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しおりを挟む部屋にもどってすぐ、タイミングを見計らったように朝永から電話が掛かってきた。
食堂ではゆっくり話せなかったからちょっと出てこれないか、オメガ棟の入り口まで迎えに行くということだった。
二つ返事でオッケーした。
俺もゆっくり話したかった。
仕度をしながら朝永でオナニーした発情期のことを思い出し、一人でいる部屋で赤面してしまった。
これから会うというのに、こんなときに思い出さなくとも。
走って廊下を抜けると俺にくれたものと同じ紺色のカーディガンを着た朝永が立っていた。何枚もあるというのは本当のようだ。でも俺はお返しをしたいんだよな。
朝永が俺に気がついてゆっくりと口角を上げる。犬がご主人様のもとにかけ寄るよう走った。
「そんなに急がなくても消えないよ」
「そうだけど……」
早く会いたかったし、という言葉は喉に詰まって出てこれない。
「こっち」
「え」
「おいで」
朝永に手を引かれ、早足で移動する。売店近くにはアルファの先輩が数名いて、こっちを眺めていた。しかし俺たちのことが風景の一部であるように視線が消える。
さらに人気のないところへ行き、たどり着いたのは非常階段のドアの前。消火器の上に古ぼけた十センチ×三センチほどの青い札が掛かっており、朝永はその札をひっくり返した。裏は赤い色をしていた。
『緊急時以外立ち入り禁止』と書かれた非常階段のドアを開け、周りに誰もいないことを確認して朝永は俺を引っ張って外へと俺も連れて行かれた。
薄暗い階段の小さい踊り場。狭いし風が強く吹きぬけるため時々寒く感じた。繋いだ手に自然と力が入る。
「寒い?」
「風があると」
「そっか。でもここニ人になるのに丁度よくて」
「そうなんだ」
「アルファの先人が作ってくれた逢引場なんだって。初めて来たけど」
「あ、逢引……」
「言葉がいいね、時代を感じて。先輩達もその時代その時代で必死に会う場所を探していたんじゃないかな」
「そうなんだ」
下から風がビュウっと吹き、前髪が上がる。朝永も普段隠れているおでこ全開でかわいい。
「カーディガンごめん」
「いいよ」
「あれ、ほんと、手荒く扱っちゃって返せないから……」
「だから、いいのに」
「うーん、ありがとう……」
朝永は困っている俺を楽しそうに眺めた。そして向かい合って両手でそれぞれの手を握られた。ニギニギとされるが、なんだろう、感触でも確認してるのか。
「カーディガンのお返しというか、お礼がしたいんだ。何か欲しいもの、ある?」
言いたかったことを伝えられ、ホッとする。これでようやく胸のつかえが取れた。スッキリした俺の表情と反対に朝永が眉を下げて困ったように首をかしげた。
「何もいらないんだけどな。本当に。言葉だけでも嬉しいよ」
「そう言ってくれるのは分かるんだけど」
「これと言って欲しいものもないし」
「あ、俺が金買えるものは朝永だって買えるのか」
うっかりしていたけど、朝永は金持ちアルファだった。支度金一億のせいで自分が金持ちと勘違いしていた。
そして初めての逢引場に俺を連れてきてくれたことでかなり浮かれていたかもしれない。
「そう言うことじゃないけどね。でも、そうだな……」
少し考え込むように視線だけを横に向けた朝永。風で髪の毛がふわふわ踊る。風がとても似合う人だとボーッと眺めた。締まらない顔で朝永を見上げていたと思う。見惚れていたんだ。呆けていたはずの俺に、朝永も優しく微笑んでくれた。
「抱きしめてもいい?」
「え゛」
「ダメ?」
いきなり何を言うのだと驚いてしまったが、ダメではない。お礼がそれでいいなら、朝永がいいならいいけど。ただこれは本当にお礼なるのかが不安だ。単なる俺への御褒美じゃないのか。
それに恥ずかしいからお断りしたい。いや、断りたくない。
抱きしめてもいいかなんて、そんなセリフを吐かれて、俺の心臓はバクバクと跳ね上がっていた。
「夜詩人」
「……なんでそこで名前を言うんだよ」
「ん?」
うっかり声に出してしまって急いで口を閉じた。
番号でしか管理されていない場所で好きな人から名前を呼ばれたら、なんでもオッケーしてしまうに決まっているじゃないか。ああ、やばい。もう朝永を好きな人だと判別してしまっている。だって一番気になるもの。もう好きでいいだろ。
朝永に名前を呼ばれるのだって好きだ。
そこで1番の話を思い出した。
握られた手をぎゅっと握りかえし、朝永を見上げた。
「朝永」
「ん?」
「朝永」
「なあに」
「……ううん、なんでもない」
嫌いだという名前を呼んでも不機嫌になるどころか甘ったるい声を出し、また「夜詩人」と囁いてくる。もう抗えないでしょ。こんなの。
「夜詩人、抱きしめてって顔してる」
そうかもしれない。でも返事をするのが恥ずかしくて困っていると、小さく笑った朝永は俺の手を離してそっと抱きしめてきた。
遠慮がちだったそれはゆっくりと体を密着させて。見た目よりもしっかりとした体にぎゅっと包まれた。胸板も硬いし、回された腕も力強い。女の子じゃない、男の体。でもものすごくドキドキするし、どういうわけかホッとする。
俺の心臓の音はやばいのに朝永のものはゆっくりとしたものだった。この差がにくい。
しばらくじっとしていた朝永だったが、俺の顔や耳、首筋へと鼻先を移動し始めた。くすぐったくて肩を竦めて身を捩るが、後頭部を大きい手で固定され、朝永にされるがままとなった。
「うう……と、ともなが。くすぐった、い」
「うん」
一番やばかったのは耳で、朝永の息がかかると背筋がゾワゾワと落ち着かなく、無駄に熱い息を吐いた。
背中に回っていた腕もゆっくりと上下に這わせられ、耳許で繰り返される「夜詩人」。
もうどうにでもなーれー! って思ったところでバッと勢いよく体を離された。驚いたが、こんなところで盛ってもな、とすぐに冷静になった。
朝永も同じことを思ったに違いない。苦笑していた。
「夜詩人のことお持ち帰りしたくなってきたからもうやめておく」
「うん」
「最後にキスしたい」
「!?」
まどろんでいた意識が一気に覚醒した。
キスだと!?
そんなのしてみたいよ! と思いつつ、心と体は裏腹。真一文字に結ばれた俺の唇を見て、朝永は声を出して笑った。だってしたことない……。
「うそうそ。いや、嘘でもないけど。でも今日はしないであげる」
「えー……、あー、なんかごめん。ん、ごめんなのか?」
「お楽しみは今度で。じゃあ、送るよ。また連絡する」
「う、うん」
今度、あるのか。俺みたいな肝の小さい人間は緊張で吐くかもしれない。
胸の高鳴りが治まらない。どうしてくれるんだ。イタズラ心にちょっと睨んでやれば(赤面しているだろうからきっと怖くないはず)、また声を出して笑われて。なんだか悔しい。
でもこの骨ばった大きな手も、抱き締めてきた腕も胸も程よい筋肉に覆われていてどう考えても男。
ふとしたときに、男相手に、と何度も思ってしまう。今までの短い人生であるが恋愛でも性的にでも対象外だったから。
そんなこと、いくら考えても仕方ない。答えはないほうがいいこともあるだろう。
俺はオメガなのだし、朝永がアルファだから惹かれるだけだとしても。第二の性がそうさせているなら、もうそれでいい。
ああ、朝永が好きだ。
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