殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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21 いつの日か会えるその時は

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 懐かしい夢で目が覚めた。空は白んでいて夜明けには程遠い。春海は重い体を起こし、のっそりとベッドから這い出る。隣室の春江は、まだ眠っていた。
「・・・・潮時ね」
 誰ともなく春海は呟いた。カーテンを数センチ開け、光が差していない、薄暗い街並みを見つめる。昔から早起きをしていた彼女は、こうして窓外の景色を見つめる習慣があった。そしてそれは、成人した今も変わらない。
 鳥の声すら聞こえない街並みを瞳に写しながら、幸せだった頃の記憶を巡り始めた。

            ※

 静かに襖を開けて入って来た少年を見て、分家の子供たちは騒めいた。少年はぎこちなく正座をし、気まずそうに俯く。子供たちもどう接したら良いのか分からず、ただ狼狽えていた。
「あなたが拓司?」
 声をかけた1人の少女に、拓司は縋るような視線を向けた。それだけで、幼い体に何を宿して来たのか、少女には理解できた。拓司は微かに頷き、また気まずそうに視線を逸らそうとする。だが、
「こら。目を見て話をしなさい」
 少女は左手で拓司の頬を掴んだ。すべすべして、ふわふわした、子供の肌である。拓司は「ふわぁ」と変な声を出し、丸くした瞳で少女を見た。
「私は春海。あなたのーーーー拓司の親戚よ。ここにいる子供たちは、みんな同じ。
 提案なんだけど、大人たちの話は長引くだろうから、少しお話ししない? 子供たちだけの、秘密のお話」
 春海は右手の人差し指を自分の唇に当て、悪戯っぽく微笑んだ。拓司も他の子供たちも、“秘密”という言葉に心惹かれ、目を輝かせる。春海はふふっと笑い、拓司の頬から手を離して、畳の上に座った。部屋の端でまばらに集まっていた子供たちは、彼女を中心に集まり始めた。
「みんな足なんて崩しちゃいなさい。ここは大人がいない、私たち子供だけのお部屋なんだもの。楽しまなきゃもったいないわ」
 律儀に正座をしていた子供たちは、思い思いの座り姿になった。拓司も、体育座りに切り替える。春海は初めから横坐りをして、子供たちが整うのを待った。
「そうね・・・もうすぐ夏になるし、怖いお話をしましょうか? それとも、絵本の中みたいな、楽しいお話? みんな、どっちがいい?」
 ある子供は怖い話、ある子供は楽しい話、ある子供はどっちも、と口にした。春海は笑い、素敵な考えね、と言って怖い話から始めた。
「この屋敷の蔵・・・いらなくなった物が置かれている所には、子供は1人で入っちゃいけないのよ。もし入ったら、お化けが来て、こことは違う世界に連れていかれちゃうの。連れていかれたら、戻ってくることはできないのよ」
「どうしてお化けがくるのー?」
 1人の子供が尋ねた。春海は澱みない口調で続ける。
「私たちみたいな子供は、連れていきやすいの。大人の姿をしていても、子供の姿をしていても、信じてお話ししちゃうから。みんなだって、知らない大人についていっちゃダメって言われたり、お話ししちゃダメって言われても、気になっちゃうでしょ? お化けは、そんな子供の心を知ってるのよ」
 怖い、という声が上がった。小さな悲鳴も。すると、拓司が首を傾げながら尋ねる。
「ちがうせかいって、なあに? どこにあるの?」
「うーん・・・簡単に言うと、お父さんやお母さんに会えない世界ね。場所は誰にも分からない。お化けしか知らないから」
「え、あえないって、にいちゃんにも?」
「そうよ。だから、1人で入っちゃいけないの。他の子供か、大人と一緒じゃなくちゃダメ。そうすれば連れていかれないわ。みんな、約束守れる?」
 子供たちが、「はーい」と元気良く返事をした。春海は「良い子ね」と言って微笑み、部屋の奥に置いていた鞄から、小袋に入った金平糖を取り出す。色とりどりの未知のお菓子に、子供たちは目を輝かせた。
「欲しい子は、きちんと並んで待ってね。じゃなきゃ、あげられないわ。」
 春海の一声で、子供たちはそそくさと並んだ。彼女は子供たちの前に屈み、順番に小さな手の平へ、金平糖を乗せて行った。最後に拓司が貰い、電灯に透かして見てから口に含んだ。気持ちの良い咀嚼音と甘味が口内に広がる。
 そんな拓司を見つめながら、春海が尋ねた。
「元気になった? 拓司」
「え・・・?」
 驚く拓司を他所に、春海は優しげに微笑んだ。美しい微笑だった。
「お母さんに怒られて来たんでしょう? 泣きそうな顔をしていたけれど、さっき笑っていたわ。お菓子の美味しさで、怒られたことなんて忘れちゃったかしら」
 拓司は目を瞬かせ、やがて「わすれちゃった」と言ってはにかんだ。そして、おねえちゃんありがとう、と言う。
「お礼を言えるなんて良い子ね。でも拓司、お母さんに言われたこと、全部心に残しちゃダメよ。少しずつ吐き出して、笑わなきゃ、悲しくなっちゃうわ。同じことはしないって、約束してくれる?」
 そう言って、春海は右手の小指を差し出した。以前、司が指切りげんまんを教えてくれたから、意味は分かった。拓司もそっと小さな右手の小指を出し、指切りをした。
「約束、破っちゃダメよ。もし破ったら、あなたを叱るわ」
 間を開けて、春海は少しだけね、と付け足した。子供たちが彼女に駆け寄り、楽しい話を聞かせてとせがむ中で、拓司はたった1人の姉を得た。

            ※

 これは何かの間違いだ。
 そうでなければならない。そうであって欲しい。そうあるべきだ。そう望んでいる。
 
 とめどなく溢れる涙は、雷雨と呼応しているようだった。春海は体を震わせ、嗚咽を漏らし、蒼一の胸に縋りついて泣いている。自分の身に起こったことが現実と知れた時、自分はこの世界に存在してはならないとすら思った。
「どうしたらよかったの⁉︎  私が全て間違っていた? もっと違う道があった? 違う選択をするべきだった?」
 声が割れるほど叫び、自問し続けた。しかし、答えは出なかった。
「お前は何も悪くない。とうの昔から手遅れだった。お前が何を選択しても、きっと結果は変わらなかった」
 蒼一の声は冷静だった。彼は事実しか述べていなかった。そしてそんなことは、彼女にも痛いほど分かっていた。
 それでも、認めたくなかった。
「私は・・・! 私はただ、春江の幸せを願っただけ。それ以外に望んだことなんて知れている。それなのに・・・どうして⁉︎」
「理由なんて探しても見つからない。
 言っただろう。とうの昔から手遅れだったんだ。元に戻すことなんてできなかった。時間は過ぎていくだけだ」
 決して自分を抱きしめない蒼一の両腕は、棒立ちしている体の左右に垂れたままだった。春海はそれを憎いと思い、同時にそうでなければならないと思った。


 どれだけ時間が経ったのだろう。やがて、春海は口を開いた。
「・・・・あなたに頼みがあるの」
 掠れた声が相手の耳に届いた。蒼一は黙って先を促す。
「拓司の記憶から、私を消して。あなたならできるでしょう?」
「いつか戻るぞ」
 記憶から消すことを否定的に捉えず、先のことを口にするのが蒼一らしかった。彼としては忠告だったのだろうが、春海は気に留めない。
「構わない。拓司の記憶にいる優しい人は、あなたと司だけでいい。少なくとも、今はそうあるべきよ。拓司が真実を見つけるために」
 春海はふらつきながら蒼一から離れた。頬を伝う涙を拭い、真っ直ぐに彼を見据える。美しい両目は腫れていた。
「私がするべきことを言って。拓司のために、するべきことを」



 いつの日か会えるその時に、笑顔であの子を迎えるために。
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