上 下
33 / 35

対峙②

しおりを挟む
「やめろ!!」

鋭い声とともに、彼の剣が振り上げられる。
けれど……。

愛麗へと構えた剣先は震えている。
柄を握る彼の手は白くなるほど強く握られるだけで、愁陽には彼女を斬ることは出来なかった。
愁陽は眉根をきつく寄せ苦しそうに顔を歪ませ葛藤していたが、眼を強く閉じると顔を背けてしまった。
やがてゆっくりと、剣を持つ手が力なく下ろされた。

「…………行けよ。俺には、お前を、斬ることはできない……」
顔を背け俯く彼を見て、勝ち誇って狂喜するかのように女は高らかに嗤った。
「愚かな男!これで、すべてが完成する!もう、誰にもワタシを抑えることはできない!ワタシは自由になるんだわ!」


「……そう、私は自由だわ。お別れね」
そう答えた彼女の声に、はっとした愁陽が顔をあげる。
そこに見えたのは、紛れもなくふわりと微笑んだ愛麗だった。

「っ、愛麗っ!?」
「愁陽!」
優しく包み込むような微笑みを浮かべて、愛麗は両手を広げて愁陽に歩み寄る。
彼が知っている愛麗だ。
そして彼女は、会いたかった、もう苦しまなくていい、というように、強く、強く彼を両腕で抱き締めた。彼の剣先とともに……

「っ!!!」

愁陽は、一瞬何が起きたのか、わからなかった。
ただ剣を握る掌に伝わる、忘れたくても忘れられない肉を貫く嫌な感覚。
頭の中で警鐘を鳴らし身体の中を戦慄が走った。
肩に寄せられた愛麗の唇から、深く息が漏れ、苦しそうに耐えているのがわかる。

愛麗の身体から弾き出された女の影が、ぼうっと離れたところに浮かんでいた。
「何故なの!?」
女は激しく怒り叫んだ。目と口を剥きだしている。

愁陽は力が抜け崩れそうになる愛麗の身体を抱き締めたまま、剣を抜くことができない。抜けば傷口から血が噴き出すだろう。そんなことをすれば、彼女を救うことができなくなる。しかしこのままでは……どうすればいいのか、
まともに冷静になど判断が出来ない。

「…あい、れ…い……」
やっと絞り出した彼の声は掠れて震えていた。
愛麗は心の中で、何度も愁陽に謝った。こんな役目を彼にさせてしまったことは、本当に申し訳なく思っている。
これ以上はもう、なるべく彼を苦しめたくはない。
腹部に刺さった剣を抜くために、愁陽を突き飛ばした。
焼けつくような鋭い痛みに気が遠くなりそうだ。
叫びたくなるのを必死で堪える。
霞む視界に、信じられない光景を見るようにただ呆然と、泣きそうに顔を歪めて立つ愁陽が見えた。

ああ……ごめんね、そんな顔させて。
話すことが出来ないから、心の中でもう一度詫びる。
せめて大丈夫だと笑っていよう。
脚から力が抜けそうになるのを、ふらつきながらも何とか踏ん張る。
まだ最後のやるべきことが残っている。

「……これ、で……、いいの……。これで……」
愁陽と、もう一人の彼女にと、そして自分に言う。
精一杯の力を振り絞り、もう一人の自分という影と対峙する。
「……自分で作り上げた偶像は、自分で壊さなければいけない。だって……、私は、自分でいたいからっ……」
もう表情もなくぼやけるように立っていた影は、何も言うこともなく、静かにスーッと消えていった。

愛麗は最後の賭けに勝った。
日に日に強くなるもう一人の自分に支配され、自我が完全に消えてしまうことを恐れた。もう一人の彼女になったとき、いったい自分は何をしてしまうのか怖かった。結局、火を放ってしまったのだが。
姉の死の告白のあの夜、すべてを手放すふりをして、一度身体とココロをもう一人の自分に明け渡した。今度は自分が彼女の中で眠り、もろとも葬ることができる機会を待つために。

大きな賭けだった。もしかして、彼女の中でそのまま目覚めることができず、外に出てくることができなくなるかも知れない。

けれど、愁陽がきっとそばにいてくれる。それだけだった。
きっと大丈夫。そう信じて、機会を待っていた。
そのために彼にもずいぶん辛い役をさせてしまった。酷いことも言ったし、たくさん傷つけた。
けれど、きっと自分が消えて彼女が残ってしまっていたら、もっと愁陽を傷つけ続けたことだろう。

でも、これでもう、もう一人の自分に怯えることもなく、本来の愛麗としていられる。
彼にも、このまま愛麗として別れができる。

愛麗は、まだ炎で赤く染まる夜空のほうを見た。けれど彼女の瞳には、青く懐かしいあの空が見えた。
空に向かって、血に赤く染まった手を伸ばす。

「……愁陽、見て、青くて、ほんとキレイな空……、いつも、こんなふうに、なりたいと、思って…」
最後まで言い終わらないまま、愛麗の身体が崩れ落ちようとしたのを、愁陽が抱きとめる。
「愛麗っ!愛麗……っ、しっかりしろっ」

床に崩れ落ち、ぐったりとした身体を抱き締める。ゆっくりと愛麗が閉じていた瞼を上げた。
「……もう少しで、手が届きそうなのに……、届かないのね……」
口元に弱々しく笑みを浮かべて言うと、また震える手を伸ばそうとする。
愁陽がその手を握りしめ彼女の身体ごと抱き締める。
「……動くな」

愛麗の白い衣装を、真っ赤な鮮血が染めあげている。
止血をしなければ……っ、そう思うのに、傷口に手をやるもどくどくと流れ出る血を止めることが出来ない。
戦場で多くの者の死を見届けてきた彼には、彼女の傷の状態がどうであるか、一目瞭然だった。死ぬな、愛麗、まだ言いたいことがいっぱいあるんだ。
ともにやりたいことだって、たくさんある。
どうすればいい。考えろ!愁陽は自分を叱咤する。
外套マントや自分の衣装から使えそうな布で止血しようと傷口に当てるが、みるみるうちに赤く染まっていく。

血に染まった手で愁陽の腕に触れた愛麗が笑みを浮かべる。
「……震えて、る、の?」
「大丈夫……、傷は、そんなにひどくないからっ」
彼女に生きて欲しくて嘘をついた。

「ふふ…、おかしいね。一国の将でも震えるなんて……」
「喋るな」
「……でも、そんな、あなたでいてね、ずっと……」
「頼むから……、喋らないで、くれ」
彼女の身体を抱き締め、愁陽の声が震える。

「愁陽なら、きっとあの空になれるわ、ほんとよ……っ……」
愛麗が血を吐いた。
「愛麗!」

彼女は今にも消えそうな声なのに、彼の懇願を無視して明るく続ける。
「……そうだわ、……あなたが、空なら、私は風に、なるわ。風になって……、大好きな人たちの傍にいるの……困ったときは、助けてあげる」
彼が大好きな幼馴染の笑顔だ。少し元気はないがあの頃と重なる笑顔のままだ。

「やさしくて…、あたたかい、風……、愁陽…」
「ん?」
「…………眠く、なってきちゃった……少し、眠って、いい……?」
「っ……だめ、だよ、…愛麗……」

愁陽はもっと愛麗の笑顔をしっかりと見たいのに、涙が邪魔をする。
彼はいつの間にか泣いていた。
彼の眼から涙が溢れ落ちて、彼女の頬を濡らしていく。

愛麗はさっきから愁陽を優しくつつむように笑みを浮かべている。
けれど、その黒い瞳は閉じようとしている。もう何も見えていないのだろう。

     青い空……、光に満ちて……

愛麗が消え入りそうな声で歌う。


     吹く…風は…………、
     
     や…さ…………、し……く…………


彼女の細い腕が力なく床に落ちた。

「っ!!愛麗……、愛麗っ!!」

彼女の表情かおはとても幸せそうに微笑んでいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

SERTS season 1

道等棟エヴリカ
キャラ文芸
「自分以外全員雌」……そんな生態の上位存在である『王』と、その従者である『僕』が、長期バカンスで婚活しつつメシを食う! 食文化を通して人の営みを学び、その心の機微を知り、「人外でないもの」への理解を深めてふたりが辿り着く先とは。そして『かわいくてつよいおよめさん』は見つかるのか? 近未来を舞台としたのんびりグルメ旅ジャーナルがここに発刊。中国編。 ⚠このシリーズはフィクションです。作中における地理や歴史観は、実在の国や地域、団体と一切関係はありません。 ⚠一部グロテスクな表現や性的な表現があります。(R/RG15程度) ⚠環境依存文字の入った料理名はカタカナ表記にしています。ご了承ください。

処理中です...