底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第五章 周辺国家編

名無し

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 愛する者の名を忘れ。
 愛する者の顔を忘れ。
 
 森を彷徨い続けていた紅眼の魔族。

 名前も顔も思い出せないのに、思い出と温もりだけは消えずに心へ残り続けていた。
 その思い出と温もりに胸を締め付けられながら、長過ぎる日々を過ごす紅眼の魔族。

 時折遭遇する人間を口にしながら放浪する彼女が、別の魔族から襲われたのは、愛する者の元を離れてから一週間ほどだった時だった。

 魔族の狩場というのは決まっている。
 魔王より人間の国との諍いを起こさないよう厳命されているため、森の中や街と街の間の街道が主だ。

 だから、領主や軍に属さない魔族が無計画に人間を狩ると、その地を狩場にしている魔族にとっては、厄介なことこの上ない。
 人間に警戒され、必要な量の食材が確保できなくなるからだ。

 狩りを主に行うのは、軍でも下位に属する者か、若い魔族である。
 血気盛んなそれらの魔族は、己の狩場を荒らされることを許容できない。

 だから、脱走兵や人間中毒者たちは、彼らの目を盗んで狩りを行うか、誰の狩場にもなっていないところを探し、そこで人間を狩る。

 そんなことを知らない紅眼の魔族は、ある魔族の狩場を荒らし、目をつけられていた。

 人間の王国から離れ、魔族の領地との境である森に入った紅眼の魔族は、森を南下していた。
 王国から見て南は、商国と呼ばれる、人間たちが商業のために連携した諸国連合。
 東は四魔貴族スサが治める魔族の領地。
 そして南東に位置するのは四魔貴族テラが治める魔族の領地。

 紅眼の魔族は、商国とテラの領地の間の森にいた。
 そこは四魔貴族テラが、その配下を用いて人間を狩る狩場。
 その地で人間を狩ってまわる余所者の魔族がいれば、当然目に付く。

「お前が最近この辺りで人間を狩ってまわる、はぐれ魔族か?」

 四人の魔族に囲まれた紅眼の魔族は、否定しない。

「だとしたら何だ? 俺がどこで人間を狩ろうが、俺の勝手だ」

 紅眼の魔族の言葉に怒りを隠せない四人の魔族。

「ここはテラ様の狩場だ。勝手な行動は許されていない」

 四魔貴族の名前。
 その名を出せば、ほぼ全ての魔族は黙る。
 四魔貴族に楯突いて生きていられる魔族はいないからだ。
 だが、紅眼の魔族は違った。

「だから何だ?」

 紅眼の魔族の言葉に、テラの配下は面食らった。
 四魔貴族の名を聞いて、なお傲慢な態度を取る魔族になど、これまで遭遇したことがなかったからだ。

「お、お前。テラ様に逆らう気か?」

 テラの配下の言葉を聞いた紅眼の魔族は笑う。
 嘲るように笑う。

「貴様、仮にも魔族なら、他人の名ではなく、己の名で勝負しろ」

 紅眼の魔族の言葉を聞いたテラの配下の魔族はカチンとくる。

「大した魔力もないくせに粋がるな。私はテラ様直轄第一軍中隊長ザーク。不届きな浮浪魔族を成敗する」

 その名乗りを聞いた紅眼の魔族は肩をすくめる。

「ご主人様の名前の次は肩書きか。御託はいいからかかってこい」

 紅眼の魔族の言葉を聞いたザークと名乗る魔族は、顔を真っ赤にしながら剣を抜くと、全力で魔力を込めて、赤目の魔族に斬りかかった。
 紅眼の魔族から感じる魔力は、精々一般兵程度。
 まず間違いなく己が負けるはずがない。
 そう考えながらの攻撃。

ーブンッーー

 唸りを上げて己を襲う剣を、紅眼の魔族は、受け止める。

ーードンッーー

 魔法障壁すら使わず、魔力を込めて硬化させた腕で、ザークの攻撃を受ける紅眼の魔族。
 腕には傷一つつかなかった。

ーーズサッーー

 爪に魔力を込め、空いた左手を振り下ろす紅眼の魔族。
 そして、無残に切り裂かれるザークと名乗った魔族。

 わずか一振りで、ザークと名乗った魔族は物言わぬ肉片と成り果てた。

 その光景を見て、知らぬうちに一歩二歩と後退りする残り三人の魔族。

「一つ教えてやろう。敵と戦う時は、まず相手の力量を見極めろ。俺のように魔力を抑えている相手でも、よく見ればおおよその力量は分かる」

 紅眼の魔族はそう告げると、抑えていた魔力を放出する。

 ブワッと広がる紅眼の魔族の魔力。
 その強大な魔力の前に、思わず圧倒される三人の魔族たち。

 その魔力は、少なくとも連隊長クラスだった。
 ザークを除く残りの三人は、いずれも一般兵から小隊長クラス。
 足を震わせながらも逃げなかったその姿勢は、評価されてもいいだろう。

「お、お前の名は?」

 その中の一人が、恐怖に声を震わせながら尋ねる。
 その問いに少し考えるそぶりを見せる紅眼の魔族。

「魔王様に頂いた名は捨て、その代わりに得た名は忘れた。だから今、俺に名はない」

 その言葉を聞いた三人の魔族たちは激昂する。

「魔王様に頂いた名前を捨てるなどという馬鹿な魔族がいるわけがない。数百年前、魔王様に刃を向けた『魔王殺し』でさえ、魔王様から授けられた名前だけは、死ぬまで大事にしていたというのに」

 その言葉を聞いた紅眼の魔族は、ふっ、と鼻で笑う。

「その馬鹿がここにいる。他の者のことなど知らん。俺は俺の心に従ってそうしたまで。これ以上用がないなら、そこの死体を連れてさっさと帰れ。まだ俺に文句があるなら全員同時にかかってこい。全員仲良く細切れにしてやる」

 爪に魔力を込め、真紅の瞳を紅く光らせながら、紅眼の魔族はそう告げる。

 その眼光に怯んだ三人の魔族は、さらに一歩後退る。

「ひ、退くぞ」

 逃げるように去る三人の背中を眺めながら、紅眼の魔族は特に追い討ちをかけるようなことはしなかった。
 ただ、さもめんどくさそうな顔をしながら、背を向け森の奥へと入っていった。






 テラの住む屋敷のある街まで戻ってきた三人の魔族は、真っ直ぐにテラの屋敷へ向かう。
 流石にザークの死体は街の外に置いてきていたが、ザークの血で血まみれとなった服はそのままだった。
 そんな三人の魔族を見たテラの屋敷の門番は三人へ告げる。

「畏れ多くもテラ様の住まわれるお屋敷へ、そのような格好で突然押しかけるとは何事だ!」

 叱りつけるように告げる門番に対し、三人のうちの一人が答える。

「緊急事態だ。どなたか軍の上位の方へ取り次いでくれ」

 鬼気迫る表情の三人を見た二人の門番は、ただ事ではないことを悟り、顔を見合わせる。

「今、旅団長以上の方々は、出払っておられる。連隊長でよければ、訓練場で新兵の訓練をなさっておられるが……」

 その言葉を聞いた三人の魔族は、揃って首を横に振る。

「連隊長ではダメだ。少なくとも旅団長、できれば師団長以上の方へ御目通り願いたい。魔王様からいただいた名前を捨てたという連隊長級の魔族がはぐれになって森をうろついているんだ。一番早く戻られる方はどなたか?」

 二人の門番は再度顔を見合わせる。

「師団長以上なら、将軍のリッカ様があと半時ほどで戻られるはずだが……」

 そう答える門番に対し、いきなり声をかける者があった。

「いやいや、何を言っている? 師団長以上の者が今ここにいるじゃないか」

 真紅の瞳に逞しい身体。
 温かみに溢れ、慈悲を感じる表情。

 声の主は屋敷の主人である男だった。
 突然の声に、その場にいた者たちは全員驚く。

 四魔貴族の魔力は普通の魔族には毒だ。
 だから普段はその魔力を抑えているので、気づかないのも無理はない。
 無理はないが、驚かされる側はたまったものではない。

「テ、テラ様! 何故ここに? それに、何を仰いますか! 四魔貴族である貴方様が自ら赴くなど……」

 慌てる門番に対し、四魔貴族テラは軽く笑う。

「なーに。ちょうど暇だったからいい散歩だ。それに、連隊長クラスのはぐれ魔族が、フラフラと森を歩いているというのは気になるじゃないか」

 あまりにも軽い主人の態度に、門番はつい口を挟んでしまう。

「そんな事を仰って、もし万が一があれば……」

 その言葉を告げる途中で、門番は己が失言したことに気づく。

「……万が一? それは、この俺が万が一にも何処の馬の骨とも知れない魔族に劣るかもしれないというのか?」

 門番は顔を真っ青にし、命の危険に怯えながら勢いよく首を横に振る。

「め、滅相もございません。そ、そのようなこと、あるわけがございません」

 テラは基本は温厚だ。
 だが、自分が侮辱されたと感じると、烈火の如く怒る。
 烈火なんて表現では生温い。
 さながら灼熱の太陽の如く燃え盛る。

 必死の形相で否定する門番をしばらくじっとみた後、テラはその顔に暖かみを取り戻す。

「であればいい。それではその魔族の元まで俺を案内しろ」

「は、はい!」

 三人の魔族は声を揃えて返事をし、そして紅眼の魔族の元へテラを案内することにした。






 テラがその場へ訪れた時、紅眼の魔族は、腕を組み、その長い脚を広げて立っていた。

「お前か? この辺りを荒らしているという魔族は?」

 テラは、そんな紅眼の魔族を、真っ直ぐ見据えてそう尋ねた。

 紅眼の魔族はテラの後ろで小さくなっている三人の魔族の方をチラッと見た後、テラの方へ視線を向ける。

「荒らしているつもりはない。ぜひ召し上がってくださいと言わんばかりに無防備な人間がいたから食ってやっただけだ。ただまあ、力量差も見極められず、俺に噛み付こうとしてくる煩わしい虫がいたから潰してやった。それを荒らすと言うのか?」

 テラを前にしても傲慢な態度を崩さない紅眼の魔族に、テラは頭をかきながら告げる。

「まあ、お前が言いたい事は分からなくもないが、ここは俺の庭だ。いくら美味そうでも人の家の家畜を食うのは良くない。虫だって俺が大事に飼ってる可愛い虫だ。勝手に殺されていい気持ちはしない」

 テラの言葉に、紅眼の魔族は後ろで小さくなっている三人の魔族を見る。

「お前たち、可愛そうにな。ご主人様から虫呼ばわりされて」

 話を振られて迷惑そうな顔を見せる三人をよそに、表情に怒りの色を見せるテラ。

「……おい。お前、俺をからかっているのか?」

 テラの様子に背筋を凍らせる三人の魔族。
 普段ほとんど怒ることのない、温厚なテラ。
 だが、一度テラが怒れば、その怒りが燃え盛る太陽の炎の如く消えないことを知っていた。

「お前、今すぐテラ様に謝れ。このままだと骨も残らず灰にされるぞ」

 飛び火を恐れた三人の魔族は紅眼の魔族へそう告げる。

「そんなにご主人様が怖いならさっさとこの場を去れ。俺は今からお前たちのご主人様と遊んでやる」

 紅眼の魔族の言葉に、テラの怒りは増していく。

「お前たちは下がっていろ。面白い魔族かと思ったら、ただの無礼な奴だった。……一瞬で消してやろう」

 そう言って抑えていた魔力を放出するテラ。
 辺り一面を燃えるような魔力が支配する。

 三人の魔族は、その余りに強大な魔力を前に、吐き気を催し、失禁する。

「今謝れば、少しだけ痛い目を見せた後、俺の奴隷にして可愛がってやる。さっさと謝れ」

 そんなテラの言葉を聞いた紅眼の魔族は笑う。

「あいにく俺の主人は決まっている。お前より遥かにいい男だ。まあ、顔も名前も思い出せないのだがな」

 紅眼の魔族の言葉を、侮辱だと受け取ったテラの怒りは限界を超えた。

「俺は俺を侮辱するやつを許さない。跡形もなく消えるがいい」

 テラはその右手を紅眼の魔族に向ける。
 その眼は、紅眼の魔族よりなお赤く、瞳が炎のように揺らめいていた。

「死ね」

ーーゴウッーー

 空気も。
 地面も。
 何もかもを燃え上がらせるような、炎がテラの右手から放たれる。

 全力ではない。
 だが、連隊長クラスの魔族なら、簡単に灰にできるほどの高密度の魔力が練りこまれた、地獄の炎。

 だが、テラと、離れた距離で魔法障壁を張ったにもかかわらず、熱さで死にそうな状態の三人の魔族が見たのは、信じられない光景だった。

 テラが魔法を放つのに合わせて、同じく炎の魔法を放つ紅眼の魔族。

『紅蓮』

 言葉通り、紅蓮の炎が紅眼の魔族の手から放たれる。
 そして……

ーーゴワッーー

 圧倒的な魔力が込められたはずのテラの魔法は、紅眼の魔族の魔法により相殺され、消えた。

 ありえない。

 それがテラの素直な感想だった。
 確かに出力を抑えはしたが、師団長レベルの魔力は込めたはずだった。
 同属性の魔法においては、魔力量の差が絶対であるはずだった。
 少なくともこの数百年、テラが対峙してきた全ての魔族はそうだった。

 テラはもう一度、今度は魔力量を緻密に計算し、師団長レベルに強さを制御した上で炎を放つ。

ーーゴワッーー

 結果は同じだった。
 連隊長クラスの魔力しか持たないにもかかわらず、己の魔法を相殺する紅眼の魔族。

 再び、テラの興味はこの紅眼の魔族に注がれる。

 テラは己の記憶を探る。
 先ほどこの紅眼の魔族が呟いた言葉。

 確か、その呟きと同じ、グレンという名の魔族がかつていたことを思い出す。
 将来を嘱望されながらも、家畜に過ぎない人間を殺すことに抵抗を覚え、栄達の道からそれた魔族。
 確かその魔族の名がグレンだったはずだ。

「魔族グレンよ」

 テラの問いかけにピクリと反応する紅眼の魔族。

「その名は捨てた。今俺に名前はない」

 魔王から与えられた名を捨てたと、堂々と告げる紅眼の魔族。
 テラの興味はますますこの紅眼の魔族に吸い寄せられる。

「俺の女になれ」

 テラは思わずそう言っていた。
 四魔貴族であるテラからすれば、連隊長クラスに過ぎない強さしか持たないこの紅眼の魔族は、自分の女にするには力不足なはずだった。

 だが、二階級も上の魔法を相殺し、魔王から授かった名を捨てるという暴挙に及ぶこの女をそばに置きたくなった。

「断る。俺には心に決めた者がいる」

 四魔貴族である己からの誘い。
 世の女なら、喜んで受け入れ、簡単に股を開く。

 そんな誘いを生まれて初めて断られたテラは、衝撃とともに、何が何でもこの女を手に入れたくなった。

 テラは己の魔力を全力で放出する。

 あまりの魔力の圧に、後ろにいた三人の魔族は気を失ったようだったが、そんな些事は全く気にせず、テラは紅眼の魔族に迫る。

「拒むなら力づくでものにする。お前も魔族なら異論はないな」

 強者の言うことは絶対。
 それが魔族の世界だ。

 力づくで迫るのは、恥ずかしいことでも何でもない。
 今までそんなことをする必要がなかったからしてこなかっただけで。

 気を失わないだけで精一杯なはずの紅眼の魔族は、膝を震わせながら、それでも眼だけは力強さを失わずにテラを見据える。

「断る。お前のものになるくらいなら、今この場で死を選ぶ」

 何だ、この女は?

 テラにはこの紅眼の魔族が理解できなかった。
 数百年生きてきてこんな女は初めてだ。
 出会ってからわずかな時しか経っていないにもかかわらず、もう他の女のことなど考えられなくなっていた。

 本当に殺してやろうか。

 そう告げようとして、代わりに出たのは別の言葉だった。

「俺と結婚してほしい。もちろん正妻として。お前が望むなら、今後他の女は抱かない。俺の生涯をお前に捧げよう」

 口から出たのはプロポーズの言葉だった。
 魔族のプロポーズは、人間のそれより遥かに重い。

 プロポーズをした者は、その言葉の通り、生涯その身を相手に捧げなければならない。

 四魔貴族のプロポーズを受けるなど、魔族としての最高の誉れといっても過言でないことだった。

 だが……

「断る。気持ちはありがたいが、俺の気持ちが変わることはない」

 屈辱の言葉。
 だが、テラは自分でも意外なほどに、怒りは感じなかった。

「悪いが、俺はお前を諦めない。俺がその誰かに劣っていると言うのなら、己を磨き、改めてプロポーズさせてもらう」

 魔力を緩めながらそう宣言するテラに、紅眼の魔族は肩をすくめながら答える。

「何度プロポーズされても俺の気持ちは変わらない。だがまあ、それでも俺をどうにかしたいなら、魔王となり、世界をその手にしてからにしろ。その過程で、きっと俺の想い人が立ちふさがるはずだからな」

 紅眼の魔族の言葉に、テラはにいっと笑う。

「言われずとも魔王にはなる。その上で世界を手にし、そしてお前も手にしよう」

 紅眼の魔族も応えるように笑う。

「まあ、俺の惚れた相手が、お前に負けるわけはないがな」

 紅眼の魔族は、確信したようにそう答える。
 テラはその言葉には答えなかった。
 紅眼の魔族がそこまで自信を持って語る男がどんな男か気にはなったが、その男がどんな男か尋ねるような無様な真似はしない。
 己が世界中の誰よりも強い男になればいいだけだと、そう考える。
 そうすればその過程でその男と出会えるはずだ、と。

 テラは話を続けた。

「とりあえず、人間狩りなどはやめろ。食事も住む場所も俺が手配する。お前は魔王の妻らしく、大人しくしていろ」

 紅眼の魔族は、またも肩をすくめながら答える。

「お前の妻になる気はないが、食事はありがたく頂こう。森をさまようのも少し飽きてきたし、人間を狩るのは好きではないからな」

 喋りながら微笑む紅眼の魔族を、テラはそうやって素直に笑えば美しいのに、と、思いながら笑顔で眺める。
 そして、改めて魔王になることを固く決意した。





 テラが一人で森へ向かったと聞いた将軍リッカは、すぐにテラの屋敷を飛び出した。
 四魔貴族であるテラがはぐれの魔族に遅れをとることなど考えられない。

 だが、リッカの勘が告げる。
 絶対にテラを一人で向かわせてはいけない、と。

 己の人生を変えてくれたテラ。

 もう少しでそんなテラの横に立てる。
 リッカはそう思っていた。

 テラに近づきたい一心で、最底辺から将軍にまで上り詰めた。
 テラに抱かれたことはまだないが、強い女を好む魔族において、将軍である己が拒まれることはないだろうと思っている。

 テラが魔王になった時、その偉業を隣で支える存在でありたいとリッカは考えていた。
 四人いる将軍の中で、その筆頭となった時、その願いは叶う。

 現在、リッカの実力はテラの配下で二番目。
 一番目になった時、リッカはテラへプロポーズしようと考えていた。
 そして、日々強くなり続けているリッカは、その日は遠くないだろう、と計算する。

 テラの居場所はすぐに分かった。
 濃密な魔力が溢れてくる場所があったからだ。

 普段魔力を抑えているはずのテラが、その魔力を全力で放出している。
 それは紛れも無い異常事態だった。

 リッカは、全速でテラの元へ馳せ参じようと地を駆ける。

 すぐにテラを見つけ、駆け寄ろうとしたリッカが見たものは、想像していた事態とは異なっていた。
 むしろ想像していた緊急事態が起きていた方が、何億倍もマシだった。

 己の主人が、別の女性へプロポーズする光景。
 全てを捧げ、この身を尽くそうと考えていた最愛の人が、己以外の者へ、その生涯を捧げようとしている光景。

 ……それだけでも。
 それだけでも許せないのに。

 あろうことか、相手の女性はテラのプロポーズを断った。

 数百年かけて努力しても。
 あらゆるものを犠牲にしても。

 それでも己が得られていないその言葉を。
 その女性は断った。

 その瞬間、リッカの頭の中は真っ黒に支配された。
 怒りと嫉妬と羨望で、その心は埋め尽くされた。

 自他共に冷静だと認めていた彼女は、感情に支配された。

 あの女は殺す。
 何があっても殺す。

 リッカは固く心に誓い、握りしめた拳と、噛み締めた唇から流れ出る血にも気付かず、楽しそうに微笑むテラと紅眼の魔族を見つめていた。
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