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第二章

18.

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 リゼットは窓際から湖を眺める。風が吹いて、さざ波をたてる。波がたつと、日差しが反射して、キラキラ輝く。
 波音は心地よく、ずっと聞いていられた。

「リゼットお嬢様、おひとりで窓際まで来られたのですか?」
「ええ、そうよ。でも……次はマノンを呼ぶわね」

 そう言って足元の布地をめくる。足のあちこちが赤くなって擦れた傷になっている。どうも転んだか、ぶつけたようだった。

「まあ、これは大変おてんばになられたのですね。傷薬をお持ちしますわ」
「ありがとう。それと、少しお腹が空いているの。何か食べるものもお願い」

 同時にお腹が鳴る。
 苦笑するマノンに、リゼットは笑いかけた。マノンに心配をかけてばかりだった。「すぐお持ちします」とお茶を淹れてから、マノンは部屋を出た。

 リゼットはお茶を匙ですくい、一口飲む。蜂蜜がたくさん入った、甘いお茶。
 昨日までは味もわからなくなっていた。今日は甘さがわかるようになった。

 悪夢に、心まで蝕まれていたのだろうか。ふと、右手の中指に触れる。指輪がないことに気づいた。
 レオンから贈られた指輪。淡い紫色の宝石が埋め込まれており、金の細工が施されたもので、レオンは毒を消す効果があると言っていた。
 弱っていた時に、指輪が緩くなり外したことを思い出す。

 マノンが薬箱と果物の入った皿を持ち、戻ってくる。
 足の怪我に薬を塗りながら、マノンが心配をしていたことを何度も話す。もう二度と目覚めないかと思った時もあったと。
 その度に、リゼットはマノンに謝罪するのだった。そして、果物をほんの少し口に入れる。一口サイズのストロベリーは、甘くて美味しかった。

「そういえば、レオンから贈られた指輪は、マノンが保管してくれているのよね?」
「ええ。そこの宝石箱にしまってあります」

 マノンはサイドテーブルの引き出しを開ける。小さな箱があり、その中に指輪が入っているのだろう。

「つけますか?」
「いえ、あればいいの。今はつけたい気分じゃないわ」

 リゼットの表情が陰る。
 マノンは察して引き出しを閉め、またリゼットの足に薬を塗った。
 マノンはあの日、レオンとリゼットに何かあったことはわかった。リゼットの部屋を出たレオンは、今までに見たことがない怒りの表情をしていた。そして、リゼットの首に赤い跡。
 リゼットが深い傷を負っただろうことだけは、よくわかった。マノンはリゼットが元気になってくれるなら、何でもしたかった。

「マノン、そんなにわたくしの怪我は酷いのですか?」
「え、いえ、少し塗りすぎました!」

 リゼットの声にハッとすると、足に薬を塗りすぎていたようだった。多く塗った分をタオルで拭う。
 リゼットはくすくす笑った。陰りがなかった。
 マノンは薬の上にガーゼを乗せ、包帯を巻く。終わると薬箱を片付ける。皿の中の果物は、半分くらいに減っていた。

「果物だけで足りますか?」
「ええ。もうこれで十分よ。ありがとう」

 そう言ってまた、窓の外を眺める。
 マノンは朝の支度に用意した湯が冷めたことに気づき、換えを持ってくると言って部屋を出ていた。
 リゼットはまた湖を眺める。昨日のように、そばに行くにはまだ体力が無い。もう少し、元気をつけて自分の足で向かいたいと思った。

 ふと、湖の辺りに、人影が見えた。目を凝らしてみる。
 長身の黒髪を一つ結びにした男性。
 リゼットが誰だろうかと気になって、身を乗り出すと、男性もこちらを見た。

「ヴォルター様……?」

 ーー昨日も湖に来ていたけれど、今日もどうして?
 リゼットは声をかけたい気分になっていた。けれど、部屋から湖まで、声が届きそうもない。
 そうして、魔法の鳥のことを思い出す。

「確か、魔法の鳥の言葉は……」

 小さな小鳥をイメージしながら、言葉を紡ぐ。
 片手に収まるくらいの鳥が生まれる。
 その鳥に、言葉を託してヴォルターへ向かって飛ぶようにお願いする。

 鳥は、窓をすり抜けて、ヴォルターに向かった。ヴォルターは、鳥に気付いて片腕をあげ、鳥を止まらせた。そうして、鳥がリゼットのところに戻ってくる。

「リゼット様、魔法の鳥を上手に使いこなしていますね。お加減はいかがですか?」
「昨日は助けていただいて、ありがとうございました。体調は昨日よりも良いです」
「それは良かったです。どうかご無理なさいませんよう。私は所用があるのでこれで失礼します」

 ヴォルターからの返信が届くと、湖に姿はなかった。
 リゼットは少し残念に思ったけれど、レオンの顔がよぎり止まった。
 ちょうどマノンが戻ってくる。

「リゼットお嬢様、湯をお持ちしました。それと辺境伯様から、お嬢様に贈り物だそうです」

 マノンの後ろの使用人が、大きな箱を持っていた。開けてもらうと、水色のドレスと靴が入っていた。

「ええと、これはどういう意味なのかしら?」

 辺境伯ーーしかも、高齢の男性から、ドレスのプレゼントなど、理由が思いつかない。
 マノンが添えられていた手紙を、リゼットに見せる。手紙には『ミヨゾティースに来たことへの礼、体調が良くなったらこのドレスを着てお茶会に来て欲しい』というお誘いだった。
 ドレスはミヨゾティース伝統の刺繍が施されていた。都市の名前の由来の花が、銀糸で刺繍されていた。
 いずれミヨゾティースの辺境伯にと、父が誘われていたことを思い出す。

「きっと、着ていったほうがいいわよね?」

 マノンは、父に相談することも伝えて、ドレスを箱に戻した。
 使用人に、衣装部屋へ持っていくよう伝える。

「ヴォルター様が、湖に来ていたわ」
「そうなんですか?そういえば昨日もいらしていましたね」
「ええ、それでわたくしは昨日のお礼を伝えました」
「窓から叫んだのですか?」

 そういえばマノンは魔法の鳥を知らないのだった。
 リゼットはマノンに、魔法の鳥を見せる。

「この鳥を飛ばして、やりとりをするのよ。レオンが遠征中も、ヴォルター様がこの鳥をレオンまで飛ばしてくれたの」
「魔法ってすごいのですね。何でもできそうですね」
「そうね、言葉とイメージさえ分かれば……あ、でもわたくしには難しかったわ。イメージと実際の魔法は全然違ったのよ」

 リゼットは、マノンに王宮での魔法のことを話した。マノンはレオンからも少し聞いていたけれど、リゼットの慌てぶりが興味深かった。
 話終えると、リゼットは小さな欠伸をする。

「お嬢様、話疲れたのでしょうか?少しおやすみくださいませ」

 マノンは使用人を呼び、リゼットをベッドまで運び、寝かせる。リゼットはすぐに、うとうとして眠る。顔色はここ数日のなかでも、良くなっていた。
 ワゴンを運び出し、マノンはリゼットのそばに腰掛ける。

 リゼットが夜に寝ている時も、時折こうして様子を見ていた。
 うなされている時は背中や手をさする。それだけしか出来なかった。
 昨日、今日とずいぶんヴォルターに救われた。車椅子の件も、あの後から悪夢にうなされていないことも。
 できれば、このままリゼットの心が癒えてくれると嬉しいと思う。

 マノンはもう一度、リゼットの顔を見る。落ち着いた様子で眠っている。
 次に目覚めた時は、もう少し食事を摂るだろうか?
 マノンは思い立って、軽食を用意するよう決める。

「お嬢様、ゆっくりおやすみくださいませ」

 声をかけて部屋を出る。
 そうして、何を用意するか考える。
 口当たりのよいデザート、果物、パン粥も勧めてみようか。考えるだけで気合が入る。

 リゼットは昼過ぎまで眠っていた。
 起きるとそばにマノンがいた。
 温かいタオルで体を拭いてもらい、何か食べるか聞かれる。また少しお腹が空いていると伝えると、果物だけでなく、軽く食べられそうなものをいくつか持ってきてくれた。

「こんなに食べられないわ」
「ええ、どれがいいか決めかねたので、好きなものを選んでくださいませ」

 リゼットは、果物とパン粥を選ぶ。少し食べて、「やっぱりゼリーも欲しいわ」と、ゼリーは完食する。

「お嬢様、食欲が戻ってきましたね。私、とてもうれしいです……!」

 マノンは涙声になる。
 リゼットが何もかも拒絶した日々が、ようやく終えようとしてた。
 食後、リゼットはまた窓際のソファに腰かけた。マノンに窓を開けてもらい、じっと外をみる。時折、何かを探すように、視線を動かす。

「リゼットお嬢様、歩けるようになったら、湖まで言ってみましょうか?」
「ええ、そうね。行ってみたいわ」

 リゼットの視線は、湖を見たままだった。そうして夕方まで過ごして、夕食も部屋で取る。
 昼と同じ程の量を食べる。
 食後は足の怪我の薬を塗り直し、包帯を替えた。明日には包帯をとっても良さそうだった
 夜も、ぐっすり眠っていた。うなされることもなかった。マノンもようやく安心して眠ることができ、もしも何かあれば起こして欲しいと、警護の兵士に頼み、寝付いた。

 翌日、マノンがリゼットの部屋に行くと、窓際のソファに腰かけていた。
 もう朝の定位置のようだった。
 マノンに気がつくと、足を見せる。包帯はベッドの横に折り畳まれていた。

「自分でちゃんと歩けたわ。今日は湖まで行けそうよ」

 にっこりリゼットが笑う。
 その顔は、元気な頃とほとんど変わりなかった。

 朝食を用意する。
 昨日と同じような食事に、卵料理を食べたいとお願いされて、用意する。
 完食し、食後のお茶もゆっくり味わった。
 それでも不安があったマノンは、屋敷のなかを歩くよう勧めた。湖の地面は砂地で、足を取られやすい。
 ただの床でも歩けないなら、厳しいのではと思った。

 午前に屋敷内を歩く。リゼットは部屋から出て歩くのは、初めてだった。
 古い造りの屋敷で、図書室も用意されてあり、以前住んでいた者が遺した書籍が保管されていた。図書室の椅子に腰掛け、マノンがいくつか書籍を選んでくる。リゼットは数ページみて、気に入った本を、部屋まで持ち帰る。
 ベッドに入って、少し読みふける。
 体が弱っていたせいか、集中力が途切れ、欠伸をしたらマノンに本を取り上げられてしまった。

 昼食も、朝食と同量を完食する。
 マノンは大変喜んだ。

「少し寝て調子が良ければ、外に出てみましょうか?」
「ええ。うれしいわ」

 リゼットは2時間ほど眠り、目が覚める。体の調子も良いので、マノンに外に行きたいとお願いする。
 風があるのでと、歩きやすいドレスと靴を選んでもらい、肩掛けもして外に向かう。

 ゆっくりとした足取りで、マノンに手を添えてもらい歩く。
 自分で歩く外の空気は、とても気持ちよかった。

「湖も近いのね」
「ええ、お嬢様。もうひとりでも歩けるので、少し砂地まで行ってみますか?」

 リゼットも、マノンも積極的だった。
 砂は少し足を深く沈ませる。けれども、もうリゼットは足を取られることはなかった。
 日は少し傾き始めていた。
 湖の、波が届くところまで行ってみる。

「ここに、魚がいるんですよ」

 マノンが指差す方に、魚の群れがいた。餌をあげることもできると知ると、リゼットは興味を示す。
 マノンが餌を買ってこようかと声をかけようとして、声をあげた。

「レ、レオナード様!?」

 マノンの声に、リゼットも視線をあげる。
 確かに、レオンの姿があった。
 騎士団の鎧を身につけて、馬に乗っていた。

「リゼット、遅くなってごめん、俺ーー」

 レオンが声をかけ、近寄ろうとすると、リゼットは目を瞑り大きく叫んで、意識を失った。
 マノンがリゼットの声に反応し、リゼットの体を支える。支えきれず、一緒に転倒するが、リゼットの頭を抱き守る。

「ほ、本当に、レオナード様ですか?どうしてこちらに?屋敷には伝えないよう話していたのに」

 マノンも驚いた声で問う。
 屋敷に残った者には、誰が来ても「療養していて居場所を教えない」ことになっていた。レオンにも伝えないことになっていたはずなのに。
 レオンは申し訳ない顔で、マノンに伝える。

「リゼットに贈った指輪に、居場所が分かる魔法がかかっているんだ。リゼットの安全のために」

 確かに、竜の継承で危険がないとは限らなかった。だけれども、やっとリゼットが回復した時に、元凶のレオンが現れるなど、タイミングが悪すぎた。
 レオンに不敬にならないよう、言葉を選び迷う。

(誰か助けて欲しいわ、レオナード様以外で!!)

 マノンは心の中で叫んだ。
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