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第4章
39 祝福できない
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明くる朝、シャドウが起きてくる前にキアは仕事を終え、そそくさと宿から出て行った。吐く息は微かに白く、冷えた空気が体に染みた。
シャドウにディルを会わせようと思っていたのに、体はいうことを聞けなかった。
「ナユタさん。行って来ます」
キアはキハラに会いに行くという。いつもの事だが、わざわざ断りを入れるのは珍しいと思った。ナユタは不思議そうに首を捻るが深くは追求しなかった。昨夜は夜遅くにシャドウと連れ立って帰って来た。宿に入り、一言二言交わして各々の部屋に戻っていった。さしてトラブルを抱えているようには見えなかったが、先程のキアは少し様子がいつもとは違った。
「もしや何か…あったとか?」
シャドウの部屋を見上げてナユタはむうと唇を尖らせた。
心のモヤモヤを吹っ飛ばしたのはいつだったか。あれはシダルさんの引越しのことか。考えすぎだとディルさんに笑われた。その時と一緒に吹っ飛ばしてしまえばよかった。このモヤモヤを。ああ、その時はまだディルさんとシャドウさんのことは知らなかった。
あ、いや、同時だった?一歩遅かった?ううん。どちらにしても、また、私は私の答えを誰かに任せようとしている。
「進歩ない…な」
一歩進んで立ち止まる。振り返って考え込む。
私はつくづく意気地がない。二人の祝福を祝えず、
ついぞ逃げた。
ディルとシャドウの感動の再会を祝えなかった。
キアは深く沈んだ。深いため息。
歩いては立ち止まり。歩いては振り返り。座り込む。まったく先に進まない。
ディルの気持ちもシャドウの気持ちもわかっていたのに。お互いを想う気持ちを理解していたのに。ディルの千切れんばかりに振り乱していた尻尾を見ているのに。
あと、一歩。あと、一言。
何か一言でも伝えられていたら、今頃二人は幸せな時間を過ごしていたのかもしれない。そんな光景を体が拒否していた。
二人の喜ぶ姿を見ていたくなかった。誰かが誰かを迎えに来てくれるという事象がたまらなく羨ましいのだ。
キアはまだ諦められずにいた。誰かが自分を迎えに来ると。自分がその対象でないことを目の当たりにするのが悔しいのだ。それを見破られるのが嫌で逃げ出したのだ。
誰にも知られたくないこと。
誰かに知ってもらいたいこと。
今でも十分な暮らしができているのに、まだ何かを欲している。卑しい自分。心が狭い。わがまま。自分勝手。そう思われても仕方がないのだ。
キアは立ち上がり元に戻る道を見つめた。今日はまだ会う勇気が出そうにない。
「…ディルさん。ごめんね」
シャドウさんも。
心の中で謝った。
私の気持ちのわだかまりを誰かに解いてもらいたい。
「…ああ。こんな時でも私は私の気持ちを正せない」
情けない。自分の気持ちくらいコントロールしろとキハラに言われたばかりなのに未だできない。わがまま。ずるい。自分勝手。ひとでなし。いつまでも出会えなければいい。ずっと二人で迷えばいい。しあわせになんてならなければいい。だめだ!そんなこと思ってない。でもそうであったらつらい。でも、
キアはぶつぶつと呟きながら森の中を彷徨った。自己否定ばかりの文言をずらずらと並べては陰湿な空気を漂わせていた。キハラの元への一本道からは外れていた。
肩が重くなって来た。歩くたびに体が怠くなって来た。澄んだ空気が濁って来た。黄色く色付いて来た木々の葉がくすんで見える。視界がぼやける。平坦な道を歩いていたはずなのに、いつの間にか坂道を登っていた。朝露で湿り気のある土が靴の底に張り付いた。
上へ上へ。登れ登れ。
膝丈ほどの草をかき分け、顔にかかる枝を払い、息を切らしながら必死に登った。
道なき道を登り詰め、ようやく開けた場所に出た。
「ハッ、ハッ、ハア…」
息が弾む。額からじわりと滲み出る。膝がガクガクと笑う。
「…どうして私、」
こんなところに?
キアは正気を取り戻した。一心不乱に歩き詰めた場所にひどく動揺した。周りを見渡しても森以外ない。森の中は慣れているとはいえ、ここは初めての場所だった。
足元は泥だらけ。背中は汗で濡れていた。見上げれば尾根が近い。太陽の片鱗が木々の隙間から差し込んできた。
そして、草だらけの小屋。二重、三重、それ以上に重なり合い絡み合って小屋を覆っていた。びっしりと隙間なく。数十、数百種類の草木が巻き付いていた。もっとあるかもしれない。蕾もたくさんついている。どんな花が咲くのかまるで見当もつかない。
それはまるで要塞のようだった。外部からの侵入を一切許さない孤城のようにも見える。
「何これ…」
キアはそっと手を伸ばした。ざらっとした感触がした後、すいっと体が中に入った。
「えっ!」
表面のざらつきはなく、滑るように吸い込まれた。中は外と打って変わって明かりはなかった。大量の本棚と資料が散乱していた。薄暗く埃っぽく、草木に覆われた窓の隙間から申し訳ない程度の光が差し込んでいた。
「何…ここ?」
一瞬にして景色が変わったことにキアは目を丸くした。
「いやいやいや。ここを発つ前にきみに会えてよかった。うれしいな」
チョンチョンと何者かに肩を指先で叩かれた。キアは背後からの気配に肩を震わせ、大振りに振り返った。そこにはひょろっと細身の背の高く、外の草木と同じ色をしたベストを着た男が立っていた。
「ははは。驚いた?そんな逆毛立ててないで身構えなくていいよ」
ちょうどお茶を淹れようとしていたんだと男は笑った。
キアは得体の知れない男から目を離せずにいた。戸棚から手慣れた手つきで茶葉の缶を取り出し、茶器に入れた。お湯を注いで布巾を被せる。数分蒸らしてできあがり。
「さあどうぞ」
「…あの」
「残念ながらお茶受けはないんだ。許してね!」
茶葉も残りわずかだと缶を傾けた。カサカサと小さく音がした。
「…あなたは誰ですか?」
キアは唇を震わせた。ひどく心臓の音が響いていた。
「んんとそうだなぁ。…おせっかいでおしゃべりな亡霊といったところかな」
「亡霊?でも姿が」
ちゃんとある。影も肉体も。
「元の世界の私はもう寿命を迎えてる。ここにいる私もじきに消えるから、もうほとんど亡き者と同じようなものさ」
「元の世界…って言うのは?」
「ここではないどこか。名前はもう忘れちゃったな。私の生まれた村は貧しくてね。口減しに捨てられたようなものだから、そう長くは生きられない。こっちに来てからは、まあ色々あったけど、ある程度は生きられたから、まあ満足かな」
男は死期が近いことをあっけらかんに話した。
「どこか体が悪いのですか?」
キハラが守っているから村人は病気知らずだと聞かされていたのに。そうじゃないこともあるのだろうか。
「そういうわけじゃないよ。もうすぐ私を縛りつけていた枷が取れそうなんだ」
「かせ…?」
「それが取れたらもういいかなって思ってる。長年のわだかまりも解けるんじゃないかな。色々あったけど、いつまでも抱えてても意味ないしね。そうした方がお互いラクになれる。あの人も歳だから、いらない荷物は捨てていきたいでしょ」
キアは男が話す内容がシダルをさしていると気がついた。シダルに息子がいたこと、ケンカ別れをしたことなど、それとなく耳にしていた。
「…最後に会っていかないのですか?」
決意は揺るがなさそうだから、この質問は無意味になるかもしれない。
「会わないままでいるのが私の唯一の抵抗だから。それは最後まで貫き通すつもり」
「…そうなんですね」
揺るぎない決意は、そう容易く崩せるものではなかった。やはり無意味だ。でも、それがこの人の決意したことなら見守るべきだと、キアは口を挟むのをやめにした。
「そんなわけであまり時間がないのだけど、きみには言いたいことがたくさんある!」
「えっ!な、何ですか急に…」
キアは一歩後ずさった。
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