大人のためのファンタジア

深水 酉

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第3章

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 眠れない夜をいくつ越えただろうか。
 数えても雲間は切れない。星も月も顔を出さない。
 ディルは獣の体で地面に伏せていた。透明度の高い青い目で闇の奥をずっと睨んでいた。もう何日こうしているのか。リュペシュの町を出たのはいつか。進んでも進んでも神殿には辿り着けない。外部の人間を近付けさせない呪文でもかけてあるのかと疑いたくなる。歩くに妨げている砂漠は思っていたよりは広がってはいなかったが、厚い雲と霧に視界を奪われていた。灯りの一つもない道なき道を進むのは危険だと判断し、夜は体力温存を優先していた。男二人で気を遣うこともないので、テントは張らずにその辺に寝転んでいた。
 「…空が近くにあるみたいだな」
 厚い雲が手を伸ばせば掴めそうな距離にある。実際には掴めやしない水蒸気の塊だ。
 「…あいつも雲みたいだね」
 「…雪のことか?」
 「うん。目には見えるけれど傍にいない。触ろうにも手がすり抜ける」
 「ずいぶん気に入ったようだな。雪が好きか?」
 「そんなんじゃないよ」
 ディルはぷいと照れ隠しのようにシャドウから顔を逸らした。そんなこと言ってる場合か?
 「でも。ぼくを獣人とわかっていても普通に接してくれるところは、すきだな」
 初対面は犬と怯えられて、仰け反られた。獣から人への変化も見せつけてやったが、驚くばかりで恐怖に満ち溢れた顔は見れなかった。想像していたけれど空振りに終わった。次に会った時は、驚きながらも毛並みが気持ちいいと触れてくれた。
 「今思えば、現金なやつだよね」
 野宿の時は寒いからとすり寄って、毛並みが綺麗だと褒めてくる。耳が可愛いと撫でてくる。人の姿でいればキョウダイと間違われて笑い合う。手を繋いで歩く。
 「目線を合わせて話してくれる女の人は、初めてかな」
 ディルは態勢を変えて前足を重ねた上に顎を乗せた。
 「そういう意味では好きかな」
 ディルのまっすぐな答えにシャドウは羨ましさを覚えたのと同時に、恥ずかしく思った。好きだと正直に口に出せるのは迷いがない証拠だ。自分はそこまで自信がない。
 「シャドウは雪のこと好き?」
 「…俺は、別に」
 「ぼくには聞いといてその答えはないだろ」
 「…」
 その通りだ。シャドウはディルの追及をかわすように言葉を探しながら口を開いた。
 「…雪は気を張ってるばかりで足元がおぼつかない。しっかりしているようで抜けている。頑固でもあるし気の弱いところもある。進むべき道を探して背中を押してやりたいとは思ってる」
 「性格分析はいいから」
 「…俺は一番肝心な時に手を離してしまったから」
 手を離した相手は神殿にいる。マリーとチドリ。妹と親友。
 「…雪とそいつらは違うだろ」
 「そうだな。でも同じことだ」
 大事だと思っていても溢れてしまう。壊れないよう細心の注意を払っても割れてしまう。気持ちが操作できない。目先のことにしか頭になく、先のことを見据えられなかった。自分に受けた罰は当然の縛だ。解除の呪文は、自分を罰するためのものだ。呪いを解いて、自らに受ける。
 「そんなことをいつまでもしてたら、体がおかしくなるだろ!」
 ディルさえ知らなかった。ディルは飛び上がってシャドウに詰め寄った。衣服に爪が掛かり、皮膚を引っ掻く。
 「あ、ごめんよ。でもなんで?ヴァリウスはそれを承知でシャドウにあげたのかよ!」
 「かもしれないな」
 刑罰は神殿が下すものだが、シャドウの身元預りの管轄はヴァリウスだ。神殿から王の仕事の手伝いをするよう指示されてからこの解除の呪文を貰い受けた。仕事をこなす度にシャドウは呪いを受け継ぐ。神殿を冒涜した罪はそう簡単に消えはしないのだ。
 「今の俺は呪いの塊だ。こんな奴に好かれたら困るだろ?」
 シャドウは胸を首から下へとサーっと撫で下ろした。
 でも次はと思っていた。次もまた同じような立場になった時は、体を張って守ろうと。開きかけた道を閉ざさぬように。
 「どんな姿でもシャドウはシャドウだ。ぼくだってそうだろ?」
 獣人でも、ディルという存在はそのままだ。
 「雪も同じだよ」
 思いがけないシャドウの告白にディルは内心驚きを隠せずにいたが、何とか言葉を見繕い、この場を抑えた。
 雪を好きだと言ったことが胸の奥に染み込んだ。
 「あっ、でも。あいつにはこっちの世界では恋愛するなって言っちゃったや」
 ディルは自らが発言した言葉を少なからず後悔した。しまったとペロンと舌が伸びた。
 「構わん。…俺からどうこうする気はない。あいつの気持ちもあるしな」
 シャドウは表情を変えずに寝返りをうった。早く寝ろ、明日こそ神殿に着こうと呟いた。
 
 *

「ハクション!」
 雪はくしゃみをして目を開けた。いつの間にか眠っていたようだ。床も壁も冷たくて、かろうじて毛布のような薄い布をあてがわられたが、ちっとも寒さは凌げなかった。
 雪は膝を抱え小さくなって布団に体を隠した。不意にお腹のあたりに温もりを感じ、布団の中を覗き込むと、小さな少女が丸くなって眠っていた。
 「いつの間に…」
 さっきのくしゃみはこの子の髪の毛か?ライオンのたてがみのように広がった髪の毛は、雪の鼻の下あたりをこちょこちょしていたのだ。少女は丸めた指先をすこしだけ広げて雪の衣服にしがみついてきた。小さな手の中に吸い込まれそうになる。カンガルーの赤ちゃんみたいだ。
 「袋は持ってないのよ」
 それでもくっついていれば多少は温かい。雪も少女を抱え込みながら眠りについた。怖いと思っていた少女でも、体温は温かく眠気を呼び込んでくる。雪は誘われるがままに目を閉じた。
 翌朝はまた少女の歌声で目が覚めた。お世辞にも上手とはいえない声で今日も囀る。飛ぶ鳥は落ちそうだ。
 「あっ、おねいちゃん。おはよう」
 「…はよ」
 雪は濡れたタオルで顔を拭いた。生活に必要なものをいくつか用意してもらったのだ。濡れタオルと櫛。花が咲くまでの猶予はあるので、長丁場になりそうだと腹を括った。記憶を取られて埋められる。箇条書きにすると他人事のように感じられるが、決して楽観視しているわけではない。嘆き苦しんでも結果は変わらないのであれば、残りの時間は自由にしたい。朝起きたら顔を洗う。鏡を見て髪の毛を梳かしたい。布団を畳む。出来ればお風呂と着替え。
 「足枷は外してあげる」
 あとは却下と言って、チドリは壁を抜けて行った。
 チドリが抜けた壁を殴りつけた。ちゃんとした石壁だ。拳がジンジンする。私には壁を抜ける術も方法も知らないのだから、逃げ出す心配などいらないはず。なのにチドリの警戒は解けないままだ。助けが来る予定もないのに、何を恐れているのだろうか?
 「いつきみを攫いに来る輩が現れるかわからないからね」
 チドリは雪の足枷を外しながら答えた。
 「…考えすぎじゃないですか」
 雪はシャドウとディルが来てくれるかもと期待はしなくても、もしかしたらの救出を夢見ていた。だから、なるべく表情には出さずに否定的な物言いをした。チドリは、シャドウやマリーに対する非道な行いをした極悪人だ。普通に会話はできても警戒心を解いてないのは、雪も同じだった。
 雪は久方ぶりに立ち上がり、自由になった足を運んで部屋中を歩いた。
 「わあ~。やっと解放だ!」
 足首の葉の模様は消えないままだが、鎖の重みから解放された足は軽々しい。調子に乗ってくるりと一回転しようと思った矢先に足がもつれた。ズドンと鈍い音を出して床に尻餅をついた。
 「いたたたたた」
 しばらく歩けないでいた反動か。足がうまく動かなかった。
 「リハビリしないとだ」
 座った状態のまま、足を伸ばし体を倒した。足首を回したり膝を揉んだ。
 「おとなしくしていなさい。また来るから」
 何か欲しい物はないかと聞かれたので、
 「シャンシュールの実が食べたい」と答えた。本当は水が欲しかったが、干上がった大地を目にしては簡単には言えない。
 「よくあんな酸っぱいもの食べられるね」
 チドリは呆れ顔で舌が痺れると苦笑する。
 「市場の人に水代わりになると聞いたから。慣れれば美味しいですよ」
 「煮詰めたものならあります。それならすぐに用意できますが」
 青果は市場に行かなければ手に入らない。
 「…じゃあ。それを」
 やけに親しく接してくるチドリに違和感を感じつつも空腹には勝てなかった。体の自由を得た途端に、お腹の虫まで解放されていた。
 
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