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Case135.救えなかった君へ⑤
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「九重さん・・・そんなに、私が邪魔なんですか?」
「ああ。龍たちに助言を与える君は不要な存在だ。死んでもらう。」
光を宿さない瞳に、海里はゾッとした。
今まで見たことのない、浩史の表情。覚悟を決めた人間の表情だった。
「兄さん。時間がない。刑事たちが来る。」
「・・・少し話しすぎたな。仕方がない。」
浩史は胸ポケットから小さな球を取り出し、床に投げた。球は床にぶつかると、大きな音を立てて煙を出した。
「手段は選んでいられない。黙って従え、江本海里。」
いつのまにか背後にいた佑月に、海里は驚いた。振り向いた瞬間、彼は腹部に強い一撃を食らい、意識を失った。
「江本君⁉︎」
「兄貴は動くな!」
龍は浩史と銃を向け合い、互いに発砲した。
「うっ・・・!」
浩史は龍の弾を避け、龍は浩史の弾が腕に直撃した。彼は、たとえ裏切り者でも、長年の上司を撃つ躊躇いが捨てられなかったのだ。
「さらばだ。もう会うこともないだろう。」
その言葉を最後に、2人の姿は消えた。去り際、浩史は龍の足にも発砲し、龍は思わず膝をついた。アサヒは急いで龍と小夜の止血をし、すぐに救急車を呼んだ。
「アサヒ・・・2人を追える?」
「無理よ。っていうか今はそれどころじゃないし、多分・・江本さんは大丈夫だと思うわ。」
「どうしてそう思うの?」
「色々よ。後で説明してあげる。あなたは警視総監の所に行って、捜査員を派遣して。私は大丈夫。」
「うん・・・ありがとう。」
※
どのくらいの時間が経ったのだろう。海里は、わずかに聞こえる人の話し声で目が覚めた。薄汚れた天井が見え、どこからか風が吹き込んでいる。
「・・・・苦しいか?佑月。」
「少しな。でも、いつもより楽だよ。」
海里が体を起こすと、彼の前には浩史と佑月がいた。佑月は半身を起こしており、上半身を浩史が支えていた。
「大丈夫だ。やるべきことを終えたら、私もすぐに行く。」
「・・・・信じていいんだな?」
縋り付くような視線に、浩史は躊躇う事なく頷いた。
「ああ。信じてくれ。私は、もう2度とお前を1人にはしないよ。」
「そっか・・・。」
佑月は微笑んだ。海里が出会った時とは考えもつかない、優しい笑みだった。
「ありがとう、兄さん。」
「こちらこそ、ありがとう・・・佑月。」
沈黙が流れた。海里は何が起こっているのか分からず、上体を起こした状態で身動き一つできなかった。
しばらくして、ゆっくりと浩史が振り向いた。微かに涙の跡がある。
「どうして・・・早乙女・・さん、は・・・・」
「ああ・・生まれつき体が弱くて、心臓病を患っていたんだよ。長年の無理がたたったんだろう。命が尽きるのは分かりきっていたことだ。病院に行っても、命を落としたことに変わりはない。」
浩史の背後で穏やかに眠る佑月が見えた。海里は死に際の2人の会話を思い出し、尋ねる。
「・・・・死ぬつもりですか。ここで。」
浩史は頷いた。海里は勢いよく立ち上がる。
「そんなの間違っています!死ぬことが解決策じゃない・・‼︎」
「君らしい意見だな。だが、聞く気はないよ。」
そう言いながら、浩史は佑月の側にあるガソリンを取り、床に撒いた。海里は息を呑む。
「安心してくれ。君を巻き込むつもりはない。君をここに連れてきたのは、最期に話がしたかったからだ。」
海里は浩史を見た。鋭い目つきで、しかし光は失わない瞳が浩史を射抜く。
「話は私ではなく、東堂さんたちとするべきでしょう。あんな形で終わっていいんですか?あなたは・・・・東堂さんたちを完全に裏切れなかったのに。」
海里の言葉に、浩史は苦笑した。呆れたように首を振る。
「お見通しか。やはり、君という人材は失えないな。」
「話を逸らさないでください。」
厳しい海里の表情に対して、浩史は穏やかな表情をしていた。
「なぜ分かった?私が龍たちを裏切り切れていないと。」
「・・・・小夜さんの怪我を見た時から疑っていました。あの距離から人を撃って、後遺症が残らないであろう位置を撃ち抜けたあなたが、急所を狙えないはずはない。わざと外したと・・・・そう思いました。
それに、私が意識を失うか否かの瞬間、東堂さんを撃たれましたよね。ぼんやりとしか見えませんでしたが、あちらも軽傷・・・彼の丈夫さを持ってすれば、数日で治る程度の怪我です。」
浩史は感心したように笑った。
「よく見えたな。龍の射撃は素晴らしいが、あいつはあそこで私を撃つことを躊躇った。」
そう言った直後、浩史の顔から笑顔が消え、悲しみが浮かんだ。
「そして結局・・・私は上司も殺せなかった。」
※
「浩史・・・本気なの?俺を撃てば・・・・」
「それはあなたも同じことでしょう。人を撃つことは、警察官としては禁忌です。ああでも、あなたの息子は撃ったんでしたね。」
(安い挑発さ。警視総監が乗ってくるはずはない。だが、彼は私だけを悪にしないために、わざと発砲した。当然、当たっていない。私も発砲したが、当てられなかった。)
武虎は苦笑しながら拳銃を机に放って言った。
「本当・・・嫌になるよ。結局俺たちは非情に成りきれない。何かを捨てて何かを得ることができたのは・・・君の弟だけだったんだ。」
「・・・・そうですね。」
(最もな言葉だった。警視総監は笑いながら私に部屋の外を指し示した。)
「もう行きなよ。こんな睨み合い・・続けていても意味がない。」
「いいんですか?私は2人を殺しに行きますよ?」
(私の言葉にあの人は呆れたようにこう言った。)
「どうせ殺さないだろ。全く・・・こんな安っぽい今生の別れがあるなんてなあ。」
(常に冷静で表情を崩さないあの人が、泣いていたように見えた。)
※
「あの人は全て分かっていたんだ。私が決断をしても、君と天宮君を殺せないことも。兄としての道をとっても、警察官としての道を捨てられないことも。結局1番の半端者は・・・私だ。」
浩史は、何かの感情を押し殺すようにそう呟いた。海里は拳を握りしめ、怒鳴る。
「そこまで分かっているなら!半端者にならないよう、生きていけばいいじゃないですか‼︎今度こそ警察官として、父親として・・・満足の行く道を選び取るべきでしょう⁉︎罪を犯したのに罰も受けずに死ぬなんて、あまりに身勝手です!」
海里の言葉に浩史は笑って首をすくめた。
「兄弟揃って身勝手も悪くない。それにさっきも言ったことだが、私は2度と弟を1人にはできないんだ。30年以上も苦しい思いをさせて、戦わせて・・・・。兄としてしてやれることは、共に死ぬこと以外にない。」
そう断言する浩史を見て、海里は思わず涙を流した。彼の決意を、自分1人で揺らがすことなどできはしないのだ。
浩史は笑い、ポケットからスマートフォンを取り出し、海里に差し出した。
「私の携帯・・・龍と玲央に渡してくれ。この中に、4年前の彼らの無実を証明する証拠が入っている。それを見れば、少しは肩の荷が降りるだろう。」
海里は震える手でスマートフォンを受け取った。浩史は息を吐き、海里に向き直る。
「泣くな、“海里”。私と佑月の死は、決して無駄にはならない。いや、させない。奴らの企みを阻止してくれ。君が協力してくれるなら、これほど力強いことはない。」
「・・・・九重さん・・!」
「家族と、龍たちに・・・遺言を頼んでもいいかな?」
海里は頷いた。浩史は再び笑う。
「“勝手なことをしてすまない”・・・それと、“ありがとう”・・と。」
「・・・・必ず、お伝えします。」
「信じるよ。あと、海里。君にも、1つだけ。」
浩史は海里の右肩に手を置いた。暖かい温もりが、肩を通して伝わってくる。
「龍と玲央を・・・2人を、頼む。自分のことを放ったらかして、人を想う2人だ。何かに押し潰されてしまわないよう、側にいてやってくれ。」
「・・・・はい・・!」
その言葉が最後だった。浩史は海里の肩から手を離し、自分にガソリンをかけた。側にいる佑月にも。海里は涙を流しながら深く頭を下げ、建物から走り去った。
海里が建物から離れて少しした後、凄まじい炎が上がった。2人の魂を天に送るかのように火柱が高く上がり、青空を赤く照らしていた。
「あなた、浩史さん。起きて。」
「怜・・・?」
驚く浩史を見た妻・怜は呆れた笑みを浮かべた。
「久しぶりね。でも、少し早すぎじゃない?あの子に・・・美希子に、父親を失う悲しみまで背負わせるなんて。」
「もちろん、すまないと思ってる。でも、きっと大丈夫だ。」
浩史の自信に、怜は苦笑した。彼女はそっと彼の手を取り、奥を指さす。
「佑月・・・!・・・・すまない、怜。私は行くよ。お前と同じ所に辿り着くには・・・まだ時間がかかりそうだ。」
「大丈夫よ。いくらでも待つわ。だから、絶対に来てね。」
「ああ、約束する。いつか必ず、お前の元へ、佑月と共に行くよ。待っていてくれ。」
怜が頷くと、浩史と佑月は闇へ駆け出した。闇へ走る2人の顔は、子供のように明るく笑っていた。
※
「江本!無事だったのか。」
「・・・はい。」
涙の跡が残っている海里の顔を見て、龍たちは何かを察したのか、黙り込んだ。海里は無言で浩史のスマートフォンを龍に手渡す。
「お2人に見て欲しいとのことです。4年前の無実が証明できる・・・と。」
「4年前・・・。」
掠れた龍の呟きに、海里は頷いた。
「はい。それと、ご家族と、東堂さんたちへ・・伝言です。“勝手なことをしてすまない”と、“ありがとう”・・・・それだけ。」
「・・・・そうか。わざわざ悪かったな。俺たちは火災現場に行くから、お前は帰って休んでくれ。今日のことは、また後日に。」
その日、警視庁に戻った龍たちは、誰にも知られないよう静かに泣いた。美希子と凪は武虎からの電話で号泣し、数日後、浩史・佑月両名の葬儀が執り行われた。
多くの者を巻き込み、運命を狂わせた事件は、九重浩史・早乙女佑月の両名の死と共に、静かに幕を下ろしたのだった。
「ああ。龍たちに助言を与える君は不要な存在だ。死んでもらう。」
光を宿さない瞳に、海里はゾッとした。
今まで見たことのない、浩史の表情。覚悟を決めた人間の表情だった。
「兄さん。時間がない。刑事たちが来る。」
「・・・少し話しすぎたな。仕方がない。」
浩史は胸ポケットから小さな球を取り出し、床に投げた。球は床にぶつかると、大きな音を立てて煙を出した。
「手段は選んでいられない。黙って従え、江本海里。」
いつのまにか背後にいた佑月に、海里は驚いた。振り向いた瞬間、彼は腹部に強い一撃を食らい、意識を失った。
「江本君⁉︎」
「兄貴は動くな!」
龍は浩史と銃を向け合い、互いに発砲した。
「うっ・・・!」
浩史は龍の弾を避け、龍は浩史の弾が腕に直撃した。彼は、たとえ裏切り者でも、長年の上司を撃つ躊躇いが捨てられなかったのだ。
「さらばだ。もう会うこともないだろう。」
その言葉を最後に、2人の姿は消えた。去り際、浩史は龍の足にも発砲し、龍は思わず膝をついた。アサヒは急いで龍と小夜の止血をし、すぐに救急車を呼んだ。
「アサヒ・・・2人を追える?」
「無理よ。っていうか今はそれどころじゃないし、多分・・江本さんは大丈夫だと思うわ。」
「どうしてそう思うの?」
「色々よ。後で説明してあげる。あなたは警視総監の所に行って、捜査員を派遣して。私は大丈夫。」
「うん・・・ありがとう。」
※
どのくらいの時間が経ったのだろう。海里は、わずかに聞こえる人の話し声で目が覚めた。薄汚れた天井が見え、どこからか風が吹き込んでいる。
「・・・・苦しいか?佑月。」
「少しな。でも、いつもより楽だよ。」
海里が体を起こすと、彼の前には浩史と佑月がいた。佑月は半身を起こしており、上半身を浩史が支えていた。
「大丈夫だ。やるべきことを終えたら、私もすぐに行く。」
「・・・・信じていいんだな?」
縋り付くような視線に、浩史は躊躇う事なく頷いた。
「ああ。信じてくれ。私は、もう2度とお前を1人にはしないよ。」
「そっか・・・。」
佑月は微笑んだ。海里が出会った時とは考えもつかない、優しい笑みだった。
「ありがとう、兄さん。」
「こちらこそ、ありがとう・・・佑月。」
沈黙が流れた。海里は何が起こっているのか分からず、上体を起こした状態で身動き一つできなかった。
しばらくして、ゆっくりと浩史が振り向いた。微かに涙の跡がある。
「どうして・・・早乙女・・さん、は・・・・」
「ああ・・生まれつき体が弱くて、心臓病を患っていたんだよ。長年の無理がたたったんだろう。命が尽きるのは分かりきっていたことだ。病院に行っても、命を落としたことに変わりはない。」
浩史の背後で穏やかに眠る佑月が見えた。海里は死に際の2人の会話を思い出し、尋ねる。
「・・・・死ぬつもりですか。ここで。」
浩史は頷いた。海里は勢いよく立ち上がる。
「そんなの間違っています!死ぬことが解決策じゃない・・‼︎」
「君らしい意見だな。だが、聞く気はないよ。」
そう言いながら、浩史は佑月の側にあるガソリンを取り、床に撒いた。海里は息を呑む。
「安心してくれ。君を巻き込むつもりはない。君をここに連れてきたのは、最期に話がしたかったからだ。」
海里は浩史を見た。鋭い目つきで、しかし光は失わない瞳が浩史を射抜く。
「話は私ではなく、東堂さんたちとするべきでしょう。あんな形で終わっていいんですか?あなたは・・・・東堂さんたちを完全に裏切れなかったのに。」
海里の言葉に、浩史は苦笑した。呆れたように首を振る。
「お見通しか。やはり、君という人材は失えないな。」
「話を逸らさないでください。」
厳しい海里の表情に対して、浩史は穏やかな表情をしていた。
「なぜ分かった?私が龍たちを裏切り切れていないと。」
「・・・・小夜さんの怪我を見た時から疑っていました。あの距離から人を撃って、後遺症が残らないであろう位置を撃ち抜けたあなたが、急所を狙えないはずはない。わざと外したと・・・・そう思いました。
それに、私が意識を失うか否かの瞬間、東堂さんを撃たれましたよね。ぼんやりとしか見えませんでしたが、あちらも軽傷・・・彼の丈夫さを持ってすれば、数日で治る程度の怪我です。」
浩史は感心したように笑った。
「よく見えたな。龍の射撃は素晴らしいが、あいつはあそこで私を撃つことを躊躇った。」
そう言った直後、浩史の顔から笑顔が消え、悲しみが浮かんだ。
「そして結局・・・私は上司も殺せなかった。」
※
「浩史・・・本気なの?俺を撃てば・・・・」
「それはあなたも同じことでしょう。人を撃つことは、警察官としては禁忌です。ああでも、あなたの息子は撃ったんでしたね。」
(安い挑発さ。警視総監が乗ってくるはずはない。だが、彼は私だけを悪にしないために、わざと発砲した。当然、当たっていない。私も発砲したが、当てられなかった。)
武虎は苦笑しながら拳銃を机に放って言った。
「本当・・・嫌になるよ。結局俺たちは非情に成りきれない。何かを捨てて何かを得ることができたのは・・・君の弟だけだったんだ。」
「・・・・そうですね。」
(最もな言葉だった。警視総監は笑いながら私に部屋の外を指し示した。)
「もう行きなよ。こんな睨み合い・・続けていても意味がない。」
「いいんですか?私は2人を殺しに行きますよ?」
(私の言葉にあの人は呆れたようにこう言った。)
「どうせ殺さないだろ。全く・・・こんな安っぽい今生の別れがあるなんてなあ。」
(常に冷静で表情を崩さないあの人が、泣いていたように見えた。)
※
「あの人は全て分かっていたんだ。私が決断をしても、君と天宮君を殺せないことも。兄としての道をとっても、警察官としての道を捨てられないことも。結局1番の半端者は・・・私だ。」
浩史は、何かの感情を押し殺すようにそう呟いた。海里は拳を握りしめ、怒鳴る。
「そこまで分かっているなら!半端者にならないよう、生きていけばいいじゃないですか‼︎今度こそ警察官として、父親として・・・満足の行く道を選び取るべきでしょう⁉︎罪を犯したのに罰も受けずに死ぬなんて、あまりに身勝手です!」
海里の言葉に浩史は笑って首をすくめた。
「兄弟揃って身勝手も悪くない。それにさっきも言ったことだが、私は2度と弟を1人にはできないんだ。30年以上も苦しい思いをさせて、戦わせて・・・・。兄としてしてやれることは、共に死ぬこと以外にない。」
そう断言する浩史を見て、海里は思わず涙を流した。彼の決意を、自分1人で揺らがすことなどできはしないのだ。
浩史は笑い、ポケットからスマートフォンを取り出し、海里に差し出した。
「私の携帯・・・龍と玲央に渡してくれ。この中に、4年前の彼らの無実を証明する証拠が入っている。それを見れば、少しは肩の荷が降りるだろう。」
海里は震える手でスマートフォンを受け取った。浩史は息を吐き、海里に向き直る。
「泣くな、“海里”。私と佑月の死は、決して無駄にはならない。いや、させない。奴らの企みを阻止してくれ。君が協力してくれるなら、これほど力強いことはない。」
「・・・・九重さん・・!」
「家族と、龍たちに・・・遺言を頼んでもいいかな?」
海里は頷いた。浩史は再び笑う。
「“勝手なことをしてすまない”・・・それと、“ありがとう”・・と。」
「・・・・必ず、お伝えします。」
「信じるよ。あと、海里。君にも、1つだけ。」
浩史は海里の右肩に手を置いた。暖かい温もりが、肩を通して伝わってくる。
「龍と玲央を・・・2人を、頼む。自分のことを放ったらかして、人を想う2人だ。何かに押し潰されてしまわないよう、側にいてやってくれ。」
「・・・・はい・・!」
その言葉が最後だった。浩史は海里の肩から手を離し、自分にガソリンをかけた。側にいる佑月にも。海里は涙を流しながら深く頭を下げ、建物から走り去った。
海里が建物から離れて少しした後、凄まじい炎が上がった。2人の魂を天に送るかのように火柱が高く上がり、青空を赤く照らしていた。
「あなた、浩史さん。起きて。」
「怜・・・?」
驚く浩史を見た妻・怜は呆れた笑みを浮かべた。
「久しぶりね。でも、少し早すぎじゃない?あの子に・・・美希子に、父親を失う悲しみまで背負わせるなんて。」
「もちろん、すまないと思ってる。でも、きっと大丈夫だ。」
浩史の自信に、怜は苦笑した。彼女はそっと彼の手を取り、奥を指さす。
「佑月・・・!・・・・すまない、怜。私は行くよ。お前と同じ所に辿り着くには・・・まだ時間がかかりそうだ。」
「大丈夫よ。いくらでも待つわ。だから、絶対に来てね。」
「ああ、約束する。いつか必ず、お前の元へ、佑月と共に行くよ。待っていてくれ。」
怜が頷くと、浩史と佑月は闇へ駆け出した。闇へ走る2人の顔は、子供のように明るく笑っていた。
※
「江本!無事だったのか。」
「・・・はい。」
涙の跡が残っている海里の顔を見て、龍たちは何かを察したのか、黙り込んだ。海里は無言で浩史のスマートフォンを龍に手渡す。
「お2人に見て欲しいとのことです。4年前の無実が証明できる・・・と。」
「4年前・・・。」
掠れた龍の呟きに、海里は頷いた。
「はい。それと、ご家族と、東堂さんたちへ・・伝言です。“勝手なことをしてすまない”と、“ありがとう”・・・・それだけ。」
「・・・・そうか。わざわざ悪かったな。俺たちは火災現場に行くから、お前は帰って休んでくれ。今日のことは、また後日に。」
その日、警視庁に戻った龍たちは、誰にも知られないよう静かに泣いた。美希子と凪は武虎からの電話で号泣し、数日後、浩史・佑月両名の葬儀が執り行われた。
多くの者を巻き込み、運命を狂わせた事件は、九重浩史・早乙女佑月の両名の死と共に、静かに幕を下ろしたのだった。
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