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前編

31.目が見えなくなってしまったエラ。これからどうするか?(3)

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 気がつくと、エラは脇目も振らずに走り出していた。壁にぶつかり、何かにつまずいて、転んでも、起き上がって走った。誰かが叫ぶ声が聞こえるが、そんなのどうでも良い。とにかく、誰もいない場所に行きたかった。外の草地へと続く扉を開け、走る。

「____っ」

 何か大きな物に正面から激突し、エラの足がようやく止まった。エラはそのまま草地に倒れ込んだ。エラはぶつかった物をペタペタと手探りで確認する。どうやら、白い教会の近くに生えていた一本の木にぶつかったようだった。エラは途端に体に力が入らなくなり、草地に仰向けになって倒れた。
 もうじき、『白い教会』のやつらが追ってくる。そして役立たずのエラを捕まえて口封じに殺すだろう。あの人達は血も涙もないのだから。

「……っ………ぅ……」

 エラの目からもう何度目になるかわからない涙がこぼれた。視力は奪われても、涙は正常に流れた。今のエラにはそれがわずかな救いだった。

___ザッ

______ザザ


 誰かの足音が近づいてきた。エラはまぶたをきゅっと閉じて、なすすべもなく、その時を待った。





「あー!」

 だが、近づいてきたのは予想外の人間だった。帽子を深々と被った小さな子供がエラの胸にドスンッと飛び込んできた。
_チビだ。

「うー!」

「きゃっ!ちょっとチビ!今あなたと遊ぶ気分じゃないの!!あっちいって!もうっ……しつこい!!」

「あー!うーうー!あー!」

「いい?私はね、ボウシ族じゃないの!それにね、子供が大嫌いなの!!だから、もう、近寄らないでよ!!」

「ううー!」

 エラは暴れるが、チビはやけにしつこく、エラの体にまとわりついて離れなかった。そのうちに、エラの頭のカゴがとれて落ちてしまった。だが、エラは顔を隠す余裕はなかった。苛立ちで頭が沸騰しそうになった。

「あなたは良いわよね! たかが、耳が聞こえないだけで!! 私はねぇ! 目が見えなくなったのよ!! 目が見えなくなったら何が起こるかわかる? これからは人に頼らないと生きていけなくなるのよ! 自分の好きな所に自由にいく事ができなくなるわ! 満足に着替えもできない! 身だしなみも整えられない! 本も読めなくなるわ! 勉強ができなくなる! 稽古ができない! 何も身につかないわ! ただでさえ醜い顔なのに、自分を磨く事もできずに他人に迷惑かけるだけでただ老いていくなんて、もうただのゴミクズ同然だわ!!」

「ぅあー!!!!」

突然、チビが叫び声をあげて、バチンッとエラの頬を叩いた。今はカゴを被っていないのでチビの攻撃をもろにくらった。子供にしては力が強く、エラは頬が腫れたのではと思った。

「何すんのよ!!」

「あー!!!」

 また、今度はグーで片方の頬を殴られた。エラは口の中を切った感覚がした。

「このっ……子供だからって調子に乗らないで!!」

 エラは頭に血がのぼって、平手でチビを叩き返そうとした。だが、目が見えず思うようにチビにあたらなかった。そのままチビに反撃をくらい、目がチカチカした。

「卑怯よ!」

「あー!」

 その後も何発かくらい、エラは反撃する余裕も、抵抗する力もなくなっていた。

「あー!!!」

 チビが今までにない大きな声を張り上げる。エラはまた一発大きいのが来ると直感した。

だが、小さな拳はもうこなかった。その代わりに、

「ああ……ぁ……」

 チビが口を大きく開けて泣き出した。チビの帽子がはらりと取れて中身が見える。顔が黒い毛に覆われていて、中心にある二つのギョロ目から滝のように涙が流れていた。

「ぅあー!」

「ちょ、ちょっと!泣きたいのはこっちよ……!」

 チビは涙と謎のねばねばでぐっちゃにした毛むくじゃらの顔をエラのお腹に押し付けて号泣した。

(なんなのよ……もう。服洗ってもらわないとなあ……。)

 そう考えたところで、服を洗ってもらうどころか、自分が今にも『白い教会』に殺されるかもしれないことを思い出す。エラは深くため息をついた。
 涙はいつの間にか引っ込んで、エラはチビの頭をなでていた。

「あなた暖かいわね。子供体温ってやつかしら?」

 チビの体温が伝わり、体がなんとなくぽかぽかしてきた。
 しばらくすると、エラは今、空が青々として晴れ渡っているのではないかと思った。目は見えないけれど日の光があたって体が暖かくなる感じがしたのだ。風がそよそよと吹き抜け草や木がさざめき、小鳥のさえずりがぴよぴよと聞こえてくる。
 エラはありったけの力を込めて目を大きく見開いた。どうしても今目の前に広がる景色を見たくなった。だが、痛くなるほど目を広げても何も見えなかった。エラは再び絶望した。

「私が狂おしい程見たいこの景色をあなたは今見てるのよね……。」

 エラはチビの頭を再びなでた。

「でも、あなたは今私が聴いている音を聴く事はできない。きっとあなたも狂おしい程聴きたいと思っているのでしょうに。ごめんなさい。耳が聞こえない事を『たかが』なんていってしまって。あなたはまだ小さいのに、耳が聞こえない中今までずっと頑張って生きてきたのね。……」

 エラは周囲を見渡した。もう何も見えないけれど、青い空の下の美しい景色が目に浮かんだ。

「……私ももう少し頑張ってみようかな。どのみち今死ぬ訳にはいかないもの。誰にどう思われようとも。」

「あー!!」

 突然チビが立ち上がり、嬉しそうに飛び跳ねた。さっきまで号泣していたのがうそのようだ。耳は聞こえないはずだが、確かに伝わったのだろうとエラは思った。

 その後はエラはチビに手をひいてもらい白い教会に戻った。もはや目の見えないエラでは『白い教会』から逃げる事はできない。というか、エラがぶつかった木は記憶によると、白い教会のすぐ近くに生えている木で教会から見える位置にある。追手が来なかったのはずっと近くから誰かしら監視していたからなのかな、とエラは思った。ならばなおさら今から逃げるのは愚策だ。
 戻って誠心誠意相手の要求に応えてなんとか生かしてもらえるように交渉しようと考えた。うまくいくかわからなかったが、なんとなく前向きな気持ちでいられた。

 カゴを被り直し白い教会に戻ると、驚いた事に、エラをまだ捕虜として生かすという方向で話がまとまっていた。まだ利用価値があると踏んだのだろうか。散々エラを罵った後でこの決定なので、針鼠が結局どうしたいのかよくわからない。だが、あえて波風を立てたくはなかったので何も言わずに従った。

 『白い教会』が解散すると、昇り藤は緊張がほぐれたようにいつもの調子で働き出した。

「さて、お兄ちゃんドラさんに頼まれてた槍の手入れをしておかないと! あと、洗濯もしないとね。イシちゃんには新しい服を用意するよ! チビちゃんは体を洗ってきなさい。」

「あの……昇り藤。」

「どうしたの?」

「私も何か手伝わせてくれないかしら?目が見えないから、できる事は限られるけれど…。」

 昇り藤は驚いて目を丸くした。

「でも、……大丈夫なの?」

 エラは力強く頷いた。

「チビを見てたら、ただ嘆いてばかりではいられないって思ったわ。だから、自分のできる事をちょっとずつでもいいから増やしていきたいの。それに、役に立つ所を見せていかないと、いつ殺されてしまうかわからないしね。私はあくまで捕虜だもの。」

 今はエラを守ってくれる人はいない。
 だが、チビや昇り藤のように気にかけてくれる人達はいる。呪われて、身分も友人も家族も奪われた中で彼らがいる事はとても幸運な事だと感じた。

 昇り藤はにっこり笑って頷いた。
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