小説探偵

夕凪ヨウ

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Case21.氷の女王⑤

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「へえ。動機と証拠、ですか。どうぞご自由に。できるのもなら、証明してくださいよ。探偵さん。」

 芝田の口調は、挑戦的で、高圧的だった。しかし、海里はあくまでも落ち着いた様子で続ける。

「まずは動機からお話ししましょう。そもそも・・・今回の事件の引き金となったのは、これですね?」

 そう言って、海里は芝田にスマートフォンを見せた。そこには、新聞記事の写真があり、見出しには大きく、

      『三波佐和子、現役引退』 

と書かれている。同時に、芝田の表情が少し青ざめるのが分かった。

「私は普段スポーツ観戦をしないので知らなかったのですが、あなた方3人のことを調べるにあたって行き着きました。引退の理由は、ご両親の会社が倒産したことだと書かれています。フィギュアスケートには資金がかかると言いますから、どうしようもないことなのでしょう。
 三波さんは、将来オリンピックに出られるほどの期待を寄せられていたそうですね。そして、同時期にフィギュアスケートを始めた東野さんも、三波さんの同期という線を辿り、注目を集め始めていた。」
「・・・・それが何か? 何の関係も、」

 芝田の言葉に重ねて海里は言った。

「大いにあります。三波さんは、現役引退をあなた、湯元さん、東野さんの3人に話したはずです。大勢いる選手の中で、特に親しいのがあなたたち3人だから・・・・。そうでしょう? 美希子さん。」

 芝田の表情が揺れた。美希子は頷く。

「東野さんから、その時のことを詳しく聞いた。3人とも驚いたけれど、三波さんの意思なら、受け止めるしかない・・・・って。三波さんは、引退前の最後の大会だから、1番手にして、トリに東野さんを配置して、次に託す、っていう自分の気持ちを表現したい・・・・そう言ってたらしいよ。」
「・・・・そんなことまで話したんですね。」

 芝田の表情は暗かった。

「はい。何なら確かめますか? 音源、あるそうですよ。」
「いいえ結構。話を続けてください。」

 芝田の言葉に美希子は頷き、海里を見た。海里は続ける。

「私が初め東野さんにお話を聞いた時、なぜ三波さんのことを否定的に言うのか理解できなかったのです。ライバル関係だとしても、幼馴染み。少しくらい肯定的な意見を・・・・と思っていました。」

 しかし、と海里は続ける。どこか悲しげな表情だった。

「それは愛情の裏返しだと気が付きました。肯定的に話せば話すほど、生前の彼女の優しさや、暖かさが蘇って苦しくなる。だから、一部の選手からの妬み恨みを話して、彼女本来の姿から目を逸らした・・・・そう思ったんです。」

 芝田は何も言わなかった。海里は少しだけ声を大きくして続ける。

「三波さんは、自分が去った後の、“第2の三波佐和子”を探すようマネージャーから言われていた。そして彼女は、悩んだ末に“第2の三波佐和子”に湯元さんを指名したのです。そうですよね? 湯元さん。」

 海里の質問に湯元は頷いた。変わらず不安げな表情をしており、落ち着かない様子である。

「・・・・はい。私は、よく分からなかった。東野先輩や芝田先輩の方が相応しいのに、どうして私なのかって・・・・三波先輩に尋ねたら、あの人は、ただ一言、言ったんです。“あなたの演技には命があるから。”、と。」

 湯元の言葉に海里は頷きながら言った。

「彼女の質問は個人的なものだったはずです。しかし、芝田さん。あなたはそれを聞いていた。いや、“盗聴”と言った方が相応しいですね。」
「盗聴・・・⁉︎」

 湯元が驚愕の表情を浮かべた。

「はい。湯元さん、あなたが付けられているその髪飾り。いつも付けているのですか?」

 海里は水色の薔薇の髪飾りを指し示したり湯元は頷く。

「はい。中学生の頃、地域のフィギュアスケート大会で優勝した時に両親から貰ったものです。お守りとして持ってて・・傷つけたくないので、演技中は外して控室にーーーーあ!」
「その通り。確かめたいので、髪飾りを貸して頂けますか?」

 湯元は髪飾りを外し、海里に渡した。海里は造花の裏側を探り、小さな物体を取り出した。龍に見せると、彼はあっさと答える。

「盗聴器だな。」
「そんな・・いつから・・・・?」
「あなたが“第2の三波佐和子”に指名された日・・三波さんが引退を話した日でしょうね。新聞の日程から推定するに、1ヶ月以上前、ということになります。」

 湯元が絶句した。海里は芝田を睨みつける。

「あなたはこの盗聴器を使って2人の会話を盗み聞き、そして決意した。自分を選ばなかった三波さんと、自分を出し抜いて選ばれた湯元さんを殺す、と。」
「待ってよ、江本さん。」

 何か言われると分かっていたのか、海里は落ち着き払った様子で尋ねた。

「どうしました? 美希子さん。」
「今の流れだと、殺されるのは三波さんと湯元さんだよね? どうして東野さんが殺されなくちゃならなかったの?」
「簡単ですよ。2人が死んでも、三波さんと同等のキャリアを持つ彼女が、2人の代わりになる可能性が高いからです。」

 海里はさらりと言ってのけた。美希子は信じられないという顔で首を振る。

「私が謎解きを始めなければ、隙を見て湯元さんも殺害するつもりだったのでしょう? 方法は存じませんが、本当、狂っている。」

 恐ろしいほど冷たい海里の言葉に、美希子は息を飲んだ。海里は更に芝田に近づく。

「証拠、と言いましたね。」
「・・・・ええ、言いましたよ。確かに動機はあるかもしれませんが、僕がやった証拠なんてどこにも存在しない。」

 芝田が勝ち誇った笑みを浮かべたその時、スマートフォンが鳴った。芝田の物だ。
 海里は冷酷さを消し、笑って言う。

「出てはいかがですか? 急ぎの電話かもしれませんし。」
「え、ええ。そうします。」

 芝田は上着のポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見た。そして、その画面を見て、彼は愕然とする。画面にある文字には、“芝田桔平”と書かれてあったのだ。

「おや。ご自分の携帯ではないようですね? 予備か何かですか? いずれにしても、本物はどこに行ったのやら・・・・」

 そう言いながら、海里は龍へ視線を流した。ハッとして芝田が視線の先を見ると、自分のスマートフォンを持った、龍の姿があった。着信相手は、江本海里と示されている。

「あのスマートフォン、先ほど見つけたのですよ。あちら、銃声が聞こえた辺りの観客席の座席の下で。
 あ、そのスマートフォンは私の物です。ここへ来る前、あなたがお手洗いに行っている間、刑事さんに頼んで上着のポケットに入れてもらいました。普通に取ってしまったということは、ご自分の物をどこに置いたのか、忘れていたということでしょうか? 何にせよ、返して頂きますね。」

 海里は笑って芝田の手から自分のスマートフォンを取った。しかし、彼は海里の言葉など聞こえていないのか、ガタガタと震えていた。

「あのスマートフォン、埃が付いていましたよ? 整理整頓されている控室には、汚れなんてありませんでした。それなのに、どうして埃なんか付着していたのでしょうね?」
「たっ・・・たまたま! 落としたんだ・・ずっと、探していて・・・・!」

 海里のスマートフォンを取るほど忘れていたというのに、大した言い訳である。龍は溜息をついた。

「あんたも意地が悪いな。偶然にしては、出来過ぎなこともあるようだが?」

 龍はそう言いながら、スマートフォンを操作した。何かを見つけて手を止め、スマートフォンの画面を芝田に見せる。

「11時52分。この時間に設定されているタイマー、一体何だろうな? この時間は確か、三波佐和子が殺害された時間だ。」
「・・やめろ・・・・」
「普通のアラーム音は違う音がついてるみたいだな。こんな時間にセットして、一体何の音を出したんだ?」
「やめろ‼︎」

 芝田は必死の形相で叫んだが、龍は気に留めずボタンを押した。

 次の瞬間、会場に銃声が響いた。海里と龍以外の全員が、言葉を失う。
 海里は言った。

「おや? 偶然でしょうか? 三波さん殺害時の銃声とそっくりですね。」

 会場が静まり返った。芝田はその場に崩れ落ち、ぽつり、ぽつりと呟き始める。

「あの女が悪いんだ。あんな・・経験も浅い奴を後見に指名して、僕を蔑ろにした。
 あの女も、東野も、あいつも、全員死ぬべきなんだよ。あいつらは、僕に感謝するべきだ。人生の最期に・・・・劇的な死体にしてやった。スポーツ選手としての舞台で、死なせてやったんだからな!」

 その言葉が終わった直後、海里は芝田を殴り飛ばした。彼は観客席の奥へ吹っ飛び、体を強く打ち付ける。海里は、何の感情もない冷たい瞳で、彼を見下ろした。

「殺して、やった? あなた、何様のつもりですか? 三波さんも、東野さんも、あなたのような人間に殺される理由なんて無い。ただ自分の想いを真っ直ぐに伝えて、引退まで仲睦まじく過ごそうとしただけです。
 それなのに、あなたは1人、子供のように喚き散らして、2人を殺した。自分勝手な思い込みで。」

 海里は鼻血を出し、歯を食いしばっている芝田の胸倉を掴んだ。

「人の命の価値を、人生の最期を、あなたが決めないでください。あなたには、いいえ、誰にも、人の命を値踏みする権利なんてありはしない。誰が何と言おうと、私は、あなたを絶対に許さない。」

 静かな怒りだった。怒鳴らなかったのは、湯元がいたからである。皆同じ気持ちだったので、海里の怒りに心の中で同調していた。
 海里は長い溜息をつき、ゆっくりと立ち上がる。

「この音源を、あなたに渡しておきます。三波さんと東野さんの、最期の想いです。」

 海里は胸ポケットから小さな録音機器を出し、芝田の足元に置いた。海里は踵を返し、龍に告げる。

「どうぞ、逮捕してください。私から申し上げることは、もうありませんから。」

 丁寧な口調が、芝田を突き放す気持ちを強くしていた。龍は大きく頷いて、部下に手錠を出すよう指示する。

「芝田桔平。三波佐和子・東野ユーリ、両名の殺人罪で、逮捕だ。」

 時間は15時を回っていた。大会の閉会を告げる放送が、虚しく会場へ響いた。

            ※
                   
 某県の刑務所の一室。芝田は、海里から渡された音声を聴いていた。

『芝田君。あなたがこれを聞いている頃、私はもう引退していると思います。今回の件で、あなたが不満を持っていることは分かっていました。ずっと一緒にやって来たあなたよりも、英美さんを選んだ理由・・・・言葉にしないと伝わらないと思うから、ここに残します。直接言うのは、何だか恥ずかしくて。
 私が“第2の三波佐和子”に英美さんを選んだのは、あなたの演技と私の演技が違うからです。英美さんは、どことなく私に似た、静かな演技をしています。でも、芝田君は、私とは違う。炎のように熱く、激しい演技をしている。だから私は、あなたを“第2の三波佐和子”に指名するのをやめたんです。あなたの素晴らしい演技が、掻き消えてしまわないように。
 我儘を言ってごめんなさい。でも、私は、あなたの演技が大好きです。幼い頃、あなたの激しい演技を真似したいと思った時期もあった。でもあなたは、“佐和子の演技があるんだから、真似なんてしなくていい”と、そう言ってくれた。今の私があるのは、あなたのお陰なんです。だからこそ、あなたの演技を残したい。どうか、最前線で輝き続けて、素晴らしい演技を見せてください。
 今まで、本当にありがとう。これからも、あなたのファンであり続けること、約束します。さようなら。』

            ※
                  
「そんなことが・・・・録音されてあったのか。」  

 事件が解決した数日後、警視庁に報告へ来た海里は、龍たちには聞かせなかった録音の内容ーーーー美希子が東野から預かっていたものだったらしいーーーーを話した。

「はい。
 東堂さん・・・・私は、もしかしたらあの2人は、自分たちが殺されることを、分かっていたのではないかと思うのです。」

 龍は目を丸くした。

「まさか・・・だったら、なぜ逃げなかった? あの音声を出したら、違う結果があったんじゃないのか?」

 龍の質問に、海里は間を開けて答えた。

「・・・・人の想いは素直ですよ。1度こうだと思い込んだら、中々元通りには戻らない。お2人は、それを分かっていたのでしょう。だから三波さんは、あれを残した。」
「芝田、聞いていると思うか?」

 海里は頷いた。その顔には優しげな笑みが浮かんでいる。

「きっと聞いていますよ。
 もちろん、彼の罪は消えない。2人の命を奪ったことは事実です。それでも・・・・やり直せる機会があるなら、前を向ける。そんな道を選べる。
 それもまた、人の想いです。私は、そう信じています。」
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