小説探偵

夕凪ヨウ

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Case8.鮮血の美術室④

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 その質問をすることを、東さんは少し躊躇っているように見えた。しかし、事件を解決するのが警察の仕事とする彼は、逃げることは決してない。私よりも多くの悲劇を見聞きしたからこそ、逃げてはならないと分かっている。


 一呼吸おいた後、彼は簡潔に尋ねた。
 返ってきた答えを聞いた瞬間、眉間の皺が深まっていた。

      ーカイリ『鮮血の美術室』第4章ー

            ※

「学校をお休みされていたんですか?」
 海里はすかさず尋ねた。あかいは頷く。
「はい。父の月命日で」
「それは・・・ご愁傷様です」
 2人は頭を下げたが、紅は首を横に振った。
「父が死んだのは随分前ですから、気になさらないでください。お役に立てず、申し訳ありません」
「いえ、謝罪される必要はありません。
 代わりと言ってはなんですが・・・・御堂さんの学校での様子を教えて頂けますか? 生徒さんにはお聞きしたのですが、先生方の話もお聞きしたくて」
「分かりました」
 紅は少し間を開け、ゆったりと話を始めた。
「御堂君は、とても優秀な生徒です。成績も上位で、スポーツ万能。誰にでも優しく、クラスの頼れるリーダーです。美術部でも次期部長に指名されていて、絵もすっごく上手なんですよ」
 海里は頭を掻いた。彼女の言葉は、2年2組の生徒たちと全く同じだったのだ。
 少しの思案の後、海里は質問を変えることにした。
「こんなことを言っては何ですが、彼の苦手なことや、欠点はありましたか?」
 紅は顎に手を当て、首を傾げながら答えた。
「うーん・・・強いて言うなら、物事に集中しすぎると周りが見えなくなることことですね。幼馴染みの久米くめさんが言っていたので、間違いないと思いますよ。
 特に絵を描いている時がそうで、昼休みによく描いているんですけど、チャイムの音すら耳に入らないんですって。登下校の時でも、絵のことを考え出したら止まらなくなって、赤信号を渡りかけた・・・なんてことも言っていました」
「集中しすぎて、周りが見えなくなる・・・・」
 海里は思わず復唱した。御堂真也を発見した時の様子を思い返し、ハッとする。


 そうだ。御堂さんを発見した時、彼の前に椅子が倒れていた。椅子の斜め前にはパレットと筆、絵の具もあった。特に気に留めなかったけど、今なら分かる。彼は、絵を描いている途中に襲われたんだ。この学校の人間が犯人であるだけじゃなく、絵を描くことに集中していたから、防御すらできなかった。
 となると、犯人は彼の性格を、よく知っている。優等生の面だけじゃなく、欠点も知っている相手だ。
「ありがとうございます。ちなみに紅先生、御堂さんの身長はどのくらいですか?」
 海里の質問に、紅は目を瞬かせた。
「え? 確か・・・165cmだったと思います。以前身体測定をやりましたから、間違っていないと思いますよ」
「では、紅先生の身長はどのくらいですか? 一般女性より高いですよね?」
 自分の身長まで聞かれると思っていなかったのか、紅は頬に手を当てて考えた。
「ええっと・・・多分御堂君と同じくらいか、それより小さいくらいです。それが何か?」
「少し手伝って頂きたいことがあるんです。事件現場に同行願えますか?」
「構いませんけど、刑事さんは?」
「私も構いません。寧ろ、まだ事件当日の生々しい雰囲気が残っているので、先生の方が・・・・」
 龍は遠慮がちにそう言ったが、紅は笑った。
「お構いなく。ご協力しますよ」
 強がっている様子はなかった。海里は頷く。
「ありがとうございます。では行きましょうか」
 美術室へ到着するなり、龍は部下に教員の事情聴取の続きを頼んだ。部下が立ち去ると、彼は美術室の扉を開ける。
 昨日、生徒たちが不安がると考え、現場検証を終えた後、血痕は拭いていた。倒れた椅子や描きかけの絵、パレットや絵の具も、証拠品として回収している。残っているのは、血の臭いだけだった。
 龍は被害者が座っていたのと同じ椅子を教室の中央に引っ張り出し、海里は美術部員の用具が置かれている棚から被害者の予備のパレットや筆を取り出した。
「紅先生、手袋はお持ちですか?」
 海里の問いに紅は頷いた。
「はい。生徒の怪我や風邪から、感染症などをもらわないように常備しています」
「では、両手とも装着して、この椅子に座ってください。事件当時の椅子ではないので、遠慮なく」
「分かりました」
 紅は龍の言葉にゆったりと頷き、手袋を嵌めると椅子に腰掛けた。少し足が長いが、たいした問題ではないだろう。
 紅が座ると、海里は取り出した筆とパレットを手渡す。
「御堂さんの筆とパレットです。持って頂けますか?」
「はい。あら? 何だか持ちにくい・・・・あっ、あの子は左利きでしたね。利き手も合わせた方がいいですか?」
「お願いします」
 海里の言葉に従い、紅は右手にパレットを、左手に筆を持った。
「よし。これで、昨日の事件前の現場になりますね。後は絵ですけど、本人の物はないので、キャンバスの大きさだけ合わせましょうか」
 そう言って、海里は1番大きなキャンパスを取り出した。縦横共に、150cm以上はある。ぐらついた海里の体を龍は咄嗟に支え、キャンパスを引き取った。
「デカいな」
「そうですね。これだけ大きければ立っていたかもしれませんが、血の飛び散り方から、座っていたと思います」
 龍は同意した。紅は尋ねる。
「あの・・・私は何をすれば?」
「今から行う軽い“実験”にお付き合いください。私が扉から入りますから、どこか一部でも私の体が見えたら“見えた”、と言って欲しいんです」
「それだけ・・・ですか?」
「それだけです」
 あまりに小さな実験に、紅は目を丸くした。龍は何も言わず、壁にもたれかかる。海里は1度美術室を退出し、数秒後、無言で部屋に入って来た。
「あら?」
 海里が近づくうち、紅はそんな声を出した。キャンパスの目の前で足を止め、彼は尋ねる。
「私の姿、見えましたか?」
「いいえ。キャンバスに邪魔されて、数センチくらいの距離になるまで、視界の端にすら入って来ませんでした」
「決まりだな」
 龍が一言、そう言った。海里は頷く。
「ご協力ありがとうございました、紅先生。
 今のことは、どうか他の先生方や生徒たちには内緒でお願いします。何か聞かれても、“話が長引いた”、とお伝えください」
「分かりました」
 紅が出ていくと、龍は部下に見張りを頼んで美術室の扉を閉め、海里と状況を整理し始めた。
「犯人は御堂真也を殺すつもりで美術室に入った。だが、御堂はキャンバスの大きさと、集中すると周りが見えなくなるという性格が相まって、犯人が近づいて来たこと、恐らく美術室に入って来たことも分からなかった。当然、カッターナイフを持っていることも」
「御堂さんは犯人から声をかけられてようやく気がつき、軽口を叩いていたのでしょう。描きかけの絵の写真をよく見ると、絵の具の乾き具合が違いましたから、間があったことは間違いありません。
 そして、話がひと段落し、御堂さんが作業を再開しようと集中し始めた矢先、犯人は彼の首をカッターナイフで切った」
「筆とパレットを落としたのは倒れた時だ。後ろ向きに倒れたから椅子の足は扉の方を向いていて、椅子に当たった筆とパレットは椅子より前にあった。血が周囲まで飛び散っていたのは、犯人が勢いよく、カッターナイフを横一直線に振ったからだな」
 海里は頷いて続けた。
「出血は酷く、大量に流れ出た血に紛れて、犯人の靴跡も消えてしまった。躊躇いなく首を切った以上、計算内でしょうね。
 そうして、犯人は自分の指紋を拭き取ってカッターナイフを御堂さんの右手に握らせ、美術室を後にした」
「お前が駆けつけた時に血が全く乾いていなかったことを考えると、生徒2人の悲鳴は本当に事件直後だったんだろう。
 第一発見者の生徒2人は、御堂と同じ美術部。御堂と絵を描くために美術室に来て、発見したってことになる」
「HR教室は御堂さんから見て右側の校舎・・・本館にある。生徒2人はHR教室から来たと言っていましたから、犯人は廊下の左端にある非常階段を通って逃亡した、というわけですね」
 一連の流れを話し終えた2人は同時に息を吐いた。
「犯人は自殺に見せかけるのに必死だったんだな。事前に御堂真也のカッターナイフを盗んでまで、犯行に及んだ」
「しかし利き手を間違えた。もしこれがなければ、自殺で済ませてしまったかもしれませんね」
 その時、龍のスマートフォンが鳴った。警視庁で捜査をしていた部下からであり、彼はスピーカーにしてから通話ボタンを押した。
『東堂警部の指示通り、刑務所時代に起きた事件を調べました。それと、遺書らしきあの手紙のことも』
「結果は?」
『過去に囚人が死んだことは間違いありません。原因は、看守の度を過ぎた暴力行為だそうです。しかも、日常的に行われていたそうで』
「犯罪者への罰だと称して、ってことか。殺害の意図が明確にあったと考えられるな」
『はい。当時の看守と囚人の名前も分かりました。看守は早島真はやしましん、囚人は・・・えっと、これ・・・・何て読むんですかね? 資料の字が乱雑な上に、振り仮名がなくて読めないんですけど・・・・』
 その言葉に2人の眉が動いた。龍はすかさず尋ねる。
「苗字の漢字は?」
『べに、です。読み方、これで合ってるんですかね? そんな苗字、聞いたことありませんが』
 龍は眉を顰め、その質問には答えずに別のことを尋ねた。
「手紙の方は?」
『被害者の筆跡ではありません。左から文字を書けば、左利きの人間だと手にインクが付いて跡が残ります。この手紙にはそれがありませんから、書いたのは右利きの人物です。筆跡鑑定の結果は・・・・』

 その言葉に、海里も、恐らくは電話をしている部下も、怪訝な顔をした。しかし龍は深入りさせないためか、すぐに言葉を続ける。
「何はともあれ、ご苦労だった。これで全てのパーツが揃ったよ」
 龍はそう言って電話を切った。海里に視線を移し、重い表情で頷く。彼は敢えて不可思議な龍の発言には触れず、長い息を吐いて、呟いた。
「・・・・真実は思った以上に悲しいですね。でも、仕方ありません。真実を明らかにすることが、私たちの役目ですから」
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