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第3章

4 因縁-チドリ視点-

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 ルオーゴ神殿は、森を抜けた場所にある。小川が流れ、花が咲き、動植物が生き生きとした美しい森だった。おままごとや、鬼ごっこ、秘密基地等、子ども達のかっこうの遊び場だった。反面、後方には切り立った崖がある。とてもじゃないけれど子どもが近付ける場所ではなかった為、当然ながら出入りは禁止されていた。外敵の侵入も骨が折れる。崖の前には要塞のように何重にも白壁が立ち塞がる。侵入者泣かせのその先には、円錐の白亜の塔がある。天にそびえ立つ祈りの場だ。最上階にある祭壇で結婚式は執り行われる予定だ。地上から遥か彼方の小さな部屋に雪とマリーはいた。当人達は知るよしもない。

 「またなの?またいないの?」
 ヒステリックに妙齢の女の叫び声が響いてきた。カツカツと靴の踵を鳴らしてキーキー喚き散らしてうるさくて仕方がない。睡魔も逃げ出す。前はこうではなかったのにね。どうしたもんだか。書記官や女官達が怒鳴られている。可哀想に。何の落ち度もないのにね。
 チドリは寝台に寝転んだまま、外の様子に耳を峙ていた。肉体から影だけを抜いて白亜の塔まで行っていたのだ。影が肉体に戻り、体に馴染むまで時間を要する。それまでは我慢しておくれと女官達を案じた。
 ヒステリックに喚いているのは、サリエだ。女官の1人で長でもある。幼少の頃から側にいてくれた。姉であり、母でもあり、マリーの巫女見習いの先生でもある。あの頃はとても朗らかで、優しく明るい人だった。シャドウとマリーの脱走事件から、変わり果てたと誰もが目をむくほど程、別人になった。顔つきも目つきも荒々しく、性格も恐ろしい。後輩の女官がミスをすれば手を上げ、子どもが泣けば雷雨のごとく怒鳴り散らす。特にマリーには酷い。いわれもないことに腹を立てては、怒鳴りつけ、泣かす。頬を腫らすことも少なくない。再々注意はしてるが後を絶たない。何故かと問いても、「あなたのため」としか返って来ない。
 「ぼくの為とは到底思えない。ただ憂さを晴らしているだけじゃないのか?」
 「憂さですって?そんなものあるわけないでしょう?」
 ぼくの問いに疑問符で返してくる。埒があかない。マリーの身を案じ、部屋を移動させた。
 
 マリーは幼いながらも巫女としての素質があった。不思議なことに聖典を呟くと蕾や草の芽が伸びてくる。信仰心の表れか。ルオーゴ神殿は光と水と花の美しさを誇っている場所だ。自然に身を委ねていたのだろう。歳を重ねるにつれて外見の美しさも増していた。才能も美しさも兼ね備えていたからこそ、ゆくゆくはぼくのお嫁さんにしようとしていたのだろう。サリエは心血を注ぎ、マリーを育て、教育してきた。それなのに、脱走騒ぎを起こしてからは、マリーの力は枯渇していった。何度繰り返し歌い続けても花は咲かない。神への冒涜と自分への裏切り。サリエは許せるはずがなかった。
 「気持ちがわからない訳じゃない」
 裏切られたのは同じな筈なのに、怒気を一切顔に出さないチドリにも腹を立てていた。
 「許した訳じゃない」
 サリエにも言わずに行なった時間を戻した秘術。神職者にあるまじき行為だ。禁忌を犯した罪は神職者だとはいえ例外はない。バレれば追放だ。
 体の輪郭がぴたりと嵌め込まれたのを確認してから、チドリはゆっくりと起き上がった。肉体から影を抜くのは容易ではないが、用もなく祭壇に行くのも人の目につく。影だけを飛ばした方が早いのだ。日に何度も飛ぶのは体に負担はかかるが、地上でサリエの金切り声を聞くより、雪とマリーの顔を見ていた方が何倍も楽だし、何より気持ちが和らぐ。
 マリーに会うと、成長を止めてしまったことに少しは悪く思う時もあるが、でもそんな簡単に許しを乞うなと雪が睨む。
 「子どもにだってプライドがある。大事な成長過程を踏みにじったことを忘れるな」
 影付きの彼女はいずれ、この国の礎になる運命だ。タイムリミットまで時間はあるものの、囚われている身だ。さしずめぼくは悪の親玉だ。ぼくの機嫌を損ねたりしたら一発アウトなのに、物怖じしない。泣き叫んで助けを乞うかと思えば、むしろ食ってかかってくる。影付きの末路を話した後ではさすがに生きた心地はしてなかったけれど、今はこうだ。泣き叫んでも結果が変わらなければ何もならないと腹を括ったようだ。若い娘の割には度胸がある。助けを待つより自らで出て行けるぐらいの度胸がありそうだ。どうやってこの白亜の塔から脱出するのか。長い髪の毛で脱出するお姫様の話があったが、雪の髪は短い。祈りの声は届くのか。それはそれで見ものだ。サリエとは違う怒りをぼくにぶつけてくる。それがなんだか心地いい。
 「マゾですか?」
 他愛ない話もなんだか楽しい。神殿にはちょっといないタイプだ。大抵はぼくを頼もしいリーダーをとしか見ていないのに、雪にはぼくの底意地の悪さを見抜かれた。ぼくは周囲の期待を受けて、逃げられずプレッシャーの重みに潰されるタイプだと言う。放っといて貰おうか。口生意気な下級生といったところか。
 ぼくに対し、恭しく頭を下げる者達とは通り一遍の会話しかないのだけれど、雪は憎まれ口も含めても語彙が多い。警戒は解かれてないが、雪との会話はとても楽しかった。マリーが懐いているのもとても嬉しかった。いくら歌っても花は咲くことはないけれど、あの頃と同じ笑顔を見せてくれることが何よりも救いだった。あとはシャドウが来てくれればパーフェクトだ。あの幸せだった時間を取り戻せるのだ。
 
 チドリは外していたボタンをかけなおして金切り声が発する方に出向いた。女官達がサリエにペコペコ頭を下げていた。
 「申し訳ございませんでした!」
 涙声が響いた。うちはいつからこんなスパルタになったのか。両親は温和な性格だった為か神殿の中も、そこで働く者達も常に朗らかだった。空気さえも暖かい。
 だが、退陣してからは一変した。サリエが魔女と化したのだ。巫女の教育係りとして、神殿の長として君臨したのだ。ぼくが大神官として来たるべき日を迎えるまで自分が長だと言い放った。
 
 「大神官様の妃も用意しますわ」と息巻いていた。
 正直、結婚など全く考えてなかったので、迷惑でしかなかった。しかも相手がマリーとは寝耳に水だ。可愛いさは認めるが赤ん坊の頃から一緒に暮らしているから家族も同然で、妹としてか見られなかった。
 宣伝効果があったマリーが使えなくなったのは、神殿的に痛手となっていた。幼くてもあの美貌さえあれば、信者は集まるだろうと踏んでいたのだ。結婚など興味がないとうそぶいていたら、
 「なら、私が。あなたの妻に」と名乗りを上げたのはまさかの魔女だった。いや、サリエだった。
 「私なら神殿のこともあなたのことも熟知しているわ。そりゃマリーよりとうは立っているけど、あなたを支えるのに歳は関係ないわ」
 さあ抱いてと言わんばかりに、魔女の襟ぐりは大きく開いた。
 絶句した。何を言われたのか理解に苦しんだ。妹がダメなら姉ならいいだろうと言っているようなものだ。
 「バカな。興味がないと言っただろう?誰であってもだ!」
 チドリは訂正を訴えたが、サリエは妖艶な笑みを浮かべては一歩ずつ間合いを詰めてくる。
 「私を受け入れなければこの神殿は潰してやるわ。あなたのご両親が退官した今、私がここの長なのよ。あなたに拒否する権限はない」
 「ぼくがこの神殿の大神官だぞ!」
 「結婚をして引き継ぎをしてから、でしょう?今のあなたはただの神官の1人にすぎない。誰があなたの言葉を聞くものですか!」
 自分には大勢の取り巻きがいる。こんな青二才などすぐにでも捻り潰せるとサリエは笑った。
 「でもあなたがいないと、ルオーゴの血筋が絶えてしまう。長年引き継いで来た血を失くすのはいけないわ」
 ねぇ、わかるでしょう?
 サリエの長い爪の先が喉仏に突き刺さった。
 「あなたは私を裏切らないわよね?」
 信じていた家族に裏切られたことはサリエにとっても最大な痛手だったのだ。サリエにはもう昔の優しさは微塵もなかった。
 魔女と化したただの悪魔だ。非道だ。ぼくと同じだ。

 花など二度と咲かなければいい。
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