大人のためのファンタジア

深水 酉

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第5章

1 だれ?

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 “目を閉じて何が見える?”

 少女が母親に抱き抱えられながら、しきりに話しかけていた。
 
 “何が見える?”
 “何が見える?”
 
 母親は微笑みながら少女の背を支える。
 口癖かおまじないか。
 何度も口にしては幼な子の目は輝く。
 紡がれていく言葉は、いくつもの扉を開くのだろう。
 たとえ海の底であっても、少女の目にはきっと無数の輝きが映るのであろう。



 暗闇で目を開けても、ただ暗いだけ。
 なんて、夢のない言い方をするのは大人気ないのかな。それが大人なのか。あの女の子が望んだような世界は、少なくとも私には見えない。

 夢とか希望とか。

 マジックのタネを、マジシャンが明かす前に言い当ててしまうとか。着ぐるみの中には人間が入っているんだよとか。
 余計なことばかり口にしてしまいそうだ。

 夢みたいなことばかり言ってないで現実を見なよ。
 よく聞くフレーズだけど、あんな幼い子に言う必要はない。まだまだ夢を見ていていい時間だ。

 では大人は?
 大人はいつまで夢のような世界に浸っていていいのだろう?

 夢の中でも、痛覚や感情の起伏がある。良いことばかりではない。傷ついたり、傷つけあったりと現実とそう変わらない世界のはずなのに、元の場所に戻りたいとは思えないのは何故だろう。
 
 私が、私らしく生きていける場所を探したい。

 そこは何処なのか。私らしくとは何なのか。

 そこは現実ではない場所なのか。私ではないのか。

 何処に行けばいいのか。

 「ここ」でいい何処かで、私は在り続けたい。

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 「お前の行き先は儂が決めてやるわい」

 瞼の上に降ってきた言葉に目を覚ました。聞き覚えのある嗄れた声と独特の口調。
 
 「…ナイトメア?」
 最悪な目覚め。と、一言ズバッと出てきてしまった。いい意味でとかそういうものではない。率直にそう思ったからポロリと溢れてしまった。
 雪は声のする方を見上げた。人型をした靄が自分を見下ろしていた。不気味だけど、見慣れた。
 
 「…なんか久しぶりだね」

 塔での出来事が遥か昔のことのように感じた。ほんの数時間前のことなのに、記憶に残っている部分があまりない。あんなことやこんなこと。ナイトメアがしでかした事も色々あった。色々な意味で濃密な時間であったことには間違いがないが、断片的にしか思い出せなかった。雪は首を傾げた。頭の中にある出来事を思い出しつつも前後の場面が繋がらない。余計な加工編集で盛られてしまったエピソードだけがクローズアップされていて、他人事のように映る。自分に起きた出来事なのに、空気の抜けた風船のようにペシャンコに潰れた。記憶の消去がところどころに始まって来たのだ。
 ナイトメアは雪の変化を察知し、ニヤリと笑った。

 「あ!そんなことよりディルさんは?さっきまで一緒にいたのよ」
 ワンテンポ、ツーテンポ、それ以上も遅れて雪はナイトメア越しに辺りを見回した。景色は今まで通りだ。白壁に囲まれて、自然の青味が爽やかに彩る。
 
 「お前がいた場所と何ら変わらん。歪みの中にいるだけで周りからは見えんようになっているだけだ」
 透明な壁のようなもの?雪は手を伸ばしてみるも、触れることは出来なかった。

 「一緒にいる女とガキは神殿の者だな。おまえが助けたいと言っていた奴が?」
 
 「…そう。無事に会えたよ」

 「ニルクーバの王子も健在か」

 「そうよ」

 「大犬の方とは合流してないんだな」

 「…シャドウさんのこと?犬呼ばわりはしないでよ!」
 雪はナイトメアに向かって腕を払った。

 「すまんな。憐れなほどに首輪が似合い過ぎてな」
 ナイトメアは悪びれもせずに笑った。邪魔者がいなくて助かるわと胸を撫で下ろした。

 「なぁに、じきに外してやるわい。お前にも付いている趣味の悪い首輪もろとも」
 儂の望みが叶うなら首輪の1つや2つ造作もないわ。
 風が雪の髪を揺らした。下ろしていた髪の毛の間と外套着の襟元から赤い首輪が見えた。留め金の横に付いていた小さな石は太陽の光に反射して輝きを増していた。

 「偽物でも光れば十分本物に見えるな」

 イミテーション。
 模造ダイヤ。
 作り物。

 「偽物なの?」

 補欠。
 保険。
 もしもの時の代用品。

 「ケチな男が本物を贈るとは到底思えない。精巧な作りの偽物だ」

 「…へぇ。本当に。…残念な人だね」

 雪は首の後ろにある小さな石を指先でいじった。
 実際見てはないからわからないが、小粒だが、形だけはダイヤのようにカットされているようだった。いつだったか、この石のせいで乱闘騒ぎになった。偽物だとわかっていれば、ディルさんは傷つかずに済んだ筈だ。
 処刑対象者にははなむけさえないのか。フリでもいいからポーズぐらい決めろよ。異世界こんなところに来てまでも、私は惨めな思いをしなきゃならないの?
 本物ではなくても夢ぐらい見させてくれたっていいじゃない。綺麗な物を身に付けることも許されないの?ま、それが愛人の証だとか何とか嫌味なことも言われたけど。
 迷惑な話ではあるけど、宝石なんて身に付ける機会にはそうそうないのだから、一度くらい本物で着飾りたかった。
 ため息ばかりつく現実を打破して、気分だけでも上昇させたかった。模造じゃない気持ちになりたかった。

 雪は俯いた。もう泣くとかの話ではない。涙など枯れてしまった。悲しさとは何だ?私は何なんだ?
 結局はどこに行っても、私は私のままだということだ。
 仕事を頑張っても、結果が付いて来ず、報われない。
 恋人を欲しても、使い捨てられる。
 家族を愛しても、不協和音。
 異世界こんなところに来ても居場所がない。

 「…そんなに人生を悲観するなら儂にくれんか?なぁに悪いようにはせん」

 ナイトメアは雪に近づいた。片膝をついて覗き込んでくる姿は、人のように見えた。肉がない身なのに、人型を為していた。顔の部分に鼻や口の形が整い、目や耳までもが見えた。
 

 「…誰?」

 雪は目を見開いた。実体のない靄と会話をしていたことも違和感があるが、今の姿にも反応がし難い。まるで人だ。自分と変わらない人間の姿が浮き出て来ていた。
 輪郭は細みだ。痩せ型で頬は痩けているように見えた。後髪は短く、前髪は長い。目は切れ長で鋭く、眉間の皺が人相をより悪くしていた。服装は、長袖のシャツに下は長ズボン。靴は踵をすり減らした平たいものだった。全体的にだらしなく着崩している。襟元は大きく開き、顎には無精髭。首にはルーペのようなものを提げていた。

 「儂がどう見える?」

 ナイトメアは手を伸ばした。骨ばった細い指と長く伸びた爪が、雪の髪を揺らし、首に触れた。ような気がした。感触はあっても実際にはどこも触れられていない。

 「…人に」
 見える。雪は息を飲んだ。

 「元は人間だからな。王城の占い師をやっていた。
 信じられぬだろうが、あのヴァリウスの元で数年仕えていたんだ」
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