雪花 ~四季の想い・第一幕~

雪原歌乃

文字の大きさ
上 下
5 / 67
第二話 迷い、迷い続け

Act.1

しおりを挟む
 その日の授業が全て終わると、朋也はコートを羽織り、通学用バッグを肩にかけて足早に教室を出た。向かう先は、ふたつ隣の教室である。
(いるか?)
 朋也は目的の場所に着くと、締め切られた戸に小さく貼られたガラスから首をわずかに伸ばして教室内を覗う。
 中ではごちゃごちゃと人間がごった返している。ほうきや雑巾を手にしている者、そして、周りに急かされるようにいそいそと帰り支度を始める者――
 その中で、ひとりのんびりとバッグに教科書を詰め込んでいる少女がいた。容姿自体はそれほど目立たない。しかし、せっかちな連中の中では、彼女のマイペースぶりは妙に浮いている。
 朋也は苦笑しながら、戸をゆっくりと開けた。
「おいっ!」
 教室中に響き渡る大声で、朋也は少女を呼んだ。
 生徒達は一斉にこちらを見る。ある者は何事かと言わんばかりにポカンとし、またある者は好奇の目を朋也に向けてくる。
 朋也はそんなものはお構いなしに、堂々と教室に入って少女の席の前まで行った。
 少女――紫織はしまいかけた教科書を手にしたまま、呆然と朋也を見つめている。いや、正確には〈睨んでいる〉といった表現が正しい。
「――なに?」
 予想はしていたものの、紫織の冷ややかな反応に朋也の頬はヒクヒクと痙攣する。
「お前、少しぐらい愛想良くする気はないのかよ……」
 堪らずに朋也は本音を漏らした。
「何であんたに愛想ふりまかなきゃなんないの? それに何しに来たのよ?」
「何しにって……。そりゃあ……」
 言いかけて、朋也は口ごもる。まさか、紫織と一緒に帰るために迎えに来た、とはさすがの朋也も公衆の面前では言えない。
 そんな朋也を紫織は怪訝そうに見つめていた。
「――用がないなら私は帰るよ?」
 紫織はそう言うと、コートを着込み、バッグを手にしてその場を立ち去ろうとしていた。
「待て! 紫織!」
 朋也は慌てて呼び止めた。
「俺も、帰るから……」

 ◆◇◆◇

 外に出ると、室内とは比べものにならないほどの冷気が身体中に纏わり付いてきた。
 朋也はともかく、寒いのが大の苦手な紫織は自らを抱き締めながら全身をカタカタと震わせている。
「お前、今からそんなに寒がっててどうするよ? これからもっともっと寒さが厳しくなるってのに……」
 並んで歩きながら、朋也は呆れ口調で言った。
「しょうがないでしょ。寒いものは寒いんだから……」
 口を尖らせて屁理屈をこねる紫織に、朋也も思わず溜め息を吐いた。
 考えてみると、紫織は昔から冬は自ら進んで外に出たがらなかった。極端に身体が弱いわけではないが、免疫力があまりないせいか、冬になると必ずと言っていいほど風邪をひいて寝込んでしまう。
 幼い頃は、彼女が風邪を引くたびに母親が用意してくれた果物や菓子などを手土産に見舞いに行っていた。だが、今は、学校や外で顔を合わすことがあっても、互いの家への行き来は少なくなった。
 特に紫織は、朋也から声をかけない限り絶対に家に来ようとしない。来たとしても、朋也や兄の宏樹の部屋にはいっさい入らず、リビングで母親を交えて談笑をする程度。それも、心なしかよそよそしさを感じさせる。きっと、年を重ねてゆくごとに分別が付くようになっただけであろうが、それでも朋也の中の違和感は拭いきれなかった。
 いや、本当は朋也も紫織の心情に気付いていた。紫織は宏樹を好きなのだ。〈兄〉としてではなく、ひとりの〈男〉として。
 あまり異性に興味を示さない紫織だけに、宏樹を見る目が全く違うことは、鈍い朋也でもすぐに勘付いた。
 宏樹を好きになる理由は分かる。朋也が劣等感を抱くほど賢く、常に穏やかな笑みを絶やさない。そして何より、紫織は幼い頃、極寒の日に家に帰れなくなり、最終的には宏樹に助けられたということもあった。そんな正義のヒーローとも呼べる宏樹に、紫織が惚れてしまったとしても無理はない。
 時々、紫織を救ったのが自分だったら、と思うこともある。しかし、当時は朋也もあまりにも小さ過ぎた。紫織を助けるどころか、逆に自分も紫織と同じように迷子になり、途方にくれてしまっていたかもしれない。それ以前に、朋也も一緒になって紫織を探すという頼みを誰も聴き入れてはくれなかったのだが。
「――俺は結局、兄貴以下かよ……」
 無意識のうちに口に出して呟いていた。
 紫織は怪訝そうに首を傾げている。
「ねえ、なんか言った?」
 どうやら、紫織には聞こえなかったようだった。
「別に」
 朋也は素っ気なく答えながら、内心、聞こえていなかったことにホッとしていた。
「ふうん……」
 紫織はまだ何か言いたげにしていたが、それ以上は追求してこなかった。もしかしたら、本当に朋也の何気ない一言など全く興味が湧かなかったのかもしれない。それはそれで、虚しいような気がする。
(俺はずっと、兄貴のオマケ程度にしか見られることがないんだろうな……)
 そんなことを考えていたら、さらに気分が重くなってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君のいちばんになれない私は

松藤かるり
ライト文芸
旧題:好きなひとは ちがうひとの 生きる希望 病と闘う青春物語があったとして。でも主役じゃない。傍観者。脇役。 好きな人が他の人の生きる希望になった時、それが儚い青春物語だったなら。脇役の恋は泡になって消えるしかない。 嘉川千歳は、普通の家族に生まれ、普通の家に育ち、学校や周囲の環境に問題なく育った平凡女子。そんな千歳の唯一普通ではない部分、それは小さい頃結婚を約束した幼馴染がいることだった。 約束相手である幼馴染こと鹿島拓海は島が誇る野球少年。甲子園の夢を叶えるために本州の高校に進学することが決まり、千歳との約束を確かめて島を出ていく。 しかし甲子園出場の夢を叶えて島に帰ってきた拓海の隣には――他の女の子。恋人と紹介するその女の子は、重い病と闘うことに疲れ、生きることを諦めていた。 小さな島で起こる、儚い青春物語。 病と闘うお話で、生きているのは主役たちだけじゃない。脇役だって葛藤するし恋もする。 傷つき傷つけられた先の未来とは。 ・一日3回更新(9時、15時、21時) ・5月14日21時更新分で完結予定 **** 登場人物 ・嘉川千歳(かがわ ちとせ)  本作主人公。美岸利島コンビニでバイト中。実家は美容室。 ・鹿島拓海(かしま たくみ)  千歳の幼馴染。美岸利島のヒーロー。野球の才能を伸ばし、島外の高校からスカウトを受けた。 ・鹿島大海(かしま ひろみ)  拓海の弟。千歳に懐いている。 ・宇都木 華(うづき はな)  ある事情から拓海と共に美岸利島にやってきた。病と闘うことに疲れた彼女の願いは。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...