小説探偵

夕凪ヨウ

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Case13.血と涙

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 遠慮がちな態度は気味が悪いと思ったが、踏み止まる心があって良かったとも思う。この男が本当に手段を選ばなかったら、どれだけ法律を無視するか分かったものじゃない。
「こんな事態になった以上、早く解決するべきだ」
 解決したところで、大勢の命は戻りやしない。だが、この場においての最適解はそれしかなかった。
「今日は失礼しますね」
 弱々しい笑みを浮かべる表情に合わせて、摺り足気味な足音が静かに響いた。

        ーカイリ『炎の復讐』第4章ー

            ※

「東堂警部! 江本さん!」
「状況は?」
 龍の質問に刑事は顔を歪ませた。
「・・・・酷いですよ。住人の怪我人・死人は後を断ちません。行方不明者もいます。ビルが崩壊する可能性があるので、少し離れたここで待機を」
 刑事の言葉に頷きながら龍はタワーマンションに視線を移した。何十台もの消防車が必死に消火活動を行なっているのが見える。しかし、そのスピードは緩やかだった。
「消火活動が上手く行っていないように見えるな」
 龍の言葉に刑事は苦々しく頷いた。
「それが・・・・初めの爆弾以外にも、小さな爆弾が仕掛けられていたそうなんです。今は、それが爆発し続けていて・・・・。
 消防隊員も危険なので、どうしても消火活動に時間がかかるんです」
 龍は大きく舌打ちをした。あの爆発が始まりに過ぎないと思うと、犯人への怒りが収まらなかった。続けて、海里が明らかに普段より低い声を上げる。
「やはり、あの爆発が合図でしたね。1つの爆弾で建物を破壊することはよくありますが、今回のは少しばかり小規模でした。とめどない爆発は、消火と救出を阻むでしょう」
「ああ。そこら辺は俺たち警察の専門外だ。犯人も分かってるだろ」
 海里は大きな溜息をついた。燃え盛る炎を睨み、何もできない自分の無力さを痛感する。
「容疑者4名の安否はどうなっていますか? もしこの事件で欠けた者がいたら、その人物は犯人ではありません。」
 海里は刑事に尋ねた。刑事は同僚や消防隊員の報告を思い出しつつ答える。
「甘味穂花と皇幸二郎は死亡しました。爆弾は甘味穂花の部屋に仕掛けられていたようです」
「残りの2人は生きているんですね?」
「はい。消防隊に保護されています」
 海里は考え込んだ。なぜ甘味穂花の部屋に爆弾があったのか。なぜ階が離れている皇幸二郎がなぜ死んだのか。他にも大勢の住人が命を落としただろうが、警察がマークしている2人の死は、彼に不信感をもたらした。
 俯いていた顔をすぐに上げ、海里は続けた。
「とにかく、残りの2人に話を聞きましょう」
 海里の発言に龍は一瞬言葉を失った。刑事も驚きを隠せていない。
 龍は、己の混乱を鎮めるかのように、できる限り穏やかな声を出した。
「爆発に遭ったばかりだぞ? 必要なことだが、そんな急にやることじゃない」
「割り切って頂きます」
 まずい、と感じた龍は語気を強めた。
「ダメだ、待て」
「嫌です」
 龍は走り去ろうとする海里の肩を掴んだ。強い力に、海里は足を止められる。
「落ち着け。お前の気持ちは分かるが、あの2人が犯人だと決まったわけじゃない。もし犯人なら許せないが、もし被害者だったら、爆発の恐怖で体も心も弱っていることは明白だ。事件を解決して被害者を安心させなきゃならない俺たちが、余計な不安を抱かせることは許されない」
 龍の落ち着きが、海里の焦りと苛立ちを誘った。
「そうだとしても犯人である可能性は高いんです! また事件が起こったらどうするんですか? そうならないために、今すぐ話を・・・・!」
「江本‼︎」
 龍は海里の頬を叩いた。鋭い振りだったが、どこか優しい痛みである気がした。
「それを止めるのが俺たちの役目だ。違うか?」
 その言葉は簡潔だったが、海里を“探偵”に戻させるには十分だった。彼は大して痛まない右頬を押さえて脱力し、手を振り解くために上げていた左腕を下ろした。
「・・・・そうですね。失礼しました。少し、取り乱してしまって」
 いつもの笑みを浮かべた海里を見て、龍は彼の肩から手を離し、一言だけ呟いた。
「分かったならいい」


 消火活動が終わった後、海里たちは現場検証を行った。約200人の住人のうち、半分以上が死亡、及び重軽傷という最悪の結果だった。
「まだ血の臭いが残っていますね。煙と混ざって異臭になっている・・・・」
「きついなら、タオルか何かで鼻と口を押さえた方がいいぞ。警察官でも、死臭が原因で仕事に支障を来たす奴だっているからな」
 海里は言う通りにハンカチで鼻と口を押さえ、龍たちを手伝った。ビルは完全に崩壊し、瓦礫の下敷きになった者も、焼死した者も、煙を吸い込んで一酸化炭素中毒になった者もいた。どこもかしこも黒焦げで、募る犯人への怒りを象徴しているかのように思えた。
「東堂警部」
 現場検証を始めて10分ほど経った時、龍は部下に呼ばれると不思議そうに振り返った。
「どうした?」
「あの子・・・ご両親を探しているんです。危険だからダメだと言ったんですが、やめなくて。あの子自身も怪我をしていて、煙も吸っているので、早く病院へ搬送しないと・・・・」
 部下の言葉を聞いて、龍は瓦礫を掻き分ける少年に視線を移した。怪我をしていても、涙で視界が揺らいでいても、なお、懸命に両親を探し続ける少年は、荒い呼吸を繰り返している。5、6歳くらいに見え、煤だらけの手は少年の悲哀を物語っていた。
 しばしの間、ぼんやりと少年を見ていた龍だったが、やがて近づき、小さな体の前に屈んで話しかけた。
「何してるんだ?」
 少年は目を瞬かせ、しかし警察だとすぐに分かったのか、口を開く。
「お父ちゃんとお母ちゃんを探してるんだ。ぜったいいるから、見つけなきゃいけないんだ」
「そうか。何階に住んでた?」
「5階。逃げる途中で、ビルがくずれてきて、ぼくだけ外に。ちょっとうでが痛いけど、こんくらい何ともない」
 涙ながらに口にする少年の左腕は赤く腫れていた。折れてはいないだろうが、打撲しているように見える。龍は部下からタオルと水の入ったペットボトルを受け取り、水をタオルに垂らした。
 一連の動作を、少年な不思議そうに見つめていたが、龍は「ちょっとごめんな」と言って少年の左腕に濡らしたタオルを当てた。
「いたっ・・・・」
 身を捩った少年を、龍は最低限の力で引き留めた。
「こら、動くな。こういう怪我は、まず冷やさないといけないんだ。でも、これだけじゃ手当にならないからな。早く病院に行った方がいい」
「でも、お父ちゃんとお母ちゃんが苦しんでいるかもしれないんだ! ぼく1人だけ逃げるなんていやだよ!」
「逃げるんじゃない。休むだけだ。いくらお父さんとお母さんを探し出したくても、この腕じゃ満足に探せない。
 病院に行って、治してもらったら、俺たちと一緒に探そう。その方が、お父さんとお母さんも安心するから」
 そう言いながら、龍は少年の頭を撫でた。優しい笑みを浮かべる彼は、刑事ではなく父親の表情をしていた。少年は涙ぐみながら頷き、濡れたタオルを当てたまま、彼の部下に連れられて救急車へ乗り込んだ。
 海里は少し離れた場所からやり取りを見守った後、龍の隣へ立つ。
「子供の扱い、慣れているんですね」
「まあな」
 お子さんがいたからですか、と聞こうとしてやめた。下手に口を開けば、今の自分は余計なことしか口にしない気がした。
 迷った後、海里は躊躇いがちに、周囲に聞こえないように尋ねた。
「あの子の両親、見つかると思いますか?」
 龍もまた、小さな声で応じた。
「難しいだろう。軽傷の住人や救急隊が必死に捜索しているが、こんな瓦礫の山から全員を見つけるのは不可能に近い。見つかったとしても、一酸化中毒や火傷で亡くなっているか、体が瓦礫に押し潰されて圧死しているか。生還は、ほぼ奇跡だろうな」
 龍は捜索の手伝いを部下に任せ、海里と共に瓦礫の前に立った。これ以上、ここでできることは何もない。しかし、やるべきことは他にあった。
 海里も同じことを考えていたらしく、長い沈黙の後、きびすを返しながら言った。
「容疑者2人は軽傷でしたね?」
「ああ。」
「では明日、話を聞きに行きましょう。・・・・構いませんか?」
 自分が暴走したことを理解しているのか、遠慮がちな問いだった。普段ならば、絶対に取らない態度だ。龍は頷く。
「構わない。こんなことになった以上、早く解決するべきだ。多大な犠牲の先に結果があるのは腹が立つが、仕方ない」
「ありがとうございます。じゃあ、今日はここで失礼しますね」
 海里は肩越しに振り返って笑ったが、その後の言葉を発する直前、笑みを消した。
「これ以上ここにいると・・・・頭がおかしくなりそうですから」
                    
            ※

「江本君でも、そこまで冷静さを失うことがあるのか」
 人の話し声が飛び交う飲み屋の隅の席で、浩史は興味深そうに言った。龍は頷く。
「止めるのに苦労しましたよ。まあ、あれが普通の態度なんでしょうね。大規模な犠牲を見慣れた立場からすると、あいつほどの怒りは持てません」
「警察官としては心強いことさ。実際、お前の冷静さが江本君を落ち着かせたのだから、結果としては悪くない」
 浩史の評価に龍は苦笑いを浮かべた。恐らく彼は、自分以上に冷静な態度で、あの現場を見るのだろうと思う。
「しかし九重警視長。なぜ急に飲みに誘ったのですか? 明日も仕事でしょう」
「ん・・いや・・・・家に帰る気が起きなくてな。そろそろ美希子と会う予定なんだが、どうも心苦しくて」
 珍しく弱気な言葉だった。龍は全てを知っているが故に、何かを取り繕うような発言を続ける。
「九重警視長のせいではないでしょう。あれはどうしようもなかったんです」
「どうしようもない、か。だが龍。“あの事件”は・・・・」
「分かっています。だからこそ腹が立つんです」
 浩史は苦笑した。龍は眉を顰め、厳しい瞳で虚空こくうを睨む。
「多くの人間の人生を壊してなお生き続ける犯人を、私は今でも許せない。“あの事件”だけは、警察官としての自分がいない気がしています。
 逮捕後、犯人は完全黙秘を続け、私は事情聴取を許されず、何もかもが不明のまま、死刑判決が下った。私は下された判決を、ただ聞くことしかできなかった・・・・。も、私も、警察官失格です」
「そう言うな。だが“あの事件”の真実が分からない上、事実もまた、上は公にしない。したくないと言うべきか。皮肉なことに、これは今は覆せない。
 何なら・・・・“探偵”に頼むか?」
 浩史の言葉が海里を指していることは明らかだった。だが、龍は静かに首を横に振る。
「江本はあくまで仕事上、必要な関係です。あいつが現場に居合わせた時だけ、協力を頼んでいる。ただそれだけの関係です。
 あいつに過去のことは何も話していませんし、あいつのことも知らない。そんな男に、過去の事件を解決してほしい、なんて言いませんよ」
「そうか」
 浩史は答えが分かっていた、とばかりに、短く言った。龍は続ける。
「何より・・・・過去の事件を解決させる以上、過去を話さなくてはいけなくなる。私は過去を・・“あの事件”のことを、他人に軽々しく口走りたくはありません」
 龍は溜息をついて酒を飲んだ。言葉が見つからずに窓の外を見ると、雨が降っていた。予報でも夜からだったな、と考えていると、雨は次第に強くなる。その様子を見た瞬間、彼は窓から視線を逸らした。
「龍」
 浩史がわずかに厳しさを含んだ声で名前を呼んだ。
「・・・・すみません」
 何に謝っているのか、龍自身にも分からなかった。浩史は声音を変えぬまま続ける。
「お前が責任を感じることではない。私のせいでないと言っておきながら、自分だけ責めるなと何度も言っただろう」
「ええ、仰る通りです。矛盾していることは理解していますよ。
 でも私は・・・・何もできなかった」



 本当に、何も。



 頭の中で雨音が響いていた。“あの日”の雨なのか、今降っている雨なのかは分からない。どちらにしても、「うるさい」と叫びたくなるほどの音だった。
 しばらくすると、雨音が消え去り、人の声が響いた。永遠に聞いていたいと願い、しかし思い出すのが苦しい、懐かしい声が。
「あなた! 逃げて!」
 悲鳴にも似た妻の甲高い声。
「お父さん、きちゃダメ!」
 まだ舌足らずに感じる娘の声。
「父さんお願い・・・逃げて‼︎」
 少し大人び始めた息子の声。


 そして、今も心に重くのしかかる1人の言葉。重く感じてはならないと分かっていながら、思い出す度に、胸が貫かれているように痛む一言。
 懐かしい声が通り過ぎた後、言葉は容赦なく龍の頭をよぎった。


「家族みーんな見捨てて、1人だけ生き残ったの? 君、本当に最低だね」



 雨音から言葉までの記憶は、何度も頭の中で繰り返していた。
 仕事をしている時も、過去と無関係な海里と話している時も、家で休んでいる時も。どんな時も、記憶から逃れられることはなかった。
 龍は歯軋りをした。浩史の心配そうな視線を受けても、押し寄せる後悔が留まることはなかった。


 分かっている。何もかも分かっている。俺が最低な人間だってことも、家族を見捨てたことも。
 だからもう、繰り返さないでくれ。
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