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第4章
16 オヤゴコロ
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朝方、ほんの少しだけ寒さを感じ、キアは薄掛けに体を潜り込ませた。
「んっ、う~ん」
キアは両腕を突き上げるように伸ばした。硬くなった凝りがほぐれて自然と声が出る。洗濯干しと庭掃除を終えたところで、力も抜けたのだろう。
両腕が空くのは何日ぶりだろうか。
ここのところ、子ども達と一緒に過ごすことが多く、あっちに行ったりこっちに行ったりと目まぐるしかった。前半は子ども達のエネルギーの強さについて行けずに空回ることもあったが、後半にはなんのそのと一緒に駆け回っていた。
虫取り、花摘み、川遊び。探検と称した山歩き。泥濘にはまって転んで、服が泥だらけになっても楽しくて、毎日を笑って過ごした。これまでにない喜びと楽しさを感じる日々だった。
今朝は、昨晩から寝かしていたパンを焼き上げた。優しい甘さとふんわりした食感に舌鼓した。ナユタやナノハだけではなく、近所の住人も喜んでくれたことが、さらにおいしさに拍車をかけた。
「ふふっ」
シダル婆さんのジャムは甘酸っぱかったけれど、次から次へと伸びてくる手に、達成感を覚えた。
楽しい!!
一緒に作った子どもたちの自然に溢れる笑顔に、雰囲気が和む。自分が、みんなの輪に自然に溶け込んでいけたのが何よりも嬉しかった。
「何をにやけてやがる」
思い出しては口角が上がり、頬が赤くなる。
「へへ」
キハラの嫌味も久しぶりに聞く。子どもたちと行動を共にしていた時は、なかなか顔を出せずにいた。だから会いたくてうずうずしていたのだ。
「チビどもはうるさいから連れてくるな」「落ちたらかなわん」など、キハラは子どもたちが苦手だからだ。
「ぼくもニガて」
キハラのお仕えのウルはアーシャに尻尾を掴まれて宙吊りにされたことがあると言ってビクビクしていた。
「アーシャったら。すごい!たくましくなって…」
「ワライごとじゃないヨー」
「ごめんごめん。ケガはなかった?」
キアはウルの指先に自分の手を重ねた。
「ダイジョウブ!」
体からぬめりの成分を出して、すぐ逃げたから!とウルはエッヘンと得意げに胸を打つ。
「そっか」
アーシャは泣き虫の暴れん坊と認識していたが、泣き虫の部分は取っていいかもとキアは頭の中の情報を上書きした。
「気がつかなかったけど、だいぶ季節が進んだね。空気が冷たくなってる」
「何を今さら。呑気な奴だ」
「へへ」
少しずつ木々の色が変化している。万緑の夏から黄葉の秋へ。
「毎日忙しくてわからなかった」
異質者と指を指され、右も左も敵ばかり。孤立してべそべそ泣いていた頃が嘘のようだ。
キハラはキアを見つめた。森の空気に溶け込んで、隔たりが微塵も感じられない。まるで生まれた時からこの場所にいたようだ。違和感がない。
キアがどこから来たのかはまだわからない。突如として現れた理由も解明できてない。記憶も戻らない。番に選んだ理由も直感としか言いようがない。それでも、悪意も害意もなければ受け入れない理由がない。
愛しい。そう思わざるを得ない。
キハラはキアの頬に頭を擦り付けた。
「わ」
「ピャア」
突然の出来事にキアとウルは同時に声を上げた。
「何だ」
「ヌ、ヌシさまが、かわいいらしいことシてるから!」
キハラはピャアピャアと興奮しているウルを冷めた目で見下ろす。
「チッ」
無意識に体が動いたことを指摘されて、キハラは途端に機嫌が悪くなった。
「えっ、何?何?もう一度、もう一度やって!」
「うるせえ」
コンマ数秒遅れて、キアもピャアピャアと騒ぎ出した。擦り寄せた頬をほんのりと赤らめている。
「ねえねえ!」
「ヌシ様っ!ひゃっはあっ!!」
「うるせえっ」
キハラはウルの尻尾を咥え、ポイっと下流の方に放り投げた。
「ぴあああああああーーーー」
「ウル!」
大げさな叫び声を上げて、ウルは緩やかな流れに乗って流されていった。短い手足をピョロピョロと振り、邪魔者は退散しますと聞こえた気がした。
「ちょっと乱暴じゃないの?」
「うるせえ」
ベラベラと喋りやがってと今度はキハラの頬が赤らめていた。
「ふふふ」
「何をにやけてやがる。お前も落としてやろうか」
「ええっ!やだよっ」
ガブガブと噛み付く仕草をしては、キアに接触を繰り返した。今までの番にはなかった行動だ。キアも本気にはしてないが、逃げる素振りをしていた。触れられることの違和感などは微塵も感じてなかった。むしろ嬉しいほうだ。より近くにキハラを感じられる。受け入れてくれていると実感がわく。
戯れている神と番。微笑ましく思う者もいれば、怪訝に思う者もいる。
「神に近づき過ぎだ」
対岸でシダルは唾を吐いた。水音と騒ぎ立てる声が聞こえた来たのだろう。キアに対する態度は最初の頃よりは軟化しつつもあるが、心の奥までは垣間見れない。顕著に番の仕事を全うするならまだしも、あのようなじゃれあいまでは仕事ではない。
何度かナユタに抗議したことがある。前の番がナユタだからだ。しっかり教育しろと。目の届く範囲にいさせろと。まるで、子どもの躾はしっかりしろと自分にも言い聞かせているようだとナユタはぼやいた。
「サディカのことを後悔している口ぶりだね」
「うるさい!」
自分の身勝手な行動と態度でサディカがいなくなったのは百も承知だ。承知なら何故、自分の行動を阻止できなかったのか。
他人にはいくらでも言えるが、自分のことはついつい棚に上げてしまう。自分は間違っていないと断言してしまう。
それは視界の狭さが原因なのだろうか。子どもが周りに認められれば認められるだけ、自分の事をも評価されているかのように感じてしまう。
その子を育てたのは自分だと、ここまで立派になったのは自分の力だと自負していた。
「サディカはもう立派な大人だよ。心配しなくても一人でも大丈夫さ」
シダルは未だにサディカの帰りを待っている。
「慰みなんていらないよ」
ナユタの心配など何処吹く風だ。シダルはシダルの矜持がある。
「その矜持のせいでサディカは出ていったんでしょう」とナノハが口を次ぐ。
「子どものいないお前に何がわかるんだい!」
「子どもはいないけど、子どもが頑張りたいと願う気持ちを踏み躙ったりはしないわ。そっと見送ってあげるのも親の務めだと思うわ」
ナノハはシダルの言葉に腹を立てることもなく、やんわりと往なした。
「私が間違っていたと言うのか!」
「ちゃんとサディカの話を聞いてあげた?膝を折って話し合うのも大事なことよ」
上から見下ろしてばかりではなく、視線を合わせて話し合う。簡単なことでしょう。
「あなたがちゃんとサディカの親だと言うのなら、簡単なことでしょう」
ナノハの言葉に、シダルはぐっと息が詰まる思いだった。反論できないまま、立ち去った。
「その後の答えを聞いてないわ」
ナノハはそういえばと、書き物をしていた手を止めた。
「うん。まぁ。思うところはあっても、なかなか口には出せない性分じゃないか。だからまだ、ああやって待つしかないんだよ」
「…子どもの成長を素直に喜べないのも悲しいわね」
「そんなことを言って君こそ、もし、キアがここを出て行きたいと言ったら素直に送り出せるのかい?」
俺は無理だな。泣いちゃう。
「……そうね。考えたことなかったけれど、そんな日が来るのかもしれないのね」
ナノハは、書き物の手をぱたりと止めて考え込んでしまった。
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