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第5章
10 目覚め
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「泣くな」
シャドウは自分の服の裾を掴んだまま、しゃくりを上げて泣くマリーを宥めた。
「うぐ、ひっく、ひっく」
堪えようとしても止めどなく流れて来る涙は終わりを見えない。
サリエがサリエがとわあわあと咽び泣いた。
「おい…」
シャドウは、いい加減に泣き止めと叱咤したい気持ちに駆られたが、思い返せば、マリーは昔から大の泣き虫だった。
俺がいなくて泣き、鳥の巣頭をからかわれては泣き、嫌いな食事が出て泣き、サリエに怒られては泣いた。
サリエはマリーにとっては、母であり姉であり、巫女修行の先生でもあった。思い入れはかなり深い。怒られて泣かされても情がある。脱走の件で仲違いになり、突っ撥ねて距離ができても、縁が切れる訳ではない。
「サリエぇ、うぐっうっ、ふぁあー!!」
「今度は何だ?」
つい最近、同じシチュエーションに出くわしたことを思い出した。
「靴がない!鈴鳴草が付いていたのにない!」
マリーは左右の足を全身を使って見回した。
「サリエがいちばん音の鳴るやつを選んでくれたのにぃー!何でないのー!!」
ぺしゃんと道の真ん中で崩れ落ちて駄々を踏むあたりは幼児の頃と何ら変わりはなかった。子どもに戻されたというのは、あながち間違いではなさそうだ。脳裏の端にチドリの顔が過った。あの頃はみんないっしょくたに遊んで楽しかったな。神官の子も捨て子も違いはなかった。あの頃に戻りたい願望からそうさせたのかもしれない。
シャドウは片膝をついて、マリーの前に来た。真っ赤に晴らした目と鼻水にまみれた鼻を紙で拭いてやった。
「さすがに…若い娘のすることではないぞ」
呆れを通り越して笑い出しそうだ。成長してもあの頃と何ら変わりようがなくては、この美貌が劣ってしまう。
「だってぇだってぇ」
未だ涙が止まらないマリーと、マリーを慰めるシャドウ。
絵になる美男美女の姿を真近で見させられたソインは胸を躍らせていた。巫女は神聖で美しいと教えこまれて来たせいか、泣き喚くマリーにさえ目を奪われていた。シャドウと並ぶと余計に美形さが増す。似合いの二人だ。この二人の結婚式なら見てみたいとさえ思った。
「あ、あのぅ~」
ソインは、そんな絵になる二人の間を割って恐る恐る声をかけた。
「お前まだいたのか?」
シャドウは辛辣な物言いだ。
「ひどい!そんな言い方!」
ソインは赤く腫れた鼻をシャドウに突き出した。
「…何だ」
シャドウは気まずそうに目線を外した。
「巫女様の靴をお探しなら私がとって来ましょうか?」
「お前が?」
「はい。先ほどの部屋にあるのなら、ひとっ走りして取って来ますよ」
「ひとっ走りってお前…。さっきは息が上がってたじゃないか」
「み、み、巫女様の前でそんなこと言わないでくださいよ!巫女様の為なら最速で走りますよ!」
ソインは息巻いて、ふくよかな腹をドンと叩いた。シャドウはそこは胸を叩けと言い淀んだ。
ソインを巻き込むのは気が引けるが、あそこまで戻るには時間がない。泣き喚くマリーをここまで連れ出したのも至難の業だ。
「…お前には早く帰る準備をさせたかったのに…悪いな。頼めるか?」
「そんな水臭い!ぼくとシャドウさんの仲じゃないですか!」
「どんな仲だ」
出会ってまだ半日も経ってない。
「リュリュトゥルテを一緒に見た仲間ですよ!手に届きそうで届かない高嶺の花。ああ、高貴なあなた、どうぞ私の想いを受け止めておくれ。愛しい方よ。どうか美しいままでいて…。
うちの奥さんもぼくなんかには高嶺の花すぎて、周りに恨まれましたよ」
ソインは服の下からペンダントを出した。中を開けると目鼻立ちのはっきりとした気の強そうな女性の写真があった。高嶺の花と形容するにはもってこいだ。
「今は慣れない育児に奮闘しているはずです。シャドウさんにもそういう方がいらっしゃるんじゃないんですか?」
待っている方がいるんでしょう?とソインは首を傾けた。
「…俺には」
脳裏に浮かんできたのは雪の後ろ姿だった。高嶺とは意味が異なるが、頼りなさげな体を支えてやりたいとは思う。
「…時期に花は完全に咲きますよ」
寂しげな表情を浮かべるシャドウにソインは言い放った。花農家としての見解だ。
「何」
「ぼくには理解できないけれど、シャドウさんにとっては咲かれてはならない理由があるんですよね?」
「ああ。リュリュトゥルテの花自体には意味はない。だが、突風に舞い上がった花びらが開花宣言を指すなら俺はそれを止めたい」
花の開花は遠く離れた場所からでもわかるという。城にいるヴァリウスにも知られてしまったら、開花=影付きの処刑を意味してしまう。
「手間暇かけてきたお前達には申し訳ないが、やはり開花は止めたい。
それ以外に策があればいいのだけど、今は何にも縋るものがない」
「…チドリ様が仰っていた事と関係があるんですか?結婚式ではなく誰かを処刑をするとかなんとか…」
語尾が濁る。滅多なことだとソインの表情が曇る。
「…ああ」
ソインを巻き込んでしまった以上、黙っているのは忍びなかったが、理由がわかれば動きやすいかとも思った。
「…チィがどうかしたの」
マリーは目頭を押さえながら二人の前に来た。
「マリー」
よたつく足元は泥だらけだった。擦り傷もいくつか。
「ああ!巫女様!!御御足が痛々しい!わ、私すぐに靴を取って来ますから!」
ソインはマリーの姿を凝視できずに、慌ててその場から駆け出していた。
「ソイン!」
「シャドウさんはどうぞお先に行ってください。あとで追っかけますから!」
終始笑顔で手を振るソインには心配と不安しか思いつかなかったが、今は託すしかなかった。
「塔で待つ!」
シャドウはソインに叫んだ。それに呼応するようにソインは大きく手を振った。
後ろ姿が見えなくなるまで目で追った。衣装部屋までさして距離はないが、あんな現状の場所に一般人を行かせてよかったのだろうか。さすがに神殿の者達も黙っていないだろう。
「しかし躊躇っている時間もない」
花農家が植物の成長を気にして見に来たとでも言えば、言い訳になるだろう。その辺は俺より機転が利くはずだ。
シャドウはソインの人となりをだいたい理解していた。
出会って半日足らずともわかるものだ。
「あのひとだあれ」
マリーはソインの走って行った方向をぼんやりと眺めながら呟いた。
「ソインだ。花の世話をしている」
「おはな…リュリュトゥルテのこと?」
「ああ」
「そうだ。サリエに言われたんだ。花が咲かないからうたをうたってって。…おうたうたわなきゃ」
よたよたとシャドウの横を通り越して、マリーは空を仰ぎ見た。暖かな日差しと、かすかに聞こえる鳥の囀りを運ぶ風。瞼を閉じて、それらを体で受け止める。
「光と水の名のもとに花を咲かせよ 良き水良き風を身に纏い 眠れる芽を呼びおこせ」
花や草木の芽の息吹を後押しする呪歌だ。マリーの声に大地が呼応する。小さな地響きが、やがて神殿中に広がって行った。あらゆる草木の花や芽が伸び、草丈を倍にした。
泣き腫らしていた目が開き、大人びた表情に変わった。
少女から大人へ。大人から巫女へ。
「…ま、待て」
シャドウは焦った。時期に咲くとは言われていたリュリュトゥルテが、マリーの歌声で一気に花をつけてしまう。
巫女の誕生は国花の開花。それは即ち、影付きの処刑を指す。
「泣くな」
シャドウは自分の服の裾を掴んだまま、しゃくりを上げて泣くマリーを宥めた。
「うぐ、ひっく、ひっく」
堪えようとしても止めどなく流れて来る涙は終わりを見えない。
サリエがサリエがとわあわあと咽び泣いた。
「おい…」
シャドウは、いい加減に泣き止めと叱咤したい気持ちに駆られたが、思い返せば、マリーは昔から大の泣き虫だった。
俺がいなくて泣き、鳥の巣頭をからかわれては泣き、嫌いな食事が出て泣き、サリエに怒られては泣いた。
サリエはマリーにとっては、母であり姉であり、巫女修行の先生でもあった。思い入れはかなり深い。怒られて泣かされても情がある。脱走の件で仲違いになり、突っ撥ねて距離ができても、縁が切れる訳ではない。
「サリエぇ、うぐっうっ、ふぁあー!!」
「今度は何だ?」
つい最近、同じシチュエーションに出くわしたことを思い出した。
「靴がない!鈴鳴草が付いていたのにない!」
マリーは左右の足を全身を使って見回した。
「サリエがいちばん音の鳴るやつを選んでくれたのにぃー!何でないのー!!」
ぺしゃんと道の真ん中で崩れ落ちて駄々を踏むあたりは幼児の頃と何ら変わりはなかった。子どもに戻されたというのは、あながち間違いではなさそうだ。脳裏の端にチドリの顔が過った。あの頃はみんないっしょくたに遊んで楽しかったな。神官の子も捨て子も違いはなかった。あの頃に戻りたい願望からそうさせたのかもしれない。
シャドウは片膝をついて、マリーの前に来た。真っ赤に晴らした目と鼻水にまみれた鼻を紙で拭いてやった。
「さすがに…若い娘のすることではないぞ」
呆れを通り越して笑い出しそうだ。成長してもあの頃と何ら変わりようがなくては、この美貌が劣ってしまう。
「だってぇだってぇ」
未だ涙が止まらないマリーと、マリーを慰めるシャドウ。
絵になる美男美女の姿を真近で見させられたソインは胸を躍らせていた。巫女は神聖で美しいと教えこまれて来たせいか、泣き喚くマリーにさえ目を奪われていた。シャドウと並ぶと余計に美形さが増す。似合いの二人だ。この二人の結婚式なら見てみたいとさえ思った。
「あ、あのぅ~」
ソインは、そんな絵になる二人の間を割って恐る恐る声をかけた。
「お前まだいたのか?」
シャドウは辛辣な物言いだ。
「ひどい!そんな言い方!」
ソインは赤く腫れた鼻をシャドウに突き出した。
「…何だ」
シャドウは気まずそうに目線を外した。
「巫女様の靴をお探しなら私がとって来ましょうか?」
「お前が?」
「はい。先ほどの部屋にあるのなら、ひとっ走りして取って来ますよ」
「ひとっ走りってお前…。さっきは息が上がってたじゃないか」
「み、み、巫女様の前でそんなこと言わないでくださいよ!巫女様の為なら最速で走りますよ!」
ソインは息巻いて、ふくよかな腹をドンと叩いた。シャドウはそこは胸を叩けと言い淀んだ。
ソインを巻き込むのは気が引けるが、あそこまで戻るには時間がない。泣き喚くマリーをここまで連れ出したのも至難の業だ。
「…お前には早く帰る準備をさせたかったのに…悪いな。頼めるか?」
「そんな水臭い!ぼくとシャドウさんの仲じゃないですか!」
「どんな仲だ」
出会ってまだ半日も経ってない。
「リュリュトゥルテを一緒に見た仲間ですよ!手に届きそうで届かない高嶺の花。ああ、高貴なあなた、どうぞ私の想いを受け止めておくれ。愛しい方よ。どうか美しいままでいて…。
うちの奥さんもぼくなんかには高嶺の花すぎて、周りに恨まれましたよ」
ソインは服の下からペンダントを出した。中を開けると目鼻立ちのはっきりとした気の強そうな女性の写真があった。高嶺の花と形容するにはもってこいだ。
「今は慣れない育児に奮闘しているはずです。シャドウさんにもそういう方がいらっしゃるんじゃないんですか?」
待っている方がいるんでしょう?とソインは首を傾けた。
「…俺には」
脳裏に浮かんできたのは雪の後ろ姿だった。高嶺とは意味が異なるが、頼りなさげな体を支えてやりたいとは思う。
「…時期に花は完全に咲きますよ」
寂しげな表情を浮かべるシャドウにソインは言い放った。花農家としての見解だ。
「何」
「ぼくには理解できないけれど、シャドウさんにとっては咲かれてはならない理由があるんですよね?」
「ああ。リュリュトゥルテの花自体には意味はない。だが、突風に舞い上がった花びらが開花宣言を指すなら俺はそれを止めたい」
花の開花は遠く離れた場所からでもわかるという。城にいるヴァリウスにも知られてしまったら、開花=影付きの処刑を意味してしまう。
「手間暇かけてきたお前達には申し訳ないが、やはり開花は止めたい。
それ以外に策があればいいのだけど、今は何にも縋るものがない」
「…チドリ様が仰っていた事と関係があるんですか?結婚式ではなく誰かを処刑をするとかなんとか…」
語尾が濁る。滅多なことだとソインの表情が曇る。
「…ああ」
ソインを巻き込んでしまった以上、黙っているのは忍びなかったが、理由がわかれば動きやすいかとも思った。
「…チィがどうかしたの」
マリーは目頭を押さえながら二人の前に来た。
「マリー」
よたつく足元は泥だらけだった。擦り傷もいくつか。
「ああ!巫女様!!御御足が痛々しい!わ、私すぐに靴を取って来ますから!」
ソインはマリーの姿を凝視できずに、慌ててその場から駆け出していた。
「ソイン!」
「シャドウさんはどうぞお先に行ってください。あとで追っかけますから!」
終始笑顔で手を振るソインには心配と不安しか思いつかなかったが、今は託すしかなかった。
「塔で待つ!」
シャドウはソインに叫んだ。それに呼応するようにソインは大きく手を振った。
後ろ姿が見えなくなるまで目で追った。衣装部屋までさして距離はないが、あんな現状の場所に一般人を行かせてよかったのだろうか。さすがに神殿の者達も黙っていないだろう。
「しかし躊躇っている時間もない」
花農家が植物の成長を気にして見に来たとでも言えば、言い訳になるだろう。その辺は俺より機転が利くはずだ。
シャドウはソインの人となりをだいたい理解していた。
出会って半日足らずともわかるものだ。
「あのひとだあれ」
マリーはソインの走って行った方向をぼんやりと眺めながら呟いた。
「ソインだ。花の世話をしている」
「おはな…リュリュトゥルテのこと?」
「ああ」
「そうだ。サリエに言われたんだ。花が咲かないからうたをうたってって。…おうたうたわなきゃ」
よたよたとシャドウの横を通り越して、マリーは空を仰ぎ見た。暖かな日差しと、かすかに聞こえる鳥の囀りを運ぶ風。瞼を閉じて、それらを体で受け止める。
「光と水の名のもとに花を咲かせよ 良き水良き風を身に纏い 眠れる芽を呼びおこせ」
花や草木の芽の息吹を後押しする呪歌だ。マリーの声に大地が呼応する。小さな地響きが、やがて神殿中に広がって行った。あらゆる草木の花や芽が伸び、草丈を倍にした。
泣き腫らしていた目が開き、大人びた表情に変わった。
少女から大人へ。大人から巫女へ。
「…ま、待て」
シャドウは焦った。時期に咲くとは言われていたリュリュトゥルテが、マリーの歌声で一気に花をつけてしまう。
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