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第5章

8 兄と妹と。

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 空を引き裂く五線の爪。辺りは摩擦で起きた光がまばゆく輝いていた。

 「レアシス!!」
 「レスか!?」

 それぞれ遠く離れた場所からでも、その現象は確認され、シャドウとディルは同時に声を上げた。

 レアシスは魔除けの石を通して、透視能力で雪の居場所を突き止めた。獣でいた時の名残か。突き出した腕は大きく変化し、掌を上回るほどの長く鋭利な爪がスラリと伸びていた。突然の変化に体に負荷がかかり、肩で息をしていた。呼吸が整うまで少し時間を要した。
 爪に感触が残る。物質を切り裂いた衝動に、城で起きたおぞましい記憶が過った。
 何年も前からヴァリウスに反旗を翻し、争う獣人はいたものだ。敵わなく膝を折る者もいれば、我が身かわいさに仲間を手にかける輩も少なからずいた。全滅を避ける為に止むを得ず、手にかけたこともある。その時の感触と似ていた。状況は違えど、物を切り裂く感覚は同じだった。
 レアシスは己れの手を見つめた。人助けと称して起こした行動は、誰の為だろうか。もちろん雪の救助が目的だが、自分への断罪にもなるだろうかと悩んでいた。

 「レアシス!」

 思考を遮るように、通信機からシャドウの声が響いた。ノイズ混じりで聞き取りづらかったが、シャドウだと確信ができた。
 私の身を案じる声だった。気を回す相手が違うのではないかと思ったが、嬉しかった。自分の行動は間違いではなかったとホッとした。
 呼吸が整うのを待って、レアシスは通信機に手をかけた。
 
 「シャドウ」
 
 発した言葉はそれひとつ。振り返ったその場に、灰色の服の大男がいた。
 どこか見覚えのある男に何者かと問うと、レアシスの体には無数の針が打ち込まれた。
 大の字でひっくり返るレアシスを後ろから支える者がいた。大男は通信機に目をつけた。中からシャドウの声がわあわあと喚き散らしていた。焦燥感から来る叫びは、レアシスの名前を何度も呼んでいた。

 「あなたにも身を案じる方がいるじゃないですか。おとなしくしていてくださいよ」
 「あなたにでしゃばられたら何にもできないのですよ」
 「悪く思わないでください」

 柱の影から、2人3人と獣人が現れた。皆、申し訳ないと顔を俯きがちにし、二言三言、文言を残した。

 「あなたには迷惑かけないようにするから」
 「黙っていてください」
 「数時間もすれば針は抜ける。命に別状はない」
 「その間に終わらせる」

 獣人達はレアシスをソファの上へと運び、部屋から出て行った。レアシスは体の自由を奪われ動けずにいた。針には痺れ薬でも塗られていたのだろう。体中が麻痺し、声も出せず、がなるような呻き声だけが部屋に響いた。

 「…って…、ま…て…」


 「レス!レアシス!!おい、どうした!?」

 シャドウは通信機に向かって叫んだ。ザザッーと雑音だけが聞こえて来るばかりで、レアシスとの通信は途絶えた。元々調子が悪い状態だったとはいえ、最後の一言だけはクリアに聞こえた。なのに今はもう砂嵐だけだ。まぐれが当たったに過ぎないのかもしれないが、胸が早鐘のように鳴り響いた。仲間の危険を知らせるようにしか聞こえないのだ。

 「チッ!おい、ソイン!」
 シャドウが舌打ちをするなんて大変珍しいことである。
 危険の知らせに居ても立っても居られないようだ。話し方もいつになく粗野でせっかちだ。

 「は、はい」
 心なしかソインもびびってしまい、吃ってしまった。

 「お前の仲間は何人いる?」

 「え、えっ~と。市場から連れて来られたのは5、6人といったところでしょうか」
 ソインは仲間を指折り数えた。

 「仲間を集めていつでもここから脱出できるように身支度をしておけ」

 「結婚式はどうなるのですか?我々はそれを身届かないと気が気じゃありません」

 「そんなに悠長にしていられる時間がない」

 ヴァリウス付きのレアシスに異変が起きたということは、城で異変が起きたと考えた方がいい。花の開花と城の異変。未だ見つからない雪とマリー。ディルのことも気がかりだ。事が片付かなければソイン達を解放するのも難しくなる。

 「あ!あれは…サリエ様では?」

 「何?」

 ソインの目線の先に、背の高い帽子を被った白装束達に挟まれて歩くサリエの姿があった。10年ぶりに会ったとはいえ、凛とした佇まいは健在だった。長い髪にしゃんと伸びた背筋に昔を思い出した。優しかったことも怒られたことも、鮮明に覚えていた。懐かしさの中に複雑な気持ちもあった。最後に会った時は、マリーを唆したと恨みたっぷりの目で睨まれた。こんな形で再会するとは思いもしなかった。

 「…なんだか物々しい雰囲気ですね。あの方達は何ですか?」

 「あれは…」 

 ここの神殿装束とは若干模様が違う。白地に黒い二本の剣が重なっている図の刺繍が入っている。公正と平等さを管理する査問委員会だ。

 「何故、サリエが」

 神殿と城の癒着か?それともチドリの裏切りを報告するのか?
 生真面目な人だから、自分の管理責任だと思っているのだろう。正しくは正義、間違いは悪と割り切っていそうだ。間違いが悪なら、かつての家族をも差し出すのか。あの人ならやりかねないが…
 シャドウは頭を抱えた。もう少し柔軟に考えて欲しいかった。こんな状態を見過ごすのも後味が悪い。しかし時間がない。

 「あっ、あー!」

 「今度はなんだ?」

 せわしなく騒ぎ出すソインに苛立ちを覚えた。いちいち声を上げて騒ぎ出す様は五歳児並だ。もう少し静かに出来んのか。マリーといい勝負だとシャドウはいつになくイライラしていた。余裕がないのだ。
 シャドウはソインが指を指す方向を見上げた。草の根がにょきにょきと伸びて一室丸々を飲み込もうとしていた。

 「なっ…んだ、これは…」

 室内から、すすり泣くような歌声が聞こえてきた。歌に乗って植物の成長が加速している。先端が尖ったハモノクサが、内からも外からも窓を突き破りそうにギシギシと押し合いをしていた。

 ”さあさ歌えよ 喜びの歌よ 集え星よ
  花の目覚めを 願い聞けよ 示せ道を”

 「…これはリュリュトゥルテの歌ですね」
 ソインはシャドウの背中に隠れるように、そろりそろりと部屋に近づいた。

 「花の生育に必要だとぼくらにも教えられましたが、巫女様の歌声でないと効果がないんです」

 「花の巫女というなら…」
 中にいるのは…

 シャドウは斜面を走り登り、草の根をかき分けた。

 「ああっ!切ったり抜いたりしないでくださいよー!!」
 そこらに生えている草花でもソインにとっては大事なのだ。

 シャドウは、そんなソインの慌てふためく声を背中で受けたまま返事をしなかった。知ったことか。この草の中に探し求めていた人物がいるのだ。やっとだ。
 神殿に追放されてから、ずっと避けて来た。二度と故郷の地を踏むことなどないと思っていたが、王に婚礼の儀に出席しろと任された。乗り気ではないが仕方がない。正式な任務を断るわけにはいかなかった。雪が現れなかったら、二度と会えることはないと思っていた。会わずにいても、マリーのことは一度足りとも忘れることなどなかったから、こんな風に再会出来ることは思いもしなかった。
 禁呪をかけられて、時間を巻き戻されたとしても、たとえどんな姿でも、マリーは大事な妹だ。
 蔓の根が絡まり、扉を開けさせまいとしていた。中からは泣き声と鈴の音と、室内にひしめき合う植物の擦れ合う音が響いた。

 「マリー!開けろ!!いるんだろう!?」
 扉に顔をつけ、シャドウは叫んだ。

 「ソイン手伝え!扉をぶち破るぞ」

 「ええっ、シャドウさん性格が変わってますよ!」

 「早くしろ!」

 「正式な手続きもせずに、巫女様を見るなんて恐れ多いですよ!無礼なことをしたら目が潰れるって婆ちゃんが」

 「知るか」
 シャドウはソインの返事を聞く前に扉に体を打ちつけた。

 「俺はマリーが赤ん坊の頃から側にいたが、目が潰れた事などないぞ」

 扉は、ギシギシとミシミシと唸りを上げる。ピシピシと家鳴りも響いた。

 「それはシャドウさんが特別なんですよ!」

 特別なことなどない。俺は神官にもなれなかったただの男だ。妹の幸せを祈るばかりに、周りのことが見えてなかった。結果として、巫女下がりなどという不名誉な称号を与えてしまい、助けられなかったのだ。だから今度こそ、俺の手で助けだしたいのだ。
 植物の成長に建屋が耐えられそうにない。窓には亀裂が何本も入り、割れ始めた。シャドウとソインは二度、三度と体当たりをし、ようやく扉は開放された。障壁がなくなった途端に伸びてきた草木が、二人をめがけて飛び込んで来た。

 「わああ!」
 突発なことに対応できずにソインは立ち尽くしたままだ。
 シャドウはソインの腕を引き、床に突っ伏せた。バンっと痛い!と鈍い音と声が発せられた。

 「マリー!」

 室内はすでに草木が何本も入り混じり、天井や壁を突き破っていた。ここは確か衣類部屋と記憶していた。日々の生活着や儀式用の衣装など、装飾品などを保管していた。棚や箱はひっくり返り、床に散乱していた。
 シャドウの足元にグラスが倒れていた。甘いシロップの香りがした。あと、かすかに眠りの呪がかけられているのに気がついた。
 そして、部屋の中央に、より一層と緑緑しい場所を見つけた。卵のような繭のような。柔らかな若い芽が集まり、細丸く形成されていた。中からはすすり泣く声がした。

 読めた。
 シャドウはこの状況を瞬時に理解した。

 マリーを眠らせた間に、サリエは査問委員会に連れ去られたのだ。もしくは自らの意思で捕まった。自分が捕まる様をマリーの目に写ることがないように。一人になっても慌てることがないように。巫女として生きて行くために。不安材料は切り捨てるのか。自分も含め、チドリも、神殿自体を訴える気か。あの人らしいがそんなことをしたらマリーはどうなる?

 「マリー!俺だ!シャドウだ」

 「…ふぇ?…シゃお?…ほんとにシャーオ?」
 声に幼さが残る。マリーだ。懐かしい。甘えん坊の舌足らずの泣き虫は、いつもこんな風だった。姿が見えぬとも、この声を聞き逃したりはしない。

 「俺だ。探したぞ」

 「ふぇぇ…おそいよう。…ひっく」

 「ずいぶん待たせたな。…悪かった」

 シャドウは草に覆われた繭にそっと手を置いた。手から胎動が伝わってきた。まるで母親の腹の中のようだ。温もりが尊い。

 「…う、ひっく、ひっく。サリエがいない。離れちゃダメだって言ったのに、一緒にいてって言ったのに。どこに行ったのう?」

 繭を割いて中から出てきたマリーは、子どもの姿ではなかった。柔らかな繭の殻を体につけたままだった。
 少女から大人へと変化する転換期ぐらいか。幼さが残る。子どもとも大人ともとれる姿。年齢的には本来の姿だ。背丈も手足もすらりと伸び、蜂蜜色の鳥の巣頭は胸の下までするりと伸びていた。毛先だけはくるりとうねっていて、鳥の巣を彷彿させた。泣きじゃくる姿は、幼い時のままだった。鼻のすすり方も同じだった。

 「…見違えた。ずいぶんと大人になったな」

 昔の姿からは想像ができないほど、マリーは美しく成長していた。禁呪が溶けたのだ。本来の18歳の姿に。
 シャドウは、マリーの頬にそっと手を置いた。

 「…泣くな。まだ間に合うから探しに行こう」

 査問委員会の連中はきっとチドリも連れて行くはずだ。 
 塔までは少し距離がある。

 「うん、うん」
 マリーは涙を浮かべたまま、シャドウを見上げた。

 「…ねぇ、わんわんは?」
 「は?なんだって?」

 「マリーはわんわんがよかった」
  そう言って、また大粒の涙をこぼした。
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