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第2章
5 対峙
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「ナイトメア?」
「やつは人の心の闇や後ろ暗さを突いてくる。しっかりしろ!」
「うわあ…まさに…」
言い訳が出来ない。雪はどストライクの追求に頭を抱えた。ディルは雪の頭をガブガブと歯を当てた。
「痛い、痛いよ!ディルさん!」
「痛くしてるんだよ!あんなやつに付け入れられるなんて何を考えてたんだよ!」
「だって…」
雪はここ最近の悩み事を呟いた。行き場のない思いはどこに行くのか。私はどの道を行くべきか。
「そんなのあんたしかわからないだろ!あんなやつに聞いたってあんたの聞きたい風にしか答えないぞ」
「どういうこと?」
「ナイトメアは人の弱いところを突いてくる。あんたが帰りたいと思えば、帰らさせまいとするよ。つまり、思っていることと真逆なことを言うんだ」
「私の事など誰も待ってないって言ってた。みんなの本音を聞かせてくれるって。だから…」
真逆のことを言うのなら、私のことを待っている人がいることになる。
雪は安堵するも、手放しで喜べない。嬉しさの中の複雑さ。自分のことを心配して助けに来てくれたこの二人との別れを惜しんでいる。
「…ばかじゃないの」
ディルはお得意の心を読み取る能力で、雪の考えていることを読んだ。腕を甘噛みするも雪とは目を合わせずにいた。
「ククク。仲の良いことで」
ナイトメアはニヤリと口元を開いた。先ほどの靄より体の線がはっきりと見えた。
「お前の目的は何だ?」
シャドウはナイトメアを睨みつけた。
そもそもナイトメアは悪夢を見せる怪物だ。夢の中で対象者と出会うのが一般的なのに、眠りについてない者を夢に誘う訳でもなく、強引に何処かに連れて行こうとしていた。
「さあねぇ。行く宛を決めかねている影付きを希望の道に行かせるのも良しだし、影付きを欲しがる輩の元に送り届けるのも良し。愚鈍なヴァリウスには、影付きを引き止めるのに質を取るしか脳がないからな」
ナイトメアはクククと嘲笑う。広く裂けた口から赤い舌を覗かせていた。頭や手足も形成されていく。指の一本一本に長く細い爪が光る。骨張った手の甲は老人のように皺々だった。見えるのは口元だけで表情はわからない。青緑色の布を纏い、フードを深く被っていた。仙人が持つような杖を携帯していた。胸元には大小の玉が交互に並ぶ首飾りをしていた。
「娘、愚鈍なヴァリウスに弄ばれるより、こちらに来た方がよっぽど楽しめるぞ」
ナイトメアは長い指先を使い、雪に向かって手招きをした。
こちらとは他国のことか。影付きである雪を狙う国がいるということか?招かれた国に受け入れられるのが通説だが、雪の場合まだ身元が引き受けられているわけではない。他所の国が繁栄の為に狙っているということか。
シャドウは雪の前に立ち塞がる。ディルもまた、隣に立った。
「王を愚弄する気か?」
シャドウは腰に帯同している木刀に手を掛ける。ディルも唸り声を上げた。この旅に行かせた動向に不満がないわけではないが、王家に対し反旗を翻すほどでもない。だから今は主君を蔑まれれば腹が立っていた。
ナイトメアの指先は雪からシャドウへと移る。
「愚弄されているのはお前達だろう。犬のように首輪など付けられて。同じ物を付けても、方や影付きは国賓。お前は下僕。この差を笑わずにいられるものか。聞けばお前はルオーゴ神殿の神官だったそうだな。そんな奴が何故、ヴァリウスの犬になど成り下がっている?」
「獣人のお前も。ヴァリウスごときに手なづけられては名家の名も地に堕ちるな」
シャドウからディルへと連鎖される悪意に満ちた質問に、二人はただ黙り込んでいた。
ナイトメアは二人にしか分かり得ない歴史をいとも簡単に暴露した。
雪は聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかと、焦燥感に満ちた。二人を直視出来ない。気になるもこれ以上は聞いてはいけない。雪は二人から数歩下がり、目を閉じ耳を塞いだ。
「おやおや、心優しい影付きはお前らの過去を懸念しておいでだ。なんとも嘆かわしいことだ」
ナイトメアは浮遊し、雪の前に降りた。咄嗟のことで逃げ出せもできない。たじろぐだけの雪を静止させるよう、長く尖った爪の先で顎を上げた。
「己れの過去に苛まれる者など数多ある。溺れ迷い彷徨うのも勝手だが、来た道を戻るのは面白味に欠ける。行き着いた場所がここなら、先に行く道を選んでも案外うまく事が進むかもしれんぞ」
ニヤニヤ、ヒッヒッと卑しい笑い声を雪に浴びせた。
「…それは、この世界に留まれという意味?」
シャドウやディルに浴びせた言葉より悪意は感じられなかった。何方かと言えば好意的だ。励ましのエールにも聞こえる。
「グズグズしているやつは嫌いでね。それでも迷うなら次こそ水鏡を見せてあげよう。お前が望むものが見られるかもしれんぞ。いつでも私を呼ぶがいい」
「どうやって?」
「…お前の影に、」
言いかけてる最中にディルが唸り声を上げてナイトメアに飛びかかって来た。ナイトメアの体は空中に飛散したが、また元に戻りつつある。肉体は靄のままのようだ。
「背後から狙うとは弱者の証拠だぞ。ニルクーバの王子よ」
「…何でお前がその名を知ってるんだ!」
ディルは全身を震わせた。怒りと焦りで汗も吹き出す。
「さあねぇ。私に知らない事などないと思っていた方が良いのではないか?ククク。何故なら私はナイトメアだからな。お前らの夢の中などいくらでも覗き見が出来るのだから」
ナイトメアが自慢気に仰け反る間に、シャドウは木刀を抜いた。
「雪、顔を伏せろ!」と言い、外套を投げた。
ちょうどよく頭にかかりその瞬間を見ることはなかったが、窓ガラスに爪を立てて鳴る不快音のような声が耳の奥にまで響いた。
と同時に、すぐ真横で「またな」とも聞こえた。
ぞくっとした寒気を残してナイトメアは消えた。
外套から顔を出した時には、シャドウもディルも憔悴しきった顔で立ち尽くしていた。美しく輝いていた星々も既に消え、空は白みがかってきていた。
「耐え難き過去は誰もが持つものだ」
ぽつり呟いたのはシャドウだった。白みがけた空の下を一行はとぼとぼと歩いた。雪は二人に謝る機会をずっと窺っていたが、タイミングが合わず無言のままだ。
シャドウの言葉は、誰に向けて発した言葉なのか。
自分のためか。誰かのためか。
その後はまた黙り込んでしまった。
「ぼくはさー。六男坊だから家督の継承権なんてものはないから、全部兄さんたちに丸投げだったんだよね」
反面、ディルは軽快に自分の過去を話し出した。でもどこか他人事で、誰かの昔話を読み上げているみたいだった。
「父さんは政より領地を広げることしか頭になくて。家にはほとんどいなかった。領地を取った取らないで小競り合いなんかもちょくちょくあってさ、よく兄さん達が駆り出されて行ったよ」
「長男…さんが?」
「長男は家督を継ぐから戦場に赴くことはない。主にデスクワーク。体を張るのは次男三男の仕事。長男はおいしいところを横取り」
「…兄弟仲悪そうだね」
雪もぽつりと口を挟む。
「そうでもないよ。長男がダメなら次男三男てお鉢が回るから。下の兄さん達にもチャンスがある。最悪ぼくにも回ってくる可能性もある。数ありゃ当たる。兄弟多いと末っ子にもクジが回る。嫌な話だよ」
「…嫌なんだ?」
「そりゃあね。できる人がいるのになんでわざわざぼくがやらなきゃいけないんだよ。なんのための六男坊だって話じゃん。長男の特権はどこいった」
ディルは口を尖らせて道端に生えていた草の種子を指で弾いた。赤茶色の小さな粒が四方に飛び散った。
「…そうこうしているうちにさ。ぼくの体に異変が起きた」
「異変?」
ディルの顔つきが変わる。軽快さが抜けて慎重な面持ちになる。
「七歳の時に、体が獣人化した」
「…生まれつきじゃなかったんですね…」
雪は言い終えてからハッとして口元を抑えた。
「何?ダメなの?ニルクーバの当主は山犬家族だと言いたい訳?」
ディルは振り返り、雪の両の頬をがっつりと掴んだ。
「痛い痛い!ごめんなさいっ!」
「この饅頭顔が」
この後、いたずらっ子みたいに、はにかむ顔からは感じられないくらい重い話が続いた。
「ある日突然、高熱に見舞われた。全身の怠さ、頭痛、目眩、吐き気。目も見えなくて食事も水も取れなかった。そんな状態が三日続いて、ああこりゃもうダメだと皆が思っていたんだけど、全身に風を感じたんだ」
「風?」
「そう、全身に行き渡る風。体内にね。管を通って注入されたみたいにスゥッと。まるで体内にある余計なモノを一掃するかのように。そうしたら全身の震えが始まった」
汚い話だけどと言い淀むが話を進めた。体中の体液が全部出た。上からも下からも。涙も鼻水も涎も小便も。
「まだまだあるけど、あとはご想像にお任せします」
途中、笑い話も含めてディルは淡々と話した。
雪もシャドウも黙ったまま耳を傾けていた。
全身の毛が抜け落ち骨格が変わった。爪も牙も生えて目つきも変わった。痛みに抗うように叫んだ声は獣の遠吠えだった。
家系図を見てもニルクーバ家には先祖に獣人化した者の記述はなかった。
突然の息子の異変に領主である父は、長男に家督を譲り、方々の著名な医者を呼び集めてはディルの治療に専念した。母は心労がたたり寝込むことが多く、ついには療養の為に実家に帰ってしまった。五人の兄弟も方々に散った。家族の中に獣人化した者がいると友人知人に知られるのが苦痛で仕方ないと後から聞いた。獣人は厄災の種だと。
長男は家督を継ぎ、次男三男は仕事のために国外、四男は勉強の為に留学、五男は乳母の元に。
「その後は一年くらい体が戻らなかった。なんで急にこんなことになったんだと葛藤したね。なんでぼくなんだと。発狂して自決も考えた。だけど、父さんが必死にぼくを人間として見守っていてくれたから、どうにか立ち直れたんだよ。その後、人間の姿との入れ替わりをマスターするのにさらに一年かかった。その間に父さんは体壊して隠居しちゃった。色々尽くしてくれたのに申し訳ないよね」
ぼくはこんなんだしさ、と笑う。
「…そんな」
笑うところじゃないのに。
「兄弟は今どうしてるかって?とりあえず長男には家に帰って来るなと言われている。他の兄さん達は知らない。七歳以来会ってないから」
はにかむ顔が悲しすぎた。
「ナイトメア?」
「やつは人の心の闇や後ろ暗さを突いてくる。しっかりしろ!」
「うわあ…まさに…」
言い訳が出来ない。雪はどストライクの追求に頭を抱えた。ディルは雪の頭をガブガブと歯を当てた。
「痛い、痛いよ!ディルさん!」
「痛くしてるんだよ!あんなやつに付け入れられるなんて何を考えてたんだよ!」
「だって…」
雪はここ最近の悩み事を呟いた。行き場のない思いはどこに行くのか。私はどの道を行くべきか。
「そんなのあんたしかわからないだろ!あんなやつに聞いたってあんたの聞きたい風にしか答えないぞ」
「どういうこと?」
「ナイトメアは人の弱いところを突いてくる。あんたが帰りたいと思えば、帰らさせまいとするよ。つまり、思っていることと真逆なことを言うんだ」
「私の事など誰も待ってないって言ってた。みんなの本音を聞かせてくれるって。だから…」
真逆のことを言うのなら、私のことを待っている人がいることになる。
雪は安堵するも、手放しで喜べない。嬉しさの中の複雑さ。自分のことを心配して助けに来てくれたこの二人との別れを惜しんでいる。
「…ばかじゃないの」
ディルはお得意の心を読み取る能力で、雪の考えていることを読んだ。腕を甘噛みするも雪とは目を合わせずにいた。
「ククク。仲の良いことで」
ナイトメアはニヤリと口元を開いた。先ほどの靄より体の線がはっきりと見えた。
「お前の目的は何だ?」
シャドウはナイトメアを睨みつけた。
そもそもナイトメアは悪夢を見せる怪物だ。夢の中で対象者と出会うのが一般的なのに、眠りについてない者を夢に誘う訳でもなく、強引に何処かに連れて行こうとしていた。
「さあねぇ。行く宛を決めかねている影付きを希望の道に行かせるのも良しだし、影付きを欲しがる輩の元に送り届けるのも良し。愚鈍なヴァリウスには、影付きを引き止めるのに質を取るしか脳がないからな」
ナイトメアはクククと嘲笑う。広く裂けた口から赤い舌を覗かせていた。頭や手足も形成されていく。指の一本一本に長く細い爪が光る。骨張った手の甲は老人のように皺々だった。見えるのは口元だけで表情はわからない。青緑色の布を纏い、フードを深く被っていた。仙人が持つような杖を携帯していた。胸元には大小の玉が交互に並ぶ首飾りをしていた。
「娘、愚鈍なヴァリウスに弄ばれるより、こちらに来た方がよっぽど楽しめるぞ」
ナイトメアは長い指先を使い、雪に向かって手招きをした。
こちらとは他国のことか。影付きである雪を狙う国がいるということか?招かれた国に受け入れられるのが通説だが、雪の場合まだ身元が引き受けられているわけではない。他所の国が繁栄の為に狙っているということか。
シャドウは雪の前に立ち塞がる。ディルもまた、隣に立った。
「王を愚弄する気か?」
シャドウは腰に帯同している木刀に手を掛ける。ディルも唸り声を上げた。この旅に行かせた動向に不満がないわけではないが、王家に対し反旗を翻すほどでもない。だから今は主君を蔑まれれば腹が立っていた。
ナイトメアの指先は雪からシャドウへと移る。
「愚弄されているのはお前達だろう。犬のように首輪など付けられて。同じ物を付けても、方や影付きは国賓。お前は下僕。この差を笑わずにいられるものか。聞けばお前はルオーゴ神殿の神官だったそうだな。そんな奴が何故、ヴァリウスの犬になど成り下がっている?」
「獣人のお前も。ヴァリウスごときに手なづけられては名家の名も地に堕ちるな」
シャドウからディルへと連鎖される悪意に満ちた質問に、二人はただ黙り込んでいた。
ナイトメアは二人にしか分かり得ない歴史をいとも簡単に暴露した。
雪は聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないかと、焦燥感に満ちた。二人を直視出来ない。気になるもこれ以上は聞いてはいけない。雪は二人から数歩下がり、目を閉じ耳を塞いだ。
「おやおや、心優しい影付きはお前らの過去を懸念しておいでだ。なんとも嘆かわしいことだ」
ナイトメアは浮遊し、雪の前に降りた。咄嗟のことで逃げ出せもできない。たじろぐだけの雪を静止させるよう、長く尖った爪の先で顎を上げた。
「己れの過去に苛まれる者など数多ある。溺れ迷い彷徨うのも勝手だが、来た道を戻るのは面白味に欠ける。行き着いた場所がここなら、先に行く道を選んでも案外うまく事が進むかもしれんぞ」
ニヤニヤ、ヒッヒッと卑しい笑い声を雪に浴びせた。
「…それは、この世界に留まれという意味?」
シャドウやディルに浴びせた言葉より悪意は感じられなかった。何方かと言えば好意的だ。励ましのエールにも聞こえる。
「グズグズしているやつは嫌いでね。それでも迷うなら次こそ水鏡を見せてあげよう。お前が望むものが見られるかもしれんぞ。いつでも私を呼ぶがいい」
「どうやって?」
「…お前の影に、」
言いかけてる最中にディルが唸り声を上げてナイトメアに飛びかかって来た。ナイトメアの体は空中に飛散したが、また元に戻りつつある。肉体は靄のままのようだ。
「背後から狙うとは弱者の証拠だぞ。ニルクーバの王子よ」
「…何でお前がその名を知ってるんだ!」
ディルは全身を震わせた。怒りと焦りで汗も吹き出す。
「さあねぇ。私に知らない事などないと思っていた方が良いのではないか?ククク。何故なら私はナイトメアだからな。お前らの夢の中などいくらでも覗き見が出来るのだから」
ナイトメアが自慢気に仰け反る間に、シャドウは木刀を抜いた。
「雪、顔を伏せろ!」と言い、外套を投げた。
ちょうどよく頭にかかりその瞬間を見ることはなかったが、窓ガラスに爪を立てて鳴る不快音のような声が耳の奥にまで響いた。
と同時に、すぐ真横で「またな」とも聞こえた。
ぞくっとした寒気を残してナイトメアは消えた。
外套から顔を出した時には、シャドウもディルも憔悴しきった顔で立ち尽くしていた。美しく輝いていた星々も既に消え、空は白みがかってきていた。
「耐え難き過去は誰もが持つものだ」
ぽつり呟いたのはシャドウだった。白みがけた空の下を一行はとぼとぼと歩いた。雪は二人に謝る機会をずっと窺っていたが、タイミングが合わず無言のままだ。
シャドウの言葉は、誰に向けて発した言葉なのか。
自分のためか。誰かのためか。
その後はまた黙り込んでしまった。
「ぼくはさー。六男坊だから家督の継承権なんてものはないから、全部兄さんたちに丸投げだったんだよね」
反面、ディルは軽快に自分の過去を話し出した。でもどこか他人事で、誰かの昔話を読み上げているみたいだった。
「父さんは政より領地を広げることしか頭になくて。家にはほとんどいなかった。領地を取った取らないで小競り合いなんかもちょくちょくあってさ、よく兄さん達が駆り出されて行ったよ」
「長男…さんが?」
「長男は家督を継ぐから戦場に赴くことはない。主にデスクワーク。体を張るのは次男三男の仕事。長男はおいしいところを横取り」
「…兄弟仲悪そうだね」
雪もぽつりと口を挟む。
「そうでもないよ。長男がダメなら次男三男てお鉢が回るから。下の兄さん達にもチャンスがある。最悪ぼくにも回ってくる可能性もある。数ありゃ当たる。兄弟多いと末っ子にもクジが回る。嫌な話だよ」
「…嫌なんだ?」
「そりゃあね。できる人がいるのになんでわざわざぼくがやらなきゃいけないんだよ。なんのための六男坊だって話じゃん。長男の特権はどこいった」
ディルは口を尖らせて道端に生えていた草の種子を指で弾いた。赤茶色の小さな粒が四方に飛び散った。
「…そうこうしているうちにさ。ぼくの体に異変が起きた」
「異変?」
ディルの顔つきが変わる。軽快さが抜けて慎重な面持ちになる。
「七歳の時に、体が獣人化した」
「…生まれつきじゃなかったんですね…」
雪は言い終えてからハッとして口元を抑えた。
「何?ダメなの?ニルクーバの当主は山犬家族だと言いたい訳?」
ディルは振り返り、雪の両の頬をがっつりと掴んだ。
「痛い痛い!ごめんなさいっ!」
「この饅頭顔が」
この後、いたずらっ子みたいに、はにかむ顔からは感じられないくらい重い話が続いた。
「ある日突然、高熱に見舞われた。全身の怠さ、頭痛、目眩、吐き気。目も見えなくて食事も水も取れなかった。そんな状態が三日続いて、ああこりゃもうダメだと皆が思っていたんだけど、全身に風を感じたんだ」
「風?」
「そう、全身に行き渡る風。体内にね。管を通って注入されたみたいにスゥッと。まるで体内にある余計なモノを一掃するかのように。そうしたら全身の震えが始まった」
汚い話だけどと言い淀むが話を進めた。体中の体液が全部出た。上からも下からも。涙も鼻水も涎も小便も。
「まだまだあるけど、あとはご想像にお任せします」
途中、笑い話も含めてディルは淡々と話した。
雪もシャドウも黙ったまま耳を傾けていた。
全身の毛が抜け落ち骨格が変わった。爪も牙も生えて目つきも変わった。痛みに抗うように叫んだ声は獣の遠吠えだった。
家系図を見てもニルクーバ家には先祖に獣人化した者の記述はなかった。
突然の息子の異変に領主である父は、長男に家督を譲り、方々の著名な医者を呼び集めてはディルの治療に専念した。母は心労がたたり寝込むことが多く、ついには療養の為に実家に帰ってしまった。五人の兄弟も方々に散った。家族の中に獣人化した者がいると友人知人に知られるのが苦痛で仕方ないと後から聞いた。獣人は厄災の種だと。
長男は家督を継ぎ、次男三男は仕事のために国外、四男は勉強の為に留学、五男は乳母の元に。
「その後は一年くらい体が戻らなかった。なんで急にこんなことになったんだと葛藤したね。なんでぼくなんだと。発狂して自決も考えた。だけど、父さんが必死にぼくを人間として見守っていてくれたから、どうにか立ち直れたんだよ。その後、人間の姿との入れ替わりをマスターするのにさらに一年かかった。その間に父さんは体壊して隠居しちゃった。色々尽くしてくれたのに申し訳ないよね」
ぼくはこんなんだしさ、と笑う。
「…そんな」
笑うところじゃないのに。
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