小説探偵

夕凪ヨウ

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Case118.人形館の呪い⑧

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「アサヒさん。頼んだものはありましたか?」
「ええ。バッチリ。あと、メモの筆跡鑑定も終わった。」

 そう言いながら、アサヒは海里に資料を渡した。彼はそれに目を通し、軽く頷く。

「間違いありませんでした。協力感謝します。」
「礼は結構よ。仕事をしただけ。でも、まーだ仕事やんなきゃならないのよねえ。昨日、ちょっとした問題があったから。」
「問題?」

 龍の質問に、アサヒは頷いた。

「実はーーー・・・・なの。」
「なるほど。それを回収する必要があるのか。」
「そっ。上司命令で私が現場に行くように言われたのよ。だから、今からあなたたちと行かなきゃならないの。」
「面倒くさそうだね。」
「当たり前じゃない。本当、余計なことしてくれちゃってさ。」

 アサヒは溜息をついた。海里は思わず苦笑する。資料にもう1度目を通し、彼は深呼吸をした。

「では、行きましょうか。」
                     
            ※

「どうしたんですか?急に呼び出して。」

 麟太郎は、家に呼び出されたことを不思議に思っているようだった。首を傾げ、海里たちを見る。

「・・・・単刀直入に言います。」
「何です?」
「沙代子さんを傷つけたのはあなたですね?麟太郎さん。あなたがーーーこの事件の犯人です。」

 沈黙が流れた。やがて、麟太郎は人の良い笑みを浮かべ、海里たちを見た。

「嫌だなあ、江本さん。私が犯人だなんてあり得ませんよ。なぜ私が義母を傷つけなければならないんです?」
「・・・30年前の事件の復讐・・と言えばお分かりでしょう。」

 麟太郎の眉が微かに動いた。海里は続ける。

「30年前・・・この家の庭で1人の子供が亡くなりました。被害者は当時5歳の長谷部史郎さん。仲村家とは家族ぐるみで仲が良く、家に遊びに行くことは日常茶飯事だった。」

 麟太郎は何も言わなかった。ただ、その顔にもう笑顔はない。

「当時、仲村孝一さんは子供たちが遊べるように大きな日本人形を作成していました。事件当日、彼は絵の具を塗った日本人形を乾かすため、人形を縁側に置いていた。その日は快晴だったようですし、乾きやすかったでしょう。」
「・・・まどろっこしいですね。はっきり結論を述べてくれませんか?」
「そうしたいのは山々ですが、この事件はそんな簡単に言い表せません。
 史郎さんの死は、“事故”だったんですから。」

 その言葉を聞いた瞬間、麟太郎は海里の胸倉を掴んだ。龍が止めようとするが、海里は静かにそれを制した。

「長谷部麟太郎。それがあなたの旧姓ですよね。30年前に亡くなった長谷部史郎さんは、あなたの実の兄だ。」

 沈黙が流れた。しかしやがて、麟太郎は歯軋りで苛立ちを露わにする。

「・・・・ああ、そうだよ。長谷部史郎は、私の兄だ。仲村孝一に殺された!」
「違います。あれは事故だった。史郎さんは、“縁側に置いてあった人形の中に自ら入って焼死したんです”。」

 麟太郎の手に左手に力がこもった。今にも殴りかかる雰囲気だ。だが、海里は決して動じなかった。

「あのメモを書いたのは孝一さんでした。調べたところ、30年前にいた仲村家の人間で左利きの人物は孝一さんしかいなかった。彼はあの言葉を残し、いつか史郎さんの遺体を見つけてもらうよう懇願していたんです。」
「だったら何だ?あの男は警察に言わなかったじゃないか。兄は、“行方不明者”として捜査され、あの男は兄を探す優しい人間として振る舞った・・・!それでも、兄の死は事故だっていうのか⁉︎」
「少なくとも・・・亡くなったことに関しては事故です。先ほども申し上げた通り、事件の日は快晴。加えて、庭の入り口に車が停めてあった。仲村家に遊びに来ていた、長谷部家の車が停まっていたんです。」

 麟太郎はハッとし、目を見開いた。体が微かに震えている。

「そんな・・・そんなこと・・・・!」
「・・・・ええ、そうです。庭の入り口に停めてあった車のスチールホイールが太陽光に反射し、人形を史郎さんごと焼いてしまったんですよ。」

 苦しい真実だった。麟太郎は歯を食いしばり、海里を睨みつけている。目には微かに涙が見えた。

「孝一さんが全てに気がついたのは、史郎さんが亡くなった後でしょう。彼は自分の作品が人を殺してしまった罪悪感に苛まれると同時に、世間に公表する恐怖を感じた。そして、史郎さんを“行方不明者”にすることに決めたんです。」
「・・・・遺体は骨まで焼けていて、土に埋めれば分からなかった。仲村孝一はすぐに人形を回収し、灰を地面に捨て、その上に人形を埋めた。」

 圭介の言葉に、海里は頷いた。龍が苦しげな息を吐く。

「長谷部史郎が行方不明になったことは、一見見れば誘拐事件に過ぎなかった。警察と家族はすぐに調査を開始して・・・・仲村孝一も、捜査に加わった。
 だが、遺体は灰になった挙句、その灰ごと地面に埋められた状況で、行方が分かるはずがない。1年経つ頃に捜査は打ち切られ・・・あんたが生まれた。長谷部家の悲しみは消えなかっただろうが、あんたが生まれたことで微かな希望を見出しただろう。」
「・・・・そうだな。そう言っていたよ。」

 麟太郎は、全てを諦めたかのように、小さな声で呟いた。深い溜息をつき、海里の胸倉からゆっくりと手を離す。

「私が兄のことを聞いたのは、小学生の頃だった。当時はよく分からなかったが、大人になるにつれて、仲村孝一に殺されたんだと・・・・そう思うようになったよ。」
「・・・・だから復讐を決意したんですね。孝一さんの娘である佳代子さんと結婚をして。」
「そうだ。あの女と結婚して、この家に入り込み、事件を調べた。あの離れは入れなかったが、何かしら重要なものを置いてあることは容易に想像がついた。」
「つまり・・・江本君があの紙を見つけた報告を聞いた時点で、人形と灰になった遺体が離れにあることは分かっていたんだね。」

 玲央の言葉に、麟太郎は頷いた。すると、ずっと黙っていたアサヒが口を開いた。

「あなたが盗んだ凶器、返してくれない?昨日警視庁に戻ってから大変だったのよ。あなたが持ってるんでしょ?」

 そう言いながら、彼女は麟太郎のズボンの後ろポケットを指さした。そこは不自然にハンカチが飛び出ており、何かを包んでいるようだった。

「そのナイフで“誰”を“どうする”つもりか知らないけど、返してくれないと迷惑なのよね。どのみちあなたの指紋は付いているから、証拠品として回収しなきゃならない。」

 アサヒが一歩踏み出した瞬間、麟太郎はナイフを取り出し、アサヒに向けた。

「近づいたら許さない!それ以上こっちに来たら・・・‼︎」
「殺す?無理よ。あなたに私は殺せない。」
「黙れ‼︎」
「人を傷つけた苦しみっていうのは、簡単には消えないわ。ましてや相手は義母・・・復讐のためとはいえ、本当に愛情が無かったの?」

 彼女の言葉に、麟太郎は黙った。

 その時、

「まずい・・・!」
「神道さん?」

 地面が、いや、家が大きく揺れた。ガラスにヒビが入り、柱や床が軋む音がする。物が割れる音や、壊れる音まで聞こえてきた。

「クソっ・・‼︎除霊されることに勘付かれた!もう時間がねえ・・・無理矢理にでも除霊するしかない!」

 圭介は持ってきた荷物の中から、紐につけられた鈴を取り出した。彼はそれを刀の柄に取り付け、母屋に走る。

「おい、神道!」
「危険なことは分かってる!海里たちは絶対にそこから動くな!」

 圭介が走り始めたとほぼ同時に、海里はなぜか走り出していた。龍と玲央が止めたが、彼は構わず走り抜ける。

「馬鹿!戻れ海里‼︎」
「お断りします!私は最後まで見届けたいんです・・・何もかも!」
「・・・ったく・・!悪いが、何かあっても除霊中にお前を守ってる暇は無いからな!」
                     
 家の中は酷い有様だった。家具が倒れ、食器が割れ、壁や床にヒビが入っている。

「人形のある部屋に行くぞ。離れから人形を取り出した時点で、もう魂はあそこには無い。あの部屋で除霊する。」
「分かりました。」

 人形の部屋は、何の異常もなかった。ただ1つの人形が、棚から転がり落ちている。海里たちがこの家に来た際、希が抱いていた人形である。

「離れろ、海里。ここから先は、俺がやる。」

 圭介は刀を抜き放つと、深呼吸をした。海里には見えない“何か”が、彼の元に集まっているーーーーそんな気がした。海里が息を呑んでそれを見守っていると、圭介は突然何かに話しかけた。

「・・・あんたの恨むべき人間は、ここにはいない。あんたの死は事故だったんだ。例えその後、最悪の仕打ちをされても・・・・霊として世に残り、罪のない人間に危害を加えることは間違っている。」

 風が吹いた。窓は開いていないのに、凄まじい強風が吹き荒れる。

「これ以上あんたがこの世に留まることは許されない。祓わせてもらうぞ。」

 圭介は剣舞を始めた。刀が上下すると同時に、気持ちのいい鈴の音が聞こえる。美しい剣舞に合わせるように、風が止み、物音が聞こえなくなっていった。揺れも徐々に収まり、静かな雰囲気が戻ってきている。

「・・・もう・・楽になっていいんだ。」

 圭介は剣を振り下ろした。真下にある、希が抱いていた人形の胸に、刀を突き刺す。
 その瞬間、風が止んだ。物音が消え、揺れが収まる。

「浄霊だなんて、器用なものね。」
「アサヒさん!お怪我は?」
「ないわ。あの後、すぐに龍が彼を取り押さえたからね。第一、江本さんも無茶するわねえ。そんなに除霊が気になった?」
「あはは・・・まあ。」

 2人は軽口を叩いていたが、圭介は険しい目つきでアサヒを見ていた。彼は刀を仕舞いながら、彼女に尋ねる。

「浄霊なんて言葉、一般人は知らないはずだ。あんた・・・本当にただの警察か?」
「もちろん。興味本位で調べただけよ。それとも、何か間違っていた?だったら謝るけれど。」
「いや・・・いい。」

 圭介は諦めるように溜息をついた。海里の方を向き、尋ねる。

「沙代子さんの部屋はどこだ?」
「確か廊下の突き当たりとお聞きしました。孝一さんも、生前そこへ。」

 海里の言葉を聞くなり、圭介は沙代子の部屋へ行った。2人は慌てて後を追う。

「急にどうしたんですか?」
「・・・・長谷部史郎は、仲村孝一に人形作りを教わっていたらしい。将来は職人になる夢まであったそうだ。」
「すごいですね。しかし、その話と除霊が関係あるのですか?」
「ああ。長谷部史郎は、消える前に“贈り物”の居場所を俺に示した。今からそれを取りに行くんだ。霊の痕跡は、消さなきゃならないからな。」

 部屋につくと、圭介は壁に刀を立てかけ、引き出しを開けたり棚を動かしたりして何かを探し始めた。不思議そうに2人が見ていると、彼は突然、

「あった。」
「何ですか、それ・・・箱?」

 圭介が見つけたのは、小さな箱だった。成人男性の手の平より大きいが、幼い子供であれば両手で持てる程度の、小さな箱。彼はゆっくりとそれを開け、眉を潜めた。

「これが、“長谷部史郎から長谷部麟太郎への贈り物”だよ。」

 箱の中にあったのは、日本人形だった。素人の手で作られたであろう、乱雑な、しかし優しさが伝わってくる・・・そんな人形である。箱の隅には、平仮名で麟太郎の名前が書かれていた。

「麟太郎さん。」
「・・・・何です?探偵さん。」

 海里は、今や連行されようとしている麟太郎を呼び止めた。彼は力のない声で振り向き、弱々しい笑顔を見せる。

「これ・・お兄さんからの贈り物です。恐らく・・あなたの母君が妊娠していると聞いて、あなたのために作ったものだと思います。」

 差し出された人形を見た瞬間、麟太郎は涙を流した。
 兄は好きだったのだ。日本人形が、それを教えてくれた孝一が。
 彼は喜んだのだ。自分の弟の誕生を。喜び、教わり、作り、渡そうとした。

 だが、できなかった。その結果、彼の中で愛情と憎悪がぶつかり合って、彼は未練を残し、現世に留まった。しかし、贈り物を届ける人がいると分かって、成仏したのだ。

「受け取ってあげてください。史郎さんがあなたを想って作った、大切な物ですから。」
「・・・はい・・ありがとうございます。」

 箱を受け取った麟太郎は、そのまま連行されていった。その後、沙代子は回復。過去の罪を知り、嘆きながらも刑務所にいる麟太郎に謝罪の手紙を書いたという。

 想いが“呪い”となって始まったこの事件は、この日、静かに幕を閉じたのだった。
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