料理がしたいので、騎士団の任命を受けます!

ハルノ

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 領主様が所有するもうひとつの屋敷へと、馬車は向かっていた。
 一緒に乗った騎士は、火事の避難誘導もしていた。護衛用の兜を被っており、表情はよく見えない。わたしもヘレンも、不安にぎゅっと胸を掴まれた気分だった。隣に座り、手を握り、支えあった。ヘレンの手はとても冷たかった。

 徒歩でも向かえる距離の屋敷は、随分と遠かった。
 時計を持っていないし、時間を正確に計ったわけではない。窓も厚手のカーテンで隠されている。

「……シズク、足が痛いよ」

 不安そうにヘレンが呟いた。
 冷やして包帯を巻く手当も、まだできていない。それで、騎士に聞くことにする。

「あの……。領主様の屋敷には、あとどれくらいかかるのでしょうか?」
「まもなくだ」

 ピシャンと跳ね返るような、冷たい口調が返ってきた。表情はみえないけれども、不安がさらに増えるような冷たい声だった。それで、仕方なくわたしたちはじっとする。騎士の機嫌を損ねれたら、何かあるかわからない。ただでさえ、わたしたちは何の訓練もしたことがない一般人なのだ。

 そう思った途端、心臓がばくばくとしてきた。
 目眩がして、視界が揺らぐ。座っているから、倒れることもなかった。ヘレンの手を握り、彼女も応えるように握り返していた。

 馬車の車輪がガタゴトと動き、お尻が弾むくらい揺れを感じる。
 ヘレンがわたしの肩に頭を乗せた。少し早い呼吸音に、彼女の顔を見る。はぁはぁと小さく浅い呼吸を繰り返している。額に手を当てると、熱があるように思った。ヘレンのことを騎士に伝えようとしたけれど、さっきの冷たい言葉が耳に残っている。

 ああ、どうか、早く、はやく――。

 祈るような気持ちで、思い浮かべたのはグラファリウムさん。
 彼ならば、きっとわたしたちに手を差し伸べてくれただろうか。

「異世界の者が優遇されるなど……」

 目の前の騎士が呟いた。それも、わたしたちにもはっきりと聞こえる大きさで、だ。
 驚いて顔を見上げる。

「……なんだ、聞こえた・・・・のか?」

 返答するか、しないか、迷った。だけど、しようが、しまいが騎士には関係なさそうだった。

「お前らに後ろ盾はないだろう?」
「……っ、な、何をするの!?」

 動く馬車のなかで、彼はのそりと立ち上がった。そうして、わたしの前に立ち、顔を近づける。にやりと笑う顔は、底気味が悪い。騎士が何をするかわからず、けれども直感で「彼は危険だ」と脳内で警鐘が鳴る。
 わたしはヘレンを後ろ手に隠すようにして、彼を睨んだ。

「やめてください、騎士様」
「やめるはずがなかろう。……お前らのひとりやふたり、いなくなったとしても、誰が損をするというのだ」
「……わたしたちを、どうするつもりなのですか?」

 ゆっくりと騎士が動いた。
 後ろからはヘレンの「う……うっ……」と苦しそうな声がする。

「……彼女は、助けてください。足の怪我から熱があがっていて、きっと騎士様の役には立てません」

 騎士は下品な笑い声をあげた。
 そうしてぺらぺらと語りだした。御者もこのことは十分に知っていること。異世界から来たものに身よりはなく、雇用したら「自由に扱える」こと。
 また異世界からきたもののの食事は、大変美味だと噂されていたこと。

「お前がうちで働くと、契約をしてくれるのなら、その女だけを助けてやってもいいのだぞ」

 ヘレンが助かるのなら、迷うことはない。……ただ、わたしはアキレウス様から正式な書類をもっている。それが影響することはないのだろうか。
 気がかりではあったが、騎士の言葉に頷いた。

「わかりました。騎士様の言う通りにします。だから、ヘレンを安全な場所へ連れて行ってください」

 騎士はへへっと笑い、それか御者に声をかけた。

「例の場所まで。着いたらお前は怪我している女を、領主の屋敷へ連れていけ」

 御者は「へい」と軽く返事をした。
 安心したように、騎士はわたしの隣にドサッと音を立てて腰かけた。そうして恋人にでもするように、腰に手を回して、薄ら笑いを浮かべる。

「よく見たら割と綺麗な顔をしてるな。……これからよろしくな」

 顔は整って美しいのに、なんて汚らしい笑い方をするのだろう。ぞわぞわと気持ち悪さが胃からこみ上げてきた。
 馬車が指定された場所で止まる。森の奥深く、月の明かりも薄く、足元が見えないほど暗い場所だ。
 わたしの腕をぐんと強くひいて、馬車から無理やり下ろされる。わたしと騎士が降りた後、御者は馬を方向転換させて走らせた。

 騎士はわたしの腕をつよく引いたまま、歩いた。少し歩いて、馬の嘶きが聞こえる。
 ぶる、ぶると馬が首を振って、待っていた。

「これで移動する」

 騎士はひっそりと声をひそめて言った。

「……ほう。貴様は騎士団の命を忘れたというのか?」

 背後から、聞き覚えのある声がした。

「アキレウス様!」
「た、隊長――ぅぐっ!」

 騎士が慌てたように呼ぶ声が消える。
 アキレウス様が瞬時に駆け寄り、騎士を気絶させていた。ばったりと仰向けに倒れた騎士をみて、わたしはほっと息を吐いた。

「怪我はないか?」

 アキレウス様がわたしの体の様子を気遣う。それに、こくこくと頷いて、そうして緊張感がほどけて喉の奥がきゅっと苦しくなった。体が震えて、アキレウス様の手にすがる。

「……こ、こ、こわ、……っ!」

 涙がぽろぽろと溢れて、嗚咽と呼吸が交互に襲う。なんとも見苦しく泣いていると、心の隅で冷静に俯瞰する。

「ああ、もう大丈夫だ」

 アキレウス様は、わたしの背に手を触れる。反射的にびくりと震えてしまうと、手を離した。

「大丈夫だ、君を傷つけたりなどしない。さぁ、とにかく屋敷へと向かおう。グラファリウムも君の到着を待っているのだから」

 涙目のまま見上げると、アキレウス様の燃えるような瞳が真摯な、それでいてどこか繊細な表情でうかがっていた。

「グラファリウムと約束したのだ。君を必ず送り届けると――。信じてくれるか?」

 わたしはこくこくと頷いた。

「は、はい……」

 馬に乗るぞ、とアキレウス様はわたしの両手を、彼の首へと誘導した。そうして、横抱きにして立ち上がった。そのまま軽々と馬に乗る。

 彼が乗ってきた馬は、ふたりぶんの体重でも悠々と歩く。
 わたしを探すために全速力で走ってもなお、体力が有り余るほどあるそうだ。
 それで、わたしを前にのせて、アキレウス様は背後に乗っている。
 馬に乗ると、視線はだいぶ高くて、シートベルトもないし歩くたびにぐらぐらと揺れて不安定だ。ぐらつかないように、彼は片手でわたしの体を支え、もう片手で手綱を持っていた。
 先程、騎士に触れられた気持ち悪さがよぎったけれど「アキレウス様は違う」と何度も悪い感情を断ち切った。

 屋敷に着いたのは、わたしが最後だった。ヘレンはちゃんとこちらに送り届けられたそうで、治療を終えて先に眠っているそうだった。

「シズク殿!」

 グラファリウムさんは、屋敷の入り口で待っていたようだった。

「怪我はしていないか?」
「はい、大丈夫です」
「ならば部屋まで案内させよう」
「ありがとうございます」

 本邸のメイド長、ジェミニさんがやってきて、部屋まで案内してくれる。グラファリウムさんはまだやることがあるそうで、わたしの到着を待ってから元々の屋敷やら出かける場所があるそうだ。
 アキレウス様にお礼を伝える。

「ありがとうございました」
「いや、こちらも民を不安がらせてしまい申し訳ない」

 警護にあたる騎士は、アキレウス様が信用しているものを選んだそうだ。それでも不安があれば、屋敷の使用人に伝えることになった。

 ふたりとお別れした後、ジェミニさんが部屋まで案内してくれることになった。
 広い屋敷のなかを、迷うことなくすいすいと歩くジェミニさん。

「この屋敷は、他領地からの来客用に建てたものです。なので間取りなどはすべて把握しております」
「すごい……こんなに広いのに」
「それが、わたしどもの勤めですから。ふふっ」

 寮のみんなは相部屋だそうだ。ひとりでいるよりも、誰かと居たいという希望に答えたそうだ。わたしだけは到着が遅れたことと、他のみんなは精神的な疲労もあって先に寝たため、個室を用意されていた。

「気分を落ち着けるお茶です。それから、着替えも」
「ジェミニさん、ありがとうございます」
「なにかあればこのベルを鳴らしてください。使用人が待機していますので、すぐに対応できます」
「はい」

 お茶を飲んだ後、着替えてベッドへ入る。ジェミニさんがベッドの横の小さなテーブルにガラス瓶に入った水と、呼び鈴を置いていった。

 リラックス効果のあるお茶と、安心できる場所についたことでほっとして、目を閉じてすぐにうとうとと深く寝入っていた。

 ◇

 はっと目が覚めたのは、眠ってからどれだけだろうか。
 寝つきが悪かったのか、息が苦しい。ばくばくと音を立てる心臓が、とても気持ちが悪い。
 上半身を起こして。ガラス瓶の水を少し飲む。喉の奥までカラカラしていて、水がすーっとしみ込む。

 はっと目が覚めるのは、朝の小鳥の泣き声が聞こえるまで、何度も繰り返した。夢をいくつか見ていた。火事の夢。それも自分の部屋が燃えて、逃げられなくなる夢。わたし以外が炎に包まれる夢。男性に攫われる夢。……具体的すぎる夢が、目を閉じると襲ってくる。

 少しでも眠れば疲れが取れるはず。……とネットで聞いた知識は、まったく役にたたない。目をつむっても疲れが取れない、むしろ寝付くと悪夢が襲ってきて、かえって疲れ切っていた。

 呼び鈴を鳴らすほどではない。まだ大丈夫だと、わたしは寝て起きてを繰り返しながら、呼び鈴を触ることはなかった。
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