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第3章

10 希望

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 あ、と思った時にはもう遅すぎた。
 窓の外に投げ出された体は、某テーマパークのアトラクション並みのスピードで直下降に落ちて行った。声を上げることも景色を眺める余裕などまるでなかった。
 窓辺に顔が並んでいる。下を覗き込むように身を乗り出している、あのもじゃもじゃ頭はマリーだ。隠れてなきゃダメだって。あの魔女みたいな女の人から隠れているんでしょう?確かにあの人はヤバい。怖い。チドリさんのことしか見ていない。マリーに当たっているのは嫉妬から来るものだろうな。
 その隣はチドリさん?青白い顔をしてる。立ち上がれたのね。良かった。悪い事をしたと思うのは私だけじゃないのだとわかってくれたかな。
 二人共、何か言っていたみたいだけど何も聞こえないや。ごめんね。
 
 雪はぎゅっと目を閉じた。あっという間に吹き荒ぶ風に意識を奪われていた。
 
 ワイヤーもロープも安全ベルトもない状態で真っ逆さま。飛ぶ鳥を撃ち落とす勢いだ。ま、鳥じゃないけど。まさに落下物。手足を縛られているからスカイダイビングみたく泳ぐ真似など出来ない。なすすべなく、このまま地表に叩きつけられるのを待つしかないのか。
 塔を見渡せる場所に信者は複数いた。ある者は雪と同じく、あ、と漏らし、またある者は大仰に叫んでいた。
 はたまた無言を貫く者もいた。遠くにいた者からすると、幹を縛られた丸太が窓から落ちているようなものだ。丸太なら誰も助けまい。信者達は危険なことをするなと不信感に思うが、神官様のやることに逆らうことはできない。何か意味があるのだろう。塔の上から丸太を落とす儀式でもしておられるのだろうと素知らぬ顔でいるに違いない。大半はこの線だ。そのおかげもあって、これから起こることにはほとんど関心を示す者はいなかった。
 
 「ぬを。これはいかん。娘がバラバラになる」
 ナイトメアは雪の体から抜き出て、杖を出し何やら呪文を唱えた。
 塔を囲む悪鬼達を呼び寄せた。体がないのでふわふわと漂うものが無数にある。立ち込めた白い霧の中に黒い影が混じる。二色の霧が周りの景色を飲み込んだ。形がなくとも、落ちてくる雪のスピードを一時的に緩やかにすることはできた。
 ぐいっ、と雪の体を一時的に引っ張り上げた。ほんの一瞬だが、スピードが落ちた。
 「やはり体がないと不便だの」
 ナイトメアは雪の頭を抱え込むように包み、地表に落ちた。
 「ぐうう!!」
 嗄れた叫び声は、実態がなくとも痛々しく聞こえた。ミシミシと骨が軋むような音もした。
 「おい、娘」
 頭は守ったが、体は無防備だ。地表に叩きつけられた衝撃で無数の切り傷や擦過傷が出来ていた。骨も何本も折れているに違いない。衣服のあちこちも破れほつれていた。
 ナイトメアは杖の先で雪の顔をつついた。
 「…………う……う…」
 「生きてるか」
 かすかに漏れた声を聞いてナイトメアは安堵した。
 杖の先で手足の拘束を切った。
 「世話のかかる奴だ。助けてばっかりで割りに合わんぞ」
 長い爪で鼻の頭をぐりぐり回した。唸るような声を発しながら、雪の腕がブンと動きナイトメアの爪を払った。顔の周りをブンブン飛ぶ蚊を振り払うように。
 「……や、め」
 「ふん。お前には生きててもらわにゃ困るからな」
 ナイトメアはまた雪の体の中に身を潜ませた。
 「霧が晴れん間は動くのは危険じゃ。儂もちと疲れたわ。しばらく休ませてもらうぞ」
 体力温存だと呟いて、雪の開きかけた瞳を閉じた。雪の意識はナイトメアと連動されていた。
 「…にしても、落ちるにしても地表に着くのが早かったな」とも呟いた。

 *

 「…はあ、はあ、」
 もじゃもじゃ頭の少女は肩で息をしていた。額から汗も吹き出していた。少女は雪と同じ塔のてっぺんにいた。名をマリー。見た目は幼稚園児ぐらいだが、実年齢はもう少し上だ。チドリによって体と歳を巻き戻されてしまったのだ。長い間、チドリのかけたまやかしにより部屋に閉じ込められていた。外に出ることも窓を開けることも何にもできなかったのだ。しかし、それが今解放されたのだ。正確には自らの意思で、その閉ざされた道を開拓したのだった。目の前で人一人が消えた事象に、心がついていけなくなったのだ。つい今朝まで一緒にいた人が目の前で消えたのだ。ないはずの窓から投げ出されたのだ。開け放たれた窓、しばらく見てなかった空、吹き荒ぶ風も、風景のように溶け込んでいる霧も、すべてがかつての自分が見ていたものだった。
 「やーーーあーーー!!!」
 落ちていく雪を目の当たりにしたマリーは、喉元に込み上げてきた声をそのまま叫んだ。窓から身を乗り出して雪を声で追う。
 「おねいちゃんおねいちゃん!」
 雪を掴もうと伸ばした腕は空を切るばかりで、何も掴めはしなかった。が、代わりに地表が動いた。大きな横揺れが一度起きたのだ。地表を突き破るように草の根がグングンと塔をめがけて伸びてきた。
 マリーの腕ががしっと掴まれた。
 「…マリーか?なぜお前がここにいるのだ!しかも、何だ…その姿は」
 どこからか現れた少女にサリエは困惑していた。姿形は幼少の頃から面倒を見てきたマリーにそっくりなのだが、現在の姿ではないことは明白だった。顔も体も幼少期のままだったのだ。
 「サリエ嫌い!おねいちゃんを殺した!」
 「何をぬかすか!あんな邪宗の者など生かしておけるものか!!」
 論点がすり替えられ、マリーとサリエは激しく言い争った。
 周りにいた信者達もオロオロするばかりだ。巫女として成長をしていたマリーを見ている者もいたから尚更だった。チドリは胸を抑えながらヨロヨロと歩いた。まだ呼吸もままならない。
 「…やめるんだ、二人とも」
 力が入らず弱々しく嘆くチドリにもマリーは言い放った。
 「おねいちゃんにひどい事したチドリも嫌い!もうこんな場所いやだ!」
 サリエの腕からするりと抜けて、マリーも窓の外へと飛び出した。その姿は雪と同じく霧の中へと溶けて消えた。
 「うわあああーーー!!」
 チドリか信者かわからない悲痛な叫び声が神殿中に響いた。
 その声に反応したのは信者達だけではない。ディルとシャドウの耳にも届いた。
 マリーは、マリーが呼び起こしたと言える草の根を伝い、よいせよいせと塔から下りようとしていた。雪とナイトメアはこの根がクッションになり、地表に落ちたのだろう。そのせいで地表に着くのが早かったと思ったのかもしれない。
 「ぐすん、ぐすん、」
 マリーは鼻を鳴らしながら草の根にぶら下がっていた。下に下りられそうな物があるものの、真っ白な霧の中では身動きが取れないでいた。
 「おねいちゃん…こわいよぅ」
 ひっくひっくと肩を揺らした。
 根を掴む手のひらは、小さく頼りない。長年閉じ込められていた為、体力もほとんどなかった。風が根と共にマリーを揺らす。軽量でちっぽけな体のマリーは、あとひと吹きでもしたら飛んで行ってしまいそうだった。
 「はあ、はあ、ぐすん、ぐすん」
 上空にいた為に酸素の欠乏と体力の無さ、付け加えて過度の疲労がマリーを襲った。目を閉じるのと同時に、マリーの手が離れた。一本の根がぷつっと切れ、マリーに絡まりながら落下して行った。草の根で編まれた工芸品のように、根はマリーをしっかりと包み守っていた。
 
 「…変わった袋鼠だな」
 ふんふんと鼻を鳴らして鼻先をマリーに近付ける者がいた。 耳はピンッと立ち、髭は真っ直ぐに伸び、尻尾はフサフサだ。
 「…あ、わんわん…だ」
 マリーは、フニャあと寝ぼけた声を出し、近付いて来た者の体に触れた。
 「わんわんふさふさいいねえ」
 マリーは、伸ばした指先に湿った鼻が当たり、くすぐったそうに笑った。
 
 「…なんだ、こいつ」
 フサフサの毛並みを持つ者、即ちディルだ。ディルは先ほどの叫び声を頼りに塔の近くまで来ていたのだ。自分の背中を楽しそうに撫で回すマリーを、じっと見ていた。

 
 
 
 
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