小説探偵

夕凪ヨウ

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Case10.悪魔再び

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 私の名前を呼ぶ彼の声は、既にいつもの調子に戻っていた。彼の方が苦しいはずなのに、私の方が心を乱されているなんて、おかしな話だ。
「俺はお前のことも、お前が書く小説も嫌いだ」
 分かってはいたけれど、改めて言われると残酷な言葉だ。まあ、彼がいつまでも私の行動を許せないのだから、仕方がない。
「俺と共に、この事件を解決してほしい」
 ここまで真っ直ぐに、彼から事件の解決を頼まれたのは初めてだった。それほど、今回の事件が彼の中で大きな意味を持っていると、自然と分かる。
 気がつけば、私は大きく頷いていた。
「もちろんです。私は、そのためにここにいるんですから」

        ーカイリ『炎の復讐』第1章ー

            ※

 気持ちの良い朝だった。
 海里はベランダの窓を開け、晴天を見つめながら伸びをした。梅雨も終わり、季節は夏に移り変わろうとしている。耳を澄ますと、微かに蝉の声が聞こえた。
「さて、今日は編集者の方と打ち合わせがありましたね。準備しないと」
 トーストを頬張りながらテレビをつけると、白百合高等学校の事件が流れているところだった。コメンテーターたちは加害者の凶行を卑下すると共に、警察組織の問題にも言及している。
 しかし、海里はどちらも気にならなかった。
「・・・・久米美希子」
 何ともなしに呟いた海里は、自分でも驚いていた。あの一件以来、妙に彼女のことが思い起こされるのだ。
 教師を殴りつけ怒鳴ったからか。自殺未遂の理由をはぐらかされたからか。いずれの理由も当てはまりそうだったが、美希子本人が、人を惹きつける力を持っているからかもしれないと感じる。
「急がないと」
 海里は心の中の考えと全く違う言葉を発し、事件の記憶を仕舞い込んだ。朝食を終えて食器を洗い、着替え、洗濯を済ませて家を出る。
 打ち合わせの場所として指定されたカフェへ向かうと、編集者は既に到着していた。海里の姿を見ると、スマートフォンから顔を上げる。
「おはようございます。遅くなってすみません」
「おはよう。僕が早く到着しただけだから気にしないで。
 それで、次の話はどうするの? やっぱり白百合高校の事件?」
 当然そうだろうと思っている問いだった。しかし、海里はいつものように頷けない。
「・・・・実は少し悩んでいるんです。今までの事件は突発的で、あくまで私は第三者というか、客観的な立場から事件に向き合っていました。小説を完成させることばかりを考えて、感傷に浸るようなこともなかったんです。でも・・・」
「今回は、感傷に浸っている?」
「気がします」
 自分で自分の言葉が信じられなかった。龍と出会った時、彼から不謹慎だと怒りをぶつけられても、自分のために、小説家としての自分のために、何も考えず事件を書き続けてきた。
 だが、今回は違った。
「1つの事件によって大勢が傷つき、傷を癒す術が復讐しかなかった。そして復讐を成し遂げるため、周囲を巻き込み、また人を傷つけた。幼い命が失われるかもしれなかった。
 言葉にしてしまえば単純ですが、この事件に、私は酷く恐怖を抱いているんです。なぜ戸惑いではなく恐怖なのかは、自分でも分からないんですけど」
 沈黙が流れた。編集者は腕を組んで考え込み、何かを言おうと口を開く。


 しかし、続くはずの言葉は、窓ガラスが割れた音に掻き消された。
「伏せてください!」
 何かしらの物体が落ちる音を耳にしなかったことから、海里は銃声だと推測し、従業員と客に向かって叫んだ。彼らは焦りながらも、屈んだり、机の下に隠れたり、身を守る行動を取る。
 海里は全員が隠れるのを見ると、鞄を持って席を離れた。既に机の下に隠れていた編集者は目を丸くする。
「江本君、どこへ⁉︎」
「外の様子を見て来ます! 絶対にそこから動かないでください!」
 海里は的外れの方向に飛ぶ銃弾を横目で見ながら店を飛び出した。銃弾が飛んで来たであろう方向を睨みつけると、1つのタワーマンションに行き着く。海里は思わず眉を顰めた。
「あんなところから撃つなんて・・・・私じゃ対処できませんね」
 海里は鞄からスマートフォンを取り出し、龍に電話をかけた。幸い、彼はすぐに電話に出た。
『朝からどうした?』
「発砲事件です。すぐに来てください」
 電話の向こうで、微かな話し声と人の動く音が聞こえた。龍も準備をしているのか、しばらく応答がない。
 10秒ほど経って、龍の声が聞こえた。
『場所は? 怪我人はいるのか?』
「今のところいません。場所はN町2丁目です」
『分かった。すぐに行く』

            ※
                    
「あのタワマンからか。遠いな」
 海里が発砲した人間がいたであろう場所を示すと、龍は独り言のように呟いた。
 現場にやって来た龍は、すぐに店を封鎖し、店内と店の周辺にいた人々の安否を確認した。幸い怪我人は出なかったため、海里は次回作については後日話すと告げて編集者を出版社に帰し、警察と共に捜査を開始した。
「・・・・妙だな」
 龍は険しい目つきでボロボロになった店を見つめ、歩き回った後そう言った。海里は意味が分からず、首を傾げる。龍は彼の疑問にしばらくは答えず、席に座ったり、厨房に立ったりして、最後に犯人が居たであろうビルを再度見つめた。
 そして、更に訳の分からないことを口にする。
「やっぱり・・・・
「は?」
 驚く海里に対し、龍は静かに続ける。
「到着した時からおかしいと思ったんだ。
 これだけ発砲していて、怪我人が0? あの距離から撃てる腕があるのに、1人も当てられなかった? 常識的に考えて、そんなことはあり得ない」
「つまり、どういうことなんですか?」
 詰問のようになったが、龍は冷静さを失うことなく口を開いた。
虚仮威こけおどし」
「はあ・・・⁉︎」
 海里は突拍子もない声を出した。思わず顔を歪ませたが、整った顔立ちは崩れない。龍は溜息をつき、側にあった椅子に腰掛ける。
「店を歩き回って分かった。普通、銃弾が飛んで来たら体を低くするだろ? 立ったままだったり高所に逃げたりすれば、当ててくださいと言ってるようなものだ。
 だが、従業員と客の身長や動きを踏まえると、弾丸の着地点がおかしい。例えば・・・・厨房の壁」
 龍の指の動きに合わせ、海里は視線を動かした。確かに、厨房の壁には弾痕がある。しかし、不自然なほど高い位置だった。日本人の平均身長では、男性が背伸びをしても届かない位置だ。
「厨房に立っていた男女4人は、俺とお前より背が低かった。つまり、175cm以下。その身長で背伸びをしても、絶対にあの場所には届かない。
 犯人は、。一般人を驚かせ、怖がらせるためだけに発砲したんだ」
 海里は怒りを通り越して呆れた。そんなことのために店を破壊し、一般人を怖がらせた? 何を思ってそんなことができるのか、まるで理解できなかった。
 同時に、不思議に思ったことを口にする。
「東堂さん。もしかして、このようなやり口に覚えがあるんですか? 警察官として非常に優秀であることは存じていますが、いくらなんでも状況整理が早すぎません?」
 龍は率直な海里の言葉に顔を歪ませ、溜息をついた。
「・・・・お前の言う通りだよ。これと同じやり口の事件を、過去に見たことがある。お前と出会った後だ」
 龍は少し間を開け、言葉を続けた。
「2年前の話だ。今回のように、虚仮威しの狙撃があった。通報したのは一般人で、酷く混乱していたよ。俺たち捜査一課はすぐに現場へ行き、確認した。
 だが、すぐに妙だと気づいた。かなりの数の弾痕があるのに、怪我人は0。建物を破壊するためだけに行われたように見えた」
「当時ニュースで聞いた記憶がありませんよ?」
 数年前のニュースを覚えているのか、と半ば呆れつつ、龍は口を開く。
「大々的に取り上げられなかったんだ。事件は事件で、銃弾は本物だが、怪我人はおらず、建物の修復だけで終息したからな。悪戯いたずらの一種と評した奴も少なくなかった」
 海里は何と返していいか分からず言葉に詰まった。龍は彼の気持ちを汲み取って言う。
「無理に言葉を探す必要はない。とにかく、俺たちはその事件で終わりだと思っていた」
「思っていた? 1度だけではなかったんですか?」
「ああ」
 突然、龍は呆れ気味の表情から真剣な表情に変わった。海里は眉を顰める。
「事件は約半年間、2ヶ月に1度の割合で起こった。俺たちはその度に出動し、壊れた建物を調べ続けた。銃弾が本物である以上、事件であることに変わりはなかったからな。怪我人・死人が出ないことが救いだと思っていたんだ。
 だが、ある日・・・・」
 言葉が途切れた。海里が事情を把握して軽く頷くと、龍は苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「喪ったものは戻らない。喪っていないものを必死に守ることしか、俺たちにできることはない」
 それは霞のように朧げな言葉だった。龍は一泊おいて続ける。
「あの事件は、死人が出て以来、終わったことだと思っていた」
「でも終わっていなかった。それどころか、犯人は性懲りもなく同じ事件を起こした」
 海里の言葉に龍は苦しげな顔をした。その表情は彼の心を物語っており、海里は思わず目を背けた。
 余計な心配をされたくないのか、龍はすぐに言葉を続ける。
「江本。俺はお前のことも、お前が書く小説も嫌いだ。だが、お前の頭脳と知識は認めている。だからこそ、何度も捜査に踏み込むことを許した」
 落ち着いた口調だった。海里が龍に向き直ると同時に、彼は椅子から立ち上がる。
「俺は命を奪われた人間のために、この事件を解決しなければならない。だが、喪った過去がある以上、普段通りの捜査ができる確信がない。
 だから、お前の力が必要だ。江本、お前のその頭脳、俺に貸してくれ。俺と共に、この事件を解決してほしい」
 海里は無意識のうちに強く頷いていた。顔には微笑が浮かんでいる。
「もちろんです。私は、そのためにここにいるんですから」
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