43 / 112
第二章
17
しおりを挟む生徒会室に着いて机を素通りし、奥にあるソファに寝そべった。
俺は何もしていなかったけど疲れた。1日中騒がしいところにいるのも原因の一つだ。
これで俺たちがメインだった学祭も終わってしまった。
ちょっとだけ、胸にじーんと滲むものがある。
眼を閉じてみると先ほどの体育館での暗闇が思い出された。
吉岡の横顔が綺麗で。
そしてキスをしてしまったんだ。
感触はまったく覚えていない。
アレが現実なのかもよく分からなくなっているから。
唇を触るとはっきりと指の感触が分かるのに、なぜ吉岡の唇の感触を覚えていないんだろう。
眼を閉じながらゆっくりと人差し指でなぞっていると生徒会室のドアがガラッと開いた。
「すみません」と聞こえてきた声が吉岡だったため、咄嗟に指を唇から離した。
誤魔化すためわざとらしくあくびをして両腕を上げた。
吉岡は俺が唇を触っていたことは見えていないから、これは自分を誤魔化すためにしたものかもしれない。
吉岡が席に座ったのを見て、俺もソファから立ち上がって自分の席に戻った。
机の上にはたいした書類もない。急ぎの用事もない。ただ今日北村が書いてくれた記録を打ち直すだけの簡単なものしかなかったから俺だけで十分だった。
明日以降は各所から報告書が上がってくるため少しは忙しくなるかもしれないが。
「吉岡、来てもらったけど、やっぱりいいや。俺1人で出来るし」
「大丈夫です」
「んー、でも今日やるようなものは俺だけで十分なんだわ」
「気にしていますか?」
「ん? 何を?」
「さっき、踊り場のところで俺のクラスメイトが言ったこと」
ああ、あれクラスメイトなんだ。クラスメイトで片づけるにはなんだか親しすぎる気もしたし、お前の焦りようは違うだろとも思った。
確かにあの言い方には腹も立ったが、外部からしてみたら仕方がないのかもしれないとも思える。放課後のほとんどを生徒会の仕事にあててもらっているのだから。
「いや、気にしてないから」
「そうですか。じゃ回せるものは今までどおりお願いします」
「うん、でも吉岡、ほんとに今日は……」
大丈夫、と言いたかったが、横にいる吉岡のほうを振り向いたらそこには吉岡であって吉岡じゃない男がいた。
左手で頬杖をつき、背中をだらしなく丸めて足まで組まれていて。
いつも机に座っているときは凛とした姿しか見たことがなく、足を組んでいるのだって初めてだ。
銀縁の眼鏡の隙間から据わった目で見られていてちょっと腰が引けた。
いつもだって優しい眼なんてしていない、冷たい眼をしていることが多いのに今ときたら三白眼になっていてとても怖いんですけど。
吉岡は俺から視線を外すことなくゆっくりと瞬きをしてはまた俺を射る。
なぜ吉岡はこんなに強情なのか。俺は別に悪いこともしてないし、言ってもいないはずだ。
驚きと怖さで瞼をパチパチと動かしていると俺たちの不穏な空気を察した北村が助け舟を出してくれた。
「吉岡、佐野が大丈夫って言っているんだ。お前も引けよ」
怖さに言葉が出てこない俺は瞬きをするので精一杯だ。
だから吉岡が北村を一瞥して「分かりました」と言って立ち上がってくれたときはほっとした。
北村よ、あとでお前の好きな牛乳を差し入れしよう。
そう言えば、以前具合の悪いときも俺が帰れと言っても帰らなかったのに松浦が帰れと言ったら素直に帰ったな。
俺の言うことは素直に聞けないのか。俺以外に言われるのはいいのか。なんだ、バカにしているんだろうか。
前に俺がバカで癒されると二ノ瀬が言っていたのを思い出し(バカと決め付けたのは北村だったが、俺にとっては同じようなもんだ)、これでも精一杯真面目に仕事をしているつもりだけど、吉岡にとっても俺はバカにでも見えたりするんだろうか。
頼りない先輩だったりするんだろうか。
尊敬するに値しない先輩なんだろうか。
いつも色んなことを忘れがちだし、吉岡にフォローしてもらうことも多いし、俺こそ足手まといとでも思われているのだろうか。
どんどんと深みに嵌まっていく思考を途切れさせてくれたのは軽快にドアを開けた見回り組みだった。
「おい佐野! お前投票してないだろー!」
生徒会室に入ってきたとたん俺に向かって指をさし、南が非難を始めた。
しかもまだ袴姿だし。
というか、なんでばれているんだ。
「お前ね、4票差よ。佐野が入れてくれていたら1位だったんですけど~!」
「いや、入れたよ俺。感謝しろよ」
「入れたのはミスコンだけだろ~。ミスターコンには入れてないだろーが」
「なんでお前が知っているんだよ」
知っているのは、一緒に投票した吉岡くらいなもんで。しかも吉岡はずっと俺といて南とは接触がなかったはずだ。
南の横を通り過ぎる松浦が「おい南、余計なこと言うなよ」と頭を遠慮なく本の背で叩いていた。
もしかして誰が誰に投票したのかが分かる仕組みなのだろうか。
松浦と南しか知らないのなら合点もいく。
叩かれた後頭部を擦りながら自分の席に向かう南は「来年こそ入れろよーバカ佐野」とここでも恨み節だ。
さっきの放送で十分だろうに。
人をバカにする人間に入れたくないのが人の心理だと思うのだが、その辺はどうお考えなのか南さんよ。
「全体の反省会は来週月曜15時からな。それが終わってすぐに生徒会だけの反省会をする。そのときに次回イベントの話も一緒にしようと思う」
何枚か書類をそれぞれに回しながら、松浦が今後の予定を言った。
見事に忙しそうだ。
「冬休みの生徒会主催のこじんまりしたイベント~?」
決して暑くないこの室内にいて南は扇子で自身を扇ぎ、松浦から配られたプリントに視線を落とした。
冬休み限定のこの生徒会主催のイベントは、毎年なにをするかまったく決まっていないイベントだ。
参加は事前に全校生徒に出欠をとり、出たい人だけでるという。だから参加人数が多ければそれなりのものを、人数が少なければ少ないなりのものを企画する。
ちなみに去年は全校生徒6分の1程度と例年よりも少ない参加率で、年忘れダンスパーティーだった。
3年はお受験のためほとんどが参加しないし、家に帰る生徒が多いと参加人数もおのずと少なくなる。
少ないと楽でいいから、今年もそうありたい。
「それぞれ何をやりたいか考えてきてくれ。……と、冬休みのイベント前に期末テストが待っているから勉強も頑張るように」
最後の言葉だけが俺に重くのしかかった。
期末テストが待っていた……。
忘れていたわけじゃないけど。
話が終わり、それぞれがチマチマした仕事を残していたようで俺以外に田口と松浦が残っていた。
俺も記録を終えると、ちょうど田口も終わったようでPCの電源を切る音が聞こえた。
松浦も田口が終わったことを知ってか「田口、今日のプリント吉岡に渡してくれ」と頼むが、田口が返事をする前に「俺が行く」と言ってしまった。
なぜだ、自分で言っておいてなんだけどなぜ俺が行くんだ。
ポカンと俺を見下ろす田口に笑顔を向けた。
俺も、ちょっと驚いているんだからそんな顔向けないでくれよ。俺が変なことでもしているみたいじゃないか。
「ちょうど吉岡に頼みたいことあったからさ」
「ああ、そうなんですね」
「じゃあ佐野、頼む」
「はいよー」
言い訳をしてプリントを預かった。
用なんてない。
吉岡に用事なんてなにもないけど――
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
237
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる