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後編

51.敗走し、『迷いの森』に迷い込んだエラ。瀕死の針鼠を助けることができるのか(2)

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____



「……??」

 入った瞬間、不思議な事に上下の感覚が逆になった。液体の中に入った、という感覚がない。エラは鼻で息を吸ってみた。空気が吸える。

 いつの間にか、エラ達は草原の上で座っていた。エラの目の前には綺麗で透明な湖が広大に広がっていた。エラの視界には草原と湖と瀕死の針鼠のみで、森が跡形もない。白い蝶もいつの間にか消えていた。遠くの方は白い霧の壁があり、何も見えない。
 あまりにも、今までの現実と乖離した光景に、エラは一瞬、ここは死後の世界なのかと思う。だが、ゴゴゴッ…という音が、湖の方から聞こえてくる。エラは湖を覗き込んだ。さっきまでいた森が湖の中に広がっている、とエラの頭に伝わってきた。あの沼はこの空間へと続く入口だったのだ。エラはゆっくりと背後を向いた。大きな、大きな木が立っていた。エラの何十倍もの大きさの木だ。そして、その木の根元には人間一人が入れるんじゃないかと思える程の大きさの大きながあった。しかし、ただのうろではない。うろにはしきりのように薄い布が入口を塞いでいた。

 誰かが中にいるのだろうか?

 エラは再び針鼠の片腕を担ぎ上げると木のうろ目掛けて急いだ。
 誰かいるのなら助けを求められるかもしれない。

 だが、うろの入口の布をめくりあげて、エラは今度こそ目を丸くした。お城のような美しい部屋が広がっていた。床は赤い絨毯がしきつめられていて、天井にはシャンデリアがある。エラ達が中に足を踏み入れると、暖炉やシャンデリアなどの明かりに火がつき、中の方が見えた。窓は一切なく、奥の方を見るともう2、3部屋ありそうだった。明らかに外から見た以上に広大な空間が広がっていた。

(『魔法使いのうろ』だ!!)

 エラはピンときた。
 昔、姫から聞いた話なのだが、旅の魔法使いは木のうろに魔法をかけて、生活しながら世界中を旅しているらしい。まさか、一度入ったら出られない『迷いの森』にさえ魔法使いのうろがあるとは思わなかった。誰か魔法使いがここにいた、もしくはいる、という事だ。エラは針鼠を連れてゆっくり警戒しながら奥へ進んだ。ここを作った強力な魔法使いに出くわす可能性が十分にある。そしてその魔法使いが必ずしも友好的とは限らない。
 ドアを開けて奥へと進む。

 魔術書なのか、怪しげな本や煌びやかな調度品が大量にある。。生活感があり、キッチンなどの部屋もあるようだった。旅の魔法使いにしては色々ここに置きすぎなような気がした。旅というよりは___

「__ここを自分の最期の場所に決めたのね。」

 エラは呟いた。
 エラの目の前には大きな天蓋ベッドがあった。ベッドには折れた杖と大量の灰があった。独り身の魔法使いは死ぬ時に死体が一人手に燃える魔法を自分にかけて杖を折るらしい。これも姫から聞いていた事だ。知り合いの年老いた宮廷魔法使いがある日突然そうやって死んでいるのが見つかって深く悲しんでいた。

 エラは心の中で、ごめんなさい、とつぶやくと、ベッドから灰を払い落とした。折れた杖を近くにあった円机に置き、針鼠を寝かせた。針鼠はさっきよりも顔色を更に悪くし、呼吸も異常だった。エラは急いで他の部屋からナイフと清潔そうな布を持ってきた。続いて、物置からバケツを持ち出して、湖まで戻り水の匂いや味を確認する。エラには煮沸という知識はなかったが、湖の水が安全である事が頭に流れてきた。きっとあの魔法使いもここの水を使っていたのだろう、とエラは思った。エラはバケツに水をくんで針鼠の所まで戻った。針鼠の服を脱がそうとしたが、深く傷ついた左腕を動かす勇気がなかったため仕方なく上半身はナイフで切って脱がした。ズボンも脱がし、下着のみを残した。布を湿らせ、簡単に血を拭う。体中強打したようにあざと傷だらけで見るに耐えない。エラは傷口を布で縛り付けて出血を抑えた。

「こ、こんなんでいいのかしら……?」

 エラは誰もいないのに、独り言をいう。貴族として育ってきたエラは瀕死の人間の応急処置の仕方など知らない。とにかく血を止めて安静に寝かせておく事ぐらいしか、対処法が思いつかなかった。針鼠の顔色は相変わらず悪く、額に汗が滲んでいた。エラはハラハラと見つめている事しかできなかった。

(そ、そもそもなんで私がこんな奴のためにあくせくしないといけないのよ。)

 エラは急に我にかえる。
 黒目は、エラの寿命が残りわずかである事を告げた。そして、その寿命を何に使うか、自分自身の頭で考えろ、と言った。それなのに_1分1秒が惜しいのに、針鼠を助けるために『迷いの森』に落ちてしまい、針鼠の治療までしてやっている。
 そこまで考えて、エラは深くため息をついた。

(私、本当に死ぬのかな……。)

 死の宣告を受けたのに未だに冷静でいる自分が信じられない。今まで、何度も何度も危険な目にあってきた。その度にもうダメだ、自分は死ぬんだと思った。それでもなんとか切り抜けてきた。

_自分は心のどこかで本当は助かるんじゃないか、と考えているのではないだろうか?

 エラは首を振り、また深くため息をついた。今はもうこれ以上考えないようにしよう。

 針鼠には一通り自分にできる事はした。だから、もう彼をここへおいて、またあの白い蝶を呼んで、『迷いの森』から脱出する術を探した方がいいんじゃないか、と思った。エラにはこれ以上針鼠の面倒を見る義理はない。
 だが、その時、また昇り藤の最期の顔が脳裏をちらついた。彼女は、エラに針鼠を頼むと言っていたのだ。彼女だけじゃない。昨日の晩、『白い教会』の人々は針鼠に幸せになってほしいと願っていた。彼らはきっと、魔獣にほとんど殺されてしまっただろう。ひょっとしたら、全員死んでしまったかもしれない。針鼠を助ける事が彼らの最期の願いだったのかもしれない。
 エラは近くにあった小さな木の椅子をベッドの横まで運ぶとちょこんと腰掛けた。

「皆に感謝しなさいよ、針鼠。私はあなたなんかどうなったって構わないんだから。」

 エラは手持ち無沙汰に針鼠の寝顔を眺めた。今はいつものバンダナを巻いていない。金髪の知らない青年が目の前で眠っているようだった。

「___ッ……」

 ここで、エラは針鼠の異変に気づいた。

「息……してないじゃない……!!」

 いつの間にか、針鼠の荒々しい呼吸が静かになっていたと思ったら呼吸が止まっていたのだ!

(なんで気づかなかったのよ……! 私のバカ!!)

 エラは何をどうすれば良いのかわからなかった。エラは無我夢中で杖を針鼠に構えた。スッと白い蝶が何匹か現れた。

「治れ!! 治れってば……!!」

 やはり、杖からは何も魔法が出てこない。

(落ち着いて、思い出すのよ……。昔、心肺蘇生のやり方を習った事があるわ……!)

 エラは針鼠の胸に両手を重ねて、思い切り力を込めて圧迫する。早く強く何度も押し込む。元々疲労状態だったエラの体に限界がきていたが、我慢して押し続けた。
 何回かそれを繰り返した後、胸から手を離す。針鼠の額を押さえもう一方の手で顎先を持ち上げ軌道確保する。思い切り息を吸い上げ針鼠に人工呼吸をした。胸がわずかに上がるのを確認し、再び息を吹き込む。そして再び心臓マッサージ。これを何度も繰り返す。

(お願い……! きて……!)

 エラは祈りながら何度も心肺蘇生を繰り返した。
 やがて、

「……ッ……ぁ……はあ……はあ……」

__針鼠が息を吹き返した。

 針鼠は再び苦しげに呼吸を繰り返した。エラは心の底からホッと安堵した。『白い教会』の人たちの事を抜きにしても目の前で針鼠が死ぬのは嫌だった。針鼠は相変わらず痛々しげな顔だったが、呼吸をしていないよりはましだ。

 その後もエラはずっと針鼠を介抱していた。『魔法使いのうろ』のあるこの不思議な空間でも時間の概念はあるらしく、どんどん日が傾いてゆく。夕方になった頃、針鼠は高熱を出した。針鼠の頭に水で湿らせた布をのせる。さっきみたいに何かあっても対処できるようにエラはその後一晩中針鼠を見ていた。
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