底辺奴隷の逆襲譚

ふみくん

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第三章 潜伏編

ある少女の夢

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 その少女は、どこにでもいる普通の子供だった。

 両親のことが何よりも好き。
 食べ物の好き嫌いが多い。
 怒られるとすぐに泣く。

 そんなどこにでもいる少女だった。

 よく友達と遊び、たまに勉強し、親の手伝いも少しする。
 ごく普通の平民の家庭に生まれた、元気で明るい少女だった。

 ……しかし、少女の日々はある日を境に一変する。

 少女が住む町に現れた一人の魔族。
 初級か、よくて中級下位程度の実力の魔族。
 ある程度の規模がある街なら、常駐の騎士団で十分対処できる程度の相手。

 だが、少女の住む町は小さかった。
 町には騎士団などなく、常駐の兵士は、騎士団退役後、余生を楽しむ老兵や、研修も兼ねて配属された新人で構成されていた。

 魔族が、なぜわざわざそんな小さな町を襲ったのかは分からない。
 分からないが、事実として魔族は現れた。

 魔族は、ただ魔族というだけで強力だった。

 初級の魔族でも。
 中級の魔族でも。

 並の兵士など、歯牙にもかけないほどに。
 小さな町の、騎士団ですらない兵士など、子供と戯れる程度の感覚で屠れるほどに。

 一瞬で全ての兵士を失った町に、なす術はなかった。

 兵士が魔族の魔法によって、跡形もなく消された後、次に立ち向かったのは、町の自警団だった。
 魔族どころか、低位の魔物にすら苦戦する、普段は町のチンピラくらいしか相手にしていない、普通の人々。
 震えながらも木の棒を持ち、勇敢にも魔族の前に立ち塞がる自警団を前に、魔族には情けという言葉はなかった。

 凶悪な笑みを浮かべると、紙でもちぎるかのように自警団の手足を、生きたまま捥いでいく。

 瞬時に自警団も全滅すると、魔族は、一軒一軒家々をまわり始める。

 ……家に隠れる人間たちを殺戮すべく。

 魔族に対しては、扉にかけた鍵も、教会で支給される魔除けの像も、何の役にも立たなかった。

 魔族が訪れた家から聞こえるのは悲鳴のみ。

 戦闘力のない人々は、家の中でただ、隣の家から聞こえてくる断末魔の叫びを聞いているしかなかった。

 数十軒ほどの家の住民が全て殺された後、遂に少女の家にも魔族が訪れた。

 ノックの代わりにバチバチという音が立ったかと思うと、ゴウッという音と共に消し飛ぶ扉。

 家の奥の戸棚に押し込められた少女は、扉の隙間から家の中の様子を伺う。

 薪割り用の鉈を持って、魔族の前に立ち塞がる父親。
 恐らく、喧嘩で人を殴ったことすらないだろう温厚な父親。
 その父親が、兵士や自警団すら敵わなかった魔族の前に立っている。

 後ろに立つのは母親。
 魔族から戸棚を隠すように静かに立っている。

 どちらも怯えた様子はない。
 せめて大事な娘だけでも守ろうと、堂々と立っていた。

 少女は怖かった。
 それでも目が離せなかった。

 ……そして、父親と母親は、この世を去った。

 魔族は父親と母親の頭を素手で掴むと、果実を木から刈り取るように、首から上を捻り切った。
 捻り切った頭部にかぶりつく魔族。
 滴る血と脳を美味しそうに口にする魔族。

 あまりの恐怖と衝撃に悲鳴をあげそうになる少女。
 だが、ここで声を上げては両親の死が無駄になってしまう。
 少女はなんとか声を抑えるが、股の間からチョロチョロと流れ出る液体を止めることはできなかった。

 そんな小さな音を逃さなかったのか、魔族は少女の隠れる戸棚の方に視線を向ける。

 両親の頭を両手にぶら下げたまま、戸棚の方へ歩いてくる魔族。

 見つかりませんように、という願いも虚しく、魔族は器用にも足で戸棚の戸を開けると、その足で頭を掴み、少女を引きずり出す。

 このまま両親のように頭と体を引き離されるのか、それとも、頭を握りつぶされるのか。
 いずれにしろ死ぬのは間違いない。
 少女は死を覚悟して目を閉じる。

ーー私はここで死ぬんだ……

 少女には夢があった。

 いい旦那さんを見つけて、幸せな家庭を築く夢だ。
 両親のような、お互いを信頼し合える、最高のパートナーを見つけて、ずっと一緒に暮らす夢だ。

 そんな夢が消えてしまう。

 恐怖と絶望で押しつぶされそうになる少女。

 ……だが、次の瞬間、少女は尻餅をついていた。

ーードサッーー

 一瞬遅れて、目の前に何かが落ちる音がする。

 少女は何が起きたか分からない。

 恐る恐る目を開ける少女の目に映ったのは、少女を掴んでいたはずの、魔族の足だった。

「……私の領地で、よくも好き放題やってくれたな」

 家の入り口で右手を伸ばし、そう言葉を発したのは、青年と言っていい年齢くらいの外見にも関わらず、やけに落ち着いた雰囲気のある男だった。
 その男は怒りを押し殺したようにそう言った。

「人間風情が……」

 魔族はそう呟いて、斬られた足の部分に魔力を込める。
 ニョロニョロとミミズのような肉が何本か傷口から這い出ると、なくなったはずの魔族の右足が再生する。

「自己修復ができるとなると、一応中級か。下級だろうが
中級だろうが大差ないが」

 男の言葉に、魔族は激昂する。

「下等種族である人間如きが、勝手に我らを区分けするな! その口、すぐに閉じてくれるわ!」

 魔族は、そう言うと、全身に魔力を込める。
 
 魔法に疎い少女から見ても、明らかに異常と分かるほどの、禍々しくも強大な魔力が、魔族の体から溢れてくる。
 そんな魔力に晒されて、少女の体を再び恐怖が襲う。

 だが、少女が禍々しい魔力に晒され、恐怖を感じたのはほんの一瞬だけだった。

「やはりこの程度か……」

 男はそう呟くと、剣を抜いて体に魔力を込める。

 再度、少女の体を襲う強大な魔力。
 強大ではあるが、清らかで美しく、嫌悪感を全く抱かない魔力。

 男の魔力は魔族のそれを、圧倒するかのように場を支配した。

「ば、ばかな……人間の分際で四魔貴族並みの魔力を有するなど……」

 それが魔族の最後の言葉になった。

 男は剣にも魔力を流し、上段に構える。

 ……そして、そのまま一歩で魔族までの間合いを詰め、剣を振り下ろす。
 男の剣は、防御しようとした魔族の腕ごと、魔族の体を切り裂いた。

 血しぶきを上げて倒れる魔族を一瞥だけした後、男は少女の元へと歩み寄る。

「怪我はないか?」

 少女は何も声に出せないまま、首だけ大きく二度頷く。

 その様子を見た男は、膝をつき、額を地面につけて謝る。

「謝って済むことではないが、本当に申し訳なかった。私がもう少し早くたどり着いていれば、このような事態にはならずに済んだのに……」

 明らかに身分が高いと思われる立派な服を着た男が、平民の、しかも子供に対して、恥も外聞もなく謝っていた。
 そんな男の姿を見て、少女は慌てて首を横に振る。

「か、顔を上げてください。こんな田舎町へ、助けに来ていただいただけでもありがたいです。貴方がいなければ、私は間違いなく死んでいました」

 少女の言葉に、男は額を地面につけたまま答える。

「君を助けられたのは嬉しい。でも、君の家族を含め、多くの民を殺されてしまった。これは人口の少ない町まで守りを派遣していなかった私の責任だ」

 男はそう言って、膝をついたまま体だけ起こし、少女の瞳を見る。
 真っ直ぐと自分を見つめる瞳に、少女は少しだけたじろぐ。

 男は周囲に倒れている、少女の両親の亡骸へ目をやってから、少女へ尋ねる。

「……身寄りはあるのかな?」

 少女は首を横に振る。
 両親以外に、頼れる人物は思い浮かばなかった。

「もし差し支えなければ、我が家へ来ないか?」

 願っても無い提案だったが、少女は首を横に振る。

「非常にありがたいですが、今回のことで、私以外にも苦境に陥った子供はいるはずです。何の奉仕もできない子供の私が、自分だけ甘えるわけにはいきません」

 少女の言葉に、男はじっと少女の瞳を見た後、考える。

「我が家には君より何歳か小さい娘がいる。その子の遊び相手として雇われてくれないだろうか? それだけでは忍びないと言うのなら、将来、何らかの形で働いてくれればいい」

 少女は考える。
 今は何も恩返しができない。
 それなら、今は言葉に甘えて、将来的にこの男に尽くし、何倍にもして恩返しすればいい。

 少女は決意し、頷く。

「そういうことであれば、お言葉に甘えさせていただきます」

 少女の言葉に男は子供のような笑みを浮かべる。

「それならよかった」

 男の浮かべた笑みを見て、少女は不思議な気持ちになる。
 心がほんわかと温まるような、締め付けられるような、不思議な感覚だ。
 まだ幼い少女は、この感覚の正体を知らない。




 男の家に住むことになった少女は、男の娘と遊ぶ傍ら、時間を見つけては、己を磨いた。

 剣の腕を鍛え、魔力を練るための精神修行を行い、家事までこなした。

 初めはどれも上手くいかなかったが、十歳を超える頃には人並みの実力になり、十二歳を超える頃には、同年代では周りに並ぶもののいない腕前になった。

 全ては男に恩返しするために。
 少女が、寝る間を惜しみ、自らの全てを賭けて、己を磨いた結果だった。

 男の役に立つ人間になること。
 それが彼女の願いであり、新しい夢だった。

 少女が十五になった時、王国の歴史上、最も若くして二つ名持ちの騎士となる。

 王国十二貴族家の筆頭アレスに仕える二本目の剣。

 刀神ダインに次ぐ、アレスの懐刀。

 それが二つ名持ちの剣士、閃光のローザだった。
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