小説探偵

夕凪ヨウ

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Case5.鮮血の美術室①

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 残酷な言葉を口にしようとしている。自覚はある。普通なら躊躇う言葉だ。
 でも、私の言葉より残酷な真実に、辿り着くかもしれない。そう考えたら、躊躇ってなどいられなかった。


「私は、今回の事件に腹を立てています」
 怒りを真っ直ぐ口にするのは、いつぶりだろう。長い間、怒っていなかったような気がする。だからこそ、だろうか。湧き上がる怒りを抑えられない。残酷な言葉を止める術を、私は知らない。

      ーカイリ『鮮血の美術室』第1章ー

            ※
   
「白百合高等学校の皆さん、こんにちは。
 小説家のカイリです。本日は、このような場にお呼び頂き、ありがとうございます」
 海里は、都心より少し離れた場所に位置する、白百合高等学校に来ていた。
 数週間前、ヒット作を次々と生み出す海里の話が聞きたい、との要望があり、講演会を開くことになったのである。彼は素顔をさらすことに戸惑ったが、編集者からの厚い期待を理由に、話をする決意を固め、今に至る。
「本日は、私が今まで生きて来た経験から、語れることを話そうと思います。つまらない話かもしれませんが、何卒ご容赦くださいね」
 海里の言葉に生徒たちから笑いが起こった。男子生徒も女子生徒も、皆、彼の美しすぎると言っても過言ではない素顔に驚いており、話を聞くというより、できる限り長時間、彼の顔を拝みたいという気持ちが強かった。彼自身もその気持ちを感じ取っていたが、別段嫌に思うこともなく、講演会を始めた。


 1時間程度の講演会を終え、海里は会議室で一息ついていた。すると、学校長の楠木田幸恵くすきだゆきえがやって来て、彼に会釈をする。
「本日はありがとうございました。カイリさん。生徒たちも喜んでいましたし、充実した時間になったと思います」
「こちらこそ、お呼び頂きありがとうございました。このような場は初めてでしたが、案外フラットにできるものなんですね。学生時代は聞く側だったので、分かりませんでしたよ」
 海里の言葉に楠木田は笑って頷いた。
「私も教師になってから同じことを感じました。目線が違うと、違う世界が見えますよね」
「本当に」
 楠木田は、40歳くらいの女性だった。薄い化粧でも分かる整った顔立ちと、細身の体が印象強い。団子にまとめられた黒髪からは、花の香りがする。
 香りに釣られて、海里は気になっていたことを口にした。
「そう言えば、この学校に来てからずっと花の香りがしますね。楠木田校長からも、先生方からも、生徒たちからも、同じ香りが」
「ああ、それは白百合の香りです」
「白百合?」  
 海里は首を傾げた。楠木田は言葉を続ける。
「はい。ここは学校名に合わせて、白百合を植えているんです。あちら、見えますでしょう? あの花壇です」
 そう言って、楠木田は校庭の端にある花壇を示した。確かに、春の光の元、かなりの数の白百合が咲き誇っている。何人かの女子生徒が花壇に集まり、香りを嗅いだり、水を与えたりしていた。
「なるほど。あそこまで人気だと、香りが移るのも納得ですね」
「でしょう? 白百合は威厳の花言葉がありますから、生徒たちにはぴったりかと」
「へえ。そんな花言葉なんですね。私はあまり花を愛でることかありませんから、勉強になります」
 そんな軽口を叩いていた時だった。どこかで、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。続けて、男性の低い叫び声が聞こえる。
 次の瞬間、海里は勢いよく立ち上がり、無言で会議室を飛び出した。
「あ・・・カイリさん!」
 楠木田が名前を呼んだが、海里は振り向かずに廊下を駆け抜けた。会議室を出るとすぐに1人の男子生徒と出会い、蒼白な表情から悲鳴を上げたのが彼だと分かる。
 海里は男子生徒の呼吸を整えさせた後、できる限り落ち着いて尋ねた。
「一体何があったんですか?」
 男子生徒は海里の質問に答えなかった。ただの小説家である彼に、助けを求めるのも妙だと思っているのだろう。
 だが、動揺が収まらない生徒は、とにかく大人に話をするべきだと思い直したのか、顔色を変えないまま叫んだ。
「とにかく来てください! このままじゃ死んじまう‼︎」
 海里は男子生徒に連れられ、何かしらの事件が起きた美術室へ向かった。半分だけ開いた扉の前には、腰を抜かし、泣きそうな表情をした1人の女子生徒がいる。周囲に誰もいないので、初めの悲鳴は彼女だと分かった。
 しかし今重要なのは、美術室の中だった。海里は女子生徒の視線を遮るように前に立ち、半開きの扉を開け放つ。


 己の息を呑む音が聞こえた。
 そこには、両目を閉じ、首から大量に出血している1人の男子生徒がいた。床に座り込んで壁にもたれているため、頭は打っていないようだが、尋常でない出血であることは確かだった。その証拠に、真白い床が真っ赤に染まり、壁に赤い斑点ができている。
 男子生徒の右手にはカッターナイフが握られており、その全体に流れたばかりの血がべったりと付着していた。
 海里は急いで男子生徒に駆け寄り、血で汚れていない左手首の脈を取った。まだ微かに打っており、細く、荒いが、呼吸も聞こえた。だが、一刻も早く処置しなければ命を落とすのは明白で、余談を許さない状況だった。彼は素早く振り返り、背後にいる2人の生徒を見た。
「急いで救急車と警察を呼んでください‼︎ この際、校則は無視して構いません!」
 海里の叫び声と共に、悲鳴を上げた女子生徒と男子生徒がスマートフォンを取り出し、それぞれ電話をかけ始めた。海里はその様子を一瞥いちべつし、ハンカチを取り出そうとしてやめ、服の袖を破って男子生徒の首に巻きつけた。頸動脈けいどうみゃくを切ったのか、止血は意味をなさないほどの出血量で、留まるところを知らなかった。
「カイリさん、何がーーーーあ!」
 駆けつけた楠木田に、海里は男子生徒の手当てをしながらつげる。
「楠木田校長! 生徒たちを教室に待機させてください! 教員は全員職員室へ! 今から警察と救急車が来ますから美術室まで案内をお願いします!」
 

 警察と救急隊が到着したのは数分後だった。男子生徒はすぐに運ばれ、警察は美術室への立ち入りを禁じた。
「またお前か」
「東堂さん!」
「全く。お前の行くとこ、来るとこは、事件が起きる決まりでもあんのか?」
 龍は心底呆れた様子で言った。海里はムッとして言い返す。
「酷い言いようですね。私も慌てたんですよ?」
 龍は、わずかに血がついた海里の両手と、左袖の無い服を見て、納得したように頷いた。すぐさま落ち着いた口調で部下に指示を出し、自分は美術室の中へ入る。男子生徒がもたれかかっていた壁に近づき、血痕を見つめた。
「綺麗に真横へ切ったんだな。血痕が全く斜めになってない。迷いがなかったのか・・・・」
 普通なら顔をしかめたくなる発言だが、海里は「そのようですね」と同意するだけだった。龍は続ける。
「運ばれた男子生徒の鞄に、これが入っていた」
 そう言いながら、龍は懐から既に証拠品としてジップロックに入れられている1枚の紙を取り出した。海里は首をかしげる。
「これは?」
「読めば分かる」
 紙を開くと、手本のような美しい字で、こう書かれていた。

“もう耐えられません。僕は天国に行きます。お世話になった皆さん、ありがとうございました。”

「遺書・・・? 男子生徒は自殺を図ったのですか?」
「もしそうなら、この部屋に入った段階でお前に言ってる」
 龍の発言に合わせ、部下の1人が複数枚の写真を海里に手渡した。
 写真には、先ほどの男子生徒が美術の授業に取り組む姿が写されていた。龍の部下に示されて男子生徒の手元を見ると、左手にカッターナイフや、鉛筆、絵筆を持っていた。海里は目を見開く。
「左利き・・・・」
「ああ。もし本当に自殺なら、わざわざ利き手の逆の手で自分を殺そうなんてしない。失敗する可能性も高いからな。
 これは自殺じゃない。れっきとした殺人未遂だ」
 龍の言葉に海里は形の良い眉をひそめたが、すぐ安堵の表情に切り替わった。
「・・・・未遂・・・男子生徒は一命を取り止めたんですね?」
「一応な。だが、意識不明の重体だ。発見が少しでも遅く、お前の止血が無かったら、確実に亡くなっていたよ」
 その言葉には重みがあった。今まで、多くの命の灯火が消える瞬間を見て来たであろう龍。彼の言葉は、海里が経験し得ることのない経験から語られるものだった。
 海里は深く長い深呼吸をし、龍を見据えた。その瞳は、小説家としての瞳ではなく、“探偵”を宿した強い瞳だった。
「覚悟は決めたか?」
「はい。生徒・教員を体育館へ集めてください。この醜悪な事件の、謎解きを始めましょう」
                   
            ※

 体育館に集合した生徒たちが騒ついていたのは無理もなかった。突然授業が中断され、1人の生徒が救急車で運ばれ、その上、警察も来たのだ。普通の学校生活では、経験するはずのない事態だった。
「静粛に! カイリさんから事情の説明がありますよ!」
 楠木田が手を叩きながらそう言うと、体育館は静まり返った。海里は登壇し、マイクのスイッチを入れる。生徒たちは、警察ではなく彼が事情を説明することに首を傾げていた。
「皆さん、こんにちは。カイリです。先ほどお話をしたばかりですから、私の顔を覚えている方もいらっしゃるでしょう。本日は再び集まって頂き、感謝します」
 海里はチラリと龍を見た。龍が軽く頷いたので、彼は事件の説明を始める。
「先ほど救急車で運ばれたのは、2年2組の御堂真也みどうしんやさんです。彼はカッターナイフで首を切り、血を流しているところを美術室で発見されました」
 再び騒めきが起こった。「怖い」「何で」「マジ?」など、様々な声が聞こえる。教員たちの囁きは小さく、海里の耳には届かなかったが、動揺していることは見てとれた。
 海里は続ける。
「御堂さんの鞄の中に、遺書のような物が入っていました。しかし自殺ではありません。発見された時、彼は右手にカッターナイフを持っていた。この一言で、意味が分かる方もいるでしょう」
 海里は落ち着いていた。教員たちは愕然とし、彼のクラスの生徒も驚いている。
「彼は左利きです。本当に自殺であれば、利き手で首を切らないのはおかしい。失敗する可能性を秘めています。
 すなわち、彼は何者かに殺されかけた・・・・ということです」
「カイリさん‼︎」
 楠木田の悲鳴に近い声が聞こえた。しかし、海里は言葉を止めない。
「犯行時刻は12時40分~13時15分の間。この時間は昼休みに該当します。つまり、あなた方全員が容疑者です。
 私は、今回の事件に腹を立てています。幼い命を奪おうとした犯人に。私は、どんな手を使っても必ず真相を明らかにする。ですから皆さん、ご覚悟を」
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