小説探偵

夕凪ヨウ

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Case172.病院の亡霊⑥

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「あなたの予想通り、時計についていた血痕は真鍋晴日のものだったわ。内部に挟まっていた皮膚片は矢倉雅二のものですって。」

 アサヒの言葉に、海里は頷いた。義則は驚く。

「じゃあ、何ですか?真鍋晴菜さんを殺したのは、矢倉雅二さんだと⁉︎」
「そうなりますね。彼があのホテルを利用していた情報はありませんでしたし、自宅も遠い。病院に警察の目を向かせないために、あそこに呼び出して殺したんでしょう。」
「今、監視カメラを調べてるわ。そのうち出てくると思う。」
「ありがとうございます。」

 資料を見ていた玲央はでも、と言って顔を上げた。

「逆に犯人が分からなくなったんじゃないの?矢倉雅二は誰に惨殺されたのか・・・。」
「ええ、生憎。これも真犯人の目論見でしょうね。自分に近づかれないために私たちに過去の真実を気づかせる必要がありましたから。」
「また罠に嵌ったってことか?」
「そうなりますね。となると、真鍋さんのご家族が怪しくなってきましたが・・・。」

 海里は言葉を濁した。玲央が口を開く。

「納得いかないって顔だね。」
「はい。ご家族が事件の真相に気づくのは難しいと思うんです。20年前の事件当時ですから、自殺と考えるのが自然でしょう?」
「じゃあ誰が?」

 海里は黙った。分からないという意思表示である。

「他の容疑者は・・・小倉友紀の娘・蛍だが、彼女は右利きだと神道から証言があった。」
「そうなると20年前のお子さんのご両親なんですが、父親は病気で半身不随、母親は病で他界していますから、犯人ではありません。」
「他に誰がいるんだ?」

 海里は少し苛立ちながら事件の資料を見返した。現場の写真や遺体の状態などを繰り返し黙読する。

(一体、どういうことなんだ?胸の傷はいくつかあり、被害者は出血多量で亡くなった。部屋の外に出て行く足跡もあったし、ドアノブには手袋の跡があり、被害者は手袋をしていなかった。過去の恨みを晴らされたから亡くなったんじゃないのか?)

「・・君、江本君!」

 玲央に呼ばれ、海里はハッとした。

「少し頭を休めた方がいいよ。顔色が悪い。」
「あ・・そうですね。少し眠ります。何か、分かるかもしれないので。」

 海里は横になるとすぐに眠りについた。

 そして、変な夢を見た。
                    
         ※

「ゴホ・・ゴホッ・・・!真衣、大丈夫ですか⁉︎」

 海里は、小さな自分の手でさらに小さな真衣の手を握っていた。周囲は赤々とした炎が舞っており、黒い煙が視界を覆っている。

「苦・・しいよ。お兄ちゃん・・・。パパとママは、どこ?」
「分かりません・・・。きっと会えますから、急ぎましょう。」

(何の記憶だ?これは・・・火事?パパとママ?江本家で火事なんて起こっていないはずなのに。)

「海里、真衣!」
「パパ!ママ!」

 1人の女性が2人に駆け寄った。女性は2人を抱きしめると、涙を流して言った。

「ごめんね。私たち、行かなきゃいけないの。許してね。」
「行くって何⁉︎やだよ!」
「・・・・ごめんなさい。2人とも。ここでお別れです。」

 海里は夢の中で無意識に手を伸ばしていた。握って欲しいとでも言うかのように。

「逃げ道は確保できています。廊下を真っ直ぐ走りなさい。」
「嫌です!父さん、母さん‼︎」
「さようなら。私の、愛しい・・子供たち・・・・。」


 
 その言葉を最後に、海里は飛び起きた。側に座っているアサヒがびくりと肩を動かす。

「急にどうしたのよ。びっくりしたじゃないの。って・・・・江本さん?あなた、何で泣いてるの?」
「え・・・?」

 海里は自分の頬に触れ、驚いた。

「えっと・・夢を・・・・」

 その時、海里は凄まじい頭痛に襲われた。思わず頭を押さえて呻く。

「江本。どうした?」
「すみません・・・急に・・・・。大丈夫です。」

(夢を・・見たはずなのに、思い出せない。あれは誰だ?あの風景は何だ?あの2人は、なぜ諦めるようなことを・・・?)

 少し落ち着いた海里は、水を飲み、矢倉雅二の資料を見返した。

「あ・・被害者って左利きだったんですね。」
「ああ、うん。医師たちの間では珍しかったらしいよ。あの病院内でも少なかったみたい。」

 海里は頷きながら事件の資料に手を伸ばした。すると、1枚だけホッチキスが通っていなかったのか、ふわりと床に落ちた。

「あら、ごめんなさい。」

 アサヒはサッとそれを拾って海里に渡した。海里は事件現場の写真を見て、驚く。

「血が飛び散っていないんですね。正面から切りつけられたなら、もっと悲惨になるんじゃないですか?」
「確かに不思議よね。その血の飛び散り方だとゆっくり胸を切られたみたい。」
「ゆっくり・・・?なぜ?被害者の命を絶ちたいなら、早く殺してしまいたいんじゃないんですか?どうして・・ゆっくり殺すなんて・・・。」

 それに気づき始めた途端、海里は更に写真を見た。

「待ってください・・・!おかしい!正面から切りつけられて倒れたなら、どうして後ろの手術台に血がつかず、全く動いていないんですか?これはまるで、“初めから床に座っていた”かのような・・・!」
「殺されるのに初めから床に座っていた?無茶苦茶な話だな。」

 龍の言葉に同意しながら海里は続けた。

「凶器はまだ見つかっていないんですよね?」
「ええ。今磯井さんたちが探している途中・・・・」

 アサヒがそう言った瞬間、龍のスマートフォンが鳴った。義則からである。

「どうした?」
『凶器見つかりました!』
「どこにあった?」
『現場にあった手術台の“中”です!台の布を剥がして、中に収めたんですよ!』

 龍は怪訝な顔をした。海里たちも声が聞こえ、驚く。

『古いだけだと思ってたんですけど、血が滲んでるのが見えて、開けてみたらあったんです‼︎中には一緒に血の付いたメスがあります!』

 アサヒが立ち上がった。龍が頷くと、彼女は早足で病院を後にした。

「もし包丁とメスに彼の指紋が付いていたら、この事件の真相は確定します。」

 海里の言葉に、2人は頷いた。
                     
         ※

「鑑定結果出ました!どちらとも付いていたのは矢倉雅二の指紋だけです!」

 義則の報告に、海里は笑った。義則は首を傾げる。

「決まりですね。矢倉雅二さんは・・・自殺です。」
「自殺⁉︎」

 義則は目を驚いた。海里は頷く。

「少し整理しましょう。
被害者・・矢倉雅二さんは左胸に数カ所の切り傷があり、出血多量で亡くなりました。凶器もなく、自殺とは考えにくい傷の位置。いかにも、他殺に見える現場です。しかしそれこそが、矢倉さんの狙いだった。」
「他殺に見せかけることが・・・ですか?」
「はい。私たちは、過去のいざこざもあり他殺だと断定した上で調査を進めていた。そのせいで、あの現場にあるおかしな点を見逃していたんです。」

 海里は右手を前に出し、数えるように指を上げていった。

「1つ目は血の飛び散り方。2つ目は被害者の体勢。3つ目は手術台の位置。
まず、1つ目の血の飛び散り方です。正面から胸を切りつけられたのに、血が全く飛び散っていなかった。上から下にかけて切られても、普通なら床に血が飛び散ります。しかし被害者の血は、滴り落ちる程度で止まっていた。被害者が抵抗するかもしれないリスクを、犯人が侵すとは考えにくい。
次に、2つ目の被害者の体勢です。遺体発見時、被害者は手術台の柱にもたれるように亡くなっていた。他殺だとしたら、倒れ方が自然です。仮に犯人がいて体勢を直しても、他殺に見えることに変わりはありません。
最後に、手術台の位置です。被害者の背後には手術台があり、当然ですがキャスターがついている。押せば簡単に動く代物です。しかし、被害者が柱にもたれかかっているのにも関わらず、手術台は動いていなかった。それどころか、わざと妙な角度で壁に引っ付けられていました。中の用具が動いた形跡もありませんし、明らかに妙です。」

 海里は1度言葉を止め、息を吐いた。

「そして凶器。警察は血眼で探しても見つからなかった。普通、現場になければ犯人が持ち去ったとして外を探します。現場も封鎖しますから、現場にある手術台の中にあるなんて誰も考えません。」
「そ、そうですね。でもメスが一緒に入っていたんですよ?最後に縫いつけられなかったんですか?」
「余力がなかったんでしょう。シーツを被せて隠すのが精一杯だった。」

 海里は最期の矢倉雅二の姿を思い浮かべながら言った。

「でも、胸を切りつけたら致命傷であることに変わりはありませんよ?布を剥がしてあそこまでやるなんて可能ですか?」
「矢倉さんは医師ですから、どのくらい切りつければ大丈夫かは分かるでしょう。恐らく彼は、初めに小さな傷をつけ、手袋をしてドアノブを触った。その手袋は見つかっていないなら、また手術台の中などにあるかもしれませんが、それは置いておきましょう。
次に大きな傷、かと言ってすぐに死なないような傷をつけた。出血は止まりませんから、いずれ命が絶たれることに変わりはありません。そしてその間に、矢倉さんは凶器を隠した。彼は外科医ですし、人体に比べたら布を剥がすことなど朝飯前だったはず。
最後に、彼は仕上げとして布を縫い直そうとした。しかし、もう時間がないことに気づき、メスを一緒に入れて、適当に縫合した後、シーツを被せて絶命したんです。」

 義則は唖然とした。海里は長い息を吐き、壁に上半身を預ける。

「他殺に見せかけたのは、医師としてのプライドだと思いますよ。人の命を救う医師が自殺したなど、あまり良い話ではない。面倒なことをしてまで、彼は医師としてのプライドを保ち、存在しない犯人をでっち上げようとした・・・。」
「・・・矢倉雅二は、罪の意識で死を決めたんでしょうか。」
「断言することは難しいです。彼は自分の犯した犯罪を隠してプライドを取ったように見えますからね。
彼は自分が病院にいる限り、小倉院長も蛍さんも過去をバラしてしまうかもしれないと考えた。だからそうなる前に、“不遇な殺人事件の被害者”として死ぬことを決めたのでしょう。加えて病院内で亡くなることで、病院自体の存続も危うくなり、いつかは無くなるかもしれない・・・。そんな期待もあったと思いますよ。」

 海里は真顔でそう言った。龍は溜息をつく。

「自分の死で決着が付く事件なんてありはしない。罰を受ける覚悟もないまま罪を犯した人間の末路ってとこか。」
「そうなるね。まあとりあえず、以上の報告よろしく頼むよ。磯井君。」

 義則が走り去っていくと、海里は怪我を押さえながらベッドに寝転んだ。

「過去にあった事件がきっかけで、1人の人間が命を絶つなんてことがあるんですね。どうにも、やりきれません。これは、誰が加害者だったんでしょうか。」

 苦しげな海里の言葉に、2人は迷わず答えた。

「全員じゃないか?人を想いすぎるが故に罪を犯し、立場を守るために罪を犯し、復讐のために罪を犯し、知られないために罪を犯し、罪に打ち勝てずに命を絶った。この負の連鎖を止めることは、俺たちにはできなかった。全てを救うこともな。」
「俺たちはヒーローじゃないからね。ただ罪を調べて裁きのための準備を整える役割を担っているだけだ。その罪を認め、どう裁きを受け止めるかは自分次第。そのやり方を間違えたのが、この事件だったんだよ。」
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