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Case16.家族の話
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テロップの文字が視界に入った瞬間、龍はリモコンを取ってテレビを切った。
素早く荒い動作を見送った後、浩史はゆったりと口を開く。
「杉並理恵子が犯人だったようだな」
爆破事件の解決からは、既に数日が経過していた。浩史に呼び出された龍は、わざとらしく付けられたテレビに流れた事件の話題と、どうしても向き合う気にはなれなかった。その証拠に、普段なら人の目を見て話をするはずの彼は、リモコンを置いた机に視線を落としたまま、一向に顔を上げなかった。
しかし、上司の言葉に返事は返した。
「・・・・はい」
浩史は苦笑いを浮かべ、椅子から立ち上がって龍の側に立った。ゆったりと右手を持ち上げ、彼の肩に優しく置く。
「お前のせいじゃない。人の死は避けようのないことだ。それによって生じる遺族の負の感情も」
「分かっています。だからこそ、彼女を罵ることができない。弟を失った心が、彼女を暴走させたのは事実です」
その事実を、浩史は否定しなかった。だが、彼はすぐさま言葉を続ける。
「しかしその心は、無差別に人を殺していい理由にはならないだろう?」
浩史の言葉に、今度は龍が苦笑いを浮かべた。一気に全身の力が抜け、ようやく顔を上げる。変わらず笑っている浩史に対し、龍は穏やかな声を発した。
「敵いませんね、九重警視長には」
※
「よお、江本。お前も墓参りか?」
「東堂さん・・・・」
杉並理恵子の逮捕から2週間余り。2人は都内の墓地で再会した。龍は片手に花束を持ち、海里は鞄と大きな茶封筒を持っていた。
龍は海里から茶封筒へ視線を流し、呆れとも悲しみともつかない、曖昧な笑みを浮かべる。
「新しい小説は順調か?」
「・・・・おかげさまで」
海里もつられて笑ったが、その表情には、普段よりも影が掛かっていた。
すると、何を思ったのか、龍は海里を手招きし、付いて来るよう促した。海里は少し戸惑いながら、彼の後を追う。歩きながら、海里は躊躇いがちに口を開いた。
「私はお墓参りではないんです。風景描写の参考のために、高台にあるここの墓地に来ました。ここ、眺めがいいですから。
・・・・呆れますか?」
間を開けた問いは、肯定を欲しているように思えた。龍は特に否定する理由もなかったので、正直な答えを口にする。
「呆れると同時に、お前らしいと思う。肝が据わっていると言うか、感覚がズレていると言うか。
どんな時でも掴みどころのない曖昧な雰囲気と言葉。かと思えば激昂したり、他人に同情したり、本当に変な奴だよ。それとも、芸術家ってのは誰もがそうなのか?」
「そんなことはないと思いますよ? まあ、私は偶に変わっていると言われます。少々不服ですけど」
「不服? そいつらは事実を述べているんだし、真実を追い求めているお前からしたら、嬉しい話じゃないのか?」
「そういう捉え方をしますか・・・・」
苦笑いを浮かべた海里は、龍とこんな軽口を叩いたことなど、1度もなかったことに気がついた。
龍から海里への印象が悪いと言うのもあるが、海里もまた、どこか一線を引いた龍の態度を察して、距離を置いていたからだ。
そして、こんな滅多に訪れないであろう時だからこそ、龍に聞きたいことがあった。
「東堂さん、お聞きしたいことがあります」
「何だ?」
「あなたの家族の話です」
風が沈黙を埋めた。
龍は無言になり、突然立ち止まる。目的の場所に到着したものの、海里の言葉に答えたくないという拒絶の意だった。彼は何も言わずにその場に屈み、目の前の墓石に花を添えた。
その時、海里は改めて龍の持って来た花束を見た。花は全部で3種類。白菊、キンセンカ、白のカーネーション。以前読んだ花言葉の本を思い出した海里は、自然と花束から視線を逸らしていた。
そんな海里の様子が見えなかったのか、それとも何となく分かったからなのか、龍は重い口を開いた。
「俺が警察官でなければ、家族は死ななかったかもしれない。俺は、ずっとその事を悔いている。だが、悔いたところで家族の命は還らないし、理不尽に命を奪われる誰かがいなくなることはない。
だが、何もかも理解していながら、後悔に苛まれながら、警察官を辞めることはできなかった」
龍はそこで言葉を切り、少しの間を開けて続けた。
「警察官として生きると決めたのは自分自身だ。それなのに、ここに来る度、その決意を呪いとさえ感じる。そんな自分に吐き気がする。・・・・今も」
ぽつり、ぽつりと、龍は話し始めた。決して話したくないであろう、絶望に満ちた喪失の記憶を。
「俺の家族は、ごく普通の家族だった。俺と、妻と、2人の子供。どこにでいる普通の家族だった。そんな普通が壊れたのは、家族が死んだのは、3年前だ」
3年前は、海里が龍と出会う約半年ほど前のことだった。きっと、半年など、当時の彼にとっては瞬きのように短かっただろう。
そんな時に自分と出会って、彼は何を思ったのだろうと、海里は疑問を覚えた。しかし、今はただ、彼の話を聞きたかった。
「・・・・なぜ亡くなったのですか?」
自分から聞くべきか悩んだが、海里は尋ねた。龍は海里の発言から一呼吸置き、答えを口にする。
「強盗殺人」
短い言葉が胸に突き刺さった。龍は苦笑し、ゆっくりと立ち上がる。事件が起こったのはクリスマスイブの夜だと前置きし、彼は続ける。
「事件が起きる前から、ある捜査で帰りが遅くなっていたんだ。その間は、ずっと妻が仕事を早く切り上げて、子供たちの面倒を見てくれていた。その日も、冬休みに入った2人の子供と、家で一緒に過ごしていた。よくある日常だった。
インターフォンが鳴った時、3人は俺だと思ったらしい。わざわざ鳴らすことに不信感を覚えたかもしれないが、今となっては分からない」
龍は再び言葉を切った。その行為は、言葉を選んでいる訳ではなく、ただ語りたくないという思いが垣間見え、癒えることのない心の傷が存在していた。
しかし、龍は海里が想像したよりも早く、再び口を開いた。
「玄関を開けたのは妻だ。強盗は驚く妻を他所に拘束して、2人の子供の元に連れて行った。泣いていたであろう子供たちを強盗は先に傷つけて、次に妻を傷つけた。傷の経過から間違いないらしい。
それと、こっちは司法解剖で分かったことだが、妻の体には強姦された痕があった。検死の時は出血が酷くて、よく分からなかったそうだ」
「・・・・ちょっと、待ってください。強盗殺人は、確か・・・・」
そんなことを今確認する必要はないと思いつつ、海里は口を挟んだ。挟まずにはいられなかった。
龍は頷く。
「死刑だ。動機が分からないまま執行されたよ」
何の感情もない乾いた笑みを見て、海里は顔を歪めた。
「・・・・東堂さん‼︎ もう・・もう・・・・!」
「お前が聞きたいと言ったんだろ?
もう1つ言うと、俺は“途中”で帰って来たんだよ」
絶望の2文字すら甘い気がした。息を呑む音がうるさかった。鼓動が早くなっているのが分かった。体が震えている理由は分からなかった。
「3人は俺に逃げろと言った。なぜそんな事を言うのか・・・・俺にはまるで分からなかった。逃げて欲しいのは俺の方だったのに。
俺は、家族が息絶えていく様をただ見ていた。気付いた時にはーーーー」
辺り一面、血の海だった。
「俺が強盗に暴力を振るったのか、何なのか、正直分からない。襲いかかって来たのかもしれないが、覚えていない。何も覚えていないんだ」
龍は軽く目を瞑った。しばらく何も言わず、静かに息を吐く。
「これが、俺の家族の話だ。こんな話しかできなくて悪いが、これ以上話すことはない」
海里は変わらず震えていた。今度は理由が分かった。怒りだった。
「・・・・家族の話では、ないじゃありませんか。これは、あなたの“罪”の話だ! なぜ、自分を貶めることばかり言うんですか⁉︎ 何もかもあなたが悪いなんてあり得ません‼︎ あなたに罪なんてない!
それなのに、どうして・・・どうしていつも、いつも・・・・!」
海里はそれ以上何も言えず、膝から崩れ落ちた。涙を流す資格など無いのに、涙が一向に止まらなかった。
対して、龍は嫌になるほど落ち着き払って、言った。
「今話したばかりだろ? 俺は、俺の罪以上に話すことなんてない。家族の話はできない。だから、お前が泣く必要なんてないんだよ。お前は、俺の過去と何の関係もないんだから。
今の話だって、よくある悲劇だと思えばいい。当事者が俺なだけであって、同じようなものを見て来ただろ?」
そういうことじゃない、と叫びたかった。しかし、海里は何も言えなかった。
龍は芝居がかった仕草で両腕を広げ、海里を見下ろしながら言った。
「今度はお前の話を聞かせてくれよ。話を振って来たついでだ。お前の家族の話が聞きたい。出会って以来、お互い何も話してこなかったからな」
東堂さんのことが分からないのは、初めてだ。こんなこと、今までなかった。
散々己を罵った後に、それを物ともせず、他人のことを知りたがる? 痛みを隠すため? 誤魔化すため?
理由はいくらでも思いつくのに、私は聞けない。聞いてもきっと、答えてはくれない。
だって私は、東堂さんの心を傷つけた人間の1人だから。
「・・・・分かりました。私の、家族の話をします」
海里は涙を拭き、気持ちを落ち着かせた。ゆっくりと立ち上がり、口を開く。
「私の両親は、幼い頃に病で死にました。残されたのは、私と、幼い妹だけ」
「お前、妹がいるのか?」
意外とばかりに龍は尋ねた。海里は頷く。
「はい。・・・・あそこに」
そう言って、海里は遠くにある病院を指し示した。病院の名前は見えないが、かなり大きい。総合病院だろう。龍は目を丸くする。風景描写の参考は、彼なりの建前だと理解した。
海里は続ける。
「3年前の話です。交通事故に遭って、意識不明の重体に。まだ21歳でした。
私は、唯一の血縁である妹を失うと思うと怖かった。しかしそれと同時に、意識不明という現状は、彼女の“生きたい”という想いであると解釈しました。だから、恐怖に縛られているだけではダメだと思ったんです。勝手な解釈かもしれませんけどね」
苦い笑みを浮かべた海里だったが、龍は彼の言葉を否定しなかった。
ただ、龍自身、この話を聞いて気になることがあった。
「探偵業を始めたのは、2年半前くらいだろ? 俺と出会ったあの事件からだ。それまでは、普通にフィクションの推理小説を書いていたんだよな?」
「はい。2年半前・・・東堂さんと出会うまでは、私の小説が好きだと言ってくれる妹のために、これでもかと言うほど書いていたんです。彼女が目覚めても、変わらず私の小説を読んでくれるように」
海里は優しげな笑みを浮かべていた。見たこともない暖かさに、龍は驚く。
だが、そんな優しさも束の間。海里の口元は愛想笑いに変わった。
「しかし、無理が祟ったのでしょうね。
2年半前のある日、東堂さんと出会う半月ほど前だったでしょうか。執筆中に倒れたんです。偶々家を訪れた編集者の方が救急車を呼んでくださって、妹と同じ病院へ運ばれました。お医者様には、過労が原因だと言われました」
「本を1冊書き上げる労力がどれほどのものか分からないが、倒れるほど無茶をしたら、過労にもなるだろうな。加減を知らなかったのか」
「ええ。それに、当時の私は全く健康のことを考えていなくて。何日も徹夜して、食事もろくに取らず、机に向かい続けていました」
今度は子供っぽい笑みを浮かべた。バレバレのいたずらを隠そうとする、しどろもどろな様子の子供であった。
龍はその様子になぜか安心し、ずっと尋ねたかったことを尋ねた。
「探偵をやろうと思った理由は?」
龍の質問に、海里は悪戯な笑みを浮かべた。
子供のように変化する海里の表情は、普段の彼とは全く違っていた。探偵として話している彼とは、似ても似つかない姿だった。これが本当の彼なのだと、龍は理解する。
「2年半前、東堂さんに話したことと同じですよ。小説のためです」
同じ言葉を聞いた日のことを龍は思い出した。しかし、当時とは違う印象を受けた。
海里は笑みを崩さず続ける。
「あなたと出会ったのは偶然でしたが、事件に介入したのは私の意志だった。
本物の殺人事件、謎、警察の捜査、事件の背景。その全てが、当時の私には新鮮で未知のものだった。だから東堂さんの上司の勧めで、実際の事件を小説にした。本が出た後、あなたには随分怒られましたね」
「今も大して変わらないぞ? 小説探偵なんて持て囃されていても、納得してねえよ」
「分かっていますよ。自己満足でやり続けていることも、妹のためなんて綺麗事を口に出来ないことも、東堂さんが認められないことも」
2人は、互いに自分の話しかしていないことに笑い合った。まだ心の距離があり、家族のことを話す気など起きないのだと、共に理解する。
「俺は警察官で、お前は小説家兼探偵。お互いそれ以外にはなれない上、考えが違うから馴れ合えないってことだ」
「ええ、そうですね。少なくとも今はまだ、私たちは、私たちのことしか考えることができないのでしょう」
暗澹たる話をした後だというのに、2人の表情は明るかった。
友人というには程遠く、馴れ合うほどの協力関係でもない。しかし、出会った頃よりは、確実に信頼関係を築いている。今は、それで良かった。
この先も不思議な協力関係が続いていくと、心のどこかで分かっていたから。
素早く荒い動作を見送った後、浩史はゆったりと口を開く。
「杉並理恵子が犯人だったようだな」
爆破事件の解決からは、既に数日が経過していた。浩史に呼び出された龍は、わざとらしく付けられたテレビに流れた事件の話題と、どうしても向き合う気にはなれなかった。その証拠に、普段なら人の目を見て話をするはずの彼は、リモコンを置いた机に視線を落としたまま、一向に顔を上げなかった。
しかし、上司の言葉に返事は返した。
「・・・・はい」
浩史は苦笑いを浮かべ、椅子から立ち上がって龍の側に立った。ゆったりと右手を持ち上げ、彼の肩に優しく置く。
「お前のせいじゃない。人の死は避けようのないことだ。それによって生じる遺族の負の感情も」
「分かっています。だからこそ、彼女を罵ることができない。弟を失った心が、彼女を暴走させたのは事実です」
その事実を、浩史は否定しなかった。だが、彼はすぐさま言葉を続ける。
「しかしその心は、無差別に人を殺していい理由にはならないだろう?」
浩史の言葉に、今度は龍が苦笑いを浮かべた。一気に全身の力が抜け、ようやく顔を上げる。変わらず笑っている浩史に対し、龍は穏やかな声を発した。
「敵いませんね、九重警視長には」
※
「よお、江本。お前も墓参りか?」
「東堂さん・・・・」
杉並理恵子の逮捕から2週間余り。2人は都内の墓地で再会した。龍は片手に花束を持ち、海里は鞄と大きな茶封筒を持っていた。
龍は海里から茶封筒へ視線を流し、呆れとも悲しみともつかない、曖昧な笑みを浮かべる。
「新しい小説は順調か?」
「・・・・おかげさまで」
海里もつられて笑ったが、その表情には、普段よりも影が掛かっていた。
すると、何を思ったのか、龍は海里を手招きし、付いて来るよう促した。海里は少し戸惑いながら、彼の後を追う。歩きながら、海里は躊躇いがちに口を開いた。
「私はお墓参りではないんです。風景描写の参考のために、高台にあるここの墓地に来ました。ここ、眺めがいいですから。
・・・・呆れますか?」
間を開けた問いは、肯定を欲しているように思えた。龍は特に否定する理由もなかったので、正直な答えを口にする。
「呆れると同時に、お前らしいと思う。肝が据わっていると言うか、感覚がズレていると言うか。
どんな時でも掴みどころのない曖昧な雰囲気と言葉。かと思えば激昂したり、他人に同情したり、本当に変な奴だよ。それとも、芸術家ってのは誰もがそうなのか?」
「そんなことはないと思いますよ? まあ、私は偶に変わっていると言われます。少々不服ですけど」
「不服? そいつらは事実を述べているんだし、真実を追い求めているお前からしたら、嬉しい話じゃないのか?」
「そういう捉え方をしますか・・・・」
苦笑いを浮かべた海里は、龍とこんな軽口を叩いたことなど、1度もなかったことに気がついた。
龍から海里への印象が悪いと言うのもあるが、海里もまた、どこか一線を引いた龍の態度を察して、距離を置いていたからだ。
そして、こんな滅多に訪れないであろう時だからこそ、龍に聞きたいことがあった。
「東堂さん、お聞きしたいことがあります」
「何だ?」
「あなたの家族の話です」
風が沈黙を埋めた。
龍は無言になり、突然立ち止まる。目的の場所に到着したものの、海里の言葉に答えたくないという拒絶の意だった。彼は何も言わずにその場に屈み、目の前の墓石に花を添えた。
その時、海里は改めて龍の持って来た花束を見た。花は全部で3種類。白菊、キンセンカ、白のカーネーション。以前読んだ花言葉の本を思い出した海里は、自然と花束から視線を逸らしていた。
そんな海里の様子が見えなかったのか、それとも何となく分かったからなのか、龍は重い口を開いた。
「俺が警察官でなければ、家族は死ななかったかもしれない。俺は、ずっとその事を悔いている。だが、悔いたところで家族の命は還らないし、理不尽に命を奪われる誰かがいなくなることはない。
だが、何もかも理解していながら、後悔に苛まれながら、警察官を辞めることはできなかった」
龍はそこで言葉を切り、少しの間を開けて続けた。
「警察官として生きると決めたのは自分自身だ。それなのに、ここに来る度、その決意を呪いとさえ感じる。そんな自分に吐き気がする。・・・・今も」
ぽつり、ぽつりと、龍は話し始めた。決して話したくないであろう、絶望に満ちた喪失の記憶を。
「俺の家族は、ごく普通の家族だった。俺と、妻と、2人の子供。どこにでいる普通の家族だった。そんな普通が壊れたのは、家族が死んだのは、3年前だ」
3年前は、海里が龍と出会う約半年ほど前のことだった。きっと、半年など、当時の彼にとっては瞬きのように短かっただろう。
そんな時に自分と出会って、彼は何を思ったのだろうと、海里は疑問を覚えた。しかし、今はただ、彼の話を聞きたかった。
「・・・・なぜ亡くなったのですか?」
自分から聞くべきか悩んだが、海里は尋ねた。龍は海里の発言から一呼吸置き、答えを口にする。
「強盗殺人」
短い言葉が胸に突き刺さった。龍は苦笑し、ゆっくりと立ち上がる。事件が起こったのはクリスマスイブの夜だと前置きし、彼は続ける。
「事件が起きる前から、ある捜査で帰りが遅くなっていたんだ。その間は、ずっと妻が仕事を早く切り上げて、子供たちの面倒を見てくれていた。その日も、冬休みに入った2人の子供と、家で一緒に過ごしていた。よくある日常だった。
インターフォンが鳴った時、3人は俺だと思ったらしい。わざわざ鳴らすことに不信感を覚えたかもしれないが、今となっては分からない」
龍は再び言葉を切った。その行為は、言葉を選んでいる訳ではなく、ただ語りたくないという思いが垣間見え、癒えることのない心の傷が存在していた。
しかし、龍は海里が想像したよりも早く、再び口を開いた。
「玄関を開けたのは妻だ。強盗は驚く妻を他所に拘束して、2人の子供の元に連れて行った。泣いていたであろう子供たちを強盗は先に傷つけて、次に妻を傷つけた。傷の経過から間違いないらしい。
それと、こっちは司法解剖で分かったことだが、妻の体には強姦された痕があった。検死の時は出血が酷くて、よく分からなかったそうだ」
「・・・・ちょっと、待ってください。強盗殺人は、確か・・・・」
そんなことを今確認する必要はないと思いつつ、海里は口を挟んだ。挟まずにはいられなかった。
龍は頷く。
「死刑だ。動機が分からないまま執行されたよ」
何の感情もない乾いた笑みを見て、海里は顔を歪めた。
「・・・・東堂さん‼︎ もう・・もう・・・・!」
「お前が聞きたいと言ったんだろ?
もう1つ言うと、俺は“途中”で帰って来たんだよ」
絶望の2文字すら甘い気がした。息を呑む音がうるさかった。鼓動が早くなっているのが分かった。体が震えている理由は分からなかった。
「3人は俺に逃げろと言った。なぜそんな事を言うのか・・・・俺にはまるで分からなかった。逃げて欲しいのは俺の方だったのに。
俺は、家族が息絶えていく様をただ見ていた。気付いた時にはーーーー」
辺り一面、血の海だった。
「俺が強盗に暴力を振るったのか、何なのか、正直分からない。襲いかかって来たのかもしれないが、覚えていない。何も覚えていないんだ」
龍は軽く目を瞑った。しばらく何も言わず、静かに息を吐く。
「これが、俺の家族の話だ。こんな話しかできなくて悪いが、これ以上話すことはない」
海里は変わらず震えていた。今度は理由が分かった。怒りだった。
「・・・・家族の話では、ないじゃありませんか。これは、あなたの“罪”の話だ! なぜ、自分を貶めることばかり言うんですか⁉︎ 何もかもあなたが悪いなんてあり得ません‼︎ あなたに罪なんてない!
それなのに、どうして・・・どうしていつも、いつも・・・・!」
海里はそれ以上何も言えず、膝から崩れ落ちた。涙を流す資格など無いのに、涙が一向に止まらなかった。
対して、龍は嫌になるほど落ち着き払って、言った。
「今話したばかりだろ? 俺は、俺の罪以上に話すことなんてない。家族の話はできない。だから、お前が泣く必要なんてないんだよ。お前は、俺の過去と何の関係もないんだから。
今の話だって、よくある悲劇だと思えばいい。当事者が俺なだけであって、同じようなものを見て来ただろ?」
そういうことじゃない、と叫びたかった。しかし、海里は何も言えなかった。
龍は芝居がかった仕草で両腕を広げ、海里を見下ろしながら言った。
「今度はお前の話を聞かせてくれよ。話を振って来たついでだ。お前の家族の話が聞きたい。出会って以来、お互い何も話してこなかったからな」
東堂さんのことが分からないのは、初めてだ。こんなこと、今までなかった。
散々己を罵った後に、それを物ともせず、他人のことを知りたがる? 痛みを隠すため? 誤魔化すため?
理由はいくらでも思いつくのに、私は聞けない。聞いてもきっと、答えてはくれない。
だって私は、東堂さんの心を傷つけた人間の1人だから。
「・・・・分かりました。私の、家族の話をします」
海里は涙を拭き、気持ちを落ち着かせた。ゆっくりと立ち上がり、口を開く。
「私の両親は、幼い頃に病で死にました。残されたのは、私と、幼い妹だけ」
「お前、妹がいるのか?」
意外とばかりに龍は尋ねた。海里は頷く。
「はい。・・・・あそこに」
そう言って、海里は遠くにある病院を指し示した。病院の名前は見えないが、かなり大きい。総合病院だろう。龍は目を丸くする。風景描写の参考は、彼なりの建前だと理解した。
海里は続ける。
「3年前の話です。交通事故に遭って、意識不明の重体に。まだ21歳でした。
私は、唯一の血縁である妹を失うと思うと怖かった。しかしそれと同時に、意識不明という現状は、彼女の“生きたい”という想いであると解釈しました。だから、恐怖に縛られているだけではダメだと思ったんです。勝手な解釈かもしれませんけどね」
苦い笑みを浮かべた海里だったが、龍は彼の言葉を否定しなかった。
ただ、龍自身、この話を聞いて気になることがあった。
「探偵業を始めたのは、2年半前くらいだろ? 俺と出会ったあの事件からだ。それまでは、普通にフィクションの推理小説を書いていたんだよな?」
「はい。2年半前・・・東堂さんと出会うまでは、私の小説が好きだと言ってくれる妹のために、これでもかと言うほど書いていたんです。彼女が目覚めても、変わらず私の小説を読んでくれるように」
海里は優しげな笑みを浮かべていた。見たこともない暖かさに、龍は驚く。
だが、そんな優しさも束の間。海里の口元は愛想笑いに変わった。
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2年半前のある日、東堂さんと出会う半月ほど前だったでしょうか。執筆中に倒れたんです。偶々家を訪れた編集者の方が救急車を呼んでくださって、妹と同じ病院へ運ばれました。お医者様には、過労が原因だと言われました」
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今度は子供っぽい笑みを浮かべた。バレバレのいたずらを隠そうとする、しどろもどろな様子の子供であった。
龍はその様子になぜか安心し、ずっと尋ねたかったことを尋ねた。
「探偵をやろうと思った理由は?」
龍の質問に、海里は悪戯な笑みを浮かべた。
子供のように変化する海里の表情は、普段の彼とは全く違っていた。探偵として話している彼とは、似ても似つかない姿だった。これが本当の彼なのだと、龍は理解する。
「2年半前、東堂さんに話したことと同じですよ。小説のためです」
同じ言葉を聞いた日のことを龍は思い出した。しかし、当時とは違う印象を受けた。
海里は笑みを崩さず続ける。
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「今も大して変わらないぞ? 小説探偵なんて持て囃されていても、納得してねえよ」
「分かっていますよ。自己満足でやり続けていることも、妹のためなんて綺麗事を口に出来ないことも、東堂さんが認められないことも」
2人は、互いに自分の話しかしていないことに笑い合った。まだ心の距離があり、家族のことを話す気など起きないのだと、共に理解する。
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「ええ、そうですね。少なくとも今はまだ、私たちは、私たちのことしか考えることができないのでしょう」
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