ダークサイド・クロニクル

冬青 智

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現代篇

1話 驟雨の死

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────バサ…ッ!

音もなく、群青の翼が風を裂く。
その日、日本国上空では雨が降っていた。

ゆっくりと降下していくと、灰黒の雨雲の下が重く湿気を含み澱んでいる様子が見て取れた。
鋭利な鉤爪のある梟の巨大な脚が、不意にぶよん…と不安定に形状を歪ませたかと思うと、黒いブーツを履いた人間の足に様変わりする。

「なかなか…人間このの姿も、随分久しぶりだ」

その流れで体が実態を得て組成されてゆき、翼と同じ群青色の髪と金の瞳、性別不詳……どちらのものとも取れる容姿を以てして受肉したわたしは、上空からもひときわ目立つ巨大な四足門の前に降り立った。

「む、この匂いは…」

長い旅暮らしの身ゆえに地上へ降りるのは久方ぶりで、浮き足立った気分で門の向こうを覗いてみると、目の前に聳える大屋敷は半壊して朱々と夜空を染めるほどの劫火に包まれていた。

「…これは非道ひどい」

離れていても届くほどの熱気に僅か後ずさる。
半壊し、業火に燃え盛る屋敷。
そして、腹部を著しく損壊した遺体がいたる場所に散在する合戦場とも見紛う惨状を視界に捉えながら、己は「まるで何かに呼ばれるように」真新しい流血の痕を辿った。

「…この臭気におい堕落者アン・シーリーに食われたのか…」

堕落者アン・シーリーは強烈な嗜虐性をもつ怨念物バケモノで、食欲と惨殺欲は底なしだ。
派手に食い散らかされた遺体は、共通して内臓を失っていた。
その堕落者アン・シーリーを喰い、しかも本能で追い求めている自分が言えることではないが、コイツらを一匹残らず絶滅させることが己自身に科せられた「役目」だと…惨状を目の当たりにする度に思う。

「…安心をし、苦痛はもうないからな」

女子供、老人…おそらく使用人だろう。
恐怖と絶望に歪んだ、開いたままの瞼を下ろしてやり着衣を整えて横たえる。
さらに真新しい血痕を辿った先に、己は辛うじて息がある女呪術師を見つけた。

「だれか、いるのか…。誰だ、どこにいる?逃げ遅れた者が、まだ…残って、いたのか?」

整った顔の半ばを生々しい血に染め、へし折れた裏門の柱に背を預ける彼女は焦点の合わない双眸をさ迷わせながら、やがて斜めに傾いで倒れた。

「お前、目が見えていないのか。…しばし待て。治してやろう」

「…ありが…たい…」

触れてみて、己はすぐに彼女の状態を察した。
…複数の臓器が損傷、ほぼ全身を骨折していて助かりようもない重篤状態で、弱々しく震える儚い灯火はいつ息絶えても不思議ではない。
たとえ眼球を治したところで彼女の命が失われる結末は避けられないだろうが…己は、死に瀕しながらも凛とした意思を崩さない彼女と話をしてみたくなった。
僅かに魔力を流せば夥しい流血をしていた額の裂傷が塞がり、破裂していた両の眼球が再生していく。

「これでいい筈だ。此方の顔が見えているかね?」

目蓋に宛てていた手を外すと、ゆっくりと灰紫色の虹彩が表れた。

「…ちゃんと見えている……」

悲しみか、喜びなのか。彼女の声は震えて深夜の空気に溶けていく。

「キレイ、だなあ……青い、鬼なんて……初めて…」

己には、彼女が今までの人生をどう生きてきたのかが分からない。
しかし今、ひとつだけ理解できるものがあるとすれば、それは───彼女は確実に死ぬということ。

「…そうか…わたしはもう、闘えないのだな…」

とめどなく溢れる涙のまま、女呪術師は笑う。
その目に、死への恐れは一欠片もなかった。

「お前、名は」

藤咲ふじさき、文…音あや…ね。……いや……イスナ…。イスナが、本当の名だ…。どこの…どなたか存じないが、この場に居合わせた縁で、頼みを、聞き届けてくれないだろうか…」

「…っ、そういう、縁か」

瀕死の身を引きずって地面に額付ぬかづけるイスナの気迫に、己は引き込まれる感覚を懐く。
なるほど、この女呪術師と出会う必要性があった故に、己は“この場所”に呼ばれたのだ。
なぜか引き寄せられるようにこの場に来た理由を理解して、ふたたび彼女を見つめ直す。

「想像に難くはないが、一応に問おう。お前の希望のぞみとは、なんだ?」

ふたたび降り出した雨は音も気配も命の火すら、まるで吸い消してしまうように強く強く打ち付けてくる。

「私の大切なものを奪ったヤツらを、肉の一片すら残さず、絶滅させてくれ……頼む」

「……復讐の、依頼だな」

「ああそうだ、それしか望みはない!!」

イスナは意気込んで声を張り上げたせいで唐突に激しくむせ込み、大量の血を吐いた。
雑音混じりの息遣いで、イスナは尚も「頼む」と懇願する。

「後生だ……カサイ・シュウヘイという名の怪異バケモノを殺して欲しい。そのあとは…私が死んだことを、誰にも…伝えないで。生きて、どこかで、戦っていることにしてくれ…」

命を振り絞って懇願するその顔色は、もう既に土気色へと変わりつつあった。

「了解した」

「…っ」

己の承諾を聞き届けたイスナは、うすく微笑んだきり倒れ伏し……もう一言も発しなかった。

「イスナ、貴様は堕落者アン・シーリーに骨を砕かれ、内臓はらわたを潰されても逃げも諦めもしなかったのだな。その強靭な意思…生き様は、賞賛に値する…。よく、頑張ったな…」

イスナの亡骸は、泣いているようにも笑んでいるようにも見受けられた。
血腥い世界に生き、そして逝った勇敢な呪術師の幕切れにせめてもの安息を供えたくて、まだ僅かに温もりが残る亡骸を膝に抱き上げる。

「地に還るがよいか、それとも…己と共に来るか?」

問いかけた瞬間、問いかけに呼応してイスナの亡骸が淡く輝き、やがて鮮やかな青色の鬼火が亡骸の傍らに灯った。

「共に来るのだな、ならばお前の亡骸からだは己がもらうが、よいか」

イスナの鬼火は、左右に揺れて宙を漂う。
まるで応えるかのような様相を認めて、己は深く息を吸った。
そして鬼火を吸い込み、元々自在な形状ゆえにイスナの亡骸の耳から侵入し体内に潜り込む。
…与太話であるが凍土で眠っている年月が長かったせいなのか、己が“以前まえに遣っていた肉体”は腐って骨すら残らなかったのだ。

 「んっ、んんッ! 声が出しづらい…声帯もやられていたのか。やれやれ、修繕箇所が多いな…。まあ中古だから仕方ないか。ん? 歯が折れている……もが、べっ、ぺっぺっ。これも作り直しだ」

久しぶりの人体改造カスタマイズが楽しくて、破裂してダメになった内臓を複製、或いは再生させながら全身骨格を作り直して、筋繊維なども「前」よりも強力にして作り直していく。
そうして色々と部位ごとに作り替えながら、やがて最後に「性別」をどうするかで思考が止まった。

「……面倒だな」

長い年月の中で男女両方の性別で生きたこともあるのだが……色々と面倒臭い上に煩わしかったので、今回は性別を顕著に判別できる器官は作らないことにした。
いずれ己自身の魂魄と馴染んで異形と化すが、今後、何があるとも限らないので念の為に強度を上げておくとしよう。

「…心配するな、約束は守るさ」

意図せずして涙が溢れてくるのは、吸収したイスナの“記憶”が泣いているからだろう。
彼女の死を、誰も知らない。
しかし、誰にも報せないのが亡き彼女の“依頼”だ。

青鬼梟ルノ・エウレ……青い闇サフィラス・ステッラ…今まで国によって異なる多くの名で呼ばれてきたが、ソラか。他人から……それも人の子から“名”を貰うのは初めてだよ…存外、悪くない気分だ」

◆❖◇◇❖◆

イスナの依頼を遂行するため、己は“ソラ”として、その日から彼女を「識る」ために、イスナの足跡をたどり始めた。
そして最初に判明したのが、彼女が転居を予定していた事だった。

「…家移りか、なるほど」

(それにしても、転居先のマンションは異様に一室だけ安価で貸し出されているのが気にかかる…)

おい、イスナよ。己の勘がいやな予感を訴えているのだが、その辺りはどうなんだ。
内側に問いかけるが…すっかり吸収された彼女が応答することは、当然ない。

「先が思いやられるな…。しかし、今後のために一人称は“私”にしておくか…」

予め決められている事なので避けようもなく、己…いや、私は翌日の早朝に転居先へと向かう羽目になった。


 




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