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17、姫君のクッキー

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 もう小娘と会うのを止めようと思ったが、何故か自然とハイエナル城に行ってしまった。

「デイノルト、お姫様好き?」

 一緒について来たリルが余計なことを言う。

「バ、バカ! そんな訳ないだろう!」

 デイノルトは昨日のことを思い出しそうになって、慌てて頬をバチンと叩いた。
 女に免疫がなさ過ぎるからいけないのだ。
 多分、女に免疫があったら、あんな無様なことにはならなかったと思う。

 くそ! 全部サミュエルのせいだ!
 あいつが女遊びを遠ざけたからこんなことに……
 デイノルトの性格では女遊びは無理だったかもしれないが……

 小娘に会いに行くと、小娘はエプロンをしていた。
 嫌な予感がする。

「魔王様、どうぞ」

 小娘がにこやかに微笑みながら、クッキーを差し出してきた。
 あの日、あいつが作ったクッキーにそっくりだった。
 嫌な予感しかしない。

「魔王様はこのクッキーがお好きなのでしょ? お城の歴史書に書いてありましたの。私、頑張って作りましたわ」

「い、いらない」

「まあまあ、そう言わずに」

 小娘がデイノルトの口にクッキーを投げ込んだ。

 凄く不味い。
 なんだこれ?
 あの日の記憶を鮮明に思い出すような強烈な味であった。

「小娘、俺様を消すつもりか!」

 デイノルトは涙目になりながら、小娘を睨み付けた。

「お好きではないのですか? おかしいですね。歴史書のレシピ通りですのに……」

「おかしいのは貴様の頭だ! 味見してみろ!」

 デイノルトは小娘の口いっぱいに無理矢理クッキーを詰め込んだ。

 小娘はクッキーのあまりの不味さに目を白黒させている。

「不味いだろう?」

 デイノルトが問うと、小娘は泣きそうな顔をしてクッキーを飲み込んだ。

「その歴史書はあいつの悪ふざけだ」

「そうでしたのね」

 小娘はふふっと嬉しそうに笑う。
 その笑顔にデイノルトはくらりとしてしまったが気が付かないふりをした。

「なんだか懐かしい感じがしますわね。魔王様と私って昔からの友達みたいですわ」

 小娘はニコニコ人懐っこい笑顔を浮かべている。
 なかなか可愛らしい。
 いや、俺様が小娘に落とされてどうする!
 俺様が小娘を落とすのだ。

「そんな訳ないだろう。あいつと俺様は友だが貴様は違う」

 デイノルトは自分の頬が赤くなっていることを小娘に気付かれたくなくて、マントで顔を隠した。
 そういえば、肝心なことを思い出した。

「あいつは元気なのか? 貴様の曾祖父様」

 小娘の表情が曇った。
 あいつの体調でも悪いのだろうか?

「魔王様、心配なさらないでください。元気になったら、魔王様に手紙を出すように伝えておきますわ」

 小娘はさっきの表情が嘘のように明るく言った。

「そうか。頼む」

「任せてください」

 小娘は優しい笑顔でデイノルトに笑いかけた。
 デイノルトと小娘はそれから毎日会うようになった。
 他愛ない話を永遠にしても、全く飽きない。
 愛らしい笑顔に穏やかで知的な美しい緑色の瞳に見つめられると、デイノルトまで癒された。

 デイノルトはいつしか小娘に夢中になっていた。
 おそらく、小娘も同じだったと思う。
 多分……
 もしかしたら、デイノルトは小娘に掌で転がされていたのかもしれないが……
 それでも構わなかった。

「魔王様」

 小娘はいつもそう言って、デイノルトを優しく抱きしめてくれた。
 ふわりと頬を撫でる小娘の銀色の髪がデイノルトは好きであった。

 デイノルトの初恋は穏やかで優しいものだった。
 小娘と出会ってから、デイノルトの世界はキラキラと美しい色彩を帯びるようになった。

 小娘は知らないが、デイノルトは小娘のことがこの上なく好きだった。
 しかし、何故か小娘は名を名乗ることはなかった。
 デイノルトが尋ねても答えてくれない。
 いつも小娘は困ったような笑顔を浮かべるのだ。

 何故、名前を教えてくれなかったのだろう。

 名前を教えてくれたら、デイノルトは貴様を小娘と呼ばずにちゃんと名を呼んだのに。

 いや、デイノルトがちゃんと名前を呼びたかったのだ。

「小娘。手を貸せ」

 デイノルトは小娘の手を取った。

「魔王様?」

 デイノルトは懐から、指輪を取り出した。
 銀で出来た美しい指輪だった。
 その指輪を小娘の薬指にはめる。

「それ、やる」

 デイノルトは小娘から視線をそらして言った。

「綺麗な指輪」

 小娘は嬉しそうに指輪を見つめていた。
 デイノルトは内心嬉しくて堪らなかったが、なんとか耐えた。

「でも、頂けませんわ」

 小娘は指輪を外して、デイノルトの手に乗せた。
 デイノルトはその光景をただ見ていることしか出来なかった。

 信じられない。
 この一言につきる。

「俺様のことが嫌いなのか?」

 デイノルトは思わず泣きそうになってしまったが、頑張って耐えた。

「どうでしょうか?」

 小娘はクスクス笑っていた。
 なかなか性格の悪い女だ。
 何故こんな女を好きになったんだろうか。

「要らないなら、自分で捨ててくれ」

 デイノルトは指輪を机の上に置いた。
 嫌がらせのつもりだった。 

 小娘は指輪をしばらく見つめていたが、デイノルトに向き合った。

「魔王様。私、魔王様のことをお慕いしているかもしれません」

 小娘はイタズラっぽく笑っていた。
 デイノルトは冗談なのかなんなのか判別できずに困惑した。

「最初はただの暇潰しと八つ当たりだったけど……あなたがあまりにも純粋で優しいから」

 小娘はデイノルトの頬に触れた。

「それって、どういう……」

 デイノルトが言いかけると、小娘は口をふさぐように口づけをしてきた。
 思考が蕩けるような口づけに気が遠くなる。

「あなたに出会えて、本当に良かったわ……」

 小娘はデイノルトの胸に頬を寄せ、小さな声で呟いた。

 数日後、小娘は部屋からいなくなってしまった。
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