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第4章

11 対峙

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 チドリに会ったら冷静でいられる自信がないと思っていた。10年以上会っていなかったのだが、再会を懐かしむ余裕はさらさら無かった。
 まずは雪に対しての暴力を問いただす気でいた。
 俺の知るチドリならありえないことだ。非力な者を力で捩じ伏せることなど、あるわけがない。日課の掃除や聖典の写しなどは面倒だとぼやくことはあったが、基本的には曲がったことが嫌いだった。幼き者から老いた者にまで、親切で誰からも好かれていた。世界平和を唱え、誰よりも神殿の事を考えていた。
 なのに、今のこの姿は何だ?
 神殿から感じる力も人の気配も、何も感じられない。美しいと称されて来た自然の豊かさも、何か作り物のようだ。人工的な安っぽい色合い。 侵入者がいるにもかかわらず、物々しさがない。チラチラと視線だけを飛ばしては来るが姿は見せない。極め付けは、チドリの様だ。
 全身傷だらけで包帯からは血と泥が滲み、頬は痩せこけて動くのも大変そうに見えた。胸ぐらを掴み上げて問いただしたかったが、その気さえ失われつつあった。

 「…やあ、シャドウ。久しぶりだね」
 寝台に腰掛けながら、チドリはゆっくりと挨拶をしてきた。目元は窪み、白目は真っ赤になっていた。笑顔におぞましさが見えた。

 「あ、ああ。…久しぶりだな」
 何気ない挨拶。呑気に挨拶などしている場合ではないのだが、次に出す言葉を濁してしまう。何気ない会話でも無いよりはマシかもとまで思ってしまった。

 「うわぁ、何年ぶり?嬉しいな。シャドウが神殿を出てからだから、10年は経った?」

 「…12年だ」

 「そうかぁ。もう、そんなに経つのか。懐かしいね」

 「…そうだな」
 シャドウはチドリとは目を合わせずにいた。懐かしいと思い出に浸るわけにはいかないのだ。

 「ここは変わってないだろう?花も緑も美しいままだ!」
 大手を振って誇らしげに笑う姿は違和感しか感じられなかった。

 「美しいと言っていいのか?瑞々しさが全く感じられなかった。それに周りは砂だらけじゃないか」
 シャドウは赤茶けた砂漠の風景を思い出しながら話した。つい先日まで見ていた光景だ。

 「周りのことなど知らないよ。ココだけが綺麗なら十分だ」

 「…!」

 以前のチドリは神殿の内外だけではなく、世界全体を見ていた。こんなちっぽけな願望を呟くなんてことはしなかった。不穏な空気を追い払うためにシャドウは話題を変えた。

 「その怪我はどうした?誰にやられた?」

 「ああ、ちょっとね。かっこ悪いだろ?」

 「…誰にだ」

 「意地悪だなぁ。もう気づいているんだろう?」

 シャドウは睨みつけた。その真実を聞くまでは引くわけにはいかなかった。

 チドリはシャドウの追求をのらりくらりかわして、部屋の中を歩いた。
 「まー、色々と。城から猫に覗き見されてさ。頭に来たからちょっと引っ掻いてやったら、逆に怒られちゃった」

 「猫?(レスの事か?)」

 「あそこは獣人が多いだろう?猫やら犬やら。さっきもいたよ。新しいのが」

 「さっき?…まさかヴァリウスが来ていたのか?」
 この部屋に入る前に何者かの気配がした。争いを避けるために、柱の影に身を潜めていた。

 「ああ。供もつけずに一人でふらっと来た。呑気なものさ」

 「何の用だったんだ?」

 「さあね。シャドウには関係ないよ」
 自分の見舞いだと口にするのは恥ずかしかった。 
 傷だらけの姿を見て、嫌味ったらしく笑い飛ばしたのは忘れられない。

 「…関係ないか。お前にはなくても俺にはあるんだ」

 「何だよ。怖い顔して」

 「…雪に何をした」

 「雪?…誰だい?」

 「ふざけるな!」

 シャドウはチドリの胸ぐらを掴みかかった。もう怪我の有無など構っていられなかった。
 自分の仲間を攫い、傷を負わせたことを関係ないなどと言わせられない。
 あの苦しむ姿を忘れられるわけがない。

 「ふ、ははは、」

 「何がおかしい」

 「おかしいさ。冷静沈着な男がこんなにも荒々しくなるんだもの」

 反対にチドリは取り乱しもせずに平静を装っていた。
 「ニーナやスイが見たらどう思うかな」

 「何のことだ?」

 「神官見習いになった時に、大人と同じ白装束を着ただろ。シャドウは背も高いし姿勢もいいから女の子達が騒いでいたよ。特にニーナとスイは、どっちが告白するか悩んでいたんだよ」

 「知らん」

 「だろうね。シャドウはマリーのことしか見てなかったもんな」

 「…あんな危なっかしいやつを放っておけないだろう。俺が神官になろうと思ったのはマリーのためだ。俺たちは身寄りがないから、神殿の仕事をしなければ追い出される」

 「君たちは有望株だから何の心配もいらなかったんだよ」
 いずれ大神官と巫女神になるのだから。そのための席がちゃんと用意されていた。心配すべきはぼくの方だった。

 「ぼくが下界に行っていたら大神官の席はシャドウが座れたんだ。バカな事をしたよね」

 「その話はもういいだろう?罰は受けたんだ。そんなことより俺が知りたいのは」
 シャドウは苛立ちを隠せなかった。昔話など聞きたいわけではない。神官になる夢も潰えた。今さら道を違えたと聞いても何の得にもならない。

 「そんなことって何だよ!ぼくがどんな気持ちでいたかシャドウにはわからないだろう!!」
 チドリはシャドウの腕を払い退けた。

 「大神官の息子でありながら、神官になれる素質がないと両親から烙印を押されたぼくの気持ちがわかるか!?」

 「スファイトル様のお考えを俺は知る由も無い」

 スファイトルはチドリの父親だ。母はミオ。
 一人息子に跡を継がせるのは当然だと思うが、素質云々は特別職に於いては必須だ。我が子可愛さに継がせてしまっては後戻りはできない。引け腰になるのは致し方ないと思う。
 一族及び信者達を路頭に迷わすわけにはいかないのだ。

 「…お前の気持ちはわからん。だが、そうだからといって雪を傷つけていいとは限らんぞ」
 シャドウは、詰め寄って来たチドリの体を引き剥がした。

 「雪、雪って何だよ!女の事で血相抱えてるシャドウの顔なんか見たくないよ」
 馬鹿馬鹿しいと突っぱねた。

 所詮は影付き。共に生きることなど出来ない間柄だ。
 身内マリーのことしか、考えてないシャドウが他の女のことで必死になっているのが許せなかった。だいたいマリーの結婚式の為に来たんだろ?マリーのことを聞きもしないで、影付きのことばかり話す。本当に影付きは邪魔でしかない。

 いっとき、いいなと思っていたが撤回する。あんな恐ろしい悪鬼まで呼び出した娘だ。ぼくの手には負えない。結婚式まで待たずに始末してしまおうか。ヴァリウスの命令など無視して。記憶などより体ごと。
 シャドウを惑わす異世界のものなど消え去ってしまえばいい。そしてもう一度この神殿で神官になればいい。マリーと共に立て直して欲しい。そのためならぼくは何でもするさ。

 でも、なんだか面白くないな。
 シャドウが影付きに心が動かされるなんて。
 確かに興味深い子ではあったけれど、ぼくには落とせなくて、シャドウには口説かれたのかと思うと、癪に触る。
 冷静沈着な男が、何故こうも変わったんだ。
 チドリは恨めしそうにシャドウを見つめた。

 「だいたい、その子はシャドウの何?恋人?」

 「…そういうわけではない」

 「なら、もう少し遊んでやってもよかったな」

 悪鬼など呼び出す気力も起きなくなるくらい、優しく、丁寧に抱いてやればよかった。そうすれば誰も傷つかずに済んだだろう。
 突然飛ばされて来た世界で、精神的に弱っていただろうから、慰め合うのは悪くない。あの頃のぼくはサリエや信者達に追い詰められて参ってしまってたから、人肌に飢えていた。影付きとはいえ若い娘だ。いっときの迷いを迷いとせずに済んだかもしれない。

 「お前…」

 「惜しいことをしたな。キスしかしてない」

 しかもあの時は影だけを飛ばしていたから実体ではなかった。体を重ねても違和感はなかったはずだ。
 「案外、あの娘も望んでいたかもしれないよ」
 寂しくて辛くて。早く解放されたかった。

 ヒュッと空気が頬を掠めた。と同時に拳が頬を抉ってきた。鈍い痛み。振動が体中に行き渡る。鉄の味が、口の中に広がった。

 「下衆な話をするな!」

 シャドウは殴りつけた拳を握りしめたままでいた。わなわなと震え立つ。

 「シャドウは潔癖だからな。女なんてわからないものだよ」
 幻想など抱かない方がいい。チドリは殴られた頬を撫でながら笑った。

 「雪はそんな娘ではない」

 「だいたい恋人でもない女に何をそんなに尽くしているのさ?影付きだから?」

 影付きは始末する以外何にもない。

 「…影付きだから、どうというわけではない」

 「なら、何故?その娘にしたってシャドウのことを何とも思ってないかもしれないじゃないか。たまたま側にいて守ってくれたから、何となく気を許しているだけじゃないの?」
 
 雪を愛しく、大事に思っていると感じたけれど、気持ちを確かめたわけではない。俺達は影付きを否定しながらも、影付きでなければ出会わなかった縁だった。

 「影付きの世話をしているんだろう?それは愛情じゃなくて義務に過ぎないよ」
 
 愛だ恋だという感情に溺れさせるわけにはいかない。シャドウはこの神殿を守るべき立場にいるのだから。
 結局はぼくも神殿のことしか考えられないつまらない人間だったというわけだ。
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