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 翌日はまた別のひとたちの料理だった。
 こちらの国の主食が小麦、パスタやパンのため、西洋から来た人の料理は相性が良いようだった。パンにチーズや野菜、肉を挟んだサンドウィッチが朝食。
 夜はミートソースパスタに、温野菜のサラダ。パスタは先に茹でてあり、パスタの量も聞いて、大盛りだったり少な目だったりを選べた。
 それからちょっと分かった。
 料理を担当する人は、以前から料理が得意だったり、好むひと。もちろん、苦手だとかやりたくない人がいるのは仕方がないことだ。料理を担当しないひとは、施設内の清掃や、別の仕事がある。全員が施設でなんらかの役目がある、ということになる。

 夕食後にケントさんに呼ばれる。
 明日の朝食の相談もあるとのことで、カフェスペースへと移動する。今の時間は誰もいなくて、ふたりきりで隅のテーブルに座った。彼は一冊のノートをわたしに見せた。

「これは俺のレシピノートだ。元の世界で作っていた料理のレシピがある。といっても、こっちにない食材があって、作れないものもあるんだがな。あんたになら見せてもいい」
「……みてもいいんですか?」
「ああ、だが条件がある」

 ケントさんはノートをさっと持ち上げた。

「領主様に、俺を紹介してくれないか?」
「……えっ」
「俺は料理がしたい。それも、俺も料理に合うくらいの場所で、だ。だから、あんたに協力をしてほしい」
「ケントさん、わたしは領主様に拾われただけで、そういった力はなにもないですよ?」
「……そうなのか?だけど、あんたはここに来る時に、領主様と来ただろう」
「ええ、そうですけど」

 そう言えば、施設に最初に来た時は、グラファリウムさんと一緒だった。
 今考えれば、普通のことではないとわかる。そもそも異世界へやってきた一般人が、領主様という偉い立場の人のお世話になっているなんて、特別だと思われても仕方がない。
 本人は道端で拾った猫くらいの感覚なのかもしれないけれども。

「それに、領主様はあんたのこと、くれぐれも頼むって施設長に言っていたじゃないか」
「――!? 見ていたんですか?」
「そりゃあな。あんたたちが来た時、俺は調理場で仕込みをしてたし。見かけたやつらが噂してたからな」

 あーっ、そうだった!
 施設に来た時、施設長は「自主学習で誰もいない」という食堂へと案内していた。
 その時に仕込みをしていたということなのだろう。

「気がなければ、部下にでも頼むだろ。領主様くらい偉いやつが、わざわざこんなところまで来るんだ、あんたのこと好きなのかと思った」
「いや、あの、……それは、ちょっと違う、と思います……」

 たぶん、いや、間違いなく好意じゃない。
 あえていうなら、捨ててあった動物を拾った責任を、まっとうしたかったのでは?と思う、想いたい。好意があるんだったら、最初から手放したりしないと思う。……日本で読んでた異世界へ行った女性の物語だったらあり得るかもしれない。
 けれども、領主様は既婚者だ。ケントさんは知らないのだろうか。

 ケントさんはわたしの値踏みするように、じろっと見た。

「ふーん。まあ、あんたに自覚がなくったって、縁故があるんだったら活用させてもらうつもりだぜ」
「うう、ないです。それに、ケントさんの料理の腕なら、就職先は選び放題だったりしませんか?」

 ケントさんは「馬鹿にしてるのか?」と、急に凄んだ。
 びくっと驚いて、彼を見る。さぁっと血の気が引いて、手が震える。あっ、彼を本気で怒らせてしまったと気が付いた時は手遅れだった。

「あんたは、最初から言葉を理解して、最初から領主様に保護されて、条件が良いから気づいてないだけで。施設を出ていっても、こっちで生まれたやつよりも秀でたもんがあっても、苦労するんだよ」
「……すみません」
「俺は話せて書けて、料理もできたって、就職先がみつからねぇ。あったとしても、小さな食堂の下っ端だ。そんなとこで、給料もあがらないで生きていけるか?」

 ケントさんは興奮状態で、テーブルに拳を振り下ろした。
 ドンッと大きな音がして、わたしは頭が真っ白になった。

「……すみません、そんな、つもりはなくて……。ケントさんの役に立てなくて、すみません……っ」

 あれ、どうしてこんなにケントさんを怒らせてしまったんだろう。
 確か明日の料理の打ち合わせだったはずだ。なのに、ケントさんはわたしが領主様とコネがあると思っていて、紹介するよう要求した。
 それほど、切羽詰まるものが、彼にあったのだろう。

「大きな音がしたけど、何かあったの?」

 静かに近づいてきたのは、クレハさんだった。

「シズクさん、どうしたの?」
「いえ……あの……」
「……あんたに関係ねぇよ。……怒鳴って悪かった」

 ケントさんはぷいっと横を向いた。
 その態度で察したのか、クレハさんは追及することはなかった。

「課題をここでやりたいんだけど、使ってもいい?」
「別に、勝手にしろよ」
「じゃあ隣、使うね。シズクさん、ヘレンさんが探してたよ」
「……わ、わかりました」

 わたしは立ち上がった。カフェスペースを出ようとする前に、ケントさんが声をかける。

「待ってくれ。さっきのことは悪かった。でもあんたと料理したいのは、本当だから。明日は来てくれないか?」
「……で、も…………」

 また怒鳴られたらどうしよう。さっきの場面が蘇って、一瞬返事が遅れる。
 迷っていると。クレハさんがわたしたちの間に入った。

「僕は、ケントさんの料理が美味しくて、君の料理の腕を尊敬してる。けれど、貴方が怖がらせた人が謝罪を受け入れてないのに、強要するのはおかしいと思う」
「……」
「シズクさんは、どうしたい?明日、彼と料理をしたい?」
「……あ、の……」
「一応言っておくけど、彼とふたりきりではないよ。他にも人はいる」
「……他の人も、…………あ、そう、ですよね」

 ふたりだとしたら、正直怖かった。急に怒る人に、良い思いをしたことはなかった。
 会社の上司を思い出したのだ。急に態度が変わったことが多い。
 仕事のミスの指摘がしつこくて、数日前のものでもネチネチとしつこく。ミスだけじゃなくて、わたし自身の容姿だったり、日々の行いが悪いなどと言うこともあった。
 ミスをなくしたとしても、今度は飲み会でのセクハラだ。スカートをはいていれば煽っているといい、パンツスーツだと女性らしくないという。どうしたらわからなくなってしまう。
 新卒で入った会社で、まだ3年目だからもう少しがんばろうと思ったりしていたのだが――。

 わたしは疲れ切って、異世界へとやってきてしまった。

 こちらで新しく生き直そうとしたのに、また似たようなことがあった。怖くなった。それ以外が考えられなくなった。ケントさんから料理を教えてもらいたいとい、クレハさんの願いを叶えるならば――良い返事をして、明日を迎える方がいいのだろう。
 けれど、さっきのように、急に態度を豹変させるなら。

「……シズクさんが即答できないのなら、明日はやめたほうがいいね。ケントさんも、それでいい?」
「……おう」
「じゃあ、これで話はおしまい。さぁ、ヘレンも待っているし、シズクさんは部屋へ戻ろう」
「……はい」

 クレハさんが言って、わたしと一緒に出口へと向かう。
 そうして一旦外へ出た後、わたしに安心するように言った。

「怖い思いをしたね。何があったか、だいたいしかわからないけれど、もしふたりきりになりそうだったら逃げていいから。なるべく、ヘレンや僕や、信頼できる人から離れないようにして」
「……はい、ありがとうございます」

 それから、クレハさんはカフェスペースの入り口に立ったまま、わたしを見送っていた。

 部屋の前まできたら、ヘレンが自分の部屋から顔をのぞかせた。

「シズク!……ど、どうしたの!?」
「……ヘレンっ」

 おもわずヘレンに抱きついた。
 さっきまで残っていたこわさが、彼女の顔を見た瞬間にあふれかえっていた。

「――そっか。ケントさんが……。彼、就職さえ決まれば、ここから出られるんだよね。でも、なかなか就職できなくて、料理は好評だからなんでなんだろうって思ってた」

 ヘレンの部屋のベッドに腰かけて、となりで背中をさするヘレンが慰めてくれる。

「確かにさ~。領主様の元だったら、一流レストランので働いているようなものだし、こっちのひとに異世界から来たひとだって指さされることもないだろうし」
「……でも、わたしから就職させてくださいって言えるわけないじゃない。それに、領主様のところではちゃんと料理人がいるのよ」
「うん、だからさ、そういうところもケントさんは見えてないんじゃない?もし賢い人だったら、領主様のお気に入りの女性ってひとにやさしく接すると思うんだよね」
「……そういうの、これからもあると思う?」

 ヘレンはちょっと考えた後、「うん、たぶん、ごめんね」と言って。わたしはもう、疲れて眠るほど泣いた。
 翌朝は、朝食を食べることもできず、体調もすこぶる悪くて、授業も休むことにした。
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