小説探偵

夕凪ヨウ

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Case60.鮮血の迷宮美術館①

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「殺人は、芸術なんだよ。」

 俺は、目の前にいる男の言葉が信じられなかった。人を殺しておきながら、反省もせず、この態度。おまけに・・・・芸術?

「ふざけるな。お前は・・・人の命を何だと思ってるんだ? お前の好き勝手に壊して、弄んでいいとでも?」
「当然さ! 僕は、選ばれた人間なんだから! 人に何をしようが、文句を言われる筋合いなんてない・・・‼︎ 僕の芸術は、僕にしか理解できないようにね!」

 他人に殺意を抱くことなんて、家族を失ったあの日以来、存在しないと思っていた。でも今、どうしても許せぬ人間が、目の前にいる。俺は、両手の拳を強く握り、歯軋りをした。今にも飛びかかりそうな気持ちを抑えられそうになかった。
 兄貴は俺の様子に気づいていた。そして叫んだ。

「龍! 待て!」

 銃声がした。
                     
            ※

「わあ~大っきい!」

 美希子は、飛び上がって喜んだ。白い息が、宙にぼんやりと浮かぶ。

「喜んでくれて良かったわ。美希子ちゃんは来年忙しくなるし、今のうちに・・・ね。」
「ありがとう、凪叔母さん。」

 警視長・九重浩史の妹、凪は笑った。凪は、振り返り、背後にいる人物に笑いかける。

「わざわざ来てもらって悪かったわね、龍、玲央。仕事、大丈夫だった?」
「問題ないよ。休みは取れたし。」

 今日、4人は、美希子の受験生になる前に出かけたいという願いを聞くべく、都内の美術館に来ていた。龍と玲央も凪に誘われ、仕事が休めるかどうかを確認してから、ここに来たのだ。

「江本さん・・・だったかしら。彼は誘ったの? 一応、美希子と知り合いなんでしょ?」
「ああ。美希子が誘ってみて欲しいって言ったから電話したが・・・忙しいみたいでな。何でも、以前の水嶋大学の事件の執筆が終わった後、立石家の事件も執筆しているらしい。」
「まあ。感激するほどの意欲ね。」
「同感。」

 2人の会話に、美希子は顔を曇らせた。凪は慌てて美希子に向き直る。

「ごめんね、美希子ちゃん。さあ、行きましょう。」
「うん!」
「ところで・・・この美術館って有名なのか?」
「あら、2人は美術館とか行かないの?」
「芸術には疎くてね。軽く説明してくれる?」

 凪は笑って頷いた。

「いいわよ。この美術館の名前は、“迷宮美術館”。何でも、ここには『鏡の間』と呼ばれる部屋があって、四方八方どこでも鏡があるから、迷路のようになっているんですって。それが面白いって言われてて、人気なのよ。」

 凪の説明を聞いて、2人は軽く頷いた。美希子は3人に早く来るよう叫んでおり、3人は駆け足で彼女の元に向かった。

「しかし本当にデカイな。これ、半日で回れるのか?」
「できなかったら後日来るつもりらしいけど、俺たちは難しいかもね。今日中に大方、見た方がいい。」

 美術館に入った龍たちは、改めてその大きさに驚かされた。
 広々としたロビーに、巨大な額に入れられた数々の絵画。膝下あたりのものから、身長をゆうに超える高さの銅像。白を基調とした壁が、色とりどりの作品を強調しているように見えた。

「ロビーの床・・・これ、向日葵か。随分と派手な装飾なんだね。」
「ああ・・・でも、何か引っかかる。大袈裟すぎるというか・・何かを・・・」

 龍はそこで言葉を止め、首を振った。玲央も頷き、2人は考えるのをやめた。最近事件が多いせいか、様々なことに敏感になっているのだ。

「あれが鏡の間ね。行ってみましょう。」

 鏡の間の中からは、微かな人の話し声が聞こえた。しかし決して列はできておらず、中の広さを感じさせた。
 中に入ると、本当にそこは広かった。床は普通の板張りだが、壁・天井の至る所に鏡がある。多くの鏡に自分の姿が反射して、どれが本物か見失いそうになった。

「こりゃすごいや。子供たちが喜ぶのも納得だね。」

 玲央は溜息混じりにそう言った。美希子と凪は、完全に楽しんでいる。周囲にいる人々も、多くが家族連れで、鏡の前で写真を撮ったり、正解の道を辿ったりしていた。

「外から見た感じ、出口は少なくとも5、6個あったな。確かに、迷路だ。現に、正しい道が分からないし、足元がキャンドルだけで暗い。スリルも味わえるってわけか。」
「2人とも冷静すぎじゃない? もう少し楽しもうよ!」
「30過ぎた叔父さんに楽しめって言う?」

 玲央の冗談に、美希子は笑った。彼女の笑顔を見て、龍と玲央は少し安堵する。

 3年前、謎の男に母親を殺されて以来、美希子はあまり笑わなくなっていた。学校で何かあったわけでもなく、ただ、家に帰って母親がいないという現実に、苦しみ続けているのだ。しかし、今日の彼女は明るい。それだけで、龍と玲央は満足だった。

「ふわぁ~すごかった! 他の所も見て回ろうよ‼︎」
「今行くよ。」

 ソファーで休んでいた龍と玲央が立ち上がると、誰かが彼らのコートを引いた。2人が驚いて振り返ると、そこには、1人の少年がいた。小学校低学年くらいの少年である。

「どうしたの?」
「・・・・お母さん・・いなくなっちゃった。」
「そっか。お母さん、迷子になっちゃったんだね。どこでいなくなったか分かるかな?」

 玲央は、少年の前に屈み、優しい笑顔で尋ねた。少年は少し涙を拭いて、ぽつりと呟く。

「鏡がいっぱいあるとこ・・・お母さんの手をはなして歩いてたら、いなくなっちゃった。手、はなしちゃダメって言ってたのに・・僕、約束破っちゃったの。お母さん、ぜったい怒ってる。僕、悪い子だもん。」
「・・・・悪い子なんかじゃないよ。君は、今お母さんを心配してるんだから。」

 玲央の言葉は、短かったが、少年が安堵するには、十分だった。玲央は立ち上がり、美希子と凪を呼ぶ。

「2人はここでこの子を見てて。俺と龍で探してくるから。」
「分かった。ねえ、君。お母さん、どんな人? 特徴とか・・・教えてくれるかな?」
「えっと、えっと・・お母さんは、髪が長いの。きれいな黒い髪で、今日は、お父さんにもらった赤いイヤリングをしてた! けっこんする時にもらったって言ってて、いにしゃるが彫ってあるんだって!」
「ありがとう。じゃあ、君のお母さんを見つけてくるね。」

 そう言って、2人は鏡の間へ駆け出した。走りながら、玲央は龍に尋ねる。

「どう思う?」
「妙だな。子供が母親の不在を分かっているなら、逆も然り。だが、それがまるでない。」
「やっぱりそうか。でも、鏡の間・・・確かに複雑だったけど、ある程度の道順は書いてあったはずだ。大の大人が迷うと思う?」

 龍は答えなかった。2人は鏡の間に入り、足元のキャンドルを頼りに少年の母親を探し始めた。他の客は不思議がっていたが、2人はそんなことを気にしている時間はなかった。

「きゃあぁぁぁ‼︎」

 突然、甲高い、女性の悲鳴が聞こえた。2人は急いで声のした方に走った。そこには、鏡の間を見ていた1人の女性がいた。

「どうしたんですか? 何が・・・‼︎」

 見てはいけなかった。
 見つけてはいけないものを、2人は見つけてしまった。 
 キャンドルに照らされ、はっきりとした“それ”は、首だった。まだ切られて間もない、真っ赤な血が流れている、人の首。

「こ・・この道を通ろうしたら、これが・・・鏡に反射して、何かが光っていて・・それで」

 女性の声は震えていた。龍は転がっている首を見て、一瞬、目を見開き、しかしすぐに、視線を逸らすように細めた。玲央が何かを言おうとしたが、彼は遮るように首を振った。

 首の両耳には、イニシャルが彫られた、赤いイヤリングが輝いていた。
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