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第4章
34 キアとロイ
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遠くから自分の名前を呼ばれているように聞こえた。
山々に跳ね返りながらこちらに近づいて来る。かと思えば、突如としてぷつんと消えた。
「なんだったんだ…」
シャドウは薪割りを終え、棚に運ぶ最中に足を止めた。不思議な現象に頭を捻る。
「気のせいか」
手が止まっているとナユタの妻から厳しい視線が飛んでくるのを内心ヒヤヒヤしていた。そっちの方が心配だ。
「どうかしましたか?シャドウさん」
「いや。なんでもない」
ほらなとシャドウは冷や汗をかいた。夫婦の娘に声をかけたこと+怖がらせたことについて、さっきからずっと睨まれ続けていた。
「あの子は私たちの娘ではないけれどね」
シャドウの視線に気がついたのか、ナノハはキアについて語り出した。
「違うのか」
「ええ。森で倒れていたのをうちの人が見つけたの。どこから来たのか自分が誰なのかわからないし、身寄りもないというから、うちで住み込みで働いてもらっているの」
よく働いてくれて助かっているわと朗らかに微笑む。
「…記憶がない?」
シャドウはぴくりと眉を上げた。
「ええ。自分のことはさっぱりと。何も覚えてなかったわ」
「つまり、それは、何も記憶がないという…あれか?」
「そう言ってるじゃない」
シャドウはしどろもどろにナノハの言葉を繰り返す。自分でも何を言っているか混乱しかけた。
「記憶はないけれど、日常生活に支障はないのよ。礼儀も所作もきれいよ。身の回りのこともよく目がいくし、子守りも得意よ。ちょっと気弱なところもあるけど、素直で真面目な子よ。血は繋がってなくても大事な娘なの。だから、気軽にちょっかい出したら怒るわよ」
ナノハは肉付きの良い二の腕をぐっと前に突き出す。
「だから、そんな気はないと…」
しつこいなとシャドウはナノハから目を逸らし、隠れるように木の影に入った。シャドウは頭の中を整理する。
夫婦が大事にしている娘。記憶がなく身寄りもない。雪より幼い。容姿は似ていない。当てはまるものはない。
だが、まったくの別人とも言い難い。
そう疑問を投げかけたあいつ…。
シャドウは森の奥に視線を巡らせた。
追手から逃げる手段として「別人に姿を変える」と助言してきたあの男を。今一度、確認しておきたい。
シャドウは森の奥へと歩き出した。背後からナノハの声がしたが聞こえないフリをした。
シャドウと入れ違いにキアが戻って来た。ロイに抱えられたままだった。
「まあまあ!どうしたのその格好は!?」
ナノハは目をまん丸に見開き、驚きを隠せなかった。キアは背中を泥だらけに染め上げていた。頭にも枯葉や泥。ムジの家に行っただけでどうしてこうなるのだろうか。
「ごめんなさい。気が抜けてて」
「違うだろう。ディルが飛びかかったんだ」
服は自分の不注意で汚したのだと弁明するキアを横目に、ロイは口を挟む。
「突然のことで支えられなかった。オレもそばにいたのに間に合わなかった」
すまないと頭を下げるロイに、キアはちがうよと腕を引いた。
「ええと、つまり。ディルさんが飛びついてキアが転んじゃったというわけね。それじゃあ仕方ないわよ」
ナノハはアハハと笑い声をあげてキアとロイの気遣いを一蹴した。
「洗ってらっしゃい」
服は洗っておくからとロイも一緒にと洗い場に通された。
簡易的に作れた水道の蛇口をひねると澄んだ水が出て来た。季節に合わせて今はお湯だ。二人は壁を隔てて会話をする。
「ディルさん怒られないかしら」
「ディルの心配より自分を気遣えよ」
「だって」
飛びついたことで傷が開いたりでもしたらアンジェが黙ってないだろう。服を汚した件でも怒られたら、さすがに同情をしてしまう。
「それだけディルさんにとって嬉しいことがあったのに、私のせいで水を差したくないよ」
泥は洗えば落ちる。ナノハの注意は優しいから私にダメージはない。
勝ち誇る顔を見せるキアにロイは指先で水を弾いた。
「わっ」
弾かれた水が目に入った。
「キアのせいじゃないだろうが。間違えるなよ」
相手に良かれと思ってした気遣いが、逆に重荷になることもある。
「キアに庇われたと知ったら、ディルだって黙ってないさ。大したことじゃないなら素直に認めた方が早い」
「…余計なことだった?」
「ナノハは怒ってなかっただろう」
心配するなとロイはキアの頭を撫でる。
「…そうだね」
ナノハはいつも優しい。怒られた記憶はほとんどない。
蛇口を止めて髪の毛から滴る水をタオルに包んだ。
「よく乾かせよ」「風邪ひくなよ」「首の後ろもちゃんと拭けよ」
ロイは体を振って水気を飛ばした。キアには大きめのタオルを被せた。日頃から子ども達の世話をしているからか手際がいい。
「それに、ディルはああ見えて成人してるぞ」
「えっ!そうなの?」
行動や仕草などがかわいらしい少年のようだと思っていた。
「態度は子どもっぽいがキアより上じゃないか」
ロイは耳に入った水滴を片足飛びをして掻き出した。
「また、夜にな」
「よる?」
「ムジのところで食事会だと。聞いてないか?」
「聞いてないよ」
「ハッ。婆さんのことと買い出しの話だけで忘れたのかもな」
ロイは呆れた声を上げた。
「そうかもね」
ムジらしい。話題が多すぎて話した気になっているのかもしれない。
「今、村にいる、婆さんを助けたっていう人も招待したって話だぞ」
「えっ…」
「そいつはつまり、ディルが探していた人でもあるんだろう?」
「…そうなんだ」
キアは彼の人を思い出す。
「あの人がディルさんの探している人…」
ディルの喜ぶ姿を想像する。あのぐるぐる尻尾が忘れられない。はちきれんばかりに左右に揺れる尻尾が下を向かないようにしなければならない。初対面から失礼な態度をとってしまったことを後悔し始めた。
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