底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第四章 奪還編

剣聖の弟子

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 その男は物心ついた頃から天才と呼ばれていた。

 両親はともに二つ名持ちの騎士。
 血筋にも環境にも恵まれていた。

 両親はそんな男へ愛情を注ぎ、大事に育てた。
 もちろん愛情を注ぐだけではなく、自らを超える騎士に育てるべく、剣の修行も課した。
 自分たち以上に才に恵まれた男を、王国一の剣士に育てることが、両親の夢であった。

 男もそんな両親の期待に応えるべく、必死に努力した。

 才能に恵まれ、努力も怠らない。

 そんな男は、すぐに近所の同年代の誰よりも強くなり、十歳を数える頃には、大人ですら侮れない存在になっていた。
 
 自惚れでも過信でもなく、自分は選ばれし存在である。

 そう思っていた男の自尊心は、すぐに折られることになる。

 ある日、男の元に、剣聖の使者を名乗る女性が訪れた。
 男の噂を聞きつけた剣聖が、ぜひ自分の後継者として育てたいと申し入れて来たのだ。

 男は当然のごとくそれを受け入れた。

 剣聖といえば王国最強の剣士。
 剣聖の名を継ぐとなれば、この上ない名誉だ。

 男の家柄では、十二貴族家とは異なり、どれだけ優れていても王にはなれない。

 剣聖は、一般の人間がなれる最高位の称号の一つと言っていい。

 自分が剣聖となり、周りにチヤホヤされる未来を描きながら、男は剣聖の門下となった。

 だが、剣聖の弟子となってすぐ、自分の考えが誤っていたことに気付く。

 まず、剣聖の弟子は一人ではなかった。

 男と同じように王国中から集められた少年少女が十人以上いた。
 それについては、男も納得した。
 自分が必ずしも無事に育つとは限らない。
 貴族の家でも、跡取り候補は何人もいる。
 家を絶やさないため、スペアを何人も設けるのはやむを得ないことだ。
 魔族や魔物に襲われたり、事故や病気になるリスクを考えれば当然のことだろう。

 この中で自分が一番になりさえすればいい。
 そうすれば問題ない。

 そう考えた。

 だが……

 男の考えは、修行の初日で覆された。

 剣聖はしばらく不在とのことだったので、弟子たちだけでの修行が行われた。
 その修行で男は衝撃を受けた。
 十人を超える弟子の全てが、自分以上の実力を持っていたからだ。

 青年に近い年齢の、年上相手に負けるのはまだ分かった。
 だが、同年代の少年や、どう見ても年下の少女にすら歯が立たなかった。

 少年の自尊心は根元からポッキリと折られた。

 それでも、そのまま腐ったりはせず、必死に自分を鍛えた。
 厳しい修行にも根を上げず、しっかりとついて行った。

 今までの自分の努力が、子供の遊びにしか過ぎなかったことに気付いた男は、同じ修行さえすれば、すぐに逆転できる、そう信じて己を鍛えた。

 しかし、差は広がる一方。

 男は間違いなく強くなっているはずだったが、それ以上に他の弟子たちの方が強くなっていた。

 男は分からない。

 努力しても差が縮まらないということは、才能の差だろうか。
 自分に才能があると思っていたのは気のせいで、本当はなかったのだろうか。
 才能がないのならこれ以上やっても無意味ではないだろうか。

 男はそう考えるようになっていた。

 思考のマイナスは、練習のプレゼンスも下げ、パフォーマンスも下げる。

 男は負の連鎖に陥っていた。

 そうなると、修行へのモチベーションがどんどん下がっていく。
 そして、剣聖の弟子を辞退しようかと思い始めた頃、剣聖が帰って来た。

 自分より強い弟子たち全員が尊敬する剣聖。

 新参者の男のために、剣聖が剣の技量を披露することになった。

 弟子を辞める前に、見ておいて損はない。
 最後の思い出として、剣聖の実力を見てから、弟子を辞退しよう。

 そう考えた男が見た剣聖の実力は、想像を絶していた。

 才能があると思っていた、他の弟子たちの実力が霞むほどに、剣聖の剣の実力はズバ抜けていた。

 男はすぐに剣聖へ問いかけていた。

「この場に、あなたに匹敵するような才能を持つ弟子はいない。もっと才能がある者を探したほうがいいのではないですか?」

 男の言葉を聞いた剣聖は笑う。
 才能の限界を指摘され、腹を立ててもおかしくないはずの、他の弟子たちも笑う。

 一通り笑った後、剣聖は口を開く。

「才能? そんなもの、この場にいる者なら、ほとんど差はない。俺もお前もだ」

 剣聖の言葉に、男は腹を立てる。

「そんなはずはない! 才能に差がないなら、どうして俺だけ弱いんですか? 同じ修行をしているのに、なぜ俺だけが……」

 言葉に出すと、男は泣けて来そうになる。
 自分のことがひどく惨めで、悔しくなってくる。

 そんな男を見て、剣聖は再度笑う。
 他の弟子たちも同様に笑う。

「何がおかしい!」

 声を荒げる男の元に、剣聖は静かに近寄り、男の手を取る。
 制裁を加えられるのでは、と考えた男は思わず身構えるが、剣聖の意図はそこではなかった。

 剣聖は男の手の平を見た後、ゆっくりと手を離す。

「……やっぱりな」

 剣聖の行為の意図が分からない男は、混乱したまま、剣聖の目を見る。

 剣聖はそんな男の視線に気付いてか気付かずか、男の隣に立っていた、年下の少女の手を取り、男の方へその手の平を向ける。

 小さな手の平は、何度もマメができては潰れ、ぐちゃぐちゃになっており、思わず目を背けたくなるような有様だった。

 男は自分の手の平を見る。

 マメができてはいたが、少女に比べれば、遥かにキレイな手の平だった。

「全体の修行のメニューは、あくまで最低限だ。俺も含めたこの場の他のメンバーは、それ以外に各自で己を磨いている」

 剣聖の言葉に男は愕然とする。
 ここでの修行は、これまで自分で行ってきた修行より遥かに厳しかった。
 それでも、その修行以外の時間を自分を磨くことに使うなんて、常人では不可能だ。

「同じメニューしかやらなければ、差がつかないのは当たり前だ。他より一歩抜き出ようと思うなら、他より頑張るしかない」

 剣聖は少女の手を離す。

「他より努力しても、他より成長できるとは限らない。だが、努力しなければ、他より成長することは絶対にない」

 剣聖は男の目を再度見る。

「努力は裏切らないとは言わない。全員が限界まで己を鍛えても、剣聖になれるのはこの中の一人だけだ」

 剣聖は、男以外の弟子たちにも目を配る。

「もしまだやる気があるのなら、俺のメニューを教えてやる。他のやつらにもだ。ただ、それだけやっても最強にはなれないかもしれない。それでもかまわない者だけ、この後ついてこい」

 そう言って歩みを進める剣聖の背中を、男以外の弟子たち全員が付いて行く。
 そして男もまた、その後をついて行った。

 強くなれるかは分からない。
 それでも、何もやらないという選択肢はない。

 それから数年後、男は弟子の中でもトップレベルの実力になっていた。
 剣聖にはまだ遠く及ばなかったが、それでもその差は縮まっているように感じていた。

 剣聖という、決して揺らがないと信じていた、憧れの背中。
 いずれ追い付き、追い越したいと願っている、偉大な背中。






 そんな背中が、ある日を境に揺らいだ。

 アレスという十二貴族が叛逆を企て、その叛逆を防ぐために、剣聖も赴いてからだ。

 そこで何が起きたのかは、男には分からなかったが、決して揺るがぬ男の背中を揺るがすほどの何かがあったのは間違いなかった。

 そんな状態の剣聖へ、虜囚となったアレス警護の任務が与えられた。
 男は、その任務のサポート役を買って出た。
 今の状態の剣聖を一人にはできなかったし、剣聖が揺らいでしまった理由を突き止めたかったからだ。






 そして、警護の最終日前日、少年は現れた。

 十二、三才にしか見えない少年は、その見事な剣技で、剣聖に傷を負わせた。
 男は、一度も負わせたことがないというのに。

 その少年を、次の間に通すと判断した剣聖を止めることは、男にはできなかった。
 剣聖の背中が、以前の揺るぎない背中に戻っていたからだ。

 次の間に控えるのが誰かを、剣聖も男も知っていた。
 それでも少年たちを次の間へ行かせた。

「あの少年たちは生き残れるでしょうか?」

 扉が閉まり、空間が遮断された後、男は剣聖へ尋ねる。

「十中八九無理だろう」

 剣聖はそう答える。

「では、一、二割の確率で生き残れると思ってらっしゃるんですね」

 男は剣聖の顔を見ながらそう理解する。

 剣聖は何も答えずに、ニヤッと笑い、穴の空いた手の平を男へ向けながら、答える。

「だってお前、剣を握って数ヶ月のガキが、俺に傷を負わせるんだぜ。しかもアイツ、剣だけじゃなく、おそらく魔法の腕も一流だ。さすがに今ならまだ、地力は俺の方があるとは思うが、魔法ありのガチ勝負なら、正直絶対勝てるとは言い切れない」

 それ程ですか、とは言わない。
 あの少年が先生と呼んでいた『小賢者』の噂は聞いたことがある。

 母親とたった二人で五階位のドラゴンを倒したという信じられない話。
 アレスの家に採用されるための試験の際に、二つ名持ちを含む一流魔道士数十人を半殺しにしたという話。
 アレスの家が襲撃された際、同じく二つ名持ちを含む精鋭の騎士や魔道士を虐殺したという話。

 今回、ここに辿り着けたということは、その噂は本当だったということだろう。
 そんな魔道士と、剣聖と同格の『刀神』の二人に育てられた少年の実力が、生半可なものであるわけがない。

「そいつがあの『小賢者』と組んでるんだ。あの嬢ちゃんの方もヤバイ空気がプンプンしてた。期待したくもなるだろ?」

 男は肩をすくめる。

「でも、相手はあの男です」

「だから十中八九無理だって言ってるだろ。あいつに勝てるやつなんか、人間の中にはいない」

 剣聖の言葉に男は思わず笑う。
 言葉ではそう言いつつも、やはり少しは勝つことを期待している剣聖の態度に。

 剣聖から最大級の賛辞を贈られた少年のことを思い返し、男は呟く。

「俺もあの少年と戦って見たかった」

 男の言葉を聞いた剣聖はまたもニヤッと笑う。

「もしあいつらが生き残ったら戦えるさ。ただ、順番は俺が先だ。俺より先にやりたいなら、まずは俺に手傷を負わせて見ることだな」

 剣聖の言葉に、男は初めて笑みを見せる。

「いつまでも昔のままだと思わないでくださいよ。少なくとも、あの少年と戦う直前までの腑抜けたあなたなら、手傷くらい負わせることはできました」

 男の言葉に、目を見開いた後、剣聖は笑う。

「ヒヨッコが言うようになったじゃねえか。なんなら今からやるか?」

 剣に手をやる剣聖に対し、男は首を横に振る。

「手負いのあなたに傷を負わせたところで、自慢になりません。……怪我が治り次第お願いします」

 剣聖も自分も病気なんだと、男は思う。
 剣というものに魅せられた病人。

 そんな病人としては、敵の立場ながら少年の無事を祈らざるを得ない。
 自分より強い存在というのは、剣の病人にとって、最高の魅力を持ったものだから。

 剣聖が言う通り、この数年で自分は大きく変わったと男は思う。
 剣聖の元へ弟子入りした頃の男なら、絶対にこんな考え方をしなかったからだ。
 自分より強い相手がいることが嬉しいなんて思わなかった。
 
 男は少年の無事を祈り、そっと目を閉じる。

 ーー願わくば、剣の神の加護があらんことを。
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