひとりで出てみたら、紫織にバッタリ逢ってしまって、それならば、と声をかけてみただけだ」
宏樹は真っ直ぐに朋也を見つめる。今の言葉に嘘偽りはいっさいない、と言わんばかりに。
「ま、まあ、俺もちょっと大人げなかったし」
朋也は気まずくなり、宏樹から視線を外した。
「今回は、勘弁してやるよ」
「そりゃどうも」
宏樹は笑いを含んだ口調で言うと、「それにしても」と続けた。
「朋也、お前は俺にしてみたらまだまだ子供なんだから、無理に背伸びする必要ないぞ?」
「んだと!」
「そうそう、すぐにムキになってがっつくのが、一番朋也に似合ってんぞ」
「う……!」
朋也は怒鳴りかけて、途中で言葉を飲み込んだ。ここでまた怒ったら、さらに宏樹を喜ばせてしまうことになる。それは非常に癪だ、と朋也は思った。
「若いうちは元気が一番! さ、そろそろ帰るぞ?」
宏樹に促されたが、朋也は口を尖らせながら「俺はいいよ」と否定した。
「もうちょっと、ここにいたいし」
「想い出に浸るためか?」
「兄貴には関係ねえだろ」
「けど、こんなトコに長時間いたら、いくら朋也でも風邪引いちまうぞ」
「――どういう意味だよ? それ……」
「さあな」
朋也の質問には答えず、その代わり、宏樹は強引に彼の二の腕を掴んできた。
「ほら! 帰るっつったら帰るぞ!」
「わわっ、分かったよ! 帰るから手を離しやがれ!」
「しょうがないな」
宏樹はわざとらしく肩を竦め、朋也の腕を解放した。
紫織の家を出ると、辺りは夜の色に染まり、あちこちの家では暖かさを感じさせる明かりがポツポツと灯っていた。
今日は一段と冷え込みが激しい。
(そういや、今晩は雪が降るっつってたな)
不意に思いながら、朋也は天を仰いだ。そこには星が全く見えず、重苦しい暗雲が空の隅々まで広がっている。まるで、朋也の沈みきった気持ちを表すかのように。
(ただ、紫織が好きなだけだってのに……)
朋也は頭を下げると、自宅には行かず、そのまま反対方向へ歩き出した。
当てなどあるはずもない。ただ、少しでも気分が紛れてくれれば、と朋也は思った。
しばらく歩くと、眼前に公園が見えてきた。
その場所は、猫の額ほど、という比喩がしっくりくるほどこじんまりとしていて、木製のベンチの他には、ブランコと鉄棒、小さな砂場ぐらいしかない。
朋也は、吸い寄せられるように公園の中へ足を踏み入れ、ふたつ並ぶブランコの元へと向かった。
(ガキの頃を想い出すな)
そう思いながらブランコに腰を下ろし、それを吊り下げている鎖に両腕を引っかける。
ブランコに乗るのは何年ぶりだろう。久々に乗ったブランコはずいぶんと小さく、両足を前に投げ出す姿勢にしないと乗りづらい。
(足が着かない時期もあったってのになあ)
朋也は微苦笑を浮かべると、地面へと視線を落とす。
公園に設置された灯りで、そこには黒い影がぼんやりと浮かび上がっている。自分の影だと分かっているのに、まるで、別の誰かが朋也を傍観しているようにも感じてしまう。
そんな自分があまりにも滑稽に思え、朋也は影に向かって苦笑いした。
「情けねえ……」
朋也はひとりごちた。
紫織に想いを告げたことは後悔していない。ただ、宏樹の本心――憶測ではあるが――を第三者の自分から言ってしまったのはフェアじゃなかった。もちろん、紫織を心配したのは事実だ。しかし、心のどこかでは、宏樹を諦めさせて自分に気持ちを向けさせようともしていた。どんなにしても紫織が揺るがないと分かっていても、だ。
(よけい、兄貴の顔が見たくなくなってきたよ……)
そう思った、まさにその時であった。
ジャリ、ジャリ、と地面を踏み締める音が少しずつ近付いて来た。
(誰だ……?)
朋也は怪訝に思いながら頭をもたげ、足音らしきものの正体を見極めようとした。
「やっぱりお前か」
足音の主は、朋也の前でピタリと足を止めた。
一方、朋也は相手が誰か分かると、苦虫を噛み潰した気分で顔をしかめた。そこにいたのは、顔を見たくないと思っていた者――兄の宏樹であったから。
「何しに来たんだよ?」
不機嫌を露わにしてぶっきらぼうに問うと、宏樹はわざとらしく肩を竦めながら苦笑した。
「どうした? いつにも増して不機嫌そうだな」
「うっせえ。兄貴には関係ねえよ」
「――紫織絡みか?」
「なっ……!」
宏樹にズバリ言われた朋也は、あからさまに動揺した。
それを宏樹は、さも楽しそうにニヤニヤ笑いながら眺めている。
「紫織といい、朋也といい、ほんとに素直でいいよなあ」
「馬鹿にしてんじゃねえよ!」
朋也は思わず声を荒らげてしまった。その怒声は、狭い公園いっぱいに響き渡る。
「まあ、落ち着け」
宏樹は動揺を微塵も感じさせず、むしろ淡々と朋也を宥めてきた。
「朋也がどうしてそこまで機嫌が悪くなってるのか俺には分かんねえけど、ことある毎にイライラしてたらお前も身が持たないぞ?」
「――イライラさせてんのは兄貴だろ」
最小限まで声を抑えて呟いた。
しかし、宏樹の耳にはそれがしっかり届いていたらしい。
「ん? 俺が原因?」
宏樹に訊ねられた朋也は、困惑しつつも「そうだよ!」と半ば自棄になって言い返した。
「兄貴、紫織と海に行ったって?」
「――なんだ、知ってたのか」
宏樹は落ち着いた口調で答えていたが、ほんの一瞬、眉がピクリと痙攣したのを朋也は見逃さなかった。
「別に知ってたわけじゃねえよ。学校から帰って来て、加藤の小母さんに聞くまでは知らなかったんだし。
ついでに言うけど、紫織今、風邪引いて寝込んじまってる」
朋也はそこまで言うと、宏樹を覗うように上目で睨む。
宏樹の表情に変化は見られない。その代わり、「そっか」と小さく言った。
「紫織には悪いことしたな。確かに、紫織はあまり丈夫な方じゃないし、無理に連れ出すべきじゃなかったかもしれない……」
「それもかなりムカついたけど」
朋也は、フウ、と息を吐いて続けた。
「俺は、紫織とコソコソ出かけたことに一番腹を立ててんだ。別にどこ行こうと構わねえけどよ、何だか……、のけ者にされたようですっげえ気分悪い」
「――悪かったな」
宏樹は心底申し訳なさそうに笑んだ。
「別に俺は、もちろん紫織だって、朋也をのけ者にしようなんて微塵も思わなかったよ。ただ、タイミングがちょっと悪かっただけで。それに、紫織と出かけたのは偶然だ。俺がひとりで出てみたら、紫織にバッタリ逢ってしまって、それならば、と声をかけてみただけだ」
宏樹は真っ直ぐに朋也を見つめる。今の言葉に嘘偽りはいっさいない、と言わんばかりに。
「ま、まあ、俺もちょっと大人げなかったし」
朋也は気まずくなり、宏樹から視線を外した。
「今回は、勘弁してやるよ」
「そりゃどうも」
宏樹は笑いを含んだ口調で言うと、「それにしても」と続けた。
「朋也、お前は俺にしてみたらまだまだ子供なんだから、無理に背伸びする必要ないぞ?」
「んだと!」
「そうそう、すぐにムキになってがっつくのが、一番朋也に似合ってんぞ」
「う……!」
朋也は怒鳴りかけて、途中で言葉を飲み込んだ。ここでまた怒ったら、さらに宏樹を喜ばせてしまうことになる。それは非常に癪だ、と朋也は思った。
「若いうちは元気が一番! さ、そろそろ帰るぞ?」
宏樹に促されたが、朋也は口を尖らせながら「俺はいいよ」と否定した。
「もうちょっと、ここにいたいし」
「想い出に浸るためか?」
「兄貴には関係ねえだろ」
「けど、こんなトコに長時間いたら、いくら朋也でも風邪引いちまうぞ」
「――どういう意味だよ? それ……」
「さあな」
朋也の質問には答えず、その代わり、宏樹は強引に彼の二の腕を掴んできた。
「ほら! 帰るっつったら帰るぞ!」
「わわっ、分かったよ! 帰るから手を離しやがれ!」
「しょうがないな」
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