小説探偵

夕凪ヨウ

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Case29.焼け跡の宝石①

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 忙しない足音が近づき、玲央は読みかけの文庫本から顔を上げた。視線の先には龍と店員がいる。
 龍は店員に案内の礼を述べ、その場でコーヒーを注文した。店員が去って行くと、彼は苛立った表情で席についた。
「何で急に呼び出したんだよ。忙しいって言っただろうが」
「そんなに怒らないでよ。久々の再会なんだから、笑顔大事」
 屈託のない笑みを浮かべる玲央に対して、龍は不快感を露わにした。
「うるせえ。お前、何で江本に接触した? 警察官以外が捜査に加わるのは嫌いじゃなかったのか?」
 龍の質問に、玲央は曖昧な笑みを浮かべた。この表情が、心の内を語る気がない時の表情であると知っていた龍は、何も言わずに舌打ちをした。
「流石、よく分かってるね」
「茶化すな。昨日から捜査一課に復帰したんだろ。階級は?」
「龍と同じ警部だよ。昔とは環境が違うけど、出世争いに興味はないし、丁度良いくらいかな。
 それより、君はちゃんとやっているのかい? 江本君に頼りきりになってない?」
「そんなことはない。俺は俺のできる範囲で仕事をやっているだけだ。謎を解きたいと思うのは江本の意志。間違わなけりゃ自由にさせるさ」
「そっか。それなら良かった」
 玲央は満足そうに笑い、注文していた紅茶を飲んだ。同時に龍の頼んだコーヒーが置かれ、彼は一口飲んだ後、遅れて玲央の言葉の意味を理解し、俯く。
 一瞬龍から目を逸らした玲央は、影がかかった彼の顔を見て、悲しげに笑う。
「そんな顔しないで。龍が俺を嫌っていることも、許せないことも知っているから。必要以上に関わらないようにはするし、最低限の会話しかしないから」
 沈黙が流れた。やがて、龍は消え入るような声で呟く。
「・・・・違う」
「えっ?」
 訳が分からない、というふうに玲央を目を丸くした。龍は苦しげに声を出す。
「・・・・本当にお前は何も変わってない。お前は、俺のことなんて何も分かっちゃいないんだ。も、何1つ理解してくれなかった」
 龍はそれだけ言うとコーヒーを飲み干した。財布を取り出して2人分の代金を机に置き、颯爽と店を後にする。玲央は悲しそうな笑みを浮かべたまま、龍の後ろ姿を見送っていた。
   
            ※
                 
「東堂警部」
「事件か?」
「火事です。A町のC番地。放火の可能性があると」
「分かった。行くぞ」
 龍の一言で複数人の刑事がパトカーに乗り込んだ。当の本人は、今朝の兄との会話が耳に残り、仕事に集中していない。しかし、部下たちはそんな彼の心を知る由もなく、本庁と連絡を取り合っていた。
 事件現場は焦げ臭かった。同時に、血の臭いも充満している。龍以外の刑事は顔を顰めた。
 龍は全焼したアパートの近くにパトカーを止めさせ、外に出た。既に消火は済んでおり、消防隊が後片付けを始めている。龍は現場の写真を撮っている鑑識に近づき、尋ねる。
「出火元は? 通報者は誰だ?」
「出火元は不明です。通報者は近所の住民。買い物帰りに、ふと見たら火が出ており、通報したと」
 龍は頷きながら現場を見渡した。焼け爛れた死体があり、全焼しただけあって、身元が分かるような物も炭と化している。手探りで証拠を探すしかなさそうだった。
「現場は俺と鑑識で見る。お前たちは怪我人が運ばれた病院で話を聞いてくれ。事情聴取が終わり次第、警視庁に各自戻って資料作りを」
「はい」
 すると、一台のパトカーが現場の側に止まった。車から降りて来たのは玲央である。彼は現場を一瞥し、口を開いた。
「俺も残るよ」
 龍は一瞬驚いたが、すぐに真顔に戻って頷いた。
「分かった」


 玲央は現場検証をしながら頻りに龍に話しかけていた。龍は今朝の言葉を思い出し、溜息混じりに声を上げる。
「必要以上に関わらないって言ったよな」
「事件現場だからってことにしといてよ。それより・・・・この事件、放火だろう?」
 突然の玲央の問いに、龍は躊躇うことなく頷いた。
「ああ。火元が不明で不審な人物も見ていない以上、ただの火事とも思ったが、が落ちているなら話は別だ」
 そう言いながら、龍は一部分だけが焼けた新聞紙とライターを指さした。アパートの外壁の側に置いてあったらしく、横に焼けた柱がある。
 玲央は頷いた。
「そうだね。このアパートにゴミステーションは無くて、歩いて1分程度の所に捨てに行くルールがある。住人たちはそれを守っていただろう。
 そのライターも、アパートが全焼するほどの火事の割には焼けていない。ライターなんて炎を出す道具、普通の火事なら燃え尽きた方が自然だよ」
「放火魔なことは確定だな。新聞紙が燃えている以上、ライターを利用して炎を足したと考えて問題ない。だが、ここはアパートのすぐそばだ。火の周りが早ければ簡単には逃げられない。自分も怪我をするリスクがある」
「確かにね。もしくは、怪我をしても構わなかったとか?」
「怪我を厭わない理由があったと?」
 納得のいかない表情で尋ねる龍に対して玲央は笑った。彼は新聞紙の近くにある足跡を顎で示し、言葉を続ける。
「そう難しい話じゃないよ。
 火事が起きた時、住人は炎から逃れるために外へ出た。消防隊が騒いでいなかった所を見ると、救助が間に合わなかった人はいても、家の中に戻った人はいない。もし1人でもいるなら、消火活動はもっと長引いているし、俺たちにも報告が上がっているはずだからね。
 さて、ここで問題。
 怪我で済んだ住人は全焼前に逃げたから、炭による足跡はつかない。それなのに、? しかも、劣化していた壁の穴の側に」
 言い終わるなり玲央はスマートフォンを取り出し、龍に新聞記事が写った画面を見せた。
 そこには、火事で全焼したアパートが建設された時の記事が載っており、当時の写真があった。丁度、現在2人が立っている部分が写されている。玲央は画面をスクロールし、建ってから数年ほど経った写真を見せた。そこには、確かに劣化の跡がある。
 玲央は続けた。
「炭が付いている時点で、火事が起こってから中に入ったことになる。住人でも消防隊でもないなら犯人だ。中に入った理由は分からないけれど、人が行き着かない穴から出入りするなんて、中々考えた犯人だよ。火事に周囲が注目していたことも重なって、目撃されずに済んだんだから」
 龍は軽く溜息をついた。数年間、最前線から退いていたとはいえ、玲央の一連の推理は、警察官としての能力が劣っていないことを裏付けるのに十分だった。
 玲央はスマートフォンを仕舞い、現場を歩き始める。
「他に物証は無いか・・・・残念。ま、わざわざアパートの劣化まで調べている以上、計画犯だろうしなあ」
 玲央は長い息を吐いた。龍は彼の意見に同意しようとしたが、何かが視界に入り、口を開く。
「おい、あれ・・・・」
 体ごと動いた龍の視線を玲央は追った。2人の視線の先には、太陽光に反射した“何か”が見える。玲央が近づき、反射している謎の物体を取った。
「これ・・・真珠?」 
 玲央が手に取ったのは、真っ白な球体の宝石だった。光に翳すと美しく反射し、真っ黒な炭を明るく照らした。
「そう見えるけどな。よく見たら、所々に散らばっている。アパートから出ているってことは・・・・」
「犯人の目的は、この真珠?」
「可能性としては、あるな。確信は無いし、真珠が本物であるかも分からないが」
 玲央はしばらく真珠を見つめた後、にっこりと微笑んで言った。
「取り敢えず、1度鑑識に見てもらおう。現場はこのまま保存して、しばらく立ち入り禁止。数人が見張りにつけば問題ない」
 龍もその意見に賛成し、2人は現場の態勢を整えた後、警視庁へ戻った。


「真珠ですね。間違いなく本物ですし、良い物ですよ。これが事件現場に落ちていたんですか?」
「うん。建物の外に続いていたから、犯人が持ち去った時に落としたのかなって。まあ、本物であることが分かったなら、今は良いんだ。ありがとう」
 玲央は鑑識の結果を龍に知らせると、2人は現場に戻った。見張りの刑事たちは2人を見て敬礼し、バリケードテープの前にいる人影を指し示す。
 そこには海里の姿があった。彼は龍に気がつくと、いつものように微笑んだ。
「東堂さん。こんばんは」
「お前、こんな所で何してるんだ? 事件のこと教えてないだろ」
「ニュースでやっていたので来てみたのですよ。捜査は順調ですか?」
「まあまあだな」
「自分に厳しい方ですね」
 海里は玲央の方を向いて頭を下げた。玲央は挨拶を交わした後、首を傾げる。
「君は探偵だから、全ての事件に食いつくと思ったんだけど・・・そういう訳じゃないんだね」
「はい。私はあくまで本を書くため、事件を解いています。気分が乗らない時は関わりません。東堂さんには怒られましたけど」
 海里は笑った。現場を見渡した彼は、落ち着いた声で続ける。
「徒歩で逃げるなんて大変そうですよね」
 2人は同時に眉を動かした。しばしの沈黙の後、玲央が尋ねる。
「何で分かったの?」
 海里は事もなげに答えた。
「元々、車か何かだと思っていましたよ。でも、火事で騒いでいる時に車では逃げにくい。徒歩の方が人混みに紛れて逃げられるでしょう? タクシーを含む交通機関は足がつきますし、怪しげな車を見たという話は刑事さんから聞きませんでしたから」
 早口にそれだけ告げると、海里は2人に頭を下げた。
「では失礼します。捜査、頑張って下さい。お手伝いできることがあれば駆けつけますので」
 街灯の中を歩き去る海里の後ろ姿を見て、玲央は苦笑した。
「あれが今の君の相棒か。大した男だね」
「相棒じゃねえよ。仕事仲間。とっとと終わらせて帰るぞ」
「そうだね。少し眠たくなってきた」
 現場を歩き回りながら、玲央は龍に気づかれないよう彼の方を見た。



 龍・・・君は、俺と1度も目を合わせないね。でも、それでいい。俺には、君と向き合う資格なんて、2度と持てないんだから。
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