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54 現る悪習
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「お久しぶりです、氷上警部。まさか、火宮と協力されているとは思いもよりませんでした」
翠との協力を勧められた2日後、翔一郎は彼女に蒼一との協力関係を明かし、他言無用と約束してもらった上で、仕事後に落ち合うことを決めた。
場所は蒼一が指定し、彼の伝手を頼ってーーーー実際は一路の根回しであるーーーーマンションの一室に来るよう2人に伝えた。翔一郎と翠よりも前に蒼一は到着しており、仰々しい挨拶を交わす翠に苦笑いを浮かべた。
「表沙汰にできることじゃないからな。それと、警部はやめろ。ここ以外で見かけても、極力話しかけるな。周囲の人間に余計な勘ぐりをされたら困る」
翠が頷くと、翔一郎は自分もそうしろ、と暗に言われていると分かった。彼は無言で蒼一の視線を受け止め、彼に続いて中へ入る。
一室は2人の想像よりも広く、3人以上でも会議ができるような部屋だった。高級感のある家具は年季がなく、真新しい。しかし人が住んでいたような形跡もわずかに見受けられ、首を傾げる2人に対し、蒼一は知り合いから譲り受けたとだけ告げた。
「土壁。改めて礼を言わせてくれ。お前にとっては危険極まりないことなのに、協力してくれて本当に助かる。俺たちだけじゃ限界があるからな」
「お礼なんてよしてください。氷上警・・氷上さん。私は、困っている誰かを放っておきたくないだけです。部下で相棒なら尚更、当時の捜査官の一員として、できなかったことをできる機会があるなら、今しかない。そう思っただけですから」
「それでもお礼を言いたいんです。私は、私情が優先してしまう可能性がある。そのためにも第三者の視点で事件を見た土壁警部補の存在は必要ですから」
翔一郎は正直な気持ちを述べる反面、大袈裟すぎたかと反省した。翠に感謝しているのは事実だが、やりすぎては裏を見抜かれる可能性があった。しかし、彼女はなおも謙遜するだけで、詮索する様子は見せなかったため、翔一郎は安堵した。
一連の礼を述べ終えた後、蒼一が「始めるか」と言い、情報共有が開始された。
「なるほど。遺品から得た情報は分かりました。確かに、これまでの話を踏まえると、火宮翔二郎の2つの空白が鍵になりますね」
拓司たちの存在を隠した上で2人が述べた結論を、翠は反芻させて納得した。やはり彼女は翔一郎が司の遺品を手にしていることに対して不審な眼差しを向けたものの、蒼一の協力に思い至り、詮索することはなかった。
しばしの沈黙を経て、今度は翠が「10年前の捜査ですが」と切り出す。
「私たちは初めに怨恨を疑いました。双方の遺族に話を聞いても、友人知人に話を聞いても、一様に『2人は親友』の言葉が返ってきたからです。ですから、親友と称する2人が殺害に至るほどの揉め事とは何か。ここから捜査が開始されました」
「そこまではニュースでもやっていたな。捜査の結果は?」
「怨恨の線はあり得ない、です。2人のスマートフォンでのやり取り・・・当時はブログや日記の存在には触れなかったので全てこちらを本物のやり取りとしてしまいましたけど、こちらと、周辺人物への聞き込みの2つが理由です。喧嘩の一言も出て来なかった」
「そうなんですね。でも、スマートフォンのやり取りを見たということは、翔二郎が司さんへ送った『もう会えない』も目にしていますよね? それを経て、怨恨はともかく揉め事等はないと判断を?」
翔一郎は素早く尋ねた。2人に怨恨なるものがなかったとは思うが、唐突に『会えない』などと送るのはおかしい。警察が注目しないはずがなかった。
翠は翔一郎の言葉を受け、やや間を開けて答えた。
「どういう意味か、という話し合いは当然あった。それ以前のやり取りに不審な点がなかったから余計にな。加えて、それぞれが名家と呼ばれる家柄であり、不仲であることから、家が関係しているのでは、という推測まで至ったよ」
ここまでは翔一郎も蒼一も想像していた。警察は事件に関して隠蔽したことはあったものの、この程度の推測には至っていたはずである。しかしこの推測を踏まえて、警察は公式発表として怨恨や仲違いを否定したのだ。
「事情聴取は双方の遺族だ。だが、2人の死者に最も近い存在である火宮と、水守拓司へはされなかった。理由は分かるだろうから省略する。
とにかく、双方の遺族に事情聴取をしたところ、答えは全く同じだった。
それが、『2人の間で起こったことなど、こちらが知るわけがない。あちらの家に問題があったから、事件が起こった』、とこうだ」
蒼一の溜息が漏れた。揃いも揃って、互いに、家に、責任を転嫁している。自分たちの子供に問題があったとは露ほども認めず、他責思考で保身が第一。彼が家を出た大きな理由の1つだった。対する翠も、珍しく顔を歪ませ、首をすくめている。
「捜査官は全員呆れたよ。そんなことを聞いているんじゃないんだからな。第一、知らないなんておかしいだろう。常日頃から2人が両親含む親戚の支配下にあったことは、やり取りからも明白なんだ。だから、何度も粘り強く事情聴取をした。少しでもいいから教えてくれれば、捜査の進展になるからだ。殺害と自殺に至った経緯に、家が関わっていないとは思えなかった」
熱く語った翠だが、やがて深い溜息をついた。静かに首を横に振り、「邪魔が入って事情聴取を中止せざるを得なくなった」と愚痴をこぼす。
「邪魔?」
2人は揃って尋ねた。翠は頷く。
「警察が無理な事情聴取をしてくるという双方の訴訟めいた文言が、警察上層部及び検察を通って最高裁へ達しました。その結果、最高裁から捜査一課に事情聴取の差し止めなんていう前代未聞の珍事が起こったんです。信じられます?」
2人は言葉を失った。珍事である以前に、そんな差し止めが許されるはずがない。表向きには知らされていないことであり、内々に下され受け入れるよう、警察上層部が捜査一課に促したと考える他なかった。
同時に、蒼一が「雪坂家か」と吐き捨てる。
「どういうことです?」
今度は翔一郎と翠が尋ねた。蒼一は歪めた顔を戻すことなく続ける。
「水守家・氷上家・雪坂家には、家ごとに役割がある。
本家である水守家は、三家の当主であることはもちろん、政治及び受け継がれている会社の代表取締役。代々当主と副当主が置かれるから、片方が政治、片方が会社を担ってきた。現に、司と拓司の両親もそうだ。母親が当主及び会社、父親が副当主及び政治。
分家の氷上家と雪坂家は、司法の世界を席巻することが求められた。すなわち、氷上家は検察官及び警察官、雪坂家は裁判官になることが求められたんだ。
つまりは司法を制することが分家には求められた。そうなると、分かるだろう。事件は揉み消すことができるし、起訴されても有利にことが運べるし、有罪でも無罪にすることができる。本家であっても分家であっても関係なく。だから犯罪者なんて出ないし、都合の悪いことは一生闇に葬れる」
唖然とする2人に対し、蒼一は「糞みたいな慣習だ」と締めた。2人は否定する気にならなかった。その通りと言うしかなかったのだ。
翠は眉間を右手で揉みながら、躊躇いがに口を開く。
「つまり、こういうことですか? 当時そのような無茶苦茶な話が回って来たのは、水守家からどうにかしろとの訴えを受け、警察上層部にいる氷上家が同じく検察庁にいる氷上家に話を回し、最高裁にいる雪坂家に事情聴取を差し止めるよう頼んだ、と?」
蒼一は頷いた。信じがたい権力の濫用である。そもそも、同じ家の人間がいること自体が悪辣な慣習の象徴とも言えた。いずれにせよ、被害者遺族が取る行動ではない。
「しかし、訴えた水守家は誰なんでしょう。司さんのご両親・・・ではありませんよね」
翔一郎は一抹の希望を含んでそう呟いたが、蒼一は「どうだろうな」と小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「奴らにとって重要なのは、どこまでも“家”だ。司が殺害されたことは事実だが、“次期当主が死んだ”の一言で終わる。その証拠に、司の葬儀が済んだ直後、弟の拓司に当主になれと奴らは言い放った」
その一言に、翔一郎はかつての自分たち兄弟を重ねた。
家から逃げ出した自分と、その自分の立場を引き継がされた翔二郎。家同士の対立など関係なく、同じ因習が行なわれた事実は、彼の傷を抉るのに十分だった。
「兄を喪ったことへの絶望、両親の鞍替えの早さへの絶望、兄の存在を忘れてしまえる両親を含む親戚への絶望、死を悼むことよりも家に固執する周囲への絶望。ありとあらゆる絶望が、拓司を自殺に追い込んだ。
両親が涙を流したのだって、息子が死んだからじゃない。家の跡取りが絶えたからだ。だから、訴えた水守家が司と拓司の両親である可能性は十分ある」
総一は淡々と語った。しかし、彼が何度も口にする“両親”は、彼の従兄と姉なのである。本当に何も思わないのか、翔一郎は反射的に尋ねたくなった。だが、自分のことなど何一つ語らない彼に、そんな問いは無駄でしかなかった。
一方、翠は初めから家族内のことに踏み込む気がないのか、全く別の問いを発した。
「では、氷上さんはなぜ警察官になられたのですか? そこまで仰るのですから、家に対する怒りも憎しみもお持ちでしょう。それなのに、なぜ? 少しでも、組織の癌を潰したかったからですか?」
翠の問いに、蒼一は「いいや」とすぐさま否定した。彼は自嘲気味に笑い、言葉を続ける。
「そんな綺麗な理由じゃない。土壁、もしお前が俺と同じ立場だったら、その理由で警察官になっただろう。だが生憎、俺は違う。俺は、お前らが慕うに値する人間じゃない」
翔一郎も翠も、上司として相対した時間は短かったが、蒼一を尊敬していた。警察官としてだけではなく、1人の人間として。しかし、彼はいとも容易くその思いを否定した。2人の思いを知っていながら。
蒼一はおもむろに立ち上がり、窓の外を見た。すっかり暗くなった東京の夜景は、宝石が散りばめられたかのように美しい。人の声が届かないため、世界が彼ら3人だけになってしまったような気分だった。
「俺にも醜悪な一族の血が流れている。自分勝手で傲慢な血が。警察官になった理由がいい例だ。結局、俺は今も変わらない。きっとこれからも」
蒼一の発言は謎めいていた。“いつ”と比べて“今”と口にしたのか。“変わらない”とはどういうことなのか。2人は尋ねたいことが山ほどあったが、胸が締め付けられるほどの蒼一の悲しげな表情が、2人を思い止まらせた。感情を表に出さない蒼一の、初めて見る表情だった。
「話が逸れたな。
とにかく、事情聴取の差し止めなんて馬鹿なことは、雪坂家が行ったことだ。その後どうなったか。土壁、もう少しだけ聞かせてくれるか。一段落したら、次の機会に」
本筋を思い出し、翠は強く頷いた。蒼一が椅子に腰掛けると、彼女は再び話を始めた。
翠との協力を勧められた2日後、翔一郎は彼女に蒼一との協力関係を明かし、他言無用と約束してもらった上で、仕事後に落ち合うことを決めた。
場所は蒼一が指定し、彼の伝手を頼ってーーーー実際は一路の根回しであるーーーーマンションの一室に来るよう2人に伝えた。翔一郎と翠よりも前に蒼一は到着しており、仰々しい挨拶を交わす翠に苦笑いを浮かべた。
「表沙汰にできることじゃないからな。それと、警部はやめろ。ここ以外で見かけても、極力話しかけるな。周囲の人間に余計な勘ぐりをされたら困る」
翠が頷くと、翔一郎は自分もそうしろ、と暗に言われていると分かった。彼は無言で蒼一の視線を受け止め、彼に続いて中へ入る。
一室は2人の想像よりも広く、3人以上でも会議ができるような部屋だった。高級感のある家具は年季がなく、真新しい。しかし人が住んでいたような形跡もわずかに見受けられ、首を傾げる2人に対し、蒼一は知り合いから譲り受けたとだけ告げた。
「土壁。改めて礼を言わせてくれ。お前にとっては危険極まりないことなのに、協力してくれて本当に助かる。俺たちだけじゃ限界があるからな」
「お礼なんてよしてください。氷上警・・氷上さん。私は、困っている誰かを放っておきたくないだけです。部下で相棒なら尚更、当時の捜査官の一員として、できなかったことをできる機会があるなら、今しかない。そう思っただけですから」
「それでもお礼を言いたいんです。私は、私情が優先してしまう可能性がある。そのためにも第三者の視点で事件を見た土壁警部補の存在は必要ですから」
翔一郎は正直な気持ちを述べる反面、大袈裟すぎたかと反省した。翠に感謝しているのは事実だが、やりすぎては裏を見抜かれる可能性があった。しかし、彼女はなおも謙遜するだけで、詮索する様子は見せなかったため、翔一郎は安堵した。
一連の礼を述べ終えた後、蒼一が「始めるか」と言い、情報共有が開始された。
「なるほど。遺品から得た情報は分かりました。確かに、これまでの話を踏まえると、火宮翔二郎の2つの空白が鍵になりますね」
拓司たちの存在を隠した上で2人が述べた結論を、翠は反芻させて納得した。やはり彼女は翔一郎が司の遺品を手にしていることに対して不審な眼差しを向けたものの、蒼一の協力に思い至り、詮索することはなかった。
しばしの沈黙を経て、今度は翠が「10年前の捜査ですが」と切り出す。
「私たちは初めに怨恨を疑いました。双方の遺族に話を聞いても、友人知人に話を聞いても、一様に『2人は親友』の言葉が返ってきたからです。ですから、親友と称する2人が殺害に至るほどの揉め事とは何か。ここから捜査が開始されました」
「そこまではニュースでもやっていたな。捜査の結果は?」
「怨恨の線はあり得ない、です。2人のスマートフォンでのやり取り・・・当時はブログや日記の存在には触れなかったので全てこちらを本物のやり取りとしてしまいましたけど、こちらと、周辺人物への聞き込みの2つが理由です。喧嘩の一言も出て来なかった」
「そうなんですね。でも、スマートフォンのやり取りを見たということは、翔二郎が司さんへ送った『もう会えない』も目にしていますよね? それを経て、怨恨はともかく揉め事等はないと判断を?」
翔一郎は素早く尋ねた。2人に怨恨なるものがなかったとは思うが、唐突に『会えない』などと送るのはおかしい。警察が注目しないはずがなかった。
翠は翔一郎の言葉を受け、やや間を開けて答えた。
「どういう意味か、という話し合いは当然あった。それ以前のやり取りに不審な点がなかったから余計にな。加えて、それぞれが名家と呼ばれる家柄であり、不仲であることから、家が関係しているのでは、という推測まで至ったよ」
ここまでは翔一郎も蒼一も想像していた。警察は事件に関して隠蔽したことはあったものの、この程度の推測には至っていたはずである。しかしこの推測を踏まえて、警察は公式発表として怨恨や仲違いを否定したのだ。
「事情聴取は双方の遺族だ。だが、2人の死者に最も近い存在である火宮と、水守拓司へはされなかった。理由は分かるだろうから省略する。
とにかく、双方の遺族に事情聴取をしたところ、答えは全く同じだった。
それが、『2人の間で起こったことなど、こちらが知るわけがない。あちらの家に問題があったから、事件が起こった』、とこうだ」
蒼一の溜息が漏れた。揃いも揃って、互いに、家に、責任を転嫁している。自分たちの子供に問題があったとは露ほども認めず、他責思考で保身が第一。彼が家を出た大きな理由の1つだった。対する翠も、珍しく顔を歪ませ、首をすくめている。
「捜査官は全員呆れたよ。そんなことを聞いているんじゃないんだからな。第一、知らないなんておかしいだろう。常日頃から2人が両親含む親戚の支配下にあったことは、やり取りからも明白なんだ。だから、何度も粘り強く事情聴取をした。少しでもいいから教えてくれれば、捜査の進展になるからだ。殺害と自殺に至った経緯に、家が関わっていないとは思えなかった」
熱く語った翠だが、やがて深い溜息をついた。静かに首を横に振り、「邪魔が入って事情聴取を中止せざるを得なくなった」と愚痴をこぼす。
「邪魔?」
2人は揃って尋ねた。翠は頷く。
「警察が無理な事情聴取をしてくるという双方の訴訟めいた文言が、警察上層部及び検察を通って最高裁へ達しました。その結果、最高裁から捜査一課に事情聴取の差し止めなんていう前代未聞の珍事が起こったんです。信じられます?」
2人は言葉を失った。珍事である以前に、そんな差し止めが許されるはずがない。表向きには知らされていないことであり、内々に下され受け入れるよう、警察上層部が捜査一課に促したと考える他なかった。
同時に、蒼一が「雪坂家か」と吐き捨てる。
「どういうことです?」
今度は翔一郎と翠が尋ねた。蒼一は歪めた顔を戻すことなく続ける。
「水守家・氷上家・雪坂家には、家ごとに役割がある。
本家である水守家は、三家の当主であることはもちろん、政治及び受け継がれている会社の代表取締役。代々当主と副当主が置かれるから、片方が政治、片方が会社を担ってきた。現に、司と拓司の両親もそうだ。母親が当主及び会社、父親が副当主及び政治。
分家の氷上家と雪坂家は、司法の世界を席巻することが求められた。すなわち、氷上家は検察官及び警察官、雪坂家は裁判官になることが求められたんだ。
つまりは司法を制することが分家には求められた。そうなると、分かるだろう。事件は揉み消すことができるし、起訴されても有利にことが運べるし、有罪でも無罪にすることができる。本家であっても分家であっても関係なく。だから犯罪者なんて出ないし、都合の悪いことは一生闇に葬れる」
唖然とする2人に対し、蒼一は「糞みたいな慣習だ」と締めた。2人は否定する気にならなかった。その通りと言うしかなかったのだ。
翠は眉間を右手で揉みながら、躊躇いがに口を開く。
「つまり、こういうことですか? 当時そのような無茶苦茶な話が回って来たのは、水守家からどうにかしろとの訴えを受け、警察上層部にいる氷上家が同じく検察庁にいる氷上家に話を回し、最高裁にいる雪坂家に事情聴取を差し止めるよう頼んだ、と?」
蒼一は頷いた。信じがたい権力の濫用である。そもそも、同じ家の人間がいること自体が悪辣な慣習の象徴とも言えた。いずれにせよ、被害者遺族が取る行動ではない。
「しかし、訴えた水守家は誰なんでしょう。司さんのご両親・・・ではありませんよね」
翔一郎は一抹の希望を含んでそう呟いたが、蒼一は「どうだろうな」と小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「奴らにとって重要なのは、どこまでも“家”だ。司が殺害されたことは事実だが、“次期当主が死んだ”の一言で終わる。その証拠に、司の葬儀が済んだ直後、弟の拓司に当主になれと奴らは言い放った」
その一言に、翔一郎はかつての自分たち兄弟を重ねた。
家から逃げ出した自分と、その自分の立場を引き継がされた翔二郎。家同士の対立など関係なく、同じ因習が行なわれた事実は、彼の傷を抉るのに十分だった。
「兄を喪ったことへの絶望、両親の鞍替えの早さへの絶望、兄の存在を忘れてしまえる両親を含む親戚への絶望、死を悼むことよりも家に固執する周囲への絶望。ありとあらゆる絶望が、拓司を自殺に追い込んだ。
両親が涙を流したのだって、息子が死んだからじゃない。家の跡取りが絶えたからだ。だから、訴えた水守家が司と拓司の両親である可能性は十分ある」
総一は淡々と語った。しかし、彼が何度も口にする“両親”は、彼の従兄と姉なのである。本当に何も思わないのか、翔一郎は反射的に尋ねたくなった。だが、自分のことなど何一つ語らない彼に、そんな問いは無駄でしかなかった。
一方、翠は初めから家族内のことに踏み込む気がないのか、全く別の問いを発した。
「では、氷上さんはなぜ警察官になられたのですか? そこまで仰るのですから、家に対する怒りも憎しみもお持ちでしょう。それなのに、なぜ? 少しでも、組織の癌を潰したかったからですか?」
翠の問いに、蒼一は「いいや」とすぐさま否定した。彼は自嘲気味に笑い、言葉を続ける。
「そんな綺麗な理由じゃない。土壁、もしお前が俺と同じ立場だったら、その理由で警察官になっただろう。だが生憎、俺は違う。俺は、お前らが慕うに値する人間じゃない」
翔一郎も翠も、上司として相対した時間は短かったが、蒼一を尊敬していた。警察官としてだけではなく、1人の人間として。しかし、彼はいとも容易くその思いを否定した。2人の思いを知っていながら。
蒼一はおもむろに立ち上がり、窓の外を見た。すっかり暗くなった東京の夜景は、宝石が散りばめられたかのように美しい。人の声が届かないため、世界が彼ら3人だけになってしまったような気分だった。
「俺にも醜悪な一族の血が流れている。自分勝手で傲慢な血が。警察官になった理由がいい例だ。結局、俺は今も変わらない。きっとこれからも」
蒼一の発言は謎めいていた。“いつ”と比べて“今”と口にしたのか。“変わらない”とはどういうことなのか。2人は尋ねたいことが山ほどあったが、胸が締め付けられるほどの蒼一の悲しげな表情が、2人を思い止まらせた。感情を表に出さない蒼一の、初めて見る表情だった。
「話が逸れたな。
とにかく、事情聴取の差し止めなんて馬鹿なことは、雪坂家が行ったことだ。その後どうなったか。土壁、もう少しだけ聞かせてくれるか。一段落したら、次の機会に」
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