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指揮者のフィル

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「で、俺らは審査員どもに呼び出されたってわけよ。俺らの料理を食った審査員どもがみんなニワトリみてえに暴れ始めたんだとよ!」

「な、何を入れてたんだ……?」

「何も入れてねーよ。普通のカレーを作っただけだ。まあちょっとニワトリの卵を入れただけだぜ?」



 ニックは眉一つ動かさず言い切った。



「本当なのか?」

「本当だぜ? その場で色々禁止魔剤とか入れてねえかどうか検査されて、結局何も証拠が上がらなかたから俺達は晴れて準決勝に進んだってわけよ!」



 その時、にわかに観客席が沸き立った。



「来たぞ! フィルだ!」

「優勝候補筆頭のあいつか! 『指揮者のフィル』」

「決勝でもあのタクト捌きが見れるんだろうか」



「決勝」という言葉を聞いて俺は一番大切なことを思い出した。瞬間的に頭の奥から湧いてきたような感覚だった。



「そうだ! 準決勝はどうなった? 紅花は! 紅花は決勝戦に進むことが出来たのか!?」

「オメエ、本当に何も覚えてないんだな」



 ニックが呆れ顔で言った。その表情からは紅花がどうなったのか読み取ることが出来ない。



「教えてくれ! どうなんだ」

「ガハハ! 俺も覚えてねえ!」

「鳥頭か!」

「紅花ちゃんなら、ちゃんと決勝戦に残ったわよ」



 メランドリ先生が後ろから言った。その顔は嬉しそうに微笑んでいる。



「ほ、本当か……?」

「うん、今出て来ている子の後が紅花ちゃんの番だよ」



 準決勝までと異なり、決勝戦は勝ち残った八人が順番に調理を行う。今出てきている「フィル」とやらは決勝に残った一人なのだ。



 俺は暫く呆然としていたが、急に何かが込み上げてくる感覚に襲われ、慌てて帽子で顔を隠した。



「あれ、クラウス君。どうかしたの?」

「な、何でもない!」



 短い間だったが俺と紅花は決勝に残るために凄まじい努力をしてきた。それが実を結んだのだ。思わず感極まりそうになったのだ。

 だが喜ぶのはまだ早い。紅花の目標はあくまで優勝。そのためには、今出て来た優勝候補のフィルとやらも、他の六人も退けなければならないのだ。





 俺は顔を上げ、改めて会場の中央にいる男を見据えた。

 純白の調理服に身を包んではいるものの、流れる金色の髪は艶やかで、スラリと高い背丈と甘いマスクは料理人というよりモデルのようであった。

 通りでさっきから女子の声援が多いと思ったぜ。決勝のお題は肉料理。果たしてフィルはどんな料理を用意してくるのだろう。



「指揮者のフィル」は審査員の方に向けて一度お辞儀をすると、魔法の杖タクトをまるで指揮棒の如く構えた。

 彼が静止したとき、観客達も一斉に静かになる。ニックだけが、隣のおじさんの爪を切る音をパチン、パチンと響かせていた。後で聞いたら二人は全くの他人だったそうだ。



 その時、フィルの手が動いた。音楽家達の演奏を促すように、ゆっくり、優しく手が動くと彼の周りに白い球体が幾つも出現した。



 今度は鋭くタクトを振るう。

 一瞬で調理場が騒がしくなった。大量に敷き詰められたまな板の上におびただしい数の玉ねぎが飛んで行き、それを誰が握るでもなく動く包丁が細かく刻んでいく。

 刻まれた玉ねぎ達は端からフライパンに飛んでいき、誰もいないのに起こった火によって炒められ始める。



 同じように肉の塊がふわりと浮き、先程の球体にどんどん吸い込まれていく。

 ゆっくりゆっくり吸い込まれていたそれが見えなくなったかと思うと、今度は下からあふれて来た。元の形ではなく、ぐちゃぐちゃになって混じったあれは……挽き肉ミンチか。

 挽き肉と言えば普通、機械が無ければ作れないもののはずだ。そんなものを魔法の力で作れるということは、恐らく非常に複雑な魔法術式であの球体は動いている。それこそ俺には理解することも出来ないような。

 全身に鳥肌が立つのを感じた。凄い。

 これが大魔法料理対決の決勝に進んでくる料理人の実力なんだ。

 あの数の魔法を涼しい顔をしながら全て一人で使いこなすなんて、まさに人間離れしている。



 球体の下から出てきた挽き肉は下に地面に落ちず、ふわりと浮いた。指揮者フィルが小刻みに指揮棒を動かすと、一ブロックだった挽き肉は小さい塊に切り分けられ、そこに先ほど炒められていた玉ねぎが加わり、上空からは牛乳が降り注ぐ。

 塊はぐにぐに矢継ぎ早に形を変える。その姿はまるで踊っているようだった。やがて楕円形のフォルムとなったそいつは、まるでピアニストに撫でられる鍵盤のように、次々フライパンに収まっていく。



 一連の流れは美しい。全ての食材が、調味料が、調理器具が、まるで一つのオーケストラであるかのように、フィルによって料理という一つの音楽が精密に奏でられている。

 肉の焼けるジューシーな匂いが漂ってくる中、俺は無意識のうちに両手を強く握り締めていた。



 確かにこいつらは手強い。本来ならどうやったって勝てる相手ではない。「本来なら」な。

 紅花、後はお前次第だ。

 俺達の秘策で審査員も観客もあっと言わせてやろうぜ。
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