小説探偵

夕凪ヨウ

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Case9.鮮血の美術室⑤

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「犯人が分かった⁉︎」

 楠木田くすきだは驚いて目を見開いた。海里は冷静に頷く。

「はい。今から説明しますが・・生徒さんにはお伝えしますか? お望みでしたら、体育館で。」
「いいえ。真実がどうあれ、生徒に聞かせるわけには・・・・」
「待ってください!」

 職員室の扉を開け放ち、叫んだのは美希子だった。授業中であるはずの時間に現れた彼女を見て、教師たちは驚く。

「聞かせてください‼︎ 私たちには知る権利があるはずです! みんな・・・真也が大好きだった。人気者で、誰にでも優しい真也をあんな目に遭わせた犯人のことを、知らずにいるなんて無理です!」

 激しい主張だった。海里は少し黙ってから、

「分かりました。ただし、あなただけにしましょう。多くを呼ぶと混乱を招く。」
「カイリさん!」
「幸い、彼女は御堂さんの幼馴染みです。過去も含めて、知っておいて損はない。」

 海里の言葉に、楠木田は仕方なく折れた。海里は教員と美希子を座らせ、自分は立った。龍は職員室の扉にもたれかかり、どこか遠くを見ている。

 海里は一息ついた後、ゆっくりと口を開いた。

「犯人を明かす前に、動機からご説明しましょう。生徒・教師の人気者であり、優秀な御堂さんが、なぜ被害者になったのか・・・。これを説明するには、15年前に時を戻さなくてはなりません。」
「15年前?」

 美希子が首を傾げた。海里は頷く。

「皆さんご存知ですか? この学校は、元々刑務所だったんです。そう・・15年前までは。」

 数人の教員が驚愕の声を上げた。楠木田は僅かに眉を顰める。

「今から15年前、黒百合刑務所と呼ばれていたこの場所で、ある事件が起きました。一言で言えば、看守が囚人を殺害してしまった、というもの。問題なのは、この殺害が意図的であったことです。
 そして、犯人にとって、この事件は囚人の死だけで済むことではなかった。」

 海里の視線があかいに移った。彼女に怯える様子はなく、微笑さえ浮かべている。

「殺害された囚人は、数年服役していれば刑務所から出ることができました。その囚人には妻子がおり、当時その子は中学3年生。父親の帰りを待っていたそうです。しかし先程お話しした通り、父親は刑務所で亡くなりました。
 その結果、父親の逮捕で悪くなっていた親戚仲が悪化した。母親は義両親から絶縁され、子供だけ奪われた。母親は後に首を括り、自殺してしまった。」

 唾を飲み込む音が聞こえた。海里は少し俯く。

「義両親は孫を大切に育てました。しかし、母親を殺したとも言える祖父母を愛せるわけがない。その子は祖父母が亡くなると、家を出て、復讐を決意した。」
「復讐? 祖父母は死んだのに?」

 美希子は首を傾げた。

「祖父母への復讐ではありませんよ。犯人が復讐したかったのは、父親を殺した看守です。常識的に考えて、看守が囚人の命を奪うことは死刑以外あり得ませんでしたから、意図的だとすぐに分かったでしょう。
 そして、復讐するという執念を胸に、事件を更に調べた。その結果、犯人は看守の名前を突き止めた。その名前が、早島真はやしましんです。」

 美希子の顔色が変わった。竜堂員りゅうどういんが恐る恐る口を開く。

「確か・・・御堂君の両親は離婚していマシタ。今は母方の姓を名乗っていて、父方の姓が、早島・・・。」
「ええ、その通りです。犯人は、この学校に赴任して、御堂さんを見つけた。そして彼が、ただの同姓ではなく、父親を殺した看守の息子だと突き止めたのです。」

 沈黙が流れた。海里は俯いていた顔を上げる。

「今言った通り、殺人の動機は復讐です。父を殺され、母の命まで奪った看守を、犯人は絶対に許せなかった。
 しかし、本人を殺しても気持ちは収まらない。そこで犯人は、離婚したとは言え、看守・早島真が大切に思っている息子・御堂真也を傷つけることにした。かつて、幼い自分の心を傷つけた、仕返しとでも言うかのように。」

 海里は1度言葉を止め、言った。

「そうでしょう? 紅百合子先生。」

 全員の視線が紅に向いた。彼女は苦笑する。

「ええ、あなたの言う通りよ。復讐する相手を変えたの。息子を傷つけた方が、あいつの心の傷も深いはずだもの。」

 紅の口調に、以前の穏やかさはなかった。高圧的で、怒りを帯びた口調。彼女は続ける。

「でも、あなたは動機を説明しただけで、私が手を下した証拠は挙げていない。そもそも、私はできないはずよ。だって、事件当日、学校にいなかったんですもの。」
「そうですね。あなたは復讐心を抱いていただけ・・・・
 実際に御堂さんを傷つけたのは、葉山葵はやまあおい先生。あなたですよね?」

 紅以外の全員が信じられないと言う顔をした。葉山は情けない笑顔を浮かべる。

「何で僕なんですか? 事情聴取を聞いていました?」
「もちろん、聞いていましたよ。」
「僕は美術教師で、美術部の顧問ですよ?」
あなたなんです。あの犯行には、あなたでなければできないことがある。」

 海里はそう断言した。葉山の顔が不満の色に変わる。口元を歪め、嘲笑とも取れる笑いをした。

「もしかして、あの遺書らしき紙ですか? あんな物、右利きであれば誰でも書ける。右利きの方が多いんですから。」
「そうですね。あの紙はあなたが書いた物ではない、それは認めましょう。
 あれは久米さん。あなたが書いた物です。」
 
 美希子はハッとした。

「もしかして・・・・昔、私が自殺しようとした時の?」
「はい。あの紙のことがどうしても気になって、東堂さんに尋ねました。その結果、筆跡はあなたの物で、書かれたのは数年前だと判明。事件の内容は存じませんので、深掘りはしません。
 何はともあれ、あれは久米さんが書いた物です。文中の“僕”、という文字以外は。」

 葉山の額に汗が滲んだ。海里は続ける。

「あなたは、自殺に見せかけるための一手として、“偶々”あれを見つけた。久米さんが落としてしまって拾った、とかですかね? 実に丁度良い物が手に入ったと思ったでしょう。
 しかし、1人称が“私”だと、普段の彼と重ならない。そこで、あの部分だけ書き換えましたね? 似せたつもりでしょうが、筆跡鑑定は誤魔化しが効かなかったようですよ?」
「くっ・・・!」

 葉山は顔を歪めた。海里は息を吐く。

「話を戻しましょうか。私があなたを犯人だと断定したのは、御堂さんが握っていたカッターナイフです。」
「えっ、何で? あれが真也の物じゃないなら分かるけど、真也のカッターナイフなんでしょ?」

 すぐさま状況を分析した美希子の言葉に、海里は内心感心しつつ頷いた。

「ええ。これも自殺に見せかけるための一手です。しかし、この学校には刃物についてある校則が存在する。
 東堂さんから元は刑務所だったと聞かされて、校則を見直しました。生徒は校則の多さに辟易している上、一部の生徒を除いてあまり関係のないことなので、久米さんが知らないのも無理はありません。
 しかし、あなたならご存知ですよね? 楠木田校長。」

 海里は、どこか挑発するような口調で尋ねた。楠木田はようやく理解し、重い口調で答える。

「・・・・ええ。この学校は、刃物の持ち込みを禁じているんです。元刑務所ということもあり、世間から過去を掘り返されることもあるため、初代校長が禁じました。
 鋏は必要な時だけ渡し、使い終われば返却させています。数を数えて、全部返っているかも、常に確認を。カッターナイフは美術部の活動のみで使うことを許可していますが、学校に保管しなければならない、と。」

 海里はにっこりと笑った。

「その通り。そして、部員全員のカッターナイフの置き場所を把握し、貸し出しを行うのは顧問の役目。持ち出すのにも顧問の許可が必要であり、生徒は置いてある場所すら知りません。
 したがって、御堂さんのカッターナイフを使うことができたのは、葉山葵先生。あなただけなんですよ。」

 もう逃げ場はなかった。2人は何も言わず、黙って俯いていた。やがて、葉山が口を開いた。

「・・・・焦ったんだ。あの時・・生徒の声が聞こえて、早く立ち去らないといけなくて。用意してあった花を取りにいかなくちゃいけなかったから、 に、咄嗟に・・・」

 海里は分かっていたと言わんばかりに頷いた。葉山を見下ろし、彼は続ける。

「あなたが紅先生に手を貸した理由はシンプルです。彼が邪魔だったのでしょう? 同じ絵を描く者として、自分より優秀な彼が許せなかった。」

 美希子は目を丸くした。葉山は歯軋りをして叫ぶ。

「・・・・ああ、そうさ! あいつが邪魔だったんだ‼︎ 何でもかんでも卒なくこなして、人気者で、絵の技術も自分より上で! このままだと、自分の立場が無くなる・・・・そう思ったんだよ!」

 次の瞬間、美希子は反射的に殴っていた。葉山は椅子から転がり落ち、驚きながら美希子を見る。彼女は、涙を流していた。

「ふざけないで! そんなくだらない理由で・・・・真也を傷つけていいわけがない‼︎ 大人のくせに、何でひがむの⁉︎ できるって分かってるなら、そこから伸ばしてあげる努力をしなさいよ! 
 教師は生徒を導く存在・・・いくら完璧に見えても、完璧じゃないところが誰にだってある! それなのにっ・・・・」

 美希子が葉山の胸倉を掴んだ。教員の制止など気にしていない。

「何もかもできると決めつけて、あんなこと・・・・! あんたなんか教師じゃない‼︎ ただの自分勝手な人間! 自分の保身を優先して、教師としての立場すら顧みず、傷つけたことをことを悪びれない・・・・最低最悪の人間‼︎」

 そこまで言って、ようやく彼女は葉山から手を離した。何かを抑え込むように大きな溜息をつき、両手で顔を覆いながら、大粒の涙をこぼしながら、椅子に腰を下ろした。
 海里は椅子に座った美希子を一瞥すると、紅の方を見た。

「紅先生。葉山先生は自分の犯行を認めました。あなたも、もう言い逃れは出来ませんよ。」
「言い逃れはしないわ。私が仕組んで、彼にやらせたことだもの。」
「話が早いですね。では。」

 海里は龍の方を見た。龍は体を起こし、手錠を出しながら紅に近づいた。しかし、手錠をかけようとしたその時、紅が龍に向かってカッターナイフを振り上げた。その場にいる全員が唖然とする。

「死んで!」
「東堂さん!」

 紅の絶叫と、海里の叫びは、同時だった。他の職員は目を背け、悲鳴を上げたが、龍は全く動じなかった。

「えっ?」

 直後、彼はカッターナイフが振り上げられている右腕を掴み、捻り上げた痛みを利用してカッターナイフを落とさせた。そして、間髪入れずに左腕も掴み、勢いよく床に捩じ伏せた。

 冷静すぎる対応に、全員が驚きのあまり言葉を失った。
 しかし、龍は周囲の視線を全く気に留めず口を開いた。

「そんな簡単に警察官が殺せるわけないだろ。体格差から見ても明らかだ。無謀だって分かるだろうに。」

 紅は歯軋りをし、憎しみと怒りを含んだ声で叫んだ。

「・・・・ふざけないで! 私は、まだ復讐を終えていないわ! あなたを殺さなければ復讐は完成しないのよ‼︎」
。15年前の事件に関わっていないからな。」

 その言葉を聞いて、紅は項垂れた。海里を含む全員、意味が分からず、唖然としてその光景を見つめていた。
 龍はやはり海里たちを気に留めず、紅に手錠をかけた。同時に彼の部下が職員室へ入り、床に倒れている葉山にも手錠をかけた。

「20XX年6月27日、午後15時32分。紅百合子、葉山葵。御堂真也の殺人未遂で逮捕する。」

 龍と彼の部下は2人を起こし、職員室を後にして、颯爽と校門まで歩いて行った。

「・・・・どうして、殺させてくれないの。」

 紅が口を開いたのは、パトカーに乗り込む寸前だった。龍は溜息をつき、答えた。

「勘違いで死にたくはねえよ。何より、あんたの心はもうボロボロだ。これ以上壊れないためにも、復讐なんてやめておけ。」
「復讐は私の生きがいよ。15年間、ずっと復讐の達成を胸に生きて来た。」
「終われば死ぬのか? 生憎、この世界はそんなに甘くない。被害者に謝罪して、刑を受けて、一から生き直せ。それが死刑以外の刑を受けた、犯罪者の生き方だ。
 何より、動機に隠れた過去の事件を掘り返せば、情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地ありと見られる可能性が高い。父親の名誉を回復させるためにも、死んでる場合じゃないんだよ。」

 龍の曇りのない瞳を見て、紅は弱々しい声で呟いた。

「・・・・本当・・嫌いよ。警察なんて・・大嫌いだわ・・・・。」

 そう呟いた紅の声は、微かな安堵が滲んでいた。
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